【 宝物は西の空に 】
◆rmqyubQICI




93 :No.24 宝物は西の空に 1/5 ◇rmqyubQICI:07/11/05 00:12:55 ID:fM34AAUL
 数日も降り続いた雨がようやく上がって、本日の天気は久々の快晴。降りそそぐ陽気に
負けて買いに行ったコーヒーはもう売り切れていて、僕は仕方なく、飲み干したカフェオ
レのストローをがじがじとやりながら教室へ戻った。
 誰もいない廊下は淡い赤に色づいていて、西の空を染めてゆく眩しい暖色が、ますます
僕の眠気を誘う。小窓から覗くとやはり教室に人の姿はなくて、僕はどうやって暇を潰そ
うか、などと思案しながら扉を引いた。
 立て付けの悪くなった扉は素直に動いてくれず、耳障りな音を立てながら少しずつ開い
てゆく。多分、そのがたごとという音で気付いたんだろう。全開になっている運動場側の
窓の向こう、教室の壁に隠れているところから、誰かがひょっこり顔を出した。逆光になっ
ていてよく見えないけれど、影の形から大体の予想はつく。
「市川さん?」
「岸村君?」
 僕が呼びかけると、影は予想していた通りの声で僕の名を呼び返した。
「どうしてこんなところに?」
 窓の方へ近づきながら、僕がそう尋ねる。すると市川さんは軽く首をかしげて、同じ問
いを返した。
「岸村君こそ、どうして?」
「ちょっと用があってさ、時間潰さないといけないんだ」
 光の強さにも大分なれて、彼女の表情がすこしずつ見えてくる。君の方はどうして、と
僕が改めて問うと、彼女はにこりと微笑んで、僕に手招きした。
「ベランダに出ろってこと?」
 そ、と一言だけ返して、市川さんはくるりと外の方を向いてしまう。訝る気持ちもある
にはあったけれど、どうせやることもないのだからと思い、僕は誘いに乗ってベランダに
出た。
「お、来た来た」
 市川さんがくすくすと笑う。その顔はとても無邪気で、けれどもどこか上品で、不思議
な人だなぁと、僕はそう思った。
「ね、見て」
 そう言って市川さんが指差したのは、遥か西の果ての、だんだん赤く染まってゆく空。
いつも通りの夕焼けなのに、なぜかとても懐かしく感じられた。

94 :No.24 宝物は西の空に 2/5 ◇rmqyubQICI:07/11/05 00:13:44 ID:fM34AAUL
「久しぶりに晴れたからね」
「なるほど」
 ここのところ雨続きで見れなかったから、今日は存分に夕焼けを楽しんでいるというこ
とか。風流というか、酔狂というか、やっぱり不思議な人だ。
「私、この空が大好きなの」
 ここ何日か見れなかったけどね、と彼女は続ける。
「ほら、青い空があのあたりからすこしずつオレンジに染まってきてるでしょう? あの
境目を見てるとね、すごく落ち着くのよ」
「ふうん」
 彼女の視線を追って、僕も夕焼けの空を見上げた。
 青い空が、だんだんうすい柿色に飲まれてゆく。柿色はいつの間にか鮮やかな橙色に変
わって、地平線上の真っ赤な夕日へと続いていた。西の空を埋め尽くす赤は、まるで神様
がおこした焚き火のようで、なんとなく、温かい感じがする。
「きれいでしょう?」
 不意に市川さんが口を開いた。その顔に浮かぶのは、いつも通りの微笑み。壁にもたれ
て空を見上げた姿勢のまま、彼女はこう続ける。
「まるでエオスのカーテンみたいね」
「エオスって、また変な喩えをするね。あの女神様は夜明けの担当だろう?」
 僕が尋ねると、彼女はふふっと微笑んで答えた。
「だって、そんな時間とても起きてられないもの」
 なるほどと思い、僕もつられて笑う。ずっと上の方を見ているのに疲れたのか、市川さ
んは僕に微笑みかけたあと、ベランダから身を乗り出して下を眺め出した。
「あら? ねぇ、岸村君。あれ見て」
「ん?」
 市川さんに呼ばれて、僕も下を覗き込む。当たり前のことだけれど、そこにはいつもと
変わらない花壇があって、いつも通りに真っ青な紫陽花が咲いていた。
「なんかおかしいの?」
「ほら、紫陽花の色」
「色?」
「もう。いつもはきれいな薄桃色の花が咲いてるでしょう?」

