【 銀幕の中、彼女は…… 】
◆NA574TSAGA




344 :【時間外外作品】銀幕の中、彼女は…… 1/5 ◆NA574TSAGA :2007/11/07(水) 01:38:50.00 ID:RX2o49Z80
 俺は昔から「神」や「幽霊」といった、目には見えないモノを信じないタチだった。けれど今回ばかりは信じてやってもいい
かもしれないなあ――そんなことをぼんやりと考えながら、医師の話を聞いていた。
「というわけで、石川さん。手術は無事成功です。包帯が取れるまでには丸一日かかる予定です」
「はい……どうも、ありがとうございました」
 麻酔が抜けきらず、未だ自分が置かれた状況も十分に把握しきれぬままに、ベッドの脇に立っている "はず" の医師に返事をした。
 だがその姿を確認することはできない。周囲を闇が支配している。
 それもそのはず――俺の両目は今、包帯が何重にも巻かれた状態だった。周囲の人間から見れば多少痛々しい光景
かもしれないが、そんなことは気にならない。むしろ今はただひたすら、自らの運の良さに感心するばかりであった。
 ことの始まりは一ヶ月前のことだ。眼に違和感を覚えて病院へと向かった俺は医師から、自分が眼病に侵されていることを告げ
られる。放っておけば失明も免れない。治療法は角膜移植のみ。普通ならばすぐに移植を選ぶところだったが、母子家庭の我
が家には手術代を払えるだけの財力がなかった。宣告から数日たって、ベッドの脇でそれまで冷静を装っていた母が突然
泣き出すのを見てようやく、自分が最悪の状況に置かれているのだと理解した。いずれ完全に視力を失うであろう両目から、
涙が止めどなくあふれ出た。親の前で泣いたことなど、何年ぶりだっただろうか。ともかくあの日を境に、俺の人生は凋落の
一途を辿ろうとしていた。
 しかし結局、俺の命運がそこで尽きることはなかった。別の病棟で亡くなったとある患者の遺族が、手術代から入院費まで
全て込みで角膜を俺に提供したいと申し出てきた――そう医師に告げられたとき、俺は生まれて初めて、神の存在を信じてもいいと
思った。医師に理由を尋ねられても、『亡くなった者の遺志』としか告げなかったらしい。俺にはそうまでして尽くしてくれる善良な親類
など思い当たらず、最初は戸惑いもした。しかし最終的には申し出をありがたく受け入れることにした。そこにどんな理由があれ、
悪意でこんな申し出をする人などいないだろうと考えたからだ。万一悪意だったとしても、これ以上事が悪い方向に進むとは
思えない。ならば少しでも良い方向に向かえる手段をとりたい――そういう思いから手術へと臨んだ。
 そして半月が経過した今――俺はこうして再び平穏な日常へと回帰しようとしている。
 遺族に直接会って感謝の気持ちを伝えたい――そう医師に伝えたものの、結局プライバシーを理由に断られてしまった。
「それでは何かありましたら、ナースコールを押してください」
 そういうと医師は病室をあとにした。ドアの閉まる音でそれを確認する。母は仕事が終わり次第、見舞いに来ると言っていた。
医師の話によると、今は三時を少し回ったところらしい。まだ十分に時間はある。
「……確かめるなら、今か」
 こめかみを一筋の汗が流れる。別に部屋が暑いわけではなかった。むしろ寒気がするくらいだ。
 俺は決意を胸に、先ほどの医師の話の最中にも "視" えた、あるモノへと顔を向けた。

