【 ミスター伯爵は苦悩する 】
◆xy36TVm.sw




56 :No.12 ミスター伯爵は苦悩する1/6 ◇xy36TVm.sw:07/10/28 20:27:03 ID:94r1qYP2
 いくつものナイフが、きらきらと光りながら宙を舞っていました。
 大きなボールに乗ってバランスをとりながら、男の人がジャグリングをしています。
 背景に流れる曲は先ほどやっていたヒーローショーの使いまわしなのでしょうか、
『螺旋戦士 ヒーローオブジャスティス』のオープニングテーマが繰り返し流れています。
 男の人がよろける度に、周りの子たちから小さな悲鳴が上がりました。
「おっと、おっとっとっとっとっと」
 高いようにも低いようにも聴こえる声で呟きながら、男の人は六本のナイフを投げます。
 先っぽに白いぽんぽんのついた帽子を被り、顔には涙の形のペイントをしていました。
 それなのに着ている服はぴしっとしたタキシード。ずいぶんちぐはぐな服装の人です。
「すごいですね、律子ちゃんもそう思いませんか?」
「そうね。すごいけど、なんでこの人さっきから玉乗りやジャグリングみたいな大道芸を
やってんのかしら。案内には手品ショーって書いて――ああっ!」
 急に、律子ちゃんが大声を上げました。その声で前に向き直ると、失敗したのでしょう
か、ナイフが次々と男の人の頭に突き刺さっていくところが見えました。
 そのまま男の人はボールから転げ落ちて、あお向けにひっくり返ってしまいます。
 デパートの屋上が、なんとも嫌な雰囲気に包まれました。
「ハハハハハ! 安心したまえ諸君! このミスター伯爵はナイフごときでやられたりは
しない! 背中は少し痛いけど!」
 なんともないような仕草で、男の人が立ち上がりました。頭にナイフを生やしたまま高
笑いされても、不気味なだけです。斜め前に座っている小さな女の子が泣き出しました。
 男の人はポケットから取り出したハンカチをかぶって、言います。
「さて本題はここからだ。この天才マジシャン、ミスター伯爵の大魔術を見るがいい! 
さあ、いち、にい、さんっ!」
 勢いよくハンカチを取ると、ナイフが跡形もなくきれいになくなっていました。
 ナイフどころか、帽子に傷一つついていません。驚きのこもった歓声が上がります。
 そしてミスター伯爵は堂々とした様子で、泣いている女の子に歩み寄りました。
「驚かせてしまったようだね。お詫びと言ってはなんだが、これをあげよう」
 そう言って彼が差し出したのは、消えたはずのナイフ。もちろん持ち手は相手の方に。
 彼は何をやっているんでしょうか。
 少女のトラウマをさらに深くしようという試みなのでしょうか。

