【 紅葉の季節に 】
◆M0e2269Ahs




78 :No.21 紅葉の季節に 1/5 ◇M0e2269Ahs:07/11/05 00:00:25 ID:fM34AAUL
 ようやく色づいたと思った紅葉も、長雨に降られて、その殆どが散ってしまっていた。秋を彩る風物詩も、雨に落とされ、ふやけ、
行き交う人々にぐちゃぐちゃになるまで踏みしだかれてしまっては、風情も何もあったものではなかった。
 そういえば、桜のときもそうだった。桜のときも、ようやく満開になるかといったところで、雨に降られて散ってしまった。
 秋の空よりももっと高いところに住んでいる神様は、季節の象徴とも言える彼らのことが嫌いなのかもしれない。いや、もしかしたら、
彼らがあまりに綺麗なものだから、嫉妬の雨を降らせたのかもしれない。
――でも、それじゃあ、あんまりじゃないか。
 ちらりと隣に座る絵美に目をやると、案の定、退屈そうにぼんやりとしていた。
――せっかく、こうして紅葉を見に来たっていうのに。
 どことなく物憂げな絵美の視線を追ってみると、僅かに赤い葉を残したモミジが申し訳なさそうに立っていた。まるで、新調したドレスに
泥水を引っ掛けられたような、そんな惨めさが漂って見えた。僕らと同じように行楽を楽しみに来たと思われる人たちも口々に、
こりゃあ駄目だ、とか、あと三日来るのが早かったらなあ、と、残念がっていた。無論、僕も同じ気持ちだった。
 絵美に目を戻してみると、彼女はまだ、恨めしそうにモミジを眺めていて、身動きもしなければ、口を開こうともしなかった。
ただ、時折吹く風に、彼女の長くて黒い髪が、所在なさげになびいていた。
 また少し落ち葉を散らした風が吹いて、絵美は寒そうに身を震わせた。もっと寄り添って、肩を抱いてあげたいと思った。でも、市内の
公園である。人目が気になった。代わりに、何か暖かい飲み物を買ってこようと思い、ベンチから腰をあげた。
――飲み物、買ってくるよ。
 絵美は、うんともすんとも言わなかった。まあ、いい。絵美が何を飲みたいかなんてことは、五年も付き合っていればわかる。問題は、
絵美が望んでいるであろう、ココアがこの公園の自販機にあったかどうか、ただそれだけだった。
 依然、ぼんやりとモミジを見つめる絵美を置いて、公園の入り口付近で見かけた自販機のもとへと向かった。
 見渡してみれば、紅葉を楽しみにこの公園に来たであろう人たちには、思いのほか若者が目立った。どちらかといえば、紅葉を楽しむのは
中年層の人たちの方が多いような気がするが、そうでもなかったみたいだ。と、考えて、思いついた。なんてことはなかった。
 紅葉を楽しもうとする中年層の人たちは、こんな徒歩でもこれるような紅葉よりも、もっと趣のある、いわゆる名所で紅葉を楽しんでいる
のではないか。きっと、そうに違いない。こんな街中にある公園で、お手軽に紅葉を楽しもうというその発想こそが、若者らしいものだった
のだ。そして、その中には僕と絵美も含まれているというわけだ。そう考えると、なんだかおかしくなってきた。ついつい抑えきれずに
笑ってしまったが、幸い行き交う人たちに変な目で見られることはなかった。
 自販機に辿り着いて、ひとまずココアを探した。ジーンズのポケットから財布を取り出しながら、目を流し、ちょうど上の段の右隅に
ココアを見つけた。そのとき、視界の片隅にこちらに向かって走ってくる人影が映った。人が走っていることが珍しいわけではないが、
何とはなしに、財布に手を入れながらその人の方を一瞥した。そして、驚いた。こちらに走ってきていた人が、高橋だったからだ。
だが、驚いたのは、それだけではなかった。僕と目が合った高橋は、まるで化け物を見たかのように目を大きく見開いて、あげく、
地面に足を取られて、転んでしまったのだ。

79 :No.21 紅葉の季節に 2/5 ◇M0e2269Ahs:07/11/05 00:01:00 ID:fM34AAUL
「ちょっと、高橋。大丈夫かい」
 慌てて駆け寄った僕に振り向いた高橋は、僕の顔を見て口をぱくぱくさせた。いったい、どうしたというのか。
「お、おま、西村。なんで」
 高橋は、これ以上はないというほどに大きく目を開いて、戯言のように呟いた。僕がここにいてはいけないという決まりなんてないのに。