 闇の支配する世界。本来あるはずもない『視界』のその先には、見知らぬ少女が一人、瞳を閉じてたたずんでいた。

345 :【時間外外作品】銀幕の中、彼女は…… 2/5 ◆NA574TSAGA :2007/11/07(水) 01:39:25.76 ID:RX2o49Z80
 麻酔から目を覚ましたときから既に、彼女は無言で病室の奥に立っていた。
 もちろん俺の両目には未だ包帯がきつく巻かれ、周囲の一切の光が遮断されている。病室の様子などを確認することは
当然出来ない。視界という名のスクリーンは相も変わらず真っ暗な世界を映し出すだけであった。
 そんなモノクロの世界に映し出される、モノクロの少女。もちろんただの幻覚という可能性も捨てきれないでいた。しかし
何度首を振ってみても、少女の姿は消えることはない。上映の終わった無人の映画館、銀幕の中で一人出番を待つよ
うな――そんな少女の寂しげで、今にも泣き出しそうな表情に思わず息を飲む。
 そして何を思ったのだろう。気が付けば俺は、その少女に対して声をかけてしまっていた。
「えーと、そこの君。聞こえてたら返事を頼む」
「…………」
「……やっぱ聞こえてないのかな。おーい」
 見えるはずなどない。にもかかわらず視界から消えることのない少女。第六感、というものを信じるならば今がチャン
スかもしれない。『幻覚』という単語とともに、『幽霊』『お化け』『ゴースト』といった単語が脳裏を何度もかすめていく。
 きっと麻酔が抜けきっていないのだ、そうに違いない。これは幻覚だ――そんなことを考えはじめた矢先、少女は戸
惑うようにしてゆっくりと口を開いた。
「あの、もしかして……私に声を? 私のことが "視" えるんですか?」
「いや、見えるというかなんというか……」
 驚き半分、喜び半分といった少女の声が室内へと響きわたる。そして闇の奥から足早に、俺が横になるベッドの脇へと歩み寄ってきた。
「君はその、あれか。幽霊とかそういう類の人なのかい?」
「はい! えと、一応そういう認識でいいと思います」そう言ったかと思うと、少女は照れるような笑顔を見せた。
 何がそんなに嬉しいのだろうか? 生者とまるで変わらぬその表情に、俺は幻覚という可能性を完全に捨て去ることした。
「幽霊か。へえ……初めて見るぜ。はっはー、足はちゃんと付いているんだなぁ」
 無意味な冗舌とオーバーアクション。平然を装ってはいるものの、内心の焦りは頂点に達しつつあった。『幽霊』『お化
け』『ゴースト』……。神の存在を信じない俺は当然、幽霊の存在だって信じてはいない。神も幽霊も、ともに『人の心が
創り出す』もの。存在を信じなければ、幽霊など存在し得ないもの。信じない。信じない。信じない。そういう意思の下
で、今日まで生きてきたつもりだった。
 しかし今、目の前に立つ少女は自らをまさに『幽霊』だという。もはや俺の意思など超越した存在だということは明白で
あった。それゆえ俺は――
「あのっ! め!」少女の突然の大声に、
「ひゃっ……ご、ごめんなさい!」思わずベッドの上で縮こまってしまった。

