【 命運 】
◆M0e2269Ahs




90 :No.20 命運 1/6 ◇M0e2269Ahs:07/10/28 23:17:25 ID:94r1qYP2
「くそ!」
 胸の内を吐き出すように言い放ったのは、ジトウ王だった。拳を叩きつけられた机の上で杯が倒れた。机に広げられた地図の上に、
染みが広がった。机の周囲に立ち並ぶ参謀たちは、そんな彼を正すでも窘めるでもなく、ただ哀れむような目でジッと見つめている。
傍から見ていても、この国はもう終わっていることがわかる。王と、その王を支える参謀の間に、すれ違いが生じてしまっているようでは、
この国の行く末は決まったようなものだ。だからこそ彼ら参謀の目は、あんなにも冷たいのだろう。
「陛下、お気持ちは察します。しかしこれもナリアスのため。私の意見をもう一度、思慮しては頂けないだろうか」
 野太い声を発したのは、カート将軍だった。ジトウ王が治めるナリアス国に古くから仕える歴戦の勇将だ。彼の発言力は、一国の頭脳である
参謀たちと同等の物を持つ。それどころか、ジトウ王に真っ向から意見を述べられるのは、もはや彼くらいしかいない。参謀たちは物言いたげな
顔をしながらも口に出すことはない。それは、おそらくジトウ王の機嫌を損ねることが自身の身の安泰を揺るがすことになるからだろう。
それほどジトウ王は扱いづらく、ナリアス国は追い詰められているということか。
「ならん。それだけはナリアス国王としてのプライドが許さん」
 参謀たちは、微かにため息をついたようだった。カート将軍は、その参謀たちを少し睨むと、さらに語気を強めて言った。
「しかし、陛下。このままではナリアスは終わりですぞ。血に飢えたユーフィアスの連中のこと。我々が死ぬまで攻め手を緩めることは
ないでしょう。そして何よりも、一時の恥のために、このナリアスを支配してきた王たちの威厳を捨ててもいいとおっしゃるのですか」
「口を慎めカート。お前に言われんでも、わかっておるわ。それならばなおのこと、彼奴らに屈することなどできるわけなかろう」
 どうやら、カート将軍はジトウ王に降伏をして欲しいようだ。しかし、ジトウ王はそれを決して許さない。それもそのはず、ナリアス国には、
ジトウ王を傲慢に育てるだけの歴史があった。
 堅国ナリアスと言えば、この世界に生きる者ならば誰もが聞いたことのある、伝説的な国家のひとつである。北と東にかけて、天を貫こうと
ばかりに聳え立つルトギア山脈という自然要塞に囲まれ、南にはニータ海が広がる。西には、およそ八〇キロに渡るベド平原が続き、見晴らしは
この上なくいい。このナリアス国にとって有利な地理条件が、建国一〇〇余年を迎えてなお、一度も城内への侵略を許していないという伝説を
生んだ所以でもある。ただ、現在ベド平原には、我らがユーフィアス王国の軍勢五〇万が陣取っている。ジトウ王に伝説を守りきれるだけの才力
があるとはとても思えない。ベド平原を容易く制圧できたのも、そのためだろう。ナリアスを落とせば、ユーフィアスの名声は新たな伝説を創る
には申し分のないほどに高まることになるだろう。そうなれば、ユーフィアスが天下統一を果たす日も近い。
「ならば陛下。せめて支援の要請だけでも認めてくださらないか。我が軍の手勢は二〇万。籠城は得意にするところとはいえ、ルトギア寒波に
よる影響で、その核たる物が不足している。その分を補うだけでも、支援を要請する許可を出して頂きたいのです」
 ナリアス国は、ルトギア山脈に寄りかかるように建っている国であり、ルトギアの天候に影響されるところが大きい。ちょうど季節は収穫の秋
であったが、その農地であるベド平原は我らの手中、なおかつ、気が早いルトギアの冬がその消費を早めている、というわけなのだろう。
籠城をするにおいて、一番重要なことは充分な量の兵糧を確保することである。いくら貯蔵があろうとも、農地を押さえられているという現実は
