【 dawn 】
◆p/2XEgrmcs




29 :No.8 dawn 1/3 ◇p/2XEgrmcs:07/11/04 12:10:29 ID:HQf9RrBV
 真夜中の空は、僕たちの瞳とそっくりな色をしている。そう思うだけで、僕は雲の向こうから
何かに見られているように怯える。寒さに耐えられないでいるのか、闇からの視線に怯えているのか
分からぬまま、僕はがたがたと震えている。
 ヘッドフォンから聴こえてくる、ポストパンク・ミュージックが、寒気と恐怖を煽る。
 冷たく鋭い器楽が、耳を突き刺している。それを受け入れながら、目に見えぬ速度で進む
空の変幻を見つめている。僕は眠気をほだしながら、暗闇に太陽が沁みてくるのを待っている。
まぶたが重くなり、外気に涙が吸われると、潤いのために目を瞑る。その運動が、眼球にとっては
酷く甘く感じられ、両眼が熱く溶けてゆく。
 瞑目の甘さに逆らって目を開き、夜空をもう一度見つめると、空の端に半円状の薄らぎが見られる。
太陽が闇を貪っている。闇の肉が食らわれて、徐々に黒としての体裁を亡くしていく。青……重たい青が
現れ始める。それは光が闇に与えた傷痕なのだろう。
 僕には天文の知識が無い。陽光の入射角や、それによって空の色がどう変わるのかは、見当がつかない。
僕が今いる高校の屋上が照らされるように天体が回転しているという認識――そこから乖離していく、
ただ色を見る歓び。
 黒から青への完璧なアニメーションが、屋上のへりで繰り広げられる。闇の傷痕からの流血か、
風が温みを含み始めている。僕の震えはそれに少しだけ癒され、耳に響く音楽から寒さよりも
鋭さを際立たせて汲み取り始める。流血は徐々に闇の肌を滑るようになり、空全体が夜の冷たさを忘れてゆく。
空が発酵してゆく。熱を帯びた生き物のような匂いを放ってゆく。紺と緑に揺らぎ続ける空と、
影として黒を蓄え続ける雲が、じっと暁を耐え忍んでいる。
 太陽の身体が覗いた瞬間、僕は夜明けが終わったのだと思う。暗い夜道が、室内の照明を侵せないのと
同じ寂寞を、日の出は生んだ。ただ強く白いだけの塊が、闇のいったんの死よりも存在を示した瞬間だった。
僕はまぶしさを使って眠りに入った。

30 :No.8 dawn 2/3 ◇p/2XEgrmcs:07/11/04 12:10:55 ID:HQf9RrBV
 ヘッドフォンを耳から弾き取られた。かぜひくよ、と言われている。誰がそばにいるのだろう。
僕は眠気をおして、誰かの言葉を真剣に聴き始める。
 一応これも学校の催しだしさ、あの教師うるさいよ、勝手すると。……でも、君、そんなに星とか
好きだったんだねえ。私たち地学部員だって観測会なんてサボるんだよ。
 やっと眼と意識が繋がり始める。僕のCDウォークマンを持っているのは、あきらだった。
彼女は制服を微風に当てるように、ゆっくりと屋上の真ん中へと歩き始める。紺のスカートが揺れている。
その色は夜空に似ている。宇宙を溶かしたようなあの色に似ている。
「何聴いてたの?」
 ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス、と言うと、あきらは何も分からないという
表情を露わにして、それを聴き始める。僕は瞬きをして、また眠気が意識を支配しそうになるのに気付く。
 あきらが近づいてきて、僕にウォークマンを返す。音楽は気に入らなかったのだろう。
「何ていう曲?」
「 『オーファンズ』 」
 オーファンズ、と彼女は呟く。彼女はまた歩き始める。広々とした屋上の中心に入りながら、何度も、
オーファン、オーファン、と語感を弄んでいる。
 みなしご、みなしご。彼女は続ける。僕は、みなしご、を止めようとして言った。
「まだ、返事、待たなきゃいけないか」
 あきらは呟きを止める。そして僕を振り向く。僕は打ちのめされる。あきらが青空を背負っているのに気付いて。

31 :No.8 dawn 3/3 ◇p/2XEgrmcs:07/11/04 12:11:23 ID:HQf9RrBV
 僕の眠りがそうしたのだろうか、それともあきらの訪れによるのだろうか? 紺と緑の揺らぎも、
闇が浴びせられていた暴力も全て失せて、ただ水色が広がっていることに、このとき初めて気付く。
それが太陽の君臨によるのだと分からず、僕はだだっ広い水色を受け入れられない。
そして僕の視野の中心にあるあきらは、その水色と全く関係ない。彼女は強力な空の抱擁を拒否している。
しがみつくその温度も重さも突き放す屹立をしている。冷厳ではなく、順応を忘れたような切なさがあった。
「私のどこを好きになったの?」
 屹立を崩さない強い言葉に圧されて、僕は答える。
「瞳……」
 あるときに見た彼女の瞳は、今日のような空を吸い込んで、涙の上に水色を湛えていた。
何故か空を見ていた彼女の瞳を、何故か僕は見つめていた。いずれそれは恋に繋がった。
 あきらは空との均衡を放棄して僕に近づき、またウォークマンを取っていった。首をひねり、
彼女が校舎の中に入っていくのを見送る。あきらは僕を見ず、ヘッドフォンを耳に当てながら歩いていった。
 僕の緊張が解けるのを待っていた朝の湿った冷気が、ワイシャツの間を走っていく。
眠りを押し流す力があった。空気を湿しているのは闇の名残ではなく、粗雑な光の不手際だと思った。
 かみそりを食べた女性ボーカルの歌声を、彼女は今聴いている。彼女はそこから僕を読み取ろうと
しているのだろうか。僕は眼を閉じ、眠気の混じらない暗闇の中に、今しがた見つめた彼女の姿を
浮かび上がらせる。コンクリートの灰色と水色の空の間にあった、あきらの姿を。
白いワイシャツの下に身につけた黒いTシャツ、紺のスカートと靴下、黒ずみ始めた上履き。
短い黒髪と、僕と同じような、コーラ味の飴玉のような瞳。
 いとしい。抱きたいとも触れたいとも思わない。ただ見つめるのを、彼女に許して欲しい。
 僕はまだ夜明けを待っている。



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