【 晴れた空の下で 】
◆8wDKWlnnnI




59 :No.17 晴れた空の下で 1/4 ◇8wDKWlnnnI :07/11/04 20:31:24 ID:CXhL+OYA
 晴れた空の下、田舎町のどこにでもありそうな広場のベンチにあぐらをかいて座りながら、クレヨンの白と無言の格闘を繰り広げていた。
 ずいぶん昔に買ったはずの十六色クレヨン。その中でも、白いクレヨンがなかなか減らない。
 そんな些細な事にいらつき、それでもまだ諦めきれずに空を眺めたまま風に吹かれてる。そんな自分に少しうんざりする。
 ここに座って描き始めてからすでに一時間。無駄に過ごしているのはわかっていた。けれど、どうしても最初の一筆を描きだす事が出来ない。
 なぜ、あんなに雲はずっと浮かんでいるのか。この空を覆う透明な、しかし確かな広がりを感じさせるこの天の蓋は何処まで続いているのか。
 白い画用紙に白く、クレヨンを走らせる。でもまるで違う。今この目の前に広がる光景はこんなちっぽけな物ではない。
 たまに気分が晴れない時なんかにこうやって近所の広場にあるベンチに座り、風景を描いていた。
 もちろん問題の方は一切解決しないけど、絵を描いてる間に頭が空っぽになり、描き終わった頃には少しだけ冷静に見つめなおす事ができる様になる、はずだった。
 でも今回はそのスケッチでさえろくに手につかない。苛々がたまるだけで、黒で塗りつぶしたくなる。
 自分から動き出さなければ何も始まらない、多分わかっているつもりだ。でも動きたくない。
 そこにある確かに見える重みを、自分だけに用意された鈍く光る現実の重みを、今はまだ見ていたくなかった。
 空に見える雲がひどく羨ましい。あんな風にただ浮かんでいればいいだなんて卑怯だ。鳥でさえ飛ぶのは必死だというのに。
 愚痴でさえどこに向ければいいのか分からない。
 真っ白な画用紙がまるで何も決められない自分自身みたいに思えてなんだか情けなくなってくる。
「おーい島田、そこでなにやってんの」
 その声に振り返ると、広場の脇の細い道路に同じ大学の女友達で、最近見かけなかった山野紗香が歩いていた。
 この広場は大学の近くにあったので結構知ってる人間も通る。今日は野球同好会も練習に使っているし、他にも多分ちらほらいるはずだ。
 山野が歩道からベンチの方に来るのを見ながら煙草に火を着けた。冷たくなってきた空気が煙草の煙と相性がいいのはなんでなんだろう。
「久しぶり。一服してるだけ?」
 山野はいつも通りひっつめ髪にこざっぱりとした格好をしていた。学生にしてはあまり派手じゃなかったが、その服によく馴染んで様になっていた。
「いや、絵を描いてる。どう、すごい?」
「ない。絵ぐらい誰でもかけるよ、それに今の世の中には絵を描く凄いゴリラもいるくらいだし。ただ描いたってだけじゃ自慢になりません」
「だよね」
 絵を描くゴリラについて想像を膨らましていると、山野が何も書かれていない画用紙を覗いて、不思議そうにこっちをみた。
「あれ、キャンパス真っ白なままじゃん。これはあれだ、新しい芸術の形が云々して要は爆発だって事だよね。こいつはなかなか素晴らしい」
「そう真実の芸術の道はかくも厳しいってね。……なんだか時間ばかりが掛るんだ。もう一時間この状態でさ」
 実質的にそれを聞くとなんだか馬鹿な子みたいで、やはり少し呆れた顔をされてしまった。
「一時間使って真っ白って」
「そう、作業的にはつい今さっき画用紙にようやく白い線を引いた所なんだ。そして今からもう一本引くかどうかで、かなり真剣に悩んでる」
「ふーん、要は暇なんだ」

60 :No.17 晴れた空の下で 2/4 ◇8wDKWlnnnI:07/11/04 20:31:55 ID:CXhL+OYA
「まあそうとも言う」
 うーん、気分転換でいらついてるんだから暇っちゃ暇なんだろうな、そんな事を思っていると山野が持ってた荷物を投げてきた。
「じゃあ着いてきな」
「へ? どこに?」
 山野は返事をせずにベンチを離れ、さっさと歩いていく。とにかく着いて行くしか無さそうだった。

