【 三叉の道とトリヴィアルな日常 】
◆rmqyubQICI




13 :No.03 三叉の道とトリヴィアルな日常 1/5 ◇rmqyubQICI:07/10/27 07:48:01 ID:6fCQ4d58
 まるいまるい満月の下を、黒猫がすーっと横切ってゆく。
「あ、縁起悪い」
 京介はとくに何の感慨もなさげにそう言うと、紙パックに刺したストローをじるじると
すすった。
「あんた、そんなの気にしてたっけ?」
 尋ねる私に、京介は一言、さぁね、とだけ返す。それからしばらく無言のまま帰路を行
くと、また、満月の下に黒猫を見つけた。京介の背丈よりもすこし高い塀の上に、ぴんと
しっぽを立てて座っている。
「今日はよく見かけるなぁ」
 夜だっていうのに見つけられるんじゃ、せっかくの黒い毛並みが台無しだ。そう呟きな
がら京介が手を伸ばすと、猫はくるりと向きを変えて、そのまま夜闇の向こうへ逃げさっ
てしまった。
「そういえばさ、美月、知ってる? この先の道が分かれてるとこなんだけど」
 空ぶった手は伸ばしたままで、京介がふと思い出したように口を開く。
「あそこ、この街で唯一の三叉路なんだ」
「ひっかからないわよ」
 私は即座にそう返した。だって、三叉路なら私たちの通う高校の目の前にあるのだから。
池や湖の多い土地柄ゆえ、直線と交差点しかないなんてことはありえないのだ。
「いや、確かに地理的な問題で無理だった部分はあるみたいだけどさ。いちいち溜め池の
上に橋をかけるわけにもいかないだろうし、街の端とかもね。けどそういう事情がないか
ぎり、この街の道路は全部直線と交差点だけでできてるんだよ」
「そう言われるとね……」
 学校の前の三叉路という反例だけで満足していたものだから、それを除かれると急には
判断しかねる。実際私たちの学校の前にも大きな湖があるし、以前この街の地図を見たと
きから、妙に十字路が多いなぁとは思っていた。つまり、状況は京介の言い分を支持して
いるのだ。私がなんとなく悔しい気分になっていると、京介がまた話し出した。
「でも、この先の三叉路だけは別なんだ」
「『別』?」
「そう、別。この街、京都よりも徹底してんじゃないかっていうくらいきれいな碁盤の目
になってるだろ? でも、この先の三叉路のせいでその形がくずれてるんだ。


14 :No.03 三叉の道とトリヴィアルな日常 2/5 ◇rmqyubQICI:07/10/27 07:48:32 ID:6fCQ4d58
 ほら、ちょうど着いた」
 いったん言葉を切って、京介が前方を指差す。いつの間にかずいぶん距離をこなしてい
たらしく、そこはいつも高校の帰りに京介と別れるところだった。このあたりはとくに何
の障害物もないというのに、その分かれ道は三叉路になっている。なるほど、京介の話を
信じるなら、確かに他の三叉路とは『別』だ。
「今僕らがいるのは東西方向の道だ。この街を西の端から東の端まで突っ切ってる。で、
右手に見える道、僕の帰り道だね、これもこの街の北の端からここまでまっすぐ伸びてき
てるんだけど、なぜかここで途切れてしまう。
 で、問題はここよりも南側の通りのことなんだ。きれいな碁盤の目にしたいなら、どこ
かでまたこの南北の道が復活するはずだろう? でも、そうはなってない。本当にこの道
はここで途切れてしまってる。
 まるでひとつの通りを途中から消したみたいだよ。三叉路を作らない、たったそれだけ
のためにね」
 そこでまた、京介が言葉を切る。私は最後の言葉に陰謀めいた何かを感じて、すこし背
筋が冷えた。なんとなく静寂が恐ろしくなって、今度は私の方から話し出す。
「でも、何のためにそんなことするのよ。あんたの話を聞いてるかぎり、どうも偶然って
感じがしないんだけど」
「そりゃ偶然じゃあないだろうね。ここまでよくできた偶然なんてないよ。
 ところで、三を言い換えるとどうなる? そうだな、ギリシャ風にしてみて」
「ギリシャ……。えっと、トリ?」
 ギリシャ風かどうか、いまいち自信がないけれど。
「そう、トリだ。で、次は道をラテン語に」
「できないわよ」
「まったく、世界史で習っただろ? ウィア・フラミーニアとかいろいろ」
 京介は嘆かわしい、とでもいうように首をゆっくりふってみせた。もう十分やったから
とかなんとか言って、ギリシャやローマのあたりはずっと寝ていたくせに。
「まぁ、道はラテン語でウィアだね。で、このふたつをくっつけると……」
「トリウィア?」
「そ。トリウィア、つまり三叉路だね。英語のトリヴィアはこの言葉に由来してる。人通
りの多い三叉路は、人々がくだらない話を披露し合うには絶好の場だったんだってさ。