57 :No.12 ミスター伯爵は苦悩する 2/6 ◇xy36TVm.sw:07/10/28 20:27:30 ID:94r1qYP2
 恐る恐る女の子が受け取ると、なんということでしょう、ナイフはポンッと音を立てて
きれいな花に変わりました。女の子の泣き顔も、笑顔に変わります。
「ハハハハハ、種も仕掛けもございませんっと」
 女の子の頭を撫でてから、乾いた笑いを浮かべてステージに戻るミスター伯爵。
「すごいですよ律子ちゃん、まるで魔法みたいです!」
「だから魔術って言ってんでしょあの人が。手品ショーなのにジャグリングとかしてたの
は、こう繋げるためだったのかしら。無理があるわね。穴が開いた帽子をどうやって取り
替えたのか、それともナイフが元々刺さらないタイプの奴だったのか、どっちかしらね」
「え、魔じちゅなんじゃないんですか?」
「噛んでるわよ。魔じゅちゅって言ってるだけで、ちゃんと種も仕掛けもある手品よ」
 律子ちゃんも噛んでます。あ、目をそらしました。顔が真っ赤です。
 他にもミスター伯爵は色々な魔術を披露しました。縄抜け、五百円玉の瞬間移動、空を
飛ぶ鉛筆などなど、彼が何かするたびに観客席から大きな歓声があがります。
「何やってるかわかんないのはともかく、ポケットや袖に入らない量の手品道具をどこか
ら出してんのこの人……、それ自体が一番不思議な手品だわ」
 ぶつぶつと呟いている律子ちゃん。私がこのショーを見たいって言い出した時にはガキ
っぽいとかなんとか文句を言っていた割に真剣に見ています。
 結局のところ二人とも小学生なのです。ガキっぽくてもいいのです。
「では、準備があるのでしばしの間待っていてくれたまえ」
 ミスター伯爵はそう言って、一度ステージの袖に入ってしまいました。
「すごいですね律子ちゃん、種も仕掛けもまったくわかりません!」
「種も仕掛けも簡単にわかっちゃったら面白くないじゃない。……さっきからすごいしか
言っていないけど、ボキャブラリーがないと思われるわよ」
 律子ちゃんは、繰り返しギャグというのをご存知でない様子です。冷静な突っ込みほど
悲しいものはありません。それに哀れみが含まれているとさらに悲しいです。
「残念だが、そろそろ時間が来てしまったようだ。最後の大魔術を披露して終わりにしよ
うじゃないか」
 袖からキャスター付きテーブルを押しながら、ミスター伯爵が出てきました。
 えー、とか、もうかよー、とかの不満の声が上がります。
「さてここに取り出したのは、何の変哲も無い水槽! そしてその中には何の変哲も無い

58 :No.12 ミスター伯爵は苦悩する 3/6 ◇xy36TVm.sw:07/10/28 20:27:47 ID:94r1qYP2
おたまじゃくしとたっぷりの水! さあ一番前の子達よ、これらの物が何の変哲も無いの
を確認するがいい!」
 自信に溢れた声で、ミスター伯爵はテーブルに載った水槽を示しています。
「そして今度はこの何の変哲も無いハンカチを被せよう。あ、そこの少年よ。食い入るよ
うに見てる君だ。やってみるかい?」
 声をかけられた男の子は力強く頷いて、ミスター伯爵の言う通りにしました。
「さて、実は最後の大魔術にはみんなの力が必要なのだ。今から言う呪文に続いて、繰り
返してくれ。では、いくぞ」
 ミスター伯爵が大きく息を吸い込んで、ゆっくりと呪文を唱え始めます。
「レダハ・ヤオーノシクャジマタ・オラナ・ル・エカハコノ・ルエーカ!」
『レダハ・ヤオーノシクャジマタ・オラナ・ル・エカハコノ・ルエーカ!』
 みんなで声を合わせて繰り返しました。律子ちゃんが必要以上に大きな声を出していま
した。熱くなりすぎです。
 満足したように頷いて、ミスター伯爵が水槽のハンカチに手をかけます。
「さあ、みんなの呪文のおかげで最後の大魔術は成功したようだ。では邪魔なハンカチを
どかそうじゃないか。それ、いち、にい、さんっ!」
 そして現れた水槽の中には、水が入っていませんでした。
 おたまじゃくしも入っていませんでした。
 代わりにカエルのぬいぐるみが入っていました。
 頭にリボンがついているので、女の子なのでしょう。
 ……最後の大魔術と言っていた割に、あんまり大したことが起こりませんでした。
 周りの子たちも不満げな声を上げています。本当にこれで終わりなのでしょうか。
 ミスター伯爵はカエルのぬいぐるみを抱きしめています。いい年した大人がぬいぐるみ
を抱きしめています。気味が悪いです。
 不意に、ミスター伯爵がぬいぐるみにキスをしました。
 すると驚いたことに、ボンッという音と共にミスター伯爵が煙に包まれます。
 煙が晴れるとそこには、彼ともう一人、ドレスを着た背の高い女の人が立っていました。
 突然のことに、観客席が静かになり、そして割れんばかりの歓声が巻き起こります。
「さてこれでこのショーはおしまいだ! 最初から最後まで席を立たずに見てくれたみん
な! 名残惜しいがまた会える日まで、さらばだ!」

