【 リヴ 】
◆QIrxf/4SJM




105 :No.27 リヴ 1/5 ◇QIrxf/4SJM:07/11/05 00:20:17 ID:fM34AAUL
 リビングデッドが呼んでいる。
 仰向けのぼくの体は、ゆっくりと宙を舞っていた。といっても、ひどく低空なのだけれど。
 いつにもまして時間はゆっくりと流れ、深い空は微動だにしない。
 神さまは、この最後の瞬間をじっくり堪能できるようにしてくれたみたいだ。空はとても綺麗。
 静止した風が、ぼくの頬を撫でる。
 腕の中の黒猫は、少しだけ震えていた。首輪についた鈴が、揺れている。
 さあ、人生最後の大仕事が残っている。
 地面に背中を向けて、体で黒猫を包んでやる。
 ぼくの背中が、アスファルトに激突した。――死体に、背中は残るかな?

 真っ白な天井だ。
「ああ、よかった。目覚めたのね」
 ぼくは体を起こした。
 知らない女の子が、涙を拭っている。
 辺りの不自然な白さで、ここが病室のベッドの上なのだと悟った。
 ぼくは、死んだはずなのに。
 彼女は、見覚えのない制服を着ていた。胸元に据えた赤いリボンの真ん中に、金色のドロップが付いている。
 ベッドの横で、パイプ椅子に座っている。ぼくを見る眼が、少し赤かった。
 ぼくは、彼女の顔をじっと見つめた。
 フランス・ギャルと同じところに小さなホクロがある。けれど、彼女はもっと日本人らしくて、可愛らしいと思う。
 本当に、見知らぬ子だ。
「ぼくは、死んでないの?」
「ほとんど無傷ですって」
「あの猫は、無事だったかな」
「本当にごめんなさい。シュウのために」
「飼い主なの?」
「パパがね」彼女は言った。「シュウは、わたしの親友」
「無傷なんて、信じられないよ」
「時々、そういう人がいるわ。大勢の人間が死ぬような事故に遭っても、無傷で生還する人が」
 この白い部屋で、ぼくは目覚めたんだ。

106 :No.27 リヴ 2/5 ◇QIrxf/4SJM:07/11/05 00:20:54 ID:fM34AAUL
 清潔すぎて、少しだけ落ち着かない。このシーツには、少しのシミと太陽の匂いが必要だと思う。
 お腹がぐうと鳴った。
「あら?」彼女は黒めがちになってぼくを見た。
「お腹すいたなあ」同時に溜め息が出た。
 時計は六時を回っている。どの家も、そろそろ夕飯の準備に取り掛かる時間だろう。
 白い壁のでこぼこが、冷めたご飯のシルエットを描いている。
「何か買ってくるわ」
 彼女は足元に置いた鞄の中から、財布を取り出した。
 白い二つ折り財布で、可愛らしい黒猫の顔が貼り付けてある。少しふっくらしているところを見ると、彼女がいかに財政面で潤っているかがわかった。カードが多いだけなのかもしれないけれど。
「そんな、悪いよ」
 ぼくの意思に反して、再びお腹が鳴る。
 思わず、顔が真っ赤になった。
「おにぎりでいい?」彼女は少しだけ笑っていた。
「うん」頷くしかなかった。恥ずかしい。
 彼女は立ち上がった。背は低めだ。その割りに、髪の毛が長いような気がする。
「じゃあ、ちょっと待っててね」と言って、ぼくに背を向ける。
 歩き出した彼女に向って、ぼくは言った。
「あ、待って!」
 そういえば、一つ聞き忘れていたことがあったんだ。
「ねえ、名前は?」
 彼女がこっちを向く。
「梔子」
「へえ」ぼくは言った。「ガーデニアだね」
 彼女は笑顔で頷くと、部屋から出て行った。
 スライド式のドアが、静かな音を立てて閉まる。
 跳ね返ってできたわずかな隙間から、彼女の後ろ姿が見えた。
 またお腹が鳴った。咄嗟に腹を押さえる。
「本当に、無傷だ」
 ぼくは横になった。
 枕が、高くて少し硬い。自分の部屋の使い古したベッドが恋しくなる。

107 :No.27 リヴ 3/5 ◇QIrxf/4SJM:07/11/05 00:21:17 ID:fM34AAUL
 天井は真っ白で、ひとつだけ、消えかかっている蛍光灯がある。
 ぼくは目を瞑った。
 真っ暗な中から、ぼんやりとあの瞬間が蘇ってくる。
 大通りの真ん中で、その黒猫は首を傾げていた。
 背後に迫るトラックには気付いていないのだろう。
 ぼくに向かって見開かれた金色の眼は、朝の光を反射して、少し輝いていたと思う。
 綺麗だと見とれたのは、ほんの一瞬のことだったに違いない。
 次の瞬間に、その縦長の瞳の中にぼくがに映っていることがわかったんだ。
 助けなくちゃ、と思った。
 ぼくは道路に飛び出した。
 けたたましいクラクションの音。
 広げた両手の中に、黒猫が飛び込んでくる。
 そして気が付けば、ぼくは低空で背面飛行していた。
「ただいま」
 梔子の声だ。
 ぼくが目を開けると、彼女の隣には母が立っていた。
 ぼくが目を覚ますのと入れ違いで、着替えを取りに帰っていたらしい。
「お茶も買ってきたわ」
「ありがとう」

