【 パンツからはじまる幸せ家族計画 】
◆VXDElOORQI




100 :No.26 パンツからはじまる幸せ家族計画 1/5 ◇VXDElOORQI:07/11/05 00:16:57 ID:fM34AAUL
 珍しく定時に仕事が終わり、家に帰ったまではよかった。
 だが家で待っていたのは妻の「あら、もう帰ってきたの?」というそっけない一言と、帰宅の挨拶
をしても、リビングで腕を組み、物思いに耽る息子、コウジの無視だった。
 わかっている。父親なんて所詮そんなものなのだろう。
 これなら残業をしていたほうがまだマシだったかも知れない。

 二階にある自室で着替えを済まして、一階に下りるとそこで娘のサキと出くわした。
 まだ制服姿ということは、サキも学校から帰ってきたばかりなのだろう。
「サキ、お帰りなさい」
「あ、お父さんただいま。今日は早いねー」
「今日は珍しく定時で終ったんだ」
「じゃあ今日は久しぶりにお父さんと一緒にご飯食べれるね!」
「ああ、そうだな」
「あ、そうだ」
 サキは急に手に持っていた鞄をゴソゴソと探り、小さな紙袋を取り出した。
「これ、家庭科で作ったクッキー。お父さん食べてみて。あんまり上手に出来なかったけど……」
 私はその場で袋を開ける。中には少し形がいびつなクッキーが入っていた。その一つを摘み、口に
放り込むと、ほどよい甘さが口の中に広がった。甘さ控えめなのか、あまり甘いものが好きではない
私でもおいしく食べられた。
「ん。おいしいよ」
「よかった! お父さんに食べてもらおうと思って甘さ控えめにしたんだー」
「ありがとうな」
 私はサキの頭を軽く撫でる。サキはくすぐったそうに目を細めた。

 サキも着替えるために二階にある自室に行き、私は再びリビングへと足を踏み入れる。
 そこに妻の姿はなく、先ほど同じようにコウジがソファに座り、なにか考え込んでいた。
 悩む息子の相談に乗り、たまには父親の威厳とやらを示すことも必要だろうか。などと大層なこと
を考えつつ、私は息子の隣に腰を下ろし、テーブルの上に置かれた新聞に手を伸ばす。
 新聞を読むふりをしながら、コウジに声をかけるタイミングを見計らっていた。どうにも意識して
しまって、一言声をかけることすら難しく感じる。

101 :No.26 パンツからはじまる幸せ家族計画 2/5 ◇VXDElOORQI:07/11/05 00:17:26 ID:fM34AAUL
 なにしろコウジが大学生になってから、まともな会話をした記憶がない。緊張するなというほうが
無理な話だ。
 私はしばらく使っていなかった埃まみれの勇気を振り絞り、言った。
「なにかあったのか?」
「え?」
 コウジを驚きの眼差しで数秒私のことを見つめ、目を伏せた。
 沈黙が私とコウジを包む。
 やはり慣れないことをするべきではなかったのだろうか。
「実は、妹の……サキの、ことなんだけど……」
 今度は私が驚きの眼差しでコウジを数秒見つめ、慌てて返事を返す。
「ああ、サキがどうかしたのか?」
「サキに彼氏、彼氏が出来たみたいなんだ……」
「え?」
「だからサキに、彼氏が……」
 サキに、彼氏? そんなことが。サキはまだ中学校に上がったばかりじゃないか。
「相手の、相手の男は見たのか?」
「いや、見てない」
「じゃあ電話しているところやメールを見たのか?」
「それも見てない」
 どうもおかしい。相手の男を見たわけでもなく、電話やメールで確信を得たわけでもない。それな
のにコウジはなぜサヤに彼氏がいるとわかったのだろうか。
「なんで、サヤに彼氏がいるって思ったんだ?」
「今朝、見ちゃったんだ」
「なにを?」
「見たといってもチラッと見えただけなんだ。本当に偶然、たまたま、アクシデントで見ただけで」
「だから、なにを見たんだ?」
「サヤの、パンツ」
 コウジはなにを言っているのだろうか。サヤのパンツを見たと言ったのだろうか。確かにそう聞こ
えた気がする。私の聴覚に異常がなければの話だが。サキに彼氏が出来たと聞き、混乱して聞き間違
えた可能性もある。

