【 マジックシード 】
◆h97CRfGlsw




96 :No.21 マジックシード 1/6 ◇h97CRfGlsw:07/10/28 23:54:48 ID:94r1qYP2
「どうぞ、見ていってくださーい」
 放課後の学校、僕はぶらりと文科系の部活を見て回っていた。四月で、僕は高校新入生。どこの部活も、新人を確保しようと躍起になっている。
 引き込みたいが為に妙にちやほやとしてくれる。そんな空気が好きで、僕は半分以上冷やかしで部室棟を回っていた。廊下には机が並べられ、そして僕は、その中の一人に声をかけられたわけだ。
 いや、声をかけられたというか、一応声を発していたので、気になってふらりと立ち寄ったと言ったほうが正確だろう。その証拠に、近寄ってきた僕に、三年の勧誘員の女子生徒は不意をつかれて驚いていた。
「あ……あ、あの、よかったら部室を見学していきませんか?」
「いいですけど」
「そ、そうですか? ありがとう」
 人見知りをするのか、愛想の笑顔がどこかぎこちない。長い黒髪が高いところで束ねられ、理知的に整った風貌が涼やかな印象をもたせる美人だった。おどおどした喋り方とのギャップが、なんともいい感じである。
 女子生徒は椅子から腰をあげると、表情筋を変にぴくぴくとさせながら再び笑いかけてきた。こっちですと言われ、連れ立って喧騒を後にする。どんなおもてなしをされるのか楽しみだ。
「私、佐藤美香です。あなたは?」
「山田です」
「そ、そっか、山田君ね。私、ああいう人の多いところって苦手で……。全然人も寄ってきてくれないし、もう廃部かなって思ってたところだったの」
「廃部?」
「あ、うん。うちの学校、新入部員が入らないと廃部なの。だから、今凄く安心してるんだ」
 人気のない廊下まで歩いてきて落ち着いてきたのか、胸に手を当ててほっとしているというジェスチャーを見せてくれた。というかまだ入ると決めたわけではないのだが。こういう罪悪感に訴える手は、おそらく素でやっているのだろう。
 どうにかして僕を引きこもうと思っているのか、頼んでもいないのになんやかんやと話し掛けてくる。つたない話題展開が微笑ましい。しばらく歩くと、二棟に別れた部室棟の対岸、南館に到着した。
「ここです。ここが私達の部室。部活っていうか、同好会だから、ちょっと他に比べると残念な感じだけど、結構快適なんです。ちゃんときれいにしてますからね」
 その部室を見て固まる僕に、美香さんがあたふたと擁護をはじめた。何か、バスケ部あたりの倉庫、といった方がピンとくる様相の、まさしく残念な感じの部室だった。
 ボロいの一言に尽きる。最近新築した北館と比べて南館がそもそも古めかしいのもあるが、その南館の端っこに位置するこの部室は、その中でも特に陰鬱とした空気を漂わせていた。
 電灯の明かりがちゃんと届かないのか、どうもあたりと比べて薄暗く感じる。おそらく夜になれば容赦なく真っ暗になるのだろう。イメージ的には、あまり使われないうえ、嫌な七不思議に数えられそうな理科準備室、といった感じか。そしてなにより――
「ま、魔法……研究会?」
「……はい」
 くすんだ色の引き戸の上に、これまたあやしげな文字列を浮かべたプレートがぽつりと一枚。それは、恥ずかしそうに赤面して俯く美香さんと訝しげな表情をしている僕を、超然と見下ろしていたのだった。
「お。部長、ちゃんと新人を引っ掛けてきたじゃないですかー! よく頑張りました!」
 とりあえず中へ入りませんかと目を潤ませて言う美香さんに押し切られ、しぶしぶと中へ入ると一声。出迎えに活発そうな茶髪にショートボブの女子生徒が部屋の置くから出てきて、美香さんの頭を撫で回した。
 腕章の色を確かめるに、彼女は二年生のようだった。三年生が勧誘をしている時点で後輩に舐められているのだろうなと思っていたが、完全に馬鹿にされているようだった。美香さんはポニーテールを引っ張られて悲鳴をあげている。