59 :No.12 ミスター伯爵は苦悩する 4/6 ◇xy36TVm.sw:07/10/28 20:28:04 ID:94r1qYP2
 指を弾き鳴らすと、また辺りが煙に包まれ、晴れた時にはもう二人は居ませんでした。
 拍手と歓声と共にショーは終わり、ぞろぞろと観客達は解散していきます。すごかった
ねー、と言っている女の子や、俺もやってみるとか言って笑っている男の子がいました。
 いつの間にか人が増えていたのか、屋上の出入口はとても混んでいました。
 押し合いへし合いぎゅうぎゅう詰めで、ろくに前も見えません。
 誰もが興奮していて、浮き足立っていました。そんな状態だったからでしょうか。
「すごかったですね、律子ちゃん。おたまじゃくしがぬいぐるみになって女の人になっち
ゃいましたよ! ……あれ、律子ちゃん? 律子ちゃーん?」
 屋上から降りたあと律子ちゃんに声をかけると、返事がありませんでした。
 周りを見ても彼女の姿はありません。簡単に言うと、はぐれてしまったようです。
 さて、困りました。迷子センターに行くべきなのでしょうが、放送で呼び出しなんかし
たら律子ちゃんは顔から湯気を出しながら爆発してしまいそうなので、自分で探します。
 まずははぐれるまで一緒に居たところを探そうと、屋上に戻りました。
 終わったばかりなので係員さんもまだ来ていないのでしょうか、誰も居ないステージは
なんだかとても寂しげな雰囲気です。
 誰もいないなら用はありません。さっさと引き換えそうとした時――。
「ひ、ひっぐ、うう、うぇえええええ」
 ステージ袖の奥の方から泣き声が聞こえました。
 律子ちゃんの声ではありません。高くも低くもないような男の人の泣き声でした。
 少し気になったのでのぞいてみると、泣き声の主は、ミスター伯爵でした。
 ぼろぼろと、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらしゃくりあげています。
 顔の涙のペイントは流れ落ち、威風堂々とした態度はどこかに消えてしまっていました。
 先ほどのカエルのぬいぐるみを抱きしめて、泣いています。女の人はどこでしょう?
「どうしたんですか。おなかが痛いんですか?」
 私に気づいたのかミスター伯爵は顔を上げ、ぎこちない笑みを浮かべました。
「お気遣いありがとう、お嬢さん。でも、腹痛ではないんだよ」
「では、どうして泣いているんですか」
 そう言うと、ミスター伯爵はさらに大きな声で泣き出します。
「私は、人をだましているのだ。私はマジシャンなどではないんだよ」
「え? 伯爵は手品師なのでしょう? 魔術と言って手品をする」

