【 ティーンエイジ・ギア 】
◆QIrxf/4SJM




85 :No.22 ティーンエイジ・ギア 1/5 ◇QIrxf/4SJM:07/10/21 23:17:14 ID:FPtq2/hz
 世界だって潰す。そんな女の子になりたい。
「寒くなってきた」誰かが言った。
 冬の夜の屋根の上だから、あたりまえのことだ。
 夜の空気が、パジャマを貫いて肌に突き刺さる。
「うん」
 身震いはしなかった。
 氷の上だって、座り続ける。
 私は星空を見上げて、真っ白な息を吐いた。
 腕を高々と振り上げた。
「星だって、きっと掴む」



 大きな野望を抱いたカメレオンが、床を這っている。茶色に擬態して、小さなハエを捕らえた。
「ハイエナのキス」ピロウズは歌う。
 私は寝転んだままベッドの上で微動だにせず、天井を這うスパイダーを眺めていた。
「君は、私の何?」
 スパイダーは答えない。せっせと尻の穴から糸を放出して、巣作りに専念している。
 私はじっと眺めていた。
 頭が少し、枕にめり込む。
「前の巣は、どうしたの?」
「この部屋が暖かいのさ」とスパイダーは言った。
「そっか」
 オイルヒーターに貼り付けたマグネットが、溶けて変なにおいを放っている。
 掛け布団を蹴飛ばした。
 篭った空気は湿っぽくて、ガラスには水滴が浮いている。
 上半身を起こして、窓を開けた。
 冷たい空気が頬に当たる。
「換気は大切さな。エサが飛び込んでくれれば、尚素晴らしい」
「待ち伏せなんて」私は口を尖らせた。

86 :No.22 ティーンエイジ・ギア 2/5 ◇QIrxf/4SJM:07/10/21 23:18:17 ID:FPtq2/hz
 スパイダーが這って来て、私の真上にぶら下がる。
「それは僕の自由さ」スパイダーは言った。「けれどこうして、居心地がよくて、効率の良い場所を選んでいるさ」
「私にも、選べるかな」
「もちろんさ」
 満足そうに言うと、スパイダーは巣に戻って動かなくなった。
 スパイダーはべらぼうにいいヤツだ。そして、頭がいい。私を見下ろせて、暖かくて、適度にエサの出入りする場所を選んだのだ。
 家を一歩出れば、気に入らないことばかりがふりかかる。このベッドは最高だ。
「ずっと、寝転がっていたいな」
「けれどもね、サバンナには寝転んでいるだけの動物なんていないんだよ」
 言ったのはカメレオンだ。
「孤独の中で生きていく動物はいるの?」
 父親は私に大量の小遣いを齎すけれど、関わろうとしない。
 砂漠で水が買えるのか?
「それはまさにあたしのことだよ。ハエが飛んでいれば、どこでだって生きていける」
「本当に?」
「孤独に生きるために、進化したんだよ」カメレオンは言った。「この三本のツノは、遥か昔、あたしがまだダイナソーだった頃の名残ってわけ」
「私は昔、胎児だった。子どもだった」
 カメレオンは、そのでっぱった両目に夢を映している。
 思い描くためのカンヴァスは、お金で買うことはできない。思いを描いても、お金になることはないだろう。
「サバンナを横行闊歩し、小動物共を跪かせる」
「今も、私は子どもなのかな」
「立体視で睨みつけて、捕食対象は凍りつくのさ」カメレオンは聞いちゃいない。
 大いなる野望と光り輝く夢があるから、辺りが見えなくなる。少し、羨ましい。
 カメレオンは、両目をぎょろりと動かした。
「ケーキに二十本のろうそくを立てれば、大人になれるよ」
 私はくすりと笑った。「一吹きで消せるかな?」
「それが、大人だよ」
 カメレオンは上を向いて、長い舌を伸ばした。
 スパイダーには遠く届かない。
「いいヤツだから」私は言った。

87 :No.22 ティーンエイジ・ギア 3/5 ◇QIrxf/4SJM:07/10/21 23:18:42 ID:FPtq2/hz
「わかってる。試してみたんだよ」カメレオンは言った。「ハエを獲ったら譲ってくれるらしいんだよ。代わりに、脱皮のときにはあたしが番をする」
「どうして?」
「スパイダーは、女の子だよ」
「知らなかったな」
 スパイダーは、持ち前の攻撃性を獲物がかかるまで潜ませている。
 目を瞑り、足の節々に神経を集中させて、巣が震えるのを待っている。
「ねえ、スパイダーは今、私の声を聞いているかな」
「どうだろう」
 カメレオンはスパイダーを見上げて、両目をぐりぐりと動かした。望遠しているのだろう。
「聞いているさ」スパイダーは言った。
「ハエが獲れたら、言ってくれよ」
「分かっているさ。でも、いつハエが獲れるかは分からないさ」
「据え膳食わねば男の恥、だよ」
「女の子は僕の方さ」
「あたしに言ったんだよ」カメレオンは舌をぺろりと出した。
 私は思わず吹きだしてしまった。
 きっとカメレオンも女の子なのだ。
「舌を伸ばす練習をしておかなくちゃ。届かないと、食べられないよ」
「落としてみるさ」
「それは最終手段だよ」
「そうさな。拾い食いは、ちょっとばかしはしたないさ」
「空中でキャッチするから平気だよ。ダイナソーの動体視力を舐めちゃいけないよ」
 ドアが開いて、ガゼルが入ってきた。
「素敵な土ぼこりです」ガゼルは後ろ足でドアを閉めた。「夜は更けていく。今やサバンナは、綺麗な群青色でしょうね」
 私はサバンナに、赤茶色で殺伐としているようなイメージを抱いている。
「夜は綺麗なんだね」私は言った。
「その通りですよ。全ての物は複数の側面を持つものです。わたくしの体がもう少し大きければ、貴方を乗せてサバンナを駆け回ってやりたいものです。土煙を上げながらですね」
「それなら、牛乳飲む?」
 動物たちに囲まれて、サバンナを駆け回る。人間の侵入を許さない、赤茶と群青の聖域だ。
 ベッドで寝ているよりはずっと健康的で、きっと楽しい。