 ひとまず部室の中を見渡す。なるほどきれいに掃除されているようで、外観からは想像できない程清潔感に溢れていた。まあ、外観がずば抜けているので、正直なところは他と大して変わらないだろう。これもギャップ効果だ。
 部屋の中心を横切るようにして、掃除用具入れやタンスなどの大道具が設置されていた。それによって部屋は二分されており、今僕達がいる側には机などが置かれ、諸所に小物が設置されていた。コーヒーメーカーからいい香りが漂っている。
 部屋の奥は、眺めようにも大道具がバリケードの役割を果たしていて何も見えない。これではこじんまりとした空間がより狭苦しくなるだろうと思ったが、おそらく向こう側には、見られたくないものが置かれているのだろう。
 秘密基地的発想である。部屋の東側に片寄ったバリケードを避けて奥に入ると、きっと素敵な空間が広がっているに違いない。男心をくすぐられるというか、懐かしみを感じるというか。

97 :No.21 マジックシード 2/6 ◇h97CRfGlsw:07/10/28 23:55:07 ID:94r1qYP2
「お、新人君はあの部屋の奥が気になってるみたいだねぇ?」
 ばん、と遠慮ない力で肩を叩かれた。顔を振り返らせると、ぷすりと頬に指が刺さる。人懐こそうな童顔をにやりとさせる女子生徒と目が合い、ふふんと鼻で笑われた。この人は……おそらく、志保さんじゃなくてもペースを狂わされるだろう。
「あっちも気になりますけど……それより、」
「魔法研究会ってなんですかー?」
「……なんですか?」
「ふふ、まあ見てなって」
 セリフを言い当てられ、というかこれしか聞くことなどない。女子生徒はコーヒーメーカーへ向って歩き、途中で振り返って「あ、あたし志保っていうからー」と告げ、マグカップにコーヒーを注いで戻ってきた。
「はい部長。私達の研究の成果を、この一般常識の虜囚であるところの新人君に見せ付けてあげなさい」
「え、で、でもあれ、恥ずかしい……」
「早くしろ」
 志保ににっこりとドスのきいた声で言われ、美香さんは顔を引きつらせた。観念したのか、湯気の立つマグカップを受け取ると、こほんと咳払いをした。そして腕を高く突き上げ、きゅっと拳を締める。なにをしようというのか。
「ぶ、ブリザドー!」
 腕を振り下ろすと、美香さんはマグカップの上で手をぱっと開いた。するつ、その中からきれいな正方形の氷がぱらりと一粒。コーヒーの中に溶けていった。え……、なに? 意味がわからず、僕は美香さんを無言で眺める。
「だ、だからやりたくないって言ったのに……」
「あー、はー……ぶふっ。ぶ、ぶりざどー! ぶり、ぶひゃ、ぶっははははは! さいこー、最高です美香先輩!」
「そ、そんなに笑わないでよ、もう!」
 耳まで朱に染めた美香さんが、志保に食って掛かっている。志保が美香さんの肩をばっしばっしと叩いている。美香さんには気の毒だが、そんな面白い光景を見せ付けられて、僕はぽかんとするほかなかった。マジック研究会の間違いじゃないのか。
「ご、ごめんね。あの、勘違いしないで欲しくないんだけど、この同好会は別に魔法を研究してるわけじゃないのよ。志保が勝手に作って、名前も勝手に決めた同好会なの。あの、だからそんなに、呆れた目で見ないで……」
 志保に肩を抱かれてだらりと力なくうなだれる美香さんに、僕はもう哀れみの視線を投げかけるしかなかった。というか、美香さんの話からいくと、じゃあこの同好会は何なのという話になるのだが。やはりマジックか。
 美香さんを虐めるのが楽しくて仕方がないのか、志保は美香さんの耳元でブリザドブリザドと呟いていた。美香さんが泣き出さないか心配だ。そんなことを思いつつ、もう帰って別のところへ行こうかと考えた。
 そんな折、バリケードの裏からひょっこりと顔が現われた。
「おいこら志保、お前いつまで待たせんの。このままだとお前の勝ち越しで終っちまうだろーが」
「おー、すまんね。んじゃ、あたしはこれで」