60 :No.12 ミスター伯爵は苦悩する 5/6 ◇xy36TVm.sw:07/10/28 20:28:18 ID:94r1qYP2
 きょとんとしている私の顔を見て、伯爵は首を大きく振ります。
「違うんだ、私がやっていたのは本当は、魔術でも手品でもないんだ」
「では、なんなんですか?」
「私がみんなに見せていたのは、――魔法なんだ」
 ミスター伯爵は、そう言いました。
「マジシャンなんかじゃない。手品師でもない。私は、本当は悪魔なのだよ」
「悪魔、ですか」
「そう、悪魔だ。魔法を使って人をだまして、不幸に陥れ、報酬を得る。ひどい商売だよ。
それがいやで私は悪魔をやめた。けれどどうだ、私がやっていることは。はじめと何も変
わっていないじゃないか。だから私は、悪魔だ。あれほど軽蔑していた、悪魔なのだ!」
 芝居がかった仕草でしたが、だからこそ伯爵は本気で言っているように感じました。
「それが悲しくて、泣いていたんですか」
「ああ、恥ずかしいことにね。見苦しいところを見せてしまって面目ない」
 涙も止まり、ハンカチで鼻をかんで、ミスター伯爵はだいぶ落ち着いたようです。
「何年かこうやってショーを行っているが、歓声が聞こえる度に、心が痛むのだ。歓声の
代わりに、嘘つきと誰もが言っているように聞こえる。先ほど君の隣に座っていた女の子、
彼女のように種や仕掛けを見抜こうとしている人を見ると申し訳ない気持ちになるのだ。
しかし、ショーをやめる気にはどうしてもなれない」
「なぜですか?」
「笑顔だよ。私にとって笑顔が最高の食事であり、報酬なのだ。しかし、こうも思うのだ。
手品という技術でなく、魔法を使って得られた笑顔は、果たして本当に笑顔と呼ぶ資格が
あるのだろうか? とね」
 不安げにうつむいて、ミスター伯爵はぬいぐるみを抱きしめました。
 周りに音はなく、時々伯爵が鼻をすする音だけが聞こえます。
「……伯爵は少し間違っていると思います」
 ミスター伯爵がはっと顔を上げました。
「魔法を使って笑顔を得ると言いましたが、それは私たちに直接笑顔を作るような魔法を
かけたのですか?」
「断じてそんなことはしない! 私はそんなものを笑顔とは呼ばない!」
 怒った様子でミスター伯爵が叫びます。

61 :No.12 ミスター伯爵は苦悩する 6/6 ◇xy36TVm.sw:07/10/28 20:28:35 ID:94r1qYP2
「それなら、やっぱり伯爵は間違っています」
「どういうことだい?」
「魔術、じゃなくて手品、じゃなくて魔法なんでしたっけ。伯爵のショーは、すごかった
です。ナイフが花になったのも、他のも、ぬいぐるみもすごかったです。私は本当に感動
しました。隣に座っていた律子ちゃんもとても楽しそうに見ていました。けれど伯爵は今、
それを偽物だと言おうとしています。みんなの素直な感想に耳をふさいでしまっています。
それは、間違いだと思います。伯爵は、本当にすごいんです」
 びっくりしたような顔で、ミスター伯爵は私を見つめます。
「そんな風に言ってもらったのは初めてだ。……すごいね、君は」
「そうでもありません。あなたの話を誰が聞いても、こう答えたと思います」
「……素直な感想に、耳をふさいでいる、か。そうだったね。僕は長い間、大変な勘違い
をしてたみたいだ。ありがとう、お嬢ちゃん」
「えっと、何年も悩んでいたことを、私の言葉くらいで解決にしていいんですか?」
「いや、君が思う以上に、君の言葉は僕に救いをくれたよ」
 今までとはがらりと声が代わって、同い年くらいの男の子のような声で伯爵は言います。
「これからは、みんなの笑顔のために今以上にもっと頑張るよ。みんなの声を素直に受け
止められるようにする。……いつかまた、どこかで会えるといいな。ああそうだ」
 伯爵が思い出したように手を打ちました。
「君を探して、君が探している人は、もうすぐここへ来るよ。じゃあ、さよならだ」
「それは、魔法で知ったんですか?」
 私の問いに伯爵は答えず、悪魔のような悪戯っぽい笑みを浮かべて影の中に溶けていき、
消えていってしまいました。
「あんた! はぐれてこんなとこにいるのはどういうことよ! 探したじゃない!」
 少し涙の跡がある顔を真っ赤にして、律子ちゃんは怒鳴ります。
「すごいですよ律子ちゃん、ミスター伯爵はほんとはマジシャンでも手品師でもなくて、
魔法使いの良い悪魔さんだったんです」
「はあ? 何言ってんのよ、居眠りしたまま夢でも見てたんじゃないでしょうね?」
 信じてもらえるとは思わないので、さっきまでのことは、夢ということにしましょう。
 楽しいショーも見れて、今日はとてもいい日でした。
                                 またいつか。



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