「少し落ち着いてよ。いったい、どうしたっていうのさ」
「ど、どうしたも何も、なんでお前がここに」
 意味がわからなかった。とりあえず高橋を立たせようと差し出した僕の手を見て、高橋はまるで凶器を突きつけられたかのように驚いて、
後ずさった。僕は鼻から息を出して、差し出した手を引っ込めた。
「じゃあ聞くけど、僕がここにいてはいけない理由でもあるのかい」
 そう言って、絵美のことを思い出した。まさか高橋は、絵美と会おうとしていたのではないだろうか。しかし、それは杞憂だったようで、
僕の言葉に高橋は激しく首を横に振った。じゃあ、いったいどうしたというんだ。周囲の人の目が、地面に座り込む高橋に集まっていた。
「違う。そうじゃない。俺が言ってるのは、そうじゃなくて――」
「だから、何が言いたいのさ」
「お前が、何で生きているのかってことだよ!」
 高橋は、泣きそうな顔をして叫んだ。あまりの声のでかさに、行き交っていた人たちは足を止めて彼を見た。
「どういう意味? 何で生きているって言われても、答えに困るよ。僕は、両親に生んでもらって、育ててもらって、それで――」
「違う!」
 また高橋が叫んだ。情けなく眉毛を垂らして、目には涙を浮かべていた。
「お前は、西村拓は、もう死んでるんだよ。だから、ここにいるわけがないんだ」
 震えた声で言った高橋は、顔を伏せてしまった。肩を震わせて、鼻をすする彼を見下ろしながら、僕はその場に立ち尽くした。
 僕が死んでいるだって? そんな、そんな馬鹿なことがあるか。現に今僕はこうしてここにいるじゃないか。こうして、ここで、
絵美のためにココアを買おうと。そうだ。絵美だ。今まで僕は絵美と一緒にいたんだ。それなのに、何故。何故、高橋は僕を見て、涙する
ほどにショックを受けているのだろう。冗談にしては、たちが悪いが、演技にしては、堂に入っていた。普段は、ふざけた調子の男ではある
が、こんな嘘をつく男ではない。それはわかる。でも、それだけで簡単に信じることなどできるはずもなかった。
「とりあえず、立ちなよ。そして、少し話そう」
 顔を上げた高橋が、あまりにも悲痛な顔をしていて僕は思わず顔を背けた。そして、当初の目的であったココアを買おうと思った。いや、
ついでに僕と高橋の分も買おうと思った。握り締めていた財布から、硬貨を取り出した。正確には、取り出したつもりだった。
硬貨を投入口に入れようとして、僕は自分が硬貨を持っていないことに気がついた。まさか。僕はもう一度財布から硬貨を取り出そうとした。
結果的に、一度だけではなかった。何度も何度も硬貨を取り出そうとした。しかし、いくらやっても硬貨は僕の手をすり抜けた。
 高橋の泣きむせぶ声が、僕の耳を通り抜けた。

80 :No.21 紅葉の季節に 3/5 ◇M0e2269Ahs:07/11/05 00:01:29 ID:fM34AAUL
「悪かったな。あんな醜態さらしちまって」
 照れくさそうに笑いながら、高橋は、ココアの口を開けて、僕の隣に置いた。試しに手を伸ばしてみたが、やはりココアは飲めそうにない。
「いいよ。立場が違ったら、僕だって同じくらい動転したと思うから」
「それにしても驚いたぜ。死んだはずの人間が、何食わぬ顔してジュース買おうとしてんだからな」
 確かに想像してみれば、おかしな光景だ。僕は、すでに死んでいるのに、それに気づかず生きていたのだから。もしこのまま高橋と出会わず
にいたなら、僕はいったいどんな生活を過ごしていたのだろう。
「それよりも、僕はどうして死んでしまったんだい?」
「覚えてない、んだな。まあ、それもそうか。覚えていたら、死んだことに気づいているはずだもんな」
 そういうことなのだと思う。こうして高橋と普通に会話をしていると、死んだことは理解しているのに、まだ生きているような感覚になる。
「不慮の事故だ、って聞いた。西村が道を歩いていたら、マンションのベランダから植木鉢が落ちてきて、それが直撃したらしい」
 言葉を失った。高橋は、苦笑いを浮かべていた。
「自分で言うのも変だけど、間抜けな死に方だね」
 高橋は、やはり苦笑いをした。間抜けな死に方とは言え、人の死である。大口をあけて笑うことは不謹慎だと思っているのだと思う。
「あまり、驚かないんだな。自分が死んでるって気づいたのに」
「驚いてるよ。まだ、信じられないくらいだから。こうして高橋と普通に喋ることができるんだから、なおさらそう思うよ」