 顔を出したのは男子生徒だった。腕章の色が志保と同じなので、おそらく彼も二年生だろう。ワックスで髪を立てており、鋭角的な輪郭がつっけんどんそうな雰囲気を醸し出していた。どうやら彼を含めた三人が、同好会のメンバーのようだ。
「……あ、あの」
「はい」
「えっと、うちに入ってはくれません……よね、やっぱり」
 卑屈な笑みを浮かべる美香さん。美人な彼女が志保に虐められる姿を見るのはかなり目の保養になる気もするが、それだけで活動もはっきりしていない謎な同好会に入っていいものかどうか。マジックにあまり興味はないし。
 そんなことを考えながら、座り込んで床にのの字を描き始めた美香さんを眺めていると、再び先程の男子生徒が顔を突き出した。何故に睨む。

98 :No.21 マジックシード 3/6 ◇h97CRfGlsw:07/10/28 23:55:33 ID:94r1qYP2
「おう一年、ちょっとこっちこい。美香さんはコーヒーを淹れてきてください」
 美香さんに向ける笑顔が素敵なのはきっと気のせいじゃない。美香さんはのらりと立ち上がると、とぼとぼとコーヒーメーカーに向った。それを見送り、ようやっと気になっていたバリケード裏に侵入する。
 コタツ。まず目に入ったのは、季節はずれなそれであった。そしてその奥には、かなりの大きさのテレビがでんと設置され、脇にはゲームのハードが乱雑に置かれていた。小柄な本棚もあり、どうやらそこはまさしく秘密基地的憩いの場。
「お前、どうせ美香さんの美貌にひかれてほいほいついてきたんだろ。だが、そんときゃこの俺、平松秀基様が相手だ、覚悟しとけよ」
「いやその」
「ただ、お前がいねえとこの同好会も潰れちまうわけだから、とりあえずは仲良くしてやる。ありがたく思え。まあ座れよ、一年」
 一方的にまくし立てられ、僕はもう取り返しのつかないところまで足を踏み入れてしまったことに気がついた。この場で入部を断ったら、僕と秀基を眺めてにやついている志保を含め、何をされるかわかったものではない。
 もっとちやほやを味わいたかったのだが。十件近くはしごしたバチがあたったのだろうか。観念し、秀基が指差す志保さんの隣の場所に腰を下ろした。テレビの正面の席が空いていたが、美香さんの指定席ということなのだろう。
 ほれ、とゲームのコントローラーを志保さんに手渡される。秀基がこちらを睨んでいるので、勝負しろということなのだろう。渡されたのは、昔懐かしニンテンドー64のコントローラーだった。
「スマブラ……」
「やったことはあるんだろ? ま、言っとくが、俺は強いぜ。多分この学校じゃあ一番だろうな。お前、負けたら俺の舎弟としてこき使ってやるからな。覚悟しとけよ」
 んな無茶苦茶な、と思ったが口には出さない。ふと顔を上げると、本棚の側面に勝敗表が貼り付けられていた。どうやら志保と秀基が一進一退の攻防を繰り広げているらしく、美香さんはほとんど勝てていないようだ。ここでも虐められているのか。かわいそうに。
「コーヒー淹れてきたよー」
 美香さんが戻ってくる頃、ちょうど秀基のカービィが僕のファルコンに蹴飛ばされて場外へ吹き飛んでいった。秀基が唖然としてテレビ画面を見、それを眺める志保がけらけらと笑っているのを横目に、コーヒーをいただく。
「な、なんかの間違いだ。お前ファルコン禁止!」
 再び飛ばされていくカービィに、秀基ががくりとうなだれた。ゲーム上手なんですねと美香さんに誉められる。秀基が悔しそうにゲームキューブをテレビにつなぎ始めるのを眺めながら、もうスマブラ同好会でいいんじゃないのと思った。
「今度新しいスマブラ出るじゃん? それに向けて皆で特訓中なんだよ。wiiは先輩が買ってくれたしさー」
 そういえば、テレビの脇にそれらしいものが安置されている。隣で美香さんが切なそうに溜め息をついていた。配線を終えた秀基にコントローラーを手渡される。
 しかしそのとき、不意にぴりりと電子音が鳴り響いた。瞬間、部室の空気が一気に緊張感のあるものに変わった。
