【 太陽がとっぽい 】
◆I8nCAqfu0M




50 :No.15 太陽がとっぽい 1/4 ◇I8nCAqfu0M:07/11/04 20:24:22 ID:CXhL+OYA
 俺と智美は珍しく積るほど降った初雪の公園を歩いていた。智美は凍えながら笑っている。
「初雪でこんなに積もるなんて、なんだかわくわくしちゃうね」
俺は、そうかなと言ってポケットに手を突っ込んだままシャリシャリと氷っぽい雪を踏んでいた。
 顔を上げて辺りを見回すと、学校帰りの少年達が雪合戦をしている。
 俺は小さい頃、よく石を混ぜた雪球を作って友達と投げ合ったことを思い出した。あれは確か、田辺の奴が右
目を怪我してから禁止になったんだっけか。その頃は危ないと知っていても、なんだか本当に戦争をしている気
分になれたので、気付かないフリをして石を投げ合っていたんだ。
 智美が
「見て見て、池に氷張ってるよー。乗ったら割れちゃうかな?」
などと冗談めかして雪をすくって池に投げ込んでいた。
「あんまり子供っぽいことしてると、俺も雪合戦とかしたくなるよ?」
と言うと、智美は
「いいよ。久々にやろうか、雪合戦」
と言って微笑んだ。
 二人だけの雪合戦は思いのほか盛り上がった。智美は軽く肩で息をしている。頬は薄く紅潮している。
 少年達は俺達二人が始めるころには雪合戦にはもう飽きて、どこから持ってきたのか金属バットで雪玉を打ち
返す遊びに興じていた。
 そして俺は、久し振りの雪合戦の語って聞かせようと振り向いた瞬間、鈍色の物体が高速で回転しながら智美
目掛けて飛んでいくのを見た。
 それはぶんぶんと小さく唸っていた。その棒状の物体の片方は黒い。ああ、バットだなと思った。
 それは智美の後頭部を勢い良く叩いた。コンという小気味の良い音が雪の公園に響いて、智美は倒れた。
 倒れた知美の頭からは真っ赤な血が吹き出ている。鮮血は雪に染みて、心理テストで使われるような、なんと
も言えないような模様を描いていた。
 ああ、智美に駆け寄らなくちゃ。いや、その前に救急車を呼ばなくちゃ、それからどうしよう、とりあえず救
急車を呼ぼう、呼んでからどうしよう、どうすればいいんだっけ、救急車、百十九番。混乱しながらポケットを
まさぐった。黒い携帯は一度雪に落ちた。それを拾おうとして、雪ごと掴んだまま、救急車を呼んだ。体に力が
入らない。腑抜けた声でオペレータに状況を説明した。
「ええ、倒れているんです、頭から血を流して。ええ、バットです。きっと手がかじかんですっぽ抜けたんだと
思います。はい、えーと……○○公園の北口あたりです」

51 :No.15 太陽がとっぽい 2/4 ◇I8nCAqfu0M:07/11/04 20:24:47 ID:CXhL+OYA
 ほんの数秒、茫然自失としたまま、雪の中に突っ立っていた。それから少年達の「ヤベェ!」という声と駆け
足で雪を踏む音が聞こえた。
 俺はふらふらと智美の元に行った。「大丈夫か」と声をかけると、智美は「大丈夫、大丈夫」と蚊の鳴くよう
な声で囁いた。
 しかし、その声も次第に消え消えになり、やがて何も言わなくなった。息もしなくなった。
 俺は、ああ、頭を打たれたんだから呼吸障害が起きたんだな、と思った。それからぎこちなく人工呼吸をした。
 遠くで救急車の音がしていた。関係のない時はうるさいだけのあの音が、今は頼もしく聞こえた。そして、公
園の前にあの白と赤の車体が止まると、救急隊員が降りてきて、智美を車に運んでいった。
 救急隊員は「一緒に乗りますか?」と聞いた。俺は「はい」と答えて車に向った。
 途中、振り返ると、智美の寝ていた場所には白と赤だけが残っていた。カキ氷のイチゴ味みたいだなと思った。
それから、確か智美は赤だったな、と思った。

 病院に着くと、智美は慌しく運び降ろされ、検査に連れて行かれた。俺は待合室に一人残された。しばらくす
ると医者が来て、早急に手術が必要ですと言った。俺は黙って頷いた。
 涙は出なかった。それはそうだ、智美はまだ死んでいないのだから、何を悲しむことがあるだろうか。それで
もこういう場合は普通、恋人というのは涙を流すべきものなんじゃないかとも考えた。
(俺はやっぱり冷たい男なのかな)
 昔、智美の言った「君は青だよね」という言葉を、なんとなく思い出していた。

 俺と智美の出会いは高校時代だった。二人の接点は美術部。
 智美は水彩が上手かった。水彩以外でも他の部員よりずっと優れていた。それどころか勉強も常に学年上位に
いたし、運動神経も抜群、おまけに容姿まで整ったまさに才色兼備とも言うべきスーパー女子高生だった。
 いつも明るい笑顔を振り撒いていて、自分の能力の高さを鼻にかけるようなことも無かったから、他の生徒か
らも慕われ、時に尊敬の眼差しで見られていた。
 俺はそんな智美を見て、内心面白くなかった。俺だってやれば出来るんだぜ、といつも思っていた。でも口に
しない。俺だって、能力だけで言えば、智美ほど完璧とは言えなくても、大体のことは高いレベルでこなせる人
間だったから。
 でも、そういう能力を他人の前で発揮したりするのはなんだか嫌だった。見せ付けてる気がして。それに俺は
智美と違って、決定的に他人とのコミュニケーション能力が不足していたから、きっとただの自慢になってしま
うだろうとも思っていた。今思えば単なる自意識過剰だったのだろうけれど。