 その落ち着いた閑静な住宅街の一角で一人で待っていると、昼間なのになんだか心細くなった。
 山野がここで待っててと言ったまま、自分の家に入ってしまってから五分、まだ文句は早い。でも何のために連れて来たのかぐらい教えて欲しかった。
 すると目の前のガレージのシャッターが音をあげて開き、中から車が出てきた。その運転席には山野が乗っている。
「早く乗って」
 言われるままに助手席に乗り込むと、山野は慣れた手つきでギヤを変え、そのまま車をスムーズに走りださせた。
「なんだ、ドライブか」
 ようやく慣れないシートベルトを締め終えて、車のシートに深く体を埋めると気持ちがほぐれた。山野は道路を見つつ、少しだけずるそうに笑った。
「で、どこ行くの」
「おう、それ決めてなかったわ。……じゃあ水族館にしよう。アシカショーで決まり」
 なにその無計画アクティブ過ぎと思いつつ、水族館はちょっと興味の芯を突かれた。あの平日の水族館の雰囲気は結構好きだった。
 暫くすると車は住宅街を抜け幹線道路に入った。大学での話を延々としていると、山野が別の話題を降ってきた。
「島田さ、今日少しだけ変だよね。なんか悩み事でもあんの?」
「なんで?! ……悩みなんか、水族館でなに買おうかぐらいしかないよ、本当だよ」
「いいから。じゃあ島田さん、ちゃんと聞かせてください」
 ハンドルを切るのと同時にその表情を少し変えたのが『 』で、諦めた子供みたいに素直に白状した。
「実は本当にたいした悩みじゃない。大袈裟に言うと、将来の自分の人生をどう設計していくかについて。まあ要は卒業後の進路で迷っているんだ」
 ちょっと照れくさいのを見透かされるのが嫌で、笑いながら言うと、山野の機嫌が斜めに傾いたのがわかった。
「なんでそんな言い方をするのかよく分からないな。あのさ、自分の人生を決める重要な選択を、そんな風に変に卑下したりしないで欲しい」
「ああそうだね、なんかゴメン。いやでもさ、その選択が自分でも驚くくらいにまったく選べないんだ」
「二者択一が出来ない、選択の自由が与えられながらも選び取ることが叶わない……要はジレンマって事なの?」
「うん……違うな、選べないと言うより選ぶのが怖いんだ。最近いつもなんだ、自分ではこれしかないつもりで選んだはずの物がどうにも馴染んでいかない。
 決定的な間違いを犯した訳でもないと思う。それなのに、何だか全てが間違っているような気がしてきてしょうがないんだ」
 それから少し黙って考えていると、山野がひどく冷静な声でこう言った。
「それってさ、単なる考え過ぎなんじゃないかな。それに自分で選んだ事なら、まずはその事を大事にしていかなきゃ駄目だよね。

61 :No.17 晴れた空の下で 3/4 ◇8wDKWlnnnI:07/11/04 20:32:37 ID:CXhL+OYA
 それさえ忘れて自分が馴染めないのを状況のせいにするのはどうなんだろう」
 その通りだった。そう言われてみると、今ままでの自分が考えてきた事は単なる甘えに過ぎないとしか思えなかった。
「……なんだよ。返す言葉が出てこないじゃないか」
「じゃあ、なんも言わなくていいよ」
 車は郊外を抜け、窓から潮の香りが入って来ていた。
 山野は笑うでもなく、怒るでもない表情で、どこか別の場所にいてゆっくりと眺めている、そんな気がした。彼女にとって一番大事な物を。
「山野の方こそなんか雰囲気が変わった。最近見なかったけど、なんかあったの?」
「うーん、まあ色々」
 その事にはついてはあまり喋りたくなさそうなので、話はやがて大学の事に戻っていった。