「先輩」
 志保に促され、美香さんが頷く。手近にある鞄から中から携帯電話を取り出し、ぱちりと開いてぽちぽちと不慣れな手つきで操作していく。画面を見て、美香さんが眉を寄せる。なんだなんだ。
「何処?」
「裏山だって。私、先に行ってるね」
 新参の自分には理解できない、何か含みを持ったやり取りが交わさる。美香さんは携帯電話片手に立ち上がると、僕に一言ごめんねと挨拶をして部室を出て行った。追従するように、志保と秀基も立ち上がる。新参の僕は完全に蚊帳の外だ。
「な、なんなんですか。どうしたんですか?」
「あら、わかんないかな? ゲーム好きなら、結構察しがつくかと思ってたんだけどさ」
 半笑いの志保の言葉を受け、秀基がくいと顎を外にやった。部室の中に窓はない。僕は慌てて部室を出て、人気のない北館の窓を全開にして顔を出した。しかし、外には美香さんの姿はない。困惑する僕に、追いついてきた秀基が並んだ。
「おー、今日は白だぜ。写メ撮っとかねえと」
 秀基が携帯電話を取り出し、上空に向けて構えた。それにつられるようにして、僕も顔を上げる。思わず、マジかよと呟く。するといつのまにか後ろにいた志保が、マジだよと笑った。
 美香さんが、光を撒き散らしながら空を走っていく。そのありえない光景を目の当たりにして僕は、なるほど魔法研究会か、と納得した。目が飛んでいくかと思った。

99 :No.21 マジックシード 4/6 ◇h97CRfGlsw:07/10/28 23:56:27 ID:94r1qYP2
 部室棟から出ると、志保と秀基が猛然と走り出した。お前等なんで陸上部に入らんのだと内心思いつつ、僕もなんとか後を追って走る。付近で勧誘に勤しんでいた人たちがこちらをぽかんと眺めていた。恥ずかしい。
「あの、美香さんって一体どういう人なんですか」
 なんとか追いつき、二人に声をかける。秀基は大掛かりな水鉄砲を担ぎ、志保はビニール袋に大量に何かを詰め込んでいた。僕の言葉に志保が振り返る。どんどん裏山に近づいてゆく。
「美香さんは魔法使いです。魔女っ子美香さん。おわかり?」
「なんで空飛ぶんですか!」
「なんとかと煙は高いところが好きってねー」
 全然答えになっていない。というか美香さんに失礼だろうに。こっちは全力疾走で息を荒げているというのに、けろっとした顔で笑う志保が憎たらしい。いきなりの非日常に困惑する一般人の頭を、疑問符で埋め尽くして楽しいというのか。
「氷だ。氷使ってる」
 志保の隣を走る秀基が、こちらを振り返らず言った。つまりそれは、氷の魔法を使うという意味なのだろうか? 気がつけば、足許のアスファルトが、桜の花びらの散る土に変わっていた。そこで、僕は部室での出来事を思い出した。マジックだと思ったら、マジだったか。
「ブリザド……」
「お、やっぱゲーマーだね、理解が早いよ! 流石、秀基を簡単にあしらうだけのことはあるなぁ」
「まだ負けたわけじゃねえ。デラックスの方なら絶対俺の方が強い」
 DXの方が得意なんだけどね。裏山のふもとに到着し、山道を駆け上がる。しばらく走ると、とうとう視界の先に美香さんを捕らえることが出来た。美香さんの近くに、なにか真黒い、人のような形をしたものがうごめいている。
「な、、なんなんですか!? あれ!」
「あー。あれはね、なんか「種」って言うらしいよ。つまるところ敵だね、私達の」
 二十メートルほど離れたところに来ると、志保達は足を止めて草葉に身を潜めるように隠れた。これ以上の接近はしないらしい。その「種」とかいう敵は美香さんに向けてだらりと腕を伸ばすと、その先端からあろうことか炎を噴出させた。
「あら、今度の敵は火かぁ。相性悪いなあ」
「え、不利なんですか?」
「氷は使いにくいんだよ。相性いいのは水とか土とか、その辺くらいだ」