「ああ、たぶん俺に霊感があるからだと思う。俺、昔からそうなんだよな。幽霊も見えるし、声を聞くこともできたから。だからだと思う」
 そうか。そういうことだったのか。僕の声は、絵美に聞こえていなかったのだ。だから、だから……。
「どうした?」
 高橋が、僕の顔を覗き込んできた。今度は、僕が顔を伏せる番だった。
 あまりに唐突に訪れた死のせいで、僕は重大なことを忘れていた。僕は、もう絵美と話すこともできなければ、触れ合うこともできないのだ。
何よりも大事に想っていたはずの絵美と、僕はもう二度と。そう考えたとき、僕は急激に自分の死を実感した。
 これ以上はないほどの悲しみがこみ上げてきて、ただ顔を伏せることしかできなかった。自分の命以上に、失ったものは大きいのだ。
 今更になって、頭の中に絵美の色んな顔が浮かんできた。
 僕が大好きな絵美の笑顔。絵美の誕生日にドッキリパーティーを開いたら、絵美が泣き出してしまって大変だった。僕が他の女の子と話した
だけで、絵美は僕と口をきいてくれなくなった。そして何より、震えた声でしどろもどろに想いを伝えた、あのとき。あのときの、絵美の顔は
死んでも忘れないと思ったのだった。
 そんな絵美とのかけがえのない日々は、僕の死によってあっさりと終わってしまった。
 もう二度と新しい思い出を作ることはできないのだ。もう二度と。
 涙がとまらなかった。僕はもう死んでいるのに、頬を濡らす涙が熱かった。絵美も、こうして泣いてくれたのだろうか、と思った。
 人目をはばからずに、僕は大声をあげて泣いた。この声でさえも、絵美に届かないのだと思うと、僕の涙は溢れる一方だった。

81 :No.21 紅葉の季節に 4/5 ◇M0e2269Ahs:07/11/05 00:01:55 ID:fM34AAUL
 このまま永遠にとまらないのではないかと思えるほどに流れていた涙も、やがて止まった。僕が泣いている間、高橋はずっと隣にいてくれた。
死んだというのに付き合ってもらって、本当にいい友達を持ったものだと思った。
「そういえばさ、高橋は、何か用事があったんじゃないの?」
 涙の理由を聞いてこない高橋の好意に甘えて、何事もなかったかのように話を変えた。僕の言葉を聞いて、高橋は、いきなり立ち上がった。
「そうだった。忘れてた。お前、今まで本田といたんだよな?」
 本田、という名前を聞いて、初めて出会ったときの絵美のことが思い出された。それを振り払うように、僕は頷いて見せた。
「どこにいるんだ? とりあえず会っておきたい」
 高橋の声が、やけに遠く聞こえた。どうして会っておきたいのか、理由を尋ねたいと思ったが、それも面倒に感じた。さっきまで、絵美と
一緒にいたベンチの方向を指差すと、高橋は手をそちらに差し出して、僕を見た。案内をしてくれ、ということなのだろう。でも。
「高橋。伝えたいことがあるんだ」
 高橋は、不思議そうな顔をして僕を見つめた。やがて、気づいたらしい。
「西村、お前……体が」
 僕の体が徐々に透け始めていた。体がひどくだるかった。僕はもう死んでいるというのに、すべてが終わるのだという予期を感じずに
いられなかった。
「高橋。伝えたいことがあるんだ」
 高橋は、僕に駆け寄りながら、何度も頷いた。彼の口が、動いているのがわかる。でも、声は聞こえてこなかった。
僕の声は、届くのだろうか。少し不安になった。絵美の顔を思い浮かべて、僕は口を開いた。
 自分の声も聞こえてこなかった。ただ、絵美の顔を思い浮かべるだけだった。高橋の顔もやがて薄れていって、見えなくなった。
その後ろの公園の風景も、段々と色あせて、まるでこれから降るであろう雪のような、真っ白な光に包まれていった。
 その光に包まれて、僕は真っ白になった。自分の体があった辺りを見ても、そこには何もなかった。もう、どうして目が見えているのかも
わからなかった。ただ、絵美の顔だけは、まだ忘れないでいた。不思議と、あれだけ感じていたはずの悲しみは、もう感じなかった。
 これが死を受け入れた、ということなのか。
 思い浮かべていた絵美の顔が、名残惜しむかのようにゆっくりと、真っ白な光に消えていった。
 僕には、もう何も残っていない。
 この真っ白な光の中で、僕はただ一人、漂っているのだ。