兵士たちに大きな動揺を与えることになる。その士気を高めるためにも支援を要請するのは当然か。ジトウ王は、しばらく唸った後、言った。
「ヒスエラに使者を出せ。決して舐められるでないぞ」

91 :No.20 命運 2/6 ◇M0e2269Ahs:07/10/28 23:17:40 ID:94r1qYP2
 色鮮やかな落ち葉に彩られた間道の木陰に身を潜めていた。ナリアスの東に位置するヒスエラに使者を出すならば、ルトギアを越えるよりも、
ニータ海の航路を経由した方が早い上、安全である。となると、南門を抜けた使者は必ずこの間道を通るはずなのだ。
 ちょうどそのとき、前方の木立の辺りから甲高い音が聞こえた。一定のリズムで響くその音は、この辺りに生息するナリアスウサギの鳴き声を
装った、敵影を確認した合図だ。読みどおりだった。しばらくして、蹄の音が聞こえてきた。三頭、いや、四頭か。腰の猟弓を手に取り、背中の
矢筒から矢を二本抜いた。突如、馬の嘶きと使者の叫び声が響いた。襲撃が始まった。木陰から様子を窺うと、馬の一頭が既に倒れ、
弾き飛ばされた甲冑を身に着けた騎士に何本かの矢が刺さっていた。依然として駆けてくる使者を狙う。矢を番え、放った。ほぼ同時に間道の
向こう側からも矢が放たれ、轟音と悲鳴と共に馬が地に伏した。残り二頭。いや、もう一頭も倒れた。あと一人だ。即座に矢を番えて狙いを
定める。馬上の使者が腰に手を当て、何かを手に取った。構わず射る。その瞬間、使者が右手を突き出した。途端に、眩い光が辺りを包んだ。
反射的に目を覆っていた。と同時に、風を切る音を耳にした。まずい。直感的にそう思い、視界が利かないままに脇に飛び込んだ。
木か何かに顔面を強かにぶつけ、涙が出た。しかし怯んではいられない。すぐさま立ち上がり、間道に出た。あの眩しい光は消えていた。当然、
馬に乗っていた使者の姿もない。涙を拭いながら使者が通ったであろう間道の先を見ると、隊員の一人が駆けて来たところだった。
「隊長! 大丈夫ですか」
 駆け寄ってきた隊員、ライドが俺の顔をまじまじと見つめながら言った。手で顔を拭うと、真っ赤な血で染まった。
「問題ない。それよりも使者は」
「倒しました」
 そうか、と呟いて鼻を拭った。念のため、後方にライドを配置していて正解だった。それにしても……。木陰から、ぞろぞろと隊員が姿を
現した。ライドが手ぬぐいを差し出しながら言った。
「あの光は、一体なんだったんでしょうか」
 そう。それが疑問だった。鼻に押し当てた手ぬぐいは見る間に赤く染まった。鼻血がとまらない。
「隊長!」
 隊員の声に呼ばれ、そちらを見ると、木陰に隊員が集まり人だかりができていた。倒れている使者にとどめを刺している隊員を横目に、
そちらに向かうと、胸元を矢に貫かれている隊員が倒れていた。絶命しているのは間違いない。が、何故矢を射られている? ふと、光が
放たれた後の風切り音を思い出した。あの音は、矢が風を切った音だったのではないか。だが、いつの間に矢を番えたのだ。それも、俺とこの
隊員の二人に向けて。いや、待てよ……。あれやこれや会話している隊員を置いて、俺が潜んでいた木陰に向かった。見れば、俺がいたであろう
ところに矢が突き刺さっていた。恐ろしいほどの豪腕。小型の弓ではこの威力は出せない。となると、やはり。矢筒から一本矢を手にとって、
突き刺さっていた矢と比べてみた。やはり同じだった。この矢は、俺の矢だった。にわかには信じ難いが、俺の射った矢は、あの光に弾き返され
たのだ。俺は、直感的に危険を感じ避けることができたから死を免れたものの、もう一人の隊員は死を迎えることになった。
「帰還する」
 未だ騒然としていた隊員たちは、俺の言葉に無言になり、その場を後にした。途中、隊員の一人が子飼いの鷹を放ち、念のために各門に配備