 美香さんはその場で跳躍すると、身を翻らせて炎を回避した。そして空中に足を叩きつけると、ばしりという乾いた音を立てて氷の足場が出現した。その氷を蹴って更に跳躍し、氷の欠片を降らせながらどんどん空中に上ってゆく。
 あの時光だと思ったのは、陽光を反射させた氷だったのか。人間離れした動きにスカートをはためかせ、部室での緩んだ顔を凛々しく引き締めた美香さんは、華麗だった。秀基が惚れるのも無理はない。
 美香さんは「種」の真上まで来ると、体を180度回転させ、頭上にあった空間を両足で蹴って「種」に突進した。どうやらフライングニードロップを頭頂部に決めるつもりらしい。「種」が、緩慢な動きで頭上を見上げる。
 接近を警戒したのか、「種」が突然体を発火させた。美香さんは慌てて体の側面の空間に氷を発生させると、それを手で突き飛ばすようにして無理矢理体を「種」への進路から押し出した。ほっと、隣で秀基が息をついた。
「た、たしかに相性悪そうですね。美香さん、凍らせる以外に何か出来ないんですか?」
「出来ませーん。美香さんはちょっと身が軽いだけの雪女です。全然使えねー」
「だから相性悪いんだよ。直接体に触れるような相手なら、凍らせて一発なんだけどよ」
 そうなんですかと納得してしまう僕は、大分この異空間然とした非日常に順応してしまっているようだった。というか、これじゃあ美香さん手詰まりなんじゃないのか? 接近戦しか出来ない上、氷を溶かす炎をまとわれてはどうしようもないではないか。
「ま、そのために私たち、魔法研究会メンバーが来てるんだけどね」
 志保が袋を手に立ち上がる。美香さんはというと、群生するの桜を蹴って蹴って「種」に狙いをつけさせないように高速で動き回っていた。こんな山奥で火を使われては山火事は必死だ。志保達の緊張感のなさで気がつかなかったが、かなり切迫した状況ではないか。
 はらはらしていると、美香さんが桜の上で不意に動きを止めた。どうしたのかと目を向けると、肩を大きく上下させ、かなり辛そうにしてい。あれだけ動き回れば無理もない。その隙を逃さず、「種」が火炎を撃ち出した。

100 :No.21 マジックシード 5/6 ◇h97CRfGlsw:07/10/28 23:56:47 ID:94r1qYP2
「やっべ」
 慌てて秀基が水鉄砲を取り出し、物凄い勢いの水を撃った。しかしそれでは勢いを抑える程度にしかならず、どうするのかと思っていると志保が袋からボールを取り出した。それを美香さんに向けて、思い切り投げつける。
 そのボールは、狙い過たず美香さんの頬に直撃した。ボールは弾け、そこから溢れ出した水を思い切り被りながら美香さんは桜の上から転げ落ちた。ばっちぃんと、物凄く痛そうな音がしたのだが大丈夫なのだろうか。結局二人の連携で、美香さんはなんとか火から逃れた。
「お、追いついたんですね。た、助かりました……」
「感謝しろよー」
 頬は気の毒なほど真っ赤になっていた。どうやら志保が投げたのは水風船らしい。べたべたになった美香さんは再び立ち上がると、なんとか跳躍して「種」に向っていった。助けられたとはいえ、あんまり釈然としないだろうな……。
「お前もなんかしろ。これ貸してやるからよ」
 秀基から水鉄砲を手渡される。駆け出して美香さんに向って走り出した秀基を見送って、志保と顔を見合わせる。いきなりなんかしろといわれても、皆目見当がつかない。仕方がないので、「種」に向けてパシパシと水鉄砲を撃ってみる。
 まあ二十メートルも離れて届くわけもなく、水は減衰して落ちていく。しかし、そこに桜から飛んできた美香さんが現われ、へたれた水を掬い上げるように腕を振り払った。減衰した水は鋭く凍結すると、投げ槍のようになって勢いよく「種」に襲い掛かった。
 が、その氷の槍も炎の壁に阻まれる。美香さんの顔が歪み、再び炎を出されないように「種」の頭上を越えるように跳躍した。思わぬアシストに、志保が親指を突き出してくれた。
「で、でも、これじゃあ勝てないですよ! どうにかなんないんですか!」
「さー?」
