2 :No.01 痛み 1/2 ◇EAnclcgLOw:07/11/10 11:07:52 ID:lil8p5S8
妹の裕美子が骨を叩く。
台所の流しのような安っぽい外見をした板が振動して、ダンダンダン、とやはり外見通り安っぽい音を響かせた。
それを見て、
(痛い)
と孝は思った。
人の脳にはミラー細胞という神経細胞があり、他人の陥っている状況を「見る」だけでその人間と同じ反応を起こさせるそうである。
つまりこれが、例えばテレビで事故のシーンを見て思わず「痛い痛い痛い」などと叫んでしまう原因である。
しかし、死人を見てもミラー細胞は働くのであろうか。
(女は合理的で非情な生き物だ)
と孝は痛感した。どんな理由があろうと、それは孝には子が親を虐待している絵にしか見えなかった。
(男ならきっとあそこまで出来ない)
そうこう考えているうち、頭蓋骨、腰骨、大腿骨、厄介そうな骨はみな壺の口に入るほどの大きさになった。
「孝、まだお父さんの骨入れてないでしょ」
と母親の絹恵が言った。
どれほど内心憤慨していようとも、この場でそれをぶちまけるほど孝は世間知らずではない。
だから孝は黙って小さな骨を壺の中に入れた。
「では」
と言って絹恵が箸を置く。
顔すら知らない親戚の一人がその箸を持つ。
滞っていた作業が再開された合図である。
待っていた親戚一同が再び列を作り、一人ずつ順番に骨を骨壺の中に入れ始めた。
(何だよ、セール品じゃないんだぞ)
と孝は思った。
(みんな馬鹿か。大体、箸で持つって何だよ。まるで、モノか何かみたいに)
もやもやとした憤りは身内から親戚に、そして世間の風習に、理由もなくその矛先を移す。
3 :No.01 痛み 2/2 ◇EAnclcgLOw:07/11/10 11:08:10 ID:lil8p5S8
孝は実家が嫌いだった。
田圃しかない風景が嫌いだった。
だから父親が死んだと聞かされたときも、帰らずに済む方法を真剣に考えたぐらいだった。
だがこうして通夜、葬式に出てみると、やはりどんな理由があろうと出るべきなのだろう、とは思うようになった。
やがて親戚の列がなくなり、箸でつまめる大きさの骨も見あたらなくなった。
それを見た火葬場の職員が
「では奥様、こちらで残りをお集め下さい」
と、ちりとりと刷毛のような形の道具を指差して言った。
「はい」
とだけ小さく言った絹恵が、その道具を使って細々とした骨の残片をまるで菓子屑のように集めて骨壺に流し込む。
父親の入った四角い壺を見て、もう二度と父親の為に痛みを感じることはないだろう、と孝は感じた。
了