346 :【時間外外作品】銀幕の中、彼女は…… 3/5 ◆NA574TSAGA :2007/11/07(水) 01:39:47.80 ID:RX2o49Z80
 俺は、少しばかりビビっていた。平穏な暗黒世界に突如として割り込んできたイレギュラーな存在に、不覚にも恐れお
ののいていた。そんな情けない二十一歳・フリーターの様子など気にも留めずに、少女は言葉を続ける。
「ええと、その……目の方は大丈夫ですか? 痛く、ありませんか」それは意外にも、俺のことを気遣う言葉だった。
「あ、ああ、目ね。だいじょーぶだいじょーぶ。痛くない。医者も一週間で包帯取れるって言ってたし、心配ないよ」
「そう! 良かった!」
 そう言って少女はまるで自分のことのように喜び始めた。そんな無邪気な姿を視て、俺はそれまでの警戒心を少しずつ
解きはじめる。そして互いにあれこれと質問を始めた。
 少女は名前を『咲夜』と名乗った。腰まで届く長い髪。整った顔立ち。そしてその両目はやはり、頑なに閉じたままである。
その理由を聞くと、咲夜は一呼吸置いてから答えた。
「私、生まれたときから目が見えなくて……。結局、死んでからもそれは治らなかったみたいです」
「あ……スマン」
 同じ闇の世界にいるという点では、咲夜と俺はそう変わらないかもしれない。しかし咲夜の世界には幽霊などは存在せず、
純粋な闇だけが君臨する。その一方で、俺の世界には幽霊少女が一人存在している。そのわずかな差が、二人の世界を別物へと変えていた。
「それにしても、だ……。まさか提供者から、霊が見える能力まで移っちまったなんてオチじゃないだろうな? 嫌だぞ、
こんなホラーな生活がこの先も続くってのは」
 そうぼやいていると、横で咲夜がくすくすと笑い始めた。
「何がおかしいんだよ。こっちは真剣だっての」
「あは、ごめんなさい。……多分目が治れば、幽霊なんてまた視えなくなると思いますよ」
「そうか? どうしてわかるんだよ」
「女の勘です!」
「なんだそりゃ、全然答えになってねえって」
 そう言って二人で笑い出す。まったく、よく笑う幽霊だ――そんなことを思っていると、咲夜はふとこちらを向き直った。
「石川さん。一つ、訊いてもいいですか?」
 そんな矢先、病室の扉が勢いよく開く音が聞こえてきた。咲夜が「あっ」と呟くよりも速く、俺がそちらを振り向くよりも速く、
ベッドから起こしていた身体を横倒しにされる。香水の匂いが辺りに立ち込めた。
「健ちゃん健ちゃん健ちゃーん! 手術成功おめでとー!! 母さん嬉しくて嬉しくて仕事早退してきちゃったよー!」
「がっ、止めろって母さん。離せっ、苦しい! わっ」抱きついてきた母を引き剥がそうと俺は必死になった。
 しかしその歓声がやがて静かになり、すすり泣く声へと変わるのを感じて俺は抵抗を止める。震える母さんの肩をそっと抱いてやる。
「良かった……本当に良かった……」
 母さんがどんな表情をしているのか、たとえ見えなくても、俺には容易に想像が付いた。たとえ見えなくても伝わるセカイが、そこにはあった。

347 :【時間外外作品】銀幕の中、彼女は…… 4/5 ◆NA574TSAGA :2007/11/07(水) 01:41:18.09 ID:RX2o49Z80
 面会時間が終わり母さんが帰ると、病室に静けさが戻った。そしてそれまで闇に消えていた咲夜が再び浮かび上がってくる。
「どこに隠れてたんだよ?」
「ベッドの下です。邪魔したら悪いかなあと思ったので」
「あー……聞いてたのかよ、恥ずかしい」
 咲夜はベッドへと腰掛け、先ほど言いかけた質問の続きを始めた。
「『ものが見える』――ってどんな感覚ですか」
「……また答えにくい質問だなぁ。」
 別に俺じゃなくても生前両親とかに訊いてみたことはないのだろうか? そう尋ねると、咲夜は一言。
「えと、両親は私が小さい頃、交通事故で」
「たびたびスマン!」
 どういうわけか、今日はやたらと地雷を踏んでしまう日だった。手術までの過程で運を使い果たしてしまったのだろうか?
 気にしないでください、と咲夜が続ける。
「私、物心がついたときにはもうここに入院してて……個室にこもりっ切りだったから外の人と接する機会もほとんどありませんでした。
話し相手はお医者さんと看護婦さんと……あとたまーに、年に一回くらい様子を見にくる後見人の人くらいかな」
「…………」
「それで会う人会う人に訊いてみたんです。『ものが見えるってどんな感覚ですか』って」
「……で、答えられなかったと」
「いいえ、みんななんとかして答えようと頑張ってくれました。『咲夜ちゃんは可愛い子』『今日は紅葉がとても綺麗』。
……じゃあ可愛いってなんですか? 綺麗ってどんな感じですか? そう尋ねると、みんな最後には『ごめんなさい』と言って、それっきり……」
 咲夜は――咲夜は話している間ずっと、笑顔のままだった。そう、ずっと。俺が声をかけた瞬間から、彼女は不自然なほどに笑顔を絶やさない。
 視界という名のスクリーン。モノクロの世界に映し出される、モノクロの少女。
 銀幕の中の少女はどんな表情で立っていた? 彼女に対して、俺はなんと声をかけたらいい?