 完全に他人事である。志保は袋から水風船を取り出すと、あろうことか美香さんに向けて投げつけ始めた。いいのかそれでと思ったが、どんどんずぶ濡れになる美香さんも文句を言わないので、別にいいのか諦められているのか。というかアンタは野球部に入れ。
 美香さんは秀基と連携して、先程僕とやった氷の槍を撃ち出す作戦を展開していた。先読みして秀基が水鉄砲を放ち、美香さんが俊敏に動いて翻弄し、背後や頭上から槍を撃ち出す。が、それも炎をまとわれては、効果がない。では。
「せんぱーい、ミリアです、ミリアー」
 志保が美香さんに声をかける。と同時に水風船を投げつけ、こちらを振り返った美香さんの額に直撃した。しばらく顔を抑えて悶絶していたが、きっと「種」を見据えると、猪突猛進する。
 「種」が迎撃に、焼けた腕を振り回す。それを紙一重で避け、脇の下をくぐるように高速で回転しながらすり抜け、そのまま少し先でよろよろと倒れた。
 すると、「種」の胴回りに亀裂が走った。そしてそこから炎が迸る。声こそないが、「種」は苦しそうに患部を抑えて苦しそうにしていた。なにをしたのかと美香さんに目を向けると、ポニーテールが刀剣のように薄く凍り付いていた。なるほどミリアか。
 「種」が美香さんを振り返る。どうやら、あの斬撃を受けても死なないらしい。腕を振りかぶるが、美香さんは動かない。動けない。舌打ちを交えて、志保が美香さんに水風船を投げた。手前で弾け、美香さんはそれを咄嗟に氷の盾にした。
 炎が撃ち出される。受けきれず、美香さんは盾ごと押し上げられて吹き飛んでいった。溶けた氷の塊を残し、花びらを巻き込みながら、桜の中に突っ込んでいく。枝の上で、美香さんは仰向けに倒れ伏した。「種」が追撃に、美香さんに向けて更に腕を突き出す。
「やめろよゴラァ!」
 志保が絶叫し、水風船片手に「種」に突っ込んでいった。秀基も何処からか現われ、二人して「種」の周囲を走り回って翻弄する。あまり賢くはないらしく、「種」は狙いがつけられず混乱していた。窮地だ。
 何か手はないか、と必死に考える。回収されていない伏線だらけのままゲームオーバーなどと。ゲーマーとして、そんなエンディングは認めない。認めたくない。
 美香さんに目を向ける。純白の下着を惜しげもなく晒し、桜の上で辛そうにうめいている。よく見れば細かな傷だらけだ。どうにか助け出さなくてはならない。そして逆転の一手を叩き込まなければ、勝ち目はない。
 桜の花が舞っている。入学式の時に比べれば幾分か見劣りするが、まだまだ盛りだ。一面の桜に目を奪われながら、僕は咄嗟にあることを思いついた。そして美香さんに水鉄砲を向ける。出来る限りの力を込めて、トリガーを搾りまくる。
「美香さん、桜吹雪です!」
 叫ぶ。美香さんは俺の言葉に気がつくと、ゆっくり体を起こした。志保たちにも通じたらしく、走り回りながら持っている水分を全て美香さんの方に放った。

101 :No.21 マジックシード 6/6 ◇h97CRfGlsw:07/10/29 00:26:06 ID:w/TBCAUI
 美香さんが桜の上に立つ。そして腕を振り上げると、ピックのように鋭い形になった無数の桜の花弁がふわりと持ち上がった。陽光を幾重にも反射させる、煌く氷の結晶が眩い。後光の差す美香さんは、美しかった。
「行けッ!」
 ちょっとゲームキャラっぽさを意識した挙動で、美香さんが「種」に向けて腕を突き出した。それに呼応して桜吹雪が舞う。呆けていた「種」もなにが起こっているのか理解がしたらしく、慌てて炎の壁を展開させた。
 ガガガガと、炎と消滅しあう無数の花弁。蒸気を撒き散らし、どんどん炎の壁が削られていく。思わず手に力が篭る。これで決まらなければ、もう思いつく手はない。秀基も僕と同じように「種」を見つめて力んでいた。志保さんは美香さんに水風船を投げていた。何してんだ。