 ふわふわと浮かんでいるような感覚に、体のだるさは消えていった。やがて、その感覚にもなれると、何も感じなくなった。
 そして、僕は、考えることをやめた。

82 :No.21 紅葉の季節に 5/5 ◇M0e2269Ahs:07/11/05 00:02:23 ID:fM34AAUL
 西村が消えてしまったベンチに座ってから、腰を上げることができなかった。友人の死を二回も受け止めるだけの強さは、俺になんか
あるわけもなかった。西村の飄々とした顔が頭の中から離れようとしなかった。次々とあふれ出してくる鼻水と比例するように、心を覆う
悲しみに打ちひしがれる中、今はこれでいいのだと、どこか冷静な自分が言っていた。そう、今は西村を偲ぶことだけを考えればいいのだ。
 絵美の奴も、これほど悲しんだのだろうと思った。人の死の重さとか、誰が誰をどれだけ想っているかなどということは、比べようのない
ものだけど、友人の、それも同一人物の友人の死を、二回も受け止めた俺と、最愛の恋人を失った絵美。たぶん、同じくらいの悲しみが
押し寄せたのだと思う。
 西村を亡くして、心ここにあらずといった顔をして通夜や葬式に出ていたものの、それから、実は部屋を抜け出していたのだということを、
おばさんから聞いた俺は、まさか西村を追って、自殺してしまったのではないかと不安に思う気持ちがあった。
 そんなときに、予想外の人物に出会ったものだから驚いた。自分の目を疑った。そこには、西村の姿があった。動転して、少し記憶が
あやふやになっているけど、素直に嬉しいと思う気持ちもあった。死に目に会うことができなかった友人が、そこにいたからだ。そして、
何故か、西村がいるということは絵美もこの公園にいるのだろうと、そう思えた。そして、どうやらそれは正しかった。
 そう思ったとき、俺は二人の間にある想いの深さに羨ましく思いながら、不幸な二人のことが哀れに思えたのだった。
 西村が消えてしまう前までは、きっと西村の幽霊がいるということを伝えれば、絵美の顔も少しは晴れるのではと思った。だけど、今は、
違う。おそらく、この公園に紅葉を観に行く約束をしていたのだと思う。この約束があったからこそ、西村は自分が死んでいるということに
気がつかず、何食わぬ顔で約束を守っていたのだと思う。絵美も絵美で、西村が来ないことはわかっているはずなのに、まだ二人の関係は
終わっていないのだと言わんばかりに、約束を守った。
 だからこそ、思うのだ。この二人は哀れだと。二人の愛は、まさに永遠といってもおかしくないほどのものなのかもしれない。でも、
それは二人が一緒に生きているからこそ、意味があるもので、西村が死んでしまった今、絵美にとっての西村という存在は、これからの
絵美の人生を縛り付けるものにしかならないのだ。
 だから、俺は。俺は、西村から受け取った最後のメッセージを、絵美に伝えてやろうと思うことができず、かといって、何事もなかったかの
ような顔もできそうになく、どうすればいいのかわからずに、ただただ頭の中に浮かぶ西村の顔を追い払おうとしていたのだ。
 思い切って、腰をあげた。大きく息を吸って、吐いた。いつまでも、ここにいたって仕方ない。とりあえず絵美に会ってこよう。そして、
せめてこれくらいは、これくらいの西村の願いは叶えてやろうと思う。
 五分も歩かないうちに、身動きをしない石像のようにベンチに座っている横顔をみつけた。ゆっくりと近づいて、隣に腰をかけた。それでも
絵美は、その態勢を崩そうとはしなかった。視線の先を追うと、僅かに葉を残したモミジの木が目に入った。これが、西村の言っていたモミジ
の木。心が揺れそうになった。それを振り払うように、慌しくポケットに手を入れ、絵美に差し出した。
「ずっとここにいて、体冷えただろ?」
 差し出されたココアを見て、絵美は大きく目を見開いた。そして、俺の顔をじっと見つめた。逸らすことなく、じっと見つめた。
 堪え切れなかった。涙が溢れ出した。この小さな優しさが誰のものなのか、絵美はわかっているのだ。俺が口を開かなくても。
 二人の間に割り込みたいと思った俺への罰なのかもしれない。意を決すると、俺は大きく息を吐いてから、口を開いた。    おわり



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