していた隊員たちにも帰還の合図をした。天高く舞い、特有の鳴き声をあげる鷹を見ながらも、先ほどの光のことが頭から離れなかった。

92 :No.20 命運 3/6 ◇M0e2269Ahs:07/10/28 23:17:54 ID:94r1qYP2
「ふむ。突如として襲った謎の光、か……」
 ユーフィアス陣営に帰還し、使者から奪い取った手紙を献上し終えると、先ほどの光についての報告をした。ユーフィアス王は、俺の言葉を
聞くと、そのまま黙り込んでしまった。俺も、この場に集まった者たちも、同じように口を閉ざした。
「お前の見間違いじゃないのか」
 重々しい雰囲気に耐えかねたのか、おどけた調子でクンド将軍が言った。俺は反論しなかったし、誰も笑おうともしなかった。
「魔法……」
 その単語を呟いた主、ツァッタ軍師に皆の視線が集まった。おそらく、この場の全員が同じことを考えていたのだろうと思う。しかし、誰も
それを口にしようとは思わなかった。あの光が魔法だったとするならば、矢を弾き返したことの説明はつくのかもしれない。が、納得できるもの
ではない。魔法だから、矢を弾き返せるのか。人智が到底及ばない魔法という存在を認めなければ矢が弾き返されたことの説明ができないのか。
「それしか考えつかないでしょう。現に矢を弾き返され命を落とした者がいて、なおかつ、ここにいるリク隊長ですら命を落としかねない状況
だった。いきなり物語の中の主人公が現実の世界に出てきたかのようですが、それを想定しなければ命を落とす者が何人になるかわからない」
 ツァッタ軍師の言葉を、誰もが真剣な眼差しで聞いていた。子供が読む本に出てくるような神がかり的な存在を、信じなければならないのだ。
魔法で、いったい何ができるのかはわからない。光を放ち矢を弾くということしかできないとは考えづらい。しかし、ナリアスはそういった、
未知の力を有している。これからナリアスに挑む以上、魔法の存在を軽視することはできない。
「魔法、となると、ナリアスにはどちらの魔法使いがいるのだろうか」
 ユーフィアス王が呟いた疑問は、当然と言えば当然の疑問だった。あくまで神話上の話を信用するならば、この世界には二人の魔法使いが存在
しているとされている。二人が住む方位によって、北の魔法使い、南の魔法使いなどとそれぞれが呼ばれてはいるが、現世において二人の存在を
確認したことがある者がいるなどいう話は聞いたこともない。
「わかりかねます。しかし、問題はそこではありません」
「うむ。ナリアスがどれほどの魔法の恩恵を受けているのか、だな」
 そう。ナリアスと魔法使いの関係は、どれほどの結びつきなのか。少なくとも、あの話し合いの場で魔法に関する話が出てこなかったことから
考えると、それほど魔法の恩恵は受けていないのかもしれない。いや、待て。魔法の恩恵をあまり受けていないとするならば、一介の使者に魔法
を持たせるものだろうか。それも、襲われることを前提としていたかのように。ふと、ある考えが思い立った。まさかとは思うが――。
「まさかとは思いますが、私の存在に気づいていたのかもしれません」
 ユーフィアス王は、俺の言葉に眉をぴくりと動かした。この場の全員の視線が俺に集まった。
「深読みかもしれません。ですが、そうだと仮定して考えてみると、あの会話は私に聞かせるための会話だった、ということになります」
「つまり、ヒスエラへの支援要請は嘘だった、と。それだけではないな。ニータ海に向かった使者そのものが囮だったということか」
 ユーフィアス王と俺は、無言のまま見つめ合った。ツァッタ軍師が、その間に割り込み、言った。
「では、何故魔法の存在を我々に教える必要があったのでしょうか。ただの囮ならば、むざむざ魔法を持たせる必要はありません」
 そう言われて、ようやく気づいた。ユーフィアス王に一礼するが早く、陣営を飛び出した。

93 :No.20 命運 4/6 ◇M0e2269Ahs:07/10/28 23:18:18 ID:94r1qYP2