102 :No.26 パンツからはじまる幸せ家族計画 3/5 ◇VXDElOORQI:07/11/05 00:18:31 ID:fM34AAUL
「サヤのパンツ?」
「ああ」
 どうやら聴覚の異常でも聞き間違えでもなかったようだ。そうなるとまた別の疑問が生まれる。
「どうして、サヤのパンツからサヤに彼氏がいると?」
「ほんの一瞬。そうほんの一瞬見えたサヤのパンツの色が……黒。黒だったんだよ」
 く、黒。黒だって。黒の下着と言ったら、それは世に言うアレではないのだろうか。いやいや、ま
だサヤは中学生だ。いくらなんでも早すぎる。というより早いとかそんな問題じゃない。いつまで私
の愛しい娘、サヤはそんなこと、そんな、そんなの――。
「お父さん許しませんよ!」
「父さん、落ち着け」
「……す、すまない。つい」
 威厳を示すどころかとんだ醜態を見せてしまった。
「いや、わかるよ。俺もその結論に至ったとき『お兄ちゃん許しませんよ!』って言っちゃったもん。
しかも講義中に」
 ああ、やっぱりコウジと私は親子なんだな。
 その実感が私の中に何か熱いものを感じさせた。そうなにか熱いものがこみ上げてくる気がした。
 思わず目頭を押さえてしまった私の肩をコウジがポンポンと叩く。
「父さん。今はサヤのことを考えよう」
「ああ、そうだな」

「まずは結論だ。俺達の中にある結論を言語化する必要があると思うんだ。父さん」
 結論を言語化。つまり私が想像している、妹が黒の下着を穿いているわけを口に出して言う。とい
うことか。確かに、ひょっとしたら私とコウジの間で見解の相違があるかも知れない。
 出来れば相違していて欲しい。そのほうがまだ希望を抱けるというものだ。
「わかった。サキが穿いている黒の下着は、つまりあれだ。そのしょ、しょう、ぶ……うっうう」
「ごめん。父さん。俺が悪かったよ。だから……泣くなよ」
「お前だって、泣いているじゃないか」


「お父さん、お兄ちゃん。なんで泣いてるの?」

103 :No.26 パンツからはじまる幸せ家族計画 4/5 ◇VXDElOORQI:07/11/05 00:19:04 ID:fM34AAUL
 気付くとサキが不思議そうな目で私たちのことを見つめていた。
「いや、なんでもないんだ。なんでもないんだ。なあコウジ」
「あ、ああ、なんでもないよ」
「ふーん」
 なおも不思議そうな目で私たちを交互に見つめてくるサキから、思わず目を逸らしてしまった。
 目を逸らしたことが気に入らないのか、サキは逸らす先へ先へと回りこみ、なんとか目を合わそう
とする。
 私はそのたびに目を逸らし、サキはそのたびに回りこむ。
「もうお父さんったら変なのー」
 そう言って愛らしく笑うサキを見ていたら、また涙が溢れてきた。もうサキは私の知っているサキ
じゃないんだね。大人の階段、登ってしまったんだね。
「あれ、ねーお父さん。また泣いてるの? どうしたの? お腹痛いの?」
 私は黙って首を横に振ることしか出来なかった。
「ちょっとサキー。体操服の下がないんだけどー。明日も体育あるんでしょー。出しときなさいよー」
「あ、はーい!」
 不意に聞こえたきた妻の声。そうか明日、体育あるんだね。サキ。うっ。もうサキのことを考える
だけで涙が止まらない。
「えっと、どこに置いたっけ。あ、そうか!」
 いきなりサキはスカートの中に手を突っ込み、そのまま勢い良く下げた。
「ちょ、ちょっとサキ!」
「へ? なにお父さん?」
 サキの手には一枚のブルマがあった。そう紺色のブルマだ。
「あ、これ? 今日も一時間目体育だったんだー。それで今日穿いていったの。それで脱ぐの忘れて
たみたい。えへへ」
 そう言ってサキはブルマを洗濯機の元へと持っていった。
「父さん……。これ」
 コウジの声に振り返ると、そこには二本の缶ビールを持ったコウジが立っていた。
 私は黙ってそれを受け取ると栓を開けた。
「乾杯」
「乾杯」

104 :No.26 パンツからはじまる幸せ家族計画 5/5 ◇VXDElOORQI:07/11/05 00:19:32 ID:fM34AAUL
 その日、初めて息子と酒を飲み交わした。
 たまには定時に帰るのもいいものだ。

おしまい



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