95 :No.24 宝物は西の空に 3/5 ◇rmqyubQICI:07/11/05 00:14:15 ID:fM34AAUL
 そう言われてみればそうだった気もする。でも、それほど気にかけているわけじゃない
し、実際のところはよく分からない。
「うーん、そうだったような。ていうか、青色だときれいじゃないの?」
「重箱の隅」
 市川さんが呆れたように言う。それを聞いて、というわけでもないけれど、懐かしい記
憶が頭をよぎった。
「そういえば、紫陽花って土のpHとかで色が変わるんだよね」
「ぺーはー……って、つまり?」
「例えば鉄なんかが埋まってたら土の酸性度が上がって、紫陽花の花が青くなるね」
「じゃあ、花壇に何か埋まってるってこと?」
「何かって?」
 そう尋ねて横を向いた瞬間、満面の笑みを浮かべる彼女と目があった。何か嫌な予感が
して、僕は一歩後ずさる。彼女はそんな僕の右手をがっしりとつかんで、そしてこう言っ
た。
「行ってみる?」
「……行く気満々じゃない」
「ええ、もちろん。面白そうでしょう?」
 市川さんはそう言い切るや否や、僕の手を引いて歩き出す。教室の中を通って廊下へ、
そして階段へと、鼻歌交じりで。あまり乗り気でなかった僕も、たん、たん、とリズムよ
く階段を降りる彼女につられて、だんだん楽しい気分になってきた。
「ね、何が埋まってると思う?」
「そう聞かれてもね」
 はじけるような声で問う彼女に、僕はなるべく冷めた声を作って答える。
「何が埋まってるか分からないから、楽しいんじゃない?」
 先に階段を降り切った市川さんが、くるりと僕の方に振り向いた。しばらく僕を不思議
そうに見つめたあと、またにっこりと笑って、僕の手を放す。
「土、掘らないとね」
「うん、そうだね」
 目的の花壇は、階段を降りてすぐのところにあった。きれいな青い花をつけた紫陽花が、
数十本も生え出ている。

96 :No.24 宝物は西の空に 4/5 ◇rmqyubQICI:07/11/05 00:14:40 ID:fM34AAUL
「そういえば、スコップとかいらないの?」
 僕がふとそんな疑問を口にすると、市川さんは当然のように答えた。
「そんなのあったら目立つじゃない」
「なくても目立つような……まぁいいか。で、どの辺を掘るの?」
 いざ近づいてみると、花壇はなかなかに広い。花をさけてちょっと掘ってみるだけのつ
もりだったのに、これではまずどこを掘っていいのやら。
「うーん……」
 さすがの彼女も困ったようで、口許を押さえ考える仕種をした。でも、やはりというか
長く悩む人ではないようで、すぐその場に座り込んで手近な土を掘り始める。
「あら?」
「え? もう?」
 まだ一分と経たないのに、彼女は何か見つけたらしい。
「なんか板みたいな感じ。岸村君、そっちの方も掘ってくれない?」
「うん、分かった」
 彼女が指したあたりを掘り返すと、僕の方も何か硬いものに当たった。手触りから想像
するに、何か彫り込まれているらしい。
「んー、確かに板みたいだ。くぼんでるところは文字でも彫ってあるのかな」
「この辺の土、ざーっとよけてみようか」
 僕たちは頷き合って、本格的に土を掘り始めた。埋まっている位置が浅いので、そう体
力を使う作業でもない。けれど、だんだん埋まっているものの全体が見えてくるにつれて、
僕たちの表情は苦しげなものに変わっていったと思う。
「……ねぇ、岸村君」
「うん、言いたいことは大体分かるよ」
 僕らが掘り出したのは、うすい鉄の板だった。そして、落ちゆく陽の赤に染まったそれ
に彫り込まれていたのは――。

「土を掘り返すな!」

「これ、わざわざエッチングの技法とか使って削ったのかなぁ」
「さぁ……」

97 :No.24 宝物は西の空に 5/5 ◇rmqyubQICI:07/11/05 00:15:08 ID:fM34AAUL
 僕の疑問に応えたのは、返事というより溜め息に近かった。
「もう、絶対お宝だと思ったんだけどなぁ」
 そう言って、市川さんは力なく笑った。夕日を背負っているのは同じでも、さっき教室
でみた笑顔とはあまりに違う。その赤く染まった顔をじっと見ているうちに、僕はなぜか、
なぜか――いきなり、笑けてしまった。
「……え? ちょっと、なんで笑うの?」
 訝るような怒るような彼女の声を聞いて、なぜだかますますおかしくなる。普段はこん
なことないのだけれど、今日はなぜか市川さんの呆れ顔を見ても笑いが収まらない。気付
けば彼女も、くすくすと笑い出していた。
「もう、なんで笑ってるの?」
「さぁ、色々馬鹿馬鹿しくなったのかな」
 ああ、そうか。みんな馬鹿馬鹿しいからだ。わざわざ鉄板を加工して埋めた人間も、わ
くわくしながら駆け降りてきた僕たちも。とくに前者。花壇の紫陽花が全部青に染まって
いるのだから、他にも何枚か鉄板を埋めてあるに違いない。一体何が楽しくてそんなこと
をやったのだろうか。
 いや、僕たちだって同じか。あぁ、なんて馬鹿なことをやっているんだろう。わざわざ
二階から駆け降りてきて、結局土で手が汚れただけだなんて。もう日も沈みかけてるって
いうのに、馬鹿みたいだ。
「あぁもう、ここまでくだらないといっそ清々しいね」
 そう言って、僕はコンクリートの地面に寝転んだ。まっすぐ見上げた空はきれいな茜色
に染まっていて、その色を見ていると、なぜだかすごく嬉しい気分になる。
「岸村君、そんなとこに寝たら制服汚れるよ?」
 僕の顔を覗き込んでくる市川さんも、やっぱりどこか嬉しそうで。焚き火のような夕焼
が僕らの心まで暖めてくれたみたいだなんて、ふとそんなことを考えてしまった。
 恥ずかしさで赤くなった顔も、ちゃんと夕日が隠してくれていればいいのだけど。


  了



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