 やがて桜がなくなる。白濁した煙が辺りを覆った。これで「種」がやられてくれれば、と眉根を寄せる。が、「種」は幾枚かの桜を体に突き刺しながらも、2本の足でしっかりと立っていた。
「だ、ダメでした、美香さん! どうす、」
 桜の上の美香さんに目を向ける。美香さんの代わりに、そこには巨大な氷の塊がそこに浮遊していた。その大きな氷の釘の中心には、美香さんが先程まで着込んでいた制服の上着があった。志保の行動の意味がようやく理解できる。この氷塊の、種に使うためか。
「はああァァッ!」
 美香さんが氷の釘を打ち出す。「種」はそれに抗おうにも、もはや溶かしきる火力はないのか、逃げ出そうと背を向けた。そんな「種」を、巨大な氷が押しつぶす。地面に釘付けにされた「種」は、しばらくもがくと、やがて動かなくなった。
「……やたっ」
 美香さんが小さくガッツポーズをする。上着がないので柔肌とブラが丸出しなのだが、どうやら達成感が勝っているようだった。秀基が携帯電話を取り出したところでやっと気が付いたらしく、慌てて胸を腕で抱き込んだ。桜の上から、美香さんが降りてくる。
 美香さんがふっと力を抜くと、この場にある全ての氷が溶けた。「種」に刺さっていた氷も溶け、美香さんはそこからべたべたの上着を摘み上げた。「種」が復活しないか気が気ではなかったが、「種」は土に染み込むようにして消えていった。
 その跡には、氷付けになった炎が転がっていた。不思議な現象だったが、今更驚きようもない。美香さんがそれを取り上げ、お疲れ様でしたと声をかけようとしたところで、草むらの向こうから黒服を着込んだサングラスの男が数人現われた。
「お疲れ様です。……それで、種は」
「あ、これです。どうぞ」
 美香さんが黒服に氷付けの炎を手渡す。何故、黒服がこんなところに? 僕が困惑していると、「はい戦闘終了、帰るよ」と志保がぱんぱんと手を叩き、僕たちに撤収を促した。美香さんに無理矢理上着を着せ、黒服たちを残して山道を下る。
「はいはーい、皆お疲れ! 今回も大変な戦いでした! さて……時に山田君よ」
 ある程度下ったところで、美香さんに肩を貸していた志保が立ち止まって言った。急な動きに振り切られて美香さんがずっこけていたが、志保は気にしないようだった。もっと気を遣ってあげたほうがいいと思うんがどうだろう。
「山田君に今から一言、言おうと思います。さあ、私がなにを言うかわかるかなー?」
「え……入部しませんか、ですか?」
 志保がにんやりと笑う。そういえば、同好会の見学をしていたら、こんな事態に巻き込まれたんだったなあと思い出した。傍若無人な志保と、なんちゃって最強ゲーマーの秀基。そして、魔法使いの美香さんという、個性的な面々の魔法研究会。
「まあ、なんだ。……このまま、逃げられると思うなよ?」
 秀基が頷き、美香さんが申し訳なさそうに表情を崩していた。なにがなんでも、僕を逃がす気はないらしい。あの古ぼけた部室で過ごす時間を廃されはたまらないと、皆思っているのだろう。入学早々、僕は変な連中に目をつけられてしまったようだ。
 魔法と、「種」。美香さんの素性、志保のかわいがり、秀基との決着、黒服の連中。この一時間程度の間に、気になる事態に巻き込まれすぎてしまった。まったく逃げようにも、逃げられるわけがない。きっと秀基と志保も、僕と似たような理由で同好会を立ち上げたのだろう。
「魔法研究会、僕も入ってもいいですか、美香さん」
「……は、はい! これから、よろしくね」
 美香さんがぱあっ笑顔になる。志保と秀基に肩を叩かれ、僕も表情を崩す。そして僕達は、皆であの部室へと帰っていくのだった。
「念願のパシリが増えたねぇ。これから、楽しくなりそうだなぁ」
「まったくだ。ま、覚悟しとけよ」
 志保が言い、秀基がほくそえむ。美香さんと共に、僕は顔を引きつらせた。こうして、僕と魔法研究会という変な連中との物語が、始まったのだった。



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