52 :No.15 太陽がとっぽい 3/4 ◇I8nCAqfu0M:07/11/04 20:27:10 ID:CXhL+OYA
 そんな風に、なんとなく智美と距離を置きながら学校生活を続けていたある日、智美の絵が県のコンクールで
優勝したことがあった。俺は悔しかった。今度こそと思っていたのにまたしても智美だけが一等を取った。俺の
絵はただ出展されただけだった。嬉しいはずなのに、智美のせいで気分を害したと思った。
 それでムキになって知美の絵をじっくりと見てみると、驚かされた。智美は、確かにスーパーだった。
 高校生の俺が見ても一目で凄いと分かる精緻な筆致。俺はなお悔しがったが、このまま嫉妬に溺れているのは
もっと情けない気がして、次の部活の時には無理に笑顔を作って智美の絵を褒めた。すると智美は笑いながら
「私は君の絵の方がずっと素敵だと思うんだけどな」
と言った。
 俺はまたしても驚いた。彼女の言葉には、嘘がないように思えたからだ。彼女は、本心から俺の絵を褒めてい
る。自分がコンクールを取ったという事実があるにも関わらず、俺の絵の方が素敵と言う。
 それは、クラスメイトが俺に対して使う上っ面に塗りたくった言葉でなく、教師が俺の一人癖を諌めるときに
使うやんわりとした気遣いでなく、純粋に、彼女の思いであるように思えた。
 正直、惹かれた。ああ、魅力のある人間というのは彼女みたいな人を言うんだなと思ったことを覚えている。
 それから俺は智美とあえて距離を置くことをしなくなっていった。逆に必死に近づこうとしていたかも知れな
い。口下手な俺の話にも、智美は楽しそうに耳を傾けてくれた。俺はますます智美を好きになっていった。よく
話すようになってから、俺と智美は趣味が合うということも分かってきた。同じ美術部員であることも手伝って
二人が付き合うようになるのにさほど時間がかからなかった。
 付き合い始めてしばらく経ったある日、智美が出し抜けに
「君は青だよね」
と言った。
 智美は、その頃分かりだしたことだけれど、何でも色にたとえて表現することが多い人だった。友達の絵を見
ては、緑っぽいとか――その絵は全く緑じゃない、高校の廊下を描いた絵だったのだけれど――あるいは野良犬
を見て、あれは金色だね、とか言う人間だった。そして理由を聞くと、そのイメージをはっきりと口に出来る人
間でもあった。
 だから俺は聞いてみた。
「顔が?」
「違うよー、雰囲気だって」
「どの辺が青い感じなの?」
「青はね、真実の色なんです」
へぇ、と相槌を打って続きを聞いた。

53 :No.15 太陽がとっぽい 4/4 ◇I8nCAqfu0M:07/11/04 20:27:35 ID:CXhL+OYA
「少なくとも古代エジプトではそう信じられてきた色なんだよ。誠実さとか、真理とか……」
「なんで青が?」
「空の色だから、らしいよ。でも私もそう思うなあ。君はりょうりょうとした空のイメージっていうか。雲が無
い感じっていうか」
この根暗な俺に雲が無いとは、ちょっと意外だった。
「それに、私と違っていつも落ち着いてるしね。やっぱり青だよ」
 俺は褒められてる気がしてなんだか嬉しくなった。それで、俺も彼女を色にたとえて褒めてやろうと思った。
「じゃあ、智美は赤だなあ」
「ははは。まねしやがってー。じゃあ私はどういう意味で赤なの?」
 正直あんまり考えてなかった。でもなんとなくそういうイメージはあったから、思うままに言ってみた。
「情熱っていうかさ。燃えてるよね。真っ赤な血潮が流れてます!って感じするしさ」
「あはは」
「なんていうか……太陽? 燃えて輝いて周りの物照らしてますって感じの」
「それは褒めすぎ。それにちょっとクサすぎるかなー」
智美は笑いながら言った。俺もそう思った。自分の好きな子に「あなたは太陽です」なんて、いつの時代の話だ
よ、と思った。言った後で物凄く恥ずかしくなって真っ赤になりながらその日はわかれて家に帰ったんだった。

 それからも智美の手術を待つ間に色々なことを思い出した。時間は淀みながらスローモーションで流れていた。
 ああ、彼女の両親には連絡入れたっけか。良く覚えていない。どうだったか。携帯に手をかけたその時、手術
室の赤いランプは消え、医者がゆっくりと出てきた。
「手術は成功しましたよ」
 俺は自然に号泣していた。とめどなく流れる涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら、良く分からないことを
叫んでいた。それから全身の力が抜けて、立っていられなくなった。
 医者は俺に肩をかしながら、脳内の出血がどうのとか、小難しい説明をしていたけど、俺の耳にはほとんど入
って来なかった。ただ、後遺症の心配は無いということを聞いた時、俺はまたいっそう顔をくしゃくしゃにした。
 それから俺は医者の許可を得て、智美の元に駆けつけた。
 智美の意識は戻っていた。そして、大丈夫って言ったでしょ、と真っ赤な目をして笑っていた。
 ああ、いつもの智美だ。彼女の体にはいつもと同じ様に、真っ赤な血が滾っている。太陽のように笑っている。
 俺は安心して、泣きながら、智美に付き添った。彼女もまた泣いていた。
 それからしばらく、智美は無事に退院した。俺はそろそろ彼女にプロポーズしようかな、なんて考えている。



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