 西日に照らされ、黄金に輝くベド平原の大地を急いでいた。案の定だった。念のために配備していた部隊のうち、北門に配備されていた部隊が
まだ戻ってきていなかったのだ。それが意味することはつまり……。いや、まだそう考えるのは早い。確認が必要だった。ただの推測にすぎない
場合もある。俺たちがしとめた南門の使者が囮だったとするならば、やはり別の門から本来の使者を使わしたと考えるのが普通だろう。そして、
それは北門に配備されていた部隊が、まだ帰ってきていないことから考えて、北門を抜けたのだとも考えることができる。問題は、その使者が
どこに向かったのか、ということだった。当初の言葉通り、ルトギアを経由しヒスエラに向かったのならば大した問題ではない。もちろん、攻城
するにおいて、戦況が悪くなることには間違いないだろうが、ヒスエラの連中も俺たちと同じ人間である。人智が及ばない存在ではない。だが、
もし仮にヒスエラの連中ではなく、人智が及ばない存在に使者を出したのであれば、ユーフィアスの命運を分けるといっても過言ではない。
 徐々に見えてくるナリアス国の堅牢な城塞の後ろに聳え立つルトギア山脈。ナリアスの北門の先に君臨する、北の象徴。先ほどの魔法の件の
ことがあって、俺はその心配をなおさら深めていた。心配なのはそれだけではない。北門に配備されていた部隊の安否も気がかりだった。北門を
任せていたのはアレスだった。斥候部隊の中でも若年だが、随一と言ってもいいほどの剣術の使い手である。他の仲間は元より、彼を失うのは
部隊にとって大きな衝撃を与えることになるだろう。すでに仲間を一人失っている。いくら戦争続きのユーフィアスの人間とは言え、仲間を失う
のは辛いことだ。そして何より、受け止めなければならないのは、これらは全て俺の失態が引き起こしたことなのだということだった。
「隊長、あれは何でしょうか」
 俺の少し後ろを駆けていたライドが、前方を指差しながら言った。その先を見る。一瞬、雪かと思った。しかし雪にしては粒が大きく、どこか
青白い光を放っていた。ふわふわと浮かぶ青白い光の塊は、次々と現れてはナリアス城の上空を漂った。あまりに幻想的な光景を目にし、誰もが
言葉を失っていた。突如、空気が割れたような音が響いた。鞭が鳴らすようなあの音だ。その音を合図にして、縦横に散らばっていた青白い光の
塊が、ナリアス城の上空の一箇所に集まり、巨大な塊になった。光力が一気に強くなり、黄金だったはずの大地を青白く染めた。と、その時。
 巨大な光の塊から一筋の光が放たれ、一直線にこちらに向かってきた。馬が驚いて足を止めた。俺は、その光の美しさに見惚れていた。青と白
光の中に、塊が煌いているのがわかる。まるで、流れ星を間近でみているような神々しい光景に、部隊の面々は感嘆の声を漏らした。俺も同じ
気持ちだった。これほど美しい光景は見たことがなかった。光は、俺たちの頭上を越えて後方に伸びて行った。しばらく光を眺めて、この光は、
いったいどこに向かうのだろうか、と考え、ようやく事態を把握した。光が向かう先、それは。
「本陣だ。本陣に向かっているぞ」
 素っ頓狂な声をあげた俺を部隊の連中が不思議そうに眺めた。が、すぐに焦燥感に満ちた顔つきに変わった。
「帰還する。帰還するぞ!」
 慌てて馬を方向転換させ、本陣に向かわせた。なんということだ。一度ならず二度までも。またもや、魔法に気をとられてしまった。
魔法。これも魔法なのだ。ということは、どういうことだ。光に呆気を取られ、頭の中が空っぽになったようだった。整理ができない。
 北門に配備されていた部隊はどうなった。やられてしまったのか。そうだ、それを確認しにきたのだった。ということは、まだわからない。
しかし、ナリアスは更なる魔法を繰り出してきた。これは、北の魔法使いとナリアスが繋がったと考えてもいいのだろうか。やはり、ルトギアに