88 :No.22 ティーンエイジ・ギア 4/5 ◇QIrxf/4SJM:07/10/21 23:19:11 ID:FPtq2/hz
「いえ、よそで何かを飲み食いしたとなれば、わたくしの女の子たちが悲しみますので」
「けっ! いい身分だぜ」
 悪態を吐いたのは、リカオンだ。ガゼルの影に隠れていて、気が付かなかった。
「複数の側面を持つ、といえばお前にも当てはまるぜ。紳士ぶっているようで、実は色きちがいだ」
「おっと、女性の尻に敷かれている貴方らしい発言で、まことに結構なことですな」
 私の母親は出て行った。両親の持つ力が、均衡だったからだ。
「馬鹿言え。俺はただ、面倒なことを女共に押し付けているだけだぜ」リカオンは低く唸ってそっぽを向いた。「ああ、寒ぃ寒ぃ。――ベッドに入れてくれ」
 返事をする間も無く、リカオンは私の横に寝転んだ。
 窓を閉めて、蹴飛ばしていた布団を掛けなおす。
 リカオンは私の隣にひょっこりと顔を出した。
 彼は、ガゼルほど美しくもないし、カメレオンのように穏やかでもなければ、スパイダーのように辛抱強くもない。
 そこが、とても愛くるしい。
 私はリカオンの首元を撫でた。
「俺はドギーじゃねえんだぜ」リカオンは言った。「誇り高き肉食獣よ」
 私はくすりと笑った。
「この女、疑ってやがるな? 俺は時速七十キロで二時間獲物を追い回す事だってできるんだぜ」
「それはそれは恐ろしいことですな」ガゼルは言った。
 カメレオンが、私に近寄ってきた。
「動かないで。そこにハエがいるんだよ」
 私は体を強張らせた。
「ち、近寄るんじゃねえや」リカオンが言う。「俺は、ひんやりしてるものと、ごつごつしたものと、ねばねばしたものが大っ嫌いなんだ」
「女の子に失礼でしょ」
 私はリカオンを小突いた。
「ああ!」カメレオンが悲鳴を上げた。「動かないでって言ったのに」
 ハエが逃げてしまったのだろう。「ごめんね」
「いいや、あたしも少し見境を失ってたよ。あのハエの顔は覚えたから、次は大丈夫だよ」
「ハンティングには、アグレッシブさが重要だからな」リカオンが言った。
「逃げる側としては、馬鹿の一つ覚えみたいに追い掛け回されるほうが、逃げやすくて助かります。ただの体力勝負ですからね」
 対して、スパイダーはひたすらに待ち続ける。
「いつか、俺はおめえを食うぜ」

89 :No.22 ティーンエイジ・ギア 5/5 ◇QIrxf/4SJM:07/10/21 23:19:48 ID:FPtq2/hz
「待っていますとも。知的に、優雅に草を食べながらね」
「けっ」リカオンは舌打ちをした。
 みんな、それぞれに選んだ方法で暮らしている。
 私は今、選んでこのベッドの上に寝転んでいる。
「寒いぜ。温度を上げてくれよ」
「うん」
 私は、オイルヒーターのつまみを回して、出力を最大にした。
 唸るような低い音がした。
「この遅効性がたまらねえぜ」とリカオンは言った。
「あたしも、じわじわと室温が上がることによって、徐々にテンションがあがるんだよ」
 カメレオンは、自慢の舌でハエを捕らえた。
「さすが、変温動物」私は言った。
 ぷつんと部屋の電気が消えた。
「あれ?」
 テレビの待機中のランプも消えている。
「ブレーカーが落ちたみたい」
「オイルヒーターの弱点が露呈しましたね」ガゼルの声だ。
 真っ暗になった部屋の中、ぱちんと弾ける音が響いた。
 私の中の、始動スイッチだ。
「ねえ、星を見ようよ」
「なんでそうなる!」リカオンが言った。「ブレーカーを上げようぜ」
「わたくしは賛成です。星空も素敵じゃありませんか」
「少し体を冷やしたほうが、ぐっすり眠れるんだよ」
「スパイダーは?」
「既にガゼルの角の上さ」
「けっ」リカオンは舌打ちした。「毛布も持っていくからな」
 私は声を出して笑った。
 ブレーカーは、お父さんが帰ってきて、勝手に上げてくれるだろう。
「I・C・A・N」ピロウズは歌う。
 私たちは窓から抜け出して、屋根に上った。



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