 検査に引っかかることもなく、ぼくは無事に退院した。
 午後から学校に行こうと思ったけれど、母に止められたので家で休むことになった。
 ソファに寝転がって、普段見ることの出来ない、平日昼間のドラマを見る。
 梔子は今頃、話に聞いた女子校で勉強しているだろう。お金持ちの通う学校だと、母が言っていた。
 今朝、彼女は遅刻してしまったかもしれない。後日またお礼をしたいからといって、わざわざ病院にまで来てくれたのだ。
 電話番号を交換しながら、ぼくは少し申し訳ないと思った。
 退屈な病室で、話し相手になってくれた。それだけで十分だったからだ。
 考えてみれば、彼女と打ち解けて話が出来たのは、あの真っ白な病室のおかげだろう。何もかもが、少しだけ異様だから。
 テレビを切った。
 白いけれど、見慣れていて温かみのある天井。

108 :No.27 リヴ 4/5 ◇QIrxf/4SJM:07/11/05 00:21:46 ID:fM34AAUL
 ふと、ぼくは既に死んでいて、それに気付いていないだけなんじゃないか、と思う。
 トラックに跳ね飛ばされて、痣一つ無かった。
 学生服は、もう着れないほどに破れていた。
 それを奇跡で片付けてしまうのは簡単だ。
 お腹がすくってことは、生きてるってことなのかもしれない。
 でも、どこかで何かが引っかかっている。
 ぼくは死んだけれど、生きている。
 そう思っておくことにした。
「ご飯できたわ」母が言った。
 返事を返して、食卓に着く。
 昼食は、少しだけ野菜を盛り付けたインスタントラーメンだった。
「三日分の宿題、溜まってるよね」
「すぐに出せってわけじゃないでしょ」
「そうだけど、締め切りが延びるわけじゃないんだ」
 麺に吹きかける息の中には、溜め息も混じっていた。 
 夕方、梔子から電話がかかってきた。
 お礼をしたいから、家に招待するとのこと。
 溜まっている宿題の手伝いを頼んだら、快諾してくれた。
「あの子、いい子ね」母が言った。
「うん」ぼくは言った。「じゃあ、行ってくる」

 ぼくは、コンビニで漫画を読みながら、梔子を待っていた。
「お待たせ」
 梔子の声に、ぼくは振り向いた。
「今、来たところなんだ」
「わたしの家、ここからバスに乗るんだけど、大丈夫?」
「お金はあるよ」
「じゃあ、行きましょ」
 コンビニの前から、三十分ほどバスに乗った。
 行ったことのない方向で、少し新鮮な風景を見たような気がする。

109 :No.27 リヴ 5/5 ◇QIrxf/4SJM:07/11/05 00:22:52 ID:fM34AAUL
 バスを降りると、すぐに彼女の家だった。
 門のある家に上がるのは、初めてのことだった。
 緊張したまま上がると、梔子の家族が出迎えてくれた。
 とても、豪華な手料理だった。
 お礼がしたいからといって招かれたのに、梔子たちは何度も謝ってきた。
 ぼくが、勝手に飛び込んだだけなのに。
 食べ終えたぼくは、梔子の部屋で宿題の処理を始めた。
 なんのことはない、普通の女の子の部屋という感じ。
 少しのぬいぐるみがあって、色は桃色が多い。
 ちょっと、いい匂いがする。
 梔子のおかげで、すごくはかどった。
「そういえば、シュウは?」
 梔子は俯いたまま、何も答えない。
 互いの、書く手が止まる。
 棚の上に、首輪がある。シュウのものだ。
「あの時、シュウはもしかして」
 梔子は黙って頷いた。
「きっと、あなたの代わりだったの」
 声は震えていた。
「ぼくなんかで、ごめん」
 梔子の眼から、涙があふれ出た。
「そんなことない、そんなこと――」
 梔子は、ぼくの胸に顔を押し付けて泣いた。
 そっと、肩を抱いてやる。
 こんなことして、よかったのかわからない。
 確かなことは、納得できたことは、ぼくがリビングデッドであるってこと。シュウの分まで生きている。
 横目で、見慣れた四文字を見つめていた。ノートに書かれたぼくの名前だ。
 修正ペンを取り出して、白く塗りつぶす。
 そうするべきだと、思ったからだ。



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