北の魔法使いが住んでいたということなのか。何一つ、はっきりすることがなかった。ただ俺が感じたのは、どうしようもない屈辱だけだった。
 ジトウ王のほくそ笑む顔が目に浮かんだ。俺は、奴にいいように操られているだけでしかないのだ。

94 :No.20 命運 5/6 ◇M0e2269Ahs:07/10/28 23:18:43 ID:94r1qYP2
 ユーフィアス陣営の有様を見て、部隊の面々はまたも言葉を失った。目に入るもの全てが、氷漬けにされていたからだった。風になびいていた
はずの旗も、逃げ惑っていた者、呆然とした表情を浮かべている者、何かの衝撃を受けたのか腹を押さえたままうずくまる者、すべてのものが
氷漬けになっていたのだ。あの光はすでに消えていた。この状況と、辺りの気温から察するに、あの光は陣営に極寒をもたらしたようだった。
後からやってきた俺たちは何とか氷漬けにならずにすんだものの、極端に低い気温のせいで体が震えだし歯が音を立てた。
 そうだ、ユーフィアス王はどうなった。そう思い立って陣営の奥に進もうとした時、背後から、またも青白い光が辺りを照らした。急激に気温
が下がった。あまりの寒さに肌を突き刺されているような痛みを感じた。震える体を動かして、後ろを振り向いた。
 青白い光を身にまとった人間が、宙に浮いていた。北の魔法使いだ。直感的にわかった。しかし――。
「まだ生きている者がおったとは。しぶとい奴らじゃの」
 物々しい口ぶりで喋った北の魔法使いは、驚いたことに少女だった。まだ成年すら迎えていないような幼い少女だったのだ。魔法使いと言う
不気味な響きから、しわがれた爺を想像していた俺にすれば、その風貌は意外なものだった。銀色の髪の北の魔法使いの顔つきには、少女の
あどけなさが残っていた。その様相がなおのこと、不気味に感じられてならなかった。
「な、何故だ。何故、ナリアスの肩を持つ」
 震える声を張り上げた。俺の目の前の部隊の連中がまったく動かない。まさか、氷漬けにされてしまったのか。
「どの時代を生きるにも、金がなければ生きていけん」
 当然、といったふうに北の魔法使いは言った。金? 金を貰ったからナリアスの肩を持つのか。たった、それだけのために?
「か、金の、亡者が」
 満足に声を発することができなくなってきた。足が地に根を生やしたかのように動かない。息をするのもつらい。
「ユーフィアスの人間だけには言われたくないわ。天下統一という尤もらしい名分を掲げ、侵略と虐殺の限りを尽くすユーフィアスの人間だけに
はな。お主らユーフィアスの人間よりも、わしの方がよっぽど人間らしいというものじゃ」
 背中の矢筒に手を伸ばそうとした。しかし体が動かなかった。外道が愚弄するか、と言ったはずの口からは空気しか漏れなかった。
「ほっほ。もう喋ることもできんか。ほっほ。待っておれ。今、楽にしてやるわ」
 そう言うと、北の魔法使いは地に降り立った。同じ地に立ってみると、身長の差が歴然となった。しかし、それに似つかわしくない威圧感を
北の魔法使いは持っていた。北の魔法使いが身の丈ほどある杖を天にかざすと、身をまとっていた青白い光が杖の先に集まった。光力が増す。
先ほどと同じあの光だ。もう、見惚れることはなかった。だが、身動き一つすることができなかった。完全なる敗北だった。
 もしもあの時、初めて魔法を目にした時に、魔法の存在に翻弄されることなく冷静な自分を保てていたならば、このような事態にはならなかっ
たかもしれない。潜入がばれていたのはともかくとして、囮だということに気づくことができていれば、ユーフィアスの滅亡は免れたのかもしれ
ない。すべては、俺の責任だった。俺の失態が引き起こした滅亡だった。
 青白い光から、一筋の光が伸びた。ああ、これで本当にすべてが終わる。瞳を閉じることもままならないまま、俺は自分を殺す光をジッと