15 :No.03 三叉の道とトリヴィアルな日常 3/5 ◇rmqyubQICI:07/10/27 07:49:13 ID:6fCQ4d58
 で、そんな三叉路によく立っていたのが、あれだ」
 そういって京介は三叉路の、ちょうど行き止まりになってるあたりを指差す。京介が何
を指しているのか、私にはすぐ分かった。毎日ここを通っているのだから、当然といえば
当然だ。今夜のそれは満月のやわらかな光を浴びて、ほのかな銀色に染まっていた。
「月の下だとやっぱり絵になるね」
 呟くような京介の声に、私は心の中で強く同意した。
 それは多分、女神の像なのだと思う。高さはだいたい私の腰あたり。裾が地面に広がる
ほど丈の長い、真っ白な服を着ている。胸の前で絡められた白磁の指は本物の人間以上に
繊細なつくりで、覗き込むたび私の心をとらえてどこかへ連れていこうとするのだ。
 下からだんだんと見上げていけば、その造形のすばらしさがよく分かるだろう。始めは
急激に、それから緩やかに細くなってゆく。腰のあたりでぎゅっとくびれ、そこから女性
らしい曲線を描いて顔にいたる。その顔がまた、惚れ惚れするくらいに美しい。
 しばらくそれを眺めているうちに、ふと我に返って京介に尋ねた。
「こんなものが、ローマの三叉路にはよくあったの?」
「ギリシャだったかも。どっちにしろ、ここまで力の入ったものじゃなかっただろうね。
でも特徴は一致するよ」
「特徴っていうのは?」
 嫌な予感がして、私は恐る恐る問い返す。京介はためらう様子もなく、むしろ快活に答
えた。
「うん。三ツ首だね」
「……やっぱり」
 もう何年来になるだろうか。私にはずっと、あの像にひとつだけ気に入らないところが
あった。それはたかが一カ所といえば一カ所なのだろうけど、私にとっては大き過ぎる一
カ所だ。向き合って右側の首元から牛の頭が、そして左側からは羊の頭が生えている。顔
を隠さないためか、それぞれ角は一本ずつしかない。角があろうがあるまいが、その頭の
存在自体が鑑賞の邪魔にしかならないというのに。
「あれ、美月は昔から嫌いだったよね。こんなきれいな像に、どうしてわざわざ余計なも
のをつけたんだー、って」
「誰だってそう思うわよ」
 京介の言葉に、私は本心で返した。そうだ、誰だってあの像を見れば、私と同じ不満を