「……見せてやるよ」
 明確な答えを出せないままに、俺は言う。
「えっ?」
「この目が治ったら、見せてやる。いや、『イメージ』させてやる。その日見たすべての事を、そうだな……毎晩寝る前にでもこうして、ベッドの上で話してやるよ」
 他の幽霊さんの邪魔が入らなかったらな。そう付け加えると、咲夜はふっ、と吹き出して、笑って、笑って……
 やがてその閉じられた瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
 頭をそっとなでてやる。スクリーンに俺の右腕が『イメージ』される。他人から見れば、俺の右手は空を撫でているだけだろう。

348 :【時間外外作品】銀幕の中、彼女は…… 5/5 ◆NA574TSAGA :2007/11/07(水) 01:42:40.22 ID:RX2o49Z80
 しかし彼女は確かにそこに座っていた。
 俺の右手に彼女の長い髪が絡みつく。その感覚が、何故かとてもいとおしかった。
 咲夜は涙を拭うと、再び笑顔に戻った。そして、震える声で言った。
「ありがとう、ございます。けど……もう、時間です」
 ふと、手のひらからぬくもりが消える。咲夜は今にも、闇へと溶け込もうとしていた。
「はじめからこうなることはわかっていました。角膜が完全に『石川さんの眼』になろうとしているんです」
「そんな……じゃあもう咲夜を見ることは」
「さようなら、石川さん。本当に、ありがとうございました。私の分も生きて、懸命に生きて、そしてその眼でいろいろな『綺麗』を探してください。
そして、たまにでいいから私のことを――」
「咲夜!」
 叫んだ瞬間、彼女は銀幕の奥へと静かに消えていった。「どうしましたか」と看護師が駆け込んでくる。
 俺はへこんだシーツの上を“視”る。「なんでもありません」 そう応えると、俺はベッドへと身体を身をゆだねた。

 次の日の朝、包帯を取った俺は思いがけない事実を医師に聞かされる。
「堅く口止めされていたんだが、やはり君には本当のことを話しておくべきだと思ってね」
「そんな……じゃあこの眼は――」
 数日前のこと。一人の盲目の少女が、この病院の別の棟で息を引き取った。
 少女は死ぬ間際に言った。「私の目を、病気で困っている人のために使ってあげてください」と。
 生前彼女は、外の景色を見ることを切望していたそうだ。看護婦から聞かされた紅葉というものが、どれほど『綺麗』なものなのかを知るために。
 そして、医師に願った。せめて『眼』だけでも、その願いを叶えて欲しいと。両親から相続した財産は、病床の彼女にはいくぶん多すぎたらしい。
「……あ、」
 そして俺は窓の外に見る。秋空の下でスズメ達は寒そうに、枝の上で丸くなる。その止まる木々さえも、寒さで頬を赤らめているようだった。
 赤、黄色、オレンジ――この世の全ての色が、そこにあるような感覚。
「――見ろよ、咲夜。『綺麗』だろ」
 そうつぶやくと、俺は人目もはばからずに大声で泣きはじめた。親の前で泣いたのが十年ぶりだとすれば、赤の他人の前で泣くのはおそらく生まれて初めてだろう。
 眼をつぶっても、彼女はもういない。ただ真っ黒なセカイが広がるだけ。幽霊なんて、どこにもいなかったのだ。全ては俺の眼が創り出した『幻想』。
 それでも俺はイメージする。もうどこにも居ない、彼女のことを想い――。

 やがてスクリーンには、一本の映画が映し出される。
 主人公の女の子は色鮮やかな紅葉の中、楽しそうに笑っていた。      〈幕〉



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