見つめていた。光力がさらに強くなった。俺は、あまりの眩しさに目を細めた。そして、身を焦がすような熱気を感じていた。
 不思議なことに、俺に向かっていたはずの光はいつになっても襲ってこなかった。

95 :No.20 命運 6/6 ◇M0e2269Ahs:07/10/28 23:19:13 ID:94r1qYP2
「あんた、邪魔だからそこどきなさい」
 背後から別の少女の声が聞こえた。慌てて、後ろを振り向いた。体が動くことに驚くのと同時に、眩い光に目を細めた。
 そこには、淡い黄色の光に包まれた少女がいた。金髪の、しかしまだあどけなさが残る、北の魔法使いと同じくらいの少女。やはり身の丈ほど
の杖を手にしている。この少女が、南の魔法使いなのだろうか。俺を一瞥する目に熱気が感じられて、頭が熱くなるのを感じた。
 突如、上空に巨大な氷塊が現れた。北の魔法使いの魔法だ。
「あー邪魔邪魔。さっさとどいて」
 金髪の少女が俺の首元を掴み、物凄い力で地面に叩き付けた。痛みに顔をしかめながら少女を見上げると、ちょうど杖を氷塊に向けたところ
だった。氷塊が落ちてきた、と思った瞬間に、杖の先から炎が飛び出し、それを包んだ。
「隊長、こちらです」
 呼びかけられた声に振り向くと、氷漬けになっていたはずの部隊の連中がいた。這いつくばったまま地面を蹴って、そちらに向かった。
 魔法使いの方を振り向くと大蛇のような形をした炎が、宙を舞う北の魔法使いを追い回しているところだった。見た目は少女だというのに、
彼女たちは明らかに魔法使いだった。
「よし、今のうちに王の安否を」
 宙を舞う青と黄の光を横目に、陣営の奥に進んだ。まだ、氷漬けになったままの兵士たちが様々な表情を浮かべていた。魔法と魔法がぶつかり
合う音なのだろうか、大地を揺るがすような轟音が響いていた。陣営の奥に進むにつれ、被害が激しくなっていった。あの光の狙いは、
ユーフィアス王そのものだったのかもしれない。凍った地面を踏みしめ、ようやく王の間に辿り着いた。
 ユーフィアス王もクンド将軍もツァッタ軍師も、ものの見事に氷漬けにされていた。動きを止めているだけではなく、氷の中に閉じ込められて
いたのだ。それぞれが浮かべている苦悶の表情は、俺を敵視し睨んでいるかのような恐ろしい表情だった。
「残念でしたー」
 不謹慎な明るい声に振り向くと、南の魔法使いが笑っていた。この短時間で北の魔法使いを追い払ったのだろうか。
「そうだ。頼みがある。あなたの魔法なら、王たちの氷を溶かすことくらい造作もないことだろう。助けてくれはしないだろうか」
「無理無理。わたし、もう疲れちゃったから。つーかさ、そのおっさん達をもとに戻してどうする気? また侵略? また虐殺?」
「違う。ユーフィアスは天下統一のため――」
「だから、誰があんた達の天下統一を望んでるってわけ? 言っておくけど、わたしが来なかったら、あんた達死んでたんだからね。せっかく救
われた命で、また同じことを繰り返すなんて馬鹿だよ。馬鹿」
 反論しようにも言葉が出なかった。確かにユーフィアスの天下統一を望むのはユーフィアスの人間だけ。それに何の意味があるのだろう。
そしていくら足掻こうとも、魔法の存在がある限り、天下統一などできるわけがない。それは、翻弄され、身を持って知ったことだ。
「ふっふん。わかったみたいね? じゃあ、そういうわけで、コレよろしくねー」
 そう言って南の魔法使いが差し出した紙には、請求書と書かれていた。南の魔法使いは悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。その笑顔を見て
いると、天下統一のことなど馬鹿らしく思えてきた。請求書の額面に目が眩みつつも、これからのことをゆっくり考えようと、そう思った。



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