 ようやく着いた海岸沿いにある水族館の入り口には、定休日の白いプレートがぶら下がっていた。
「残念。まあ定休日じゃあしょうがないね。帰ろう」
 せっかく見にきたのに休みだなんて、と気持ちの整理を付けられなくなっていると、すぐに山野は踵を返して車に戻っていった。
 気持ちの切り替えが早い。会社員なら出世が早いタイプだ、内の親父がよく言ってるので間違いない。
 お前はグズグズとなんでも決めるのに時間が掛る、その癖を直さないと使いもんにならん。
 言われなくても分かっている事をこうもあっさり言われると、気持ちが何処かに沈んで落ちていくのはなんでだろう。
 まだ諦めきれずに誰もいない水族館を眺めたていた。壁にはペンキでベットリと塗られた空の絵が描かれている。
 その雲は鉄板の空に打ち付けられたブリキの看板みたいに見えた。でもこれは気分的な問題なのかもしれない。
 しばらくして車に戻ると山野は迷わずにエンジンを掛け、来た道を真っ直ぐに戻っていく。まるで燕みたいだ、空に描く綺麗な放物線。
「山野はさ、決断に迷う事とかないの?」
「あるよ、少し前までは大分迷ってた」
 ラジオからは最新のヒットソングが流れていたが、それよりも山野の以外な反応の方が気になった。
「へー、で一体何を?」
「お腹にいる赤ん坊の事で色々と」
「そっか、そりゃあ大変……は?」
 それから暫く山野の話を聞きながら、開いた口をまた塞ぐ度に何回ぐらい舌を噛んだか分からない。
 彼女は相手の男と結婚するつもりはなく、子供を自分一人で育てる事に決めていた。
 もちろん就職一年目で育児休暇を出す様な会社などあまり無いので、自宅で出来る仕事をしながら法律関係の資格を取るらしい。
 そんな事を淡々と喋っている山野の横顔は、だけどどこか嬉しそうに微笑んでいた。
 かなり迷って決めたと言うその決断は、山野の佇まいに静謐な大人の品格と言うものを与えている。

62 :No.17 晴れた空の下で 4/4 ◇8wDKWlnnnI:07/11/04 20:33:08 ID:CXhL+OYA
 よれよれの服装に白紙のスケッチブックを抱えて、甘い事を言っていた自分がなんだか途方もなく情けて、いっそ車から飛び下りたくなった。

 山野に家の団地の近くまで送ってもらい、そこで車を降りた。運転席のミラーを開けた山野になにか言わなければいけない気がした。でも出てこない。
「じゃあ、将来の事決まったら教えてね」
「分かった。山野もさ、もしなんか困った事があったらいつでも言ってこい。まるで頼りにならない所を見せつけてやるから」
「ありがとう。いや本当に嬉しいわ」
 山野が少し笑ってから顔を横にしたのでなぜか不安になった。
「でもしばらくは一人でやって行きたいんだ。誰かに頼ると、甘える癖ができるし。とか言って甘える時があるかも、じゃあそんな時にはどうかよろしく」
 低い排気音を上げながら段々と小さくなっていく車を見送る。
 山野は絶対に幸せになる。もし彼女が不幸になる様なそんな世の中なら、いっそ滅んでしまえばいい。
 さあ、始めないといけない。自分の悩みと向き合う覚悟をして歩きだす。少し足がもつれたのはご愛敬って事にしておこう。
 そんな事を考えながら歩いていると、道路の黒いアスファルトに子供の落書きが書かれていたのが目に入った。
 地面に白い雲が白いチョークで描かれている。そしてそれは一面のアスファルトの空に、ただふんわりと浮かんでいた。
 近くにある駄菓子屋からは出てくる子供達の声や、野球のバットがたてる、コン、コンといったあの小さな金属音が聞こえてくる。
 なんとなく子供の頃を思い出した。あの頃は目に入る全ての物が新鮮で、すぐに走り出していた。もしも今現在のだらしない自分を見たら笑うだろう。
 きっと迷っている場合なんかじゃない。画用紙に確かな雲を描き込もう。このアスファルトに描かれた雲の様にただ明確に。
 その時、目の前の黒く平面なはずのアスファルトに底のない大きな空が真下に立つ。
 地面に表れた陽炎の様なそれは何処までも果てしなく続いていき、地平線に交わり空に溶けこんだ。


〈了〉



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