16 :No.03 三叉の道とトリヴィアルな日常 4/5 ◇rmqyubQICI:07/10/27 07:49:46 ID:6fCQ4d58
抱くに決まってる。せっかく美しいものを美しく作ったというのに、どうしてわざわざ化
け物じみた姿にしなければいけないのか、私にはまったく理解できなかった。しかし、な
るほど。
「元のモチーフがそうだったんだから、あの像だって化け物になるはずよね」
「そうそう。つまり、あれの正体は三叉路の女神トリウィア。別名、魔術の神ヘカテ」
「魔術の女神、ねぇ」
 異教の神がこうも自然に潜り込んでいるのは、やはり日本ならではのことなのだろうか。
ぼんやり考えていたところ、ふと妙なことに思い至った。
「なんでそんなものがここにあるの? さっきの話だとこの街の三叉路はここだけで、そ
こには三叉路の女神の像が、って……」
 私はそこまで言って、京介の顔を覗き込んだ。両手で顔を覆っていて表情は見えないが、
しかし、長い付き合いだ。京介がこれをやるのは、どうしようもなく嬉しいときか楽しい
ときだけだと知っている。しばらくすると京介はひとつ息をついて、顔を隠している手を
どけた。
「いや、ごめんごめん、なんか嬉しくなっちゃってさ。これ、すごい謎じゃない?」
「確かに謎だけどねぇ……。あんたの言ってることが全部本当だったとしたら、それに合
う答えなんてないんじゃない?」
 これまでの話を正しいとするなら、この街はヘカテを祀るために建てられた、という結
論にならざるを得ない。そうでもなければ三叉路をここだけにする意味が分からないから
だ。けれど、京介の言うことを信じるにしても、ヘカテなんていう女神がこの極東の国で
祭り上げられている理由を説明できるのだろうか。
「可能性は何通りでも考えられるさ」
 例えばそうだね、と京介は続ける。
「あの像は多分、近代以降にヨーロッパで掘り出されたものなんじゃないかな。もしくは、
その時期にどこかの物好きが作ったのか。まぁどちらにしろ、あれだけ完成度の高い像だ。
貰い手はすぐ見つかっただろうね。
 でも、嬉々としてその像を家に持ち帰ったあと、一息ついたところでやっと気付くんだ。
異教の神の像なんて持っているのは危険すぎるってことにね。けどこれほどのものを壊し
たり捨てたりするのはあまりに勿体ない。そこで像の持ち主は、まだ一神教が浸透してい
ない、宗教的に寛容な場所へそれを持って行こうと考える。


17 :No.03 三叉の道とトリヴィアルな日常 5/5 ◇rmqyubQICI:07/10/27 07:50:14 ID:6fCQ4d58
 美月、君みたくあの像に魅せられた人間なら、そのくらいやってもおかしくないだろう?」
「……まぁ、時代が時代ならやりかねないわね」
「よし。で、海に出た像の持ち主は、なんやかんやあってこの極東の島国に流れつく」
「なんやかんやって何よ」
「いいじゃないか、ポルトガル人だってなんやかんやあって流れついたんだから。
 で、いろいろあってヘカテの像はここに辿りついたのさ。というより、辿りついた先が
この街になったんだろうね。そしてこうなってしまえば後はどうにでもなる。日本人らし
く、ヘカテを自国の神として吸収してしまったんだろう。これで他の日本の神と同等、こ
こで祀られる理由は十分だよ」
「……いろいろと無理があるんじゃない?」
 異教の像でもヴェネツィアあたりにおいておけばどうにかなったんじゃないかとか、ど
うして日本風の名前や姿にならずヘカテのままなのかとか、八百万もいる神のうちからど
うしてヘカテが選ばれたのかとか。可能性としてはあり得るのだろうけど、それにしても
あまりに低い確率のような気がする。
「無理があるといわれてもね。不可能じゃないんだから、あっておかしくはないだろう?」
「おかしくはないけどねぇ」
「納得するかは君次第だよ。まぁ、与太話にしても結構面白かっただろう?
 じゃあ、僕はこのへんで」
 そう言いながら、京介はたっと地面を蹴って自転車に乗り込んだ。そして私の方にひら
ひらと手をふり、最後にこう言い残して走り去ってゆく。
「君の家、旅館だったよね。『魔術の街へようこそ』とかそういうコピーで売り出せば、
お客さん増えるかもよ!」
 余計なお世話だと言い返してやってもよかったけれど、今の私には、それよりも気にか
かることがあった。
「魔術の街、ねぇ」
 京介も帰ってひとりになった私は、抑えた声で文字通り独り言ちる。
「どうも狐に化かされた感が否めないんだけどなぁ」
 西洋のよく分からない女神様に、なんとなく親近感を覚えた瞬間だった。

  了



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