【 ある夜、感情論 】
◆Op1e.m5muw




81 :No.21 ある夜、感情論 1/4 ◇Op1e.m5muw:07/10/21 23:14:10 ID:FPtq2/hz
 人間というのは傲慢で、自分がそこにある可能性を認めているもの以外、たとえ存在していたとしても認識しようとしない。
 それでいて世界を識ったような気になって、果ては地球に君臨する支配者として自分達を動物一般から離れた地位に置こうとす
る辺り、井戸に育った蛙たちを笑う資格は全くない。
 そういった無邪気さはある意味羨ましくもある。しかし、それは人間が「将来はウルトラマンになりたい」と言う子供に抱く感
情と同じようなものであって、決して自分より優れた者に対する感情ではない。その点自分達を最も優越した存在と自負しながら
周りから見下されているというのは哀れですらある。
「そうは思わないかい、ジョン。」
 庭の芝生に並んで月を眺める彼に、私は問いかけた。
「そうは言うがね、たまさん。実際彼らには認識しようがないものも多いにも関わらず、彼らの考えの中には割と真実に近いもの
もある。カバラは物質世界の相対化をしているし、仏教だって死後の世界の階層化をしているよ。しかも輪廻転生まで唱えている
んだから、ブッダという人間はものを見る目がある。なんたって彼は、我々と違って実際に視覚で捉えることができないまま別世
界を考えたんだからね」
「今じゃあそんなのはオカルトだとか非科学として駆逐されてしまっているじゃないか」
「近代的な自然科学の認識論ではそうならざるを得ないんだよ。自分達の力でより発展するには、とりあえず自分達が操作できる
事象のみに目を向ける必要があるからね。それに、人間には感覚として認識できないのだから、しょうがない」
 柔らかな月明かりが芝生の露を照らし、実際の気温よりもあたたかさを感じる穏やかな夜。ジョンのゆったりとした低めの声
は、世界に溶け込んでいく。
 優しく包み込むようなそれはとても心地いいのだが、それが今は私を苛立たせる。
「あんたたちの種族は、いつも人間に忠実だ。人間は過ちに満ちているというのに。あんたがこの世界で慕ってきた人間は、今の
あんたの存在すら認めてくれないんだよ? 万に一つの奇跡的な偶然でやつらにあんたの姿が見えたところで、幽霊よばわりされるのがオチさ」
「彼ら人間だって、悪意があってそうしている訳ではないだろう。我々と違って、現に自分のいる世界以外認識できないんだから」
 確かにその通りだとは思う。
 でも、それを理屈でわかっていた所で気持ちのほうは収まりがつかない。
 圧倒的な道具の力を用いて、全ての動物をねじ伏せてきた人間。自分達の生命を確保した上で、生活を豊かにするために更に動
物を駆逐した。毛皮だとか象牙だとか、本当は大して必要でもないくせに見栄や自己満足のために動物を狩り続けたあげく絶滅の
淵に追い込み、そして私たち愛玩用の動物は彼ら好みの容姿になるように「品種改良」を重ねられ、彼らの手間にならないためだ
けに生殖機能を奪われる。

82 :No.21 ある夜、感情論 2/4 ◇Op1e.m5muw:07/10/21 23:14:39 ID:FPtq2/hz
 別にそれを非難するわけではない。力の強いものが思うままに支配する、なんと自然な姿か。
 私が不快感を覚えるのは、それをさも当然のように正統化する人間の自己中心的な論理だ。選民思想のようなものである。
 自分達の脳の構造すら把握できていないというのに、単純に大きさを比較して自らは動物のうち一番知能が発達していると言い
切るのだからたまらない。理性、知性というのなら世界の本当の姿に目を向けるべきであるのに、科学は技術の手段に成り下がっ
ていて「有用」な分野ばかりに人材や資金を投入する。
 その結果、自分たちより劣っているはずの我々動物に呆れ、蔑まれているとも知らずに。
「たまさん、たまさんの言うとおり人間という種族はひどく偏っていて醜いところもある。しかし、それは種族としての罪だ。こ
こ江原家の家族に罪があるわけではない。社会の中でしか生きられない彼らは、社会として罪を犯すのをどうすることもできない
のだから」

 ジョンはここ江原家の元飼い犬で、現飼い猫である私の先輩だ。なぜ「元」が付くかといえば、彼は既に死んでいるから。人間
風に言えば、幽霊ということになる。
 と言っても化けて出ているという訳ではない。実際には、物質世界から離れた世界のうちのひとつにいる。人間には認識できな
い死後の世界も、私たち動物には認識できるものもあるし、更にはこうやって会話することだってできるものもある。できないも
のもあるのだが、それでも存在することは知っている。なぜならば、我々はみなそれらを通ってきたからだ。
 物質世界を核として、複数の世界は幾重にも重なっている。
 一枚の写真をイメージしてほしい。そこには生物と、それから無生物が写っている。それに一枚の透明なフィルムを乗せる。そ
して、透けて見える無生物だけを上から綺麗になぞり、あとは好きなように生物の絵を書く。さらにその上にもう一枚フィルムを
被せ、さっきと同じようにする。この行程を何回か繰り返すと、写真とフィルムが重なったそれはごちゃごちゃとした混沌になっ
ているだろう。しかしフィルムと写真をばらばらに置けば、それぞれが秩序だったひとつの画像となる。
 その写真が物質世界で、透明なフィルム達が重なり合った他の世界だと思ってくれればイメージは容易いだろう。
 人間の場合は自分がいる写真ないしフィルムしか認識できないが、我々動物は直接重なり合った物ぐらいなら見ることはできる
し言葉を交わすこともできる。現に私とジョンとがそうしているように。
 ここでナンセンスな人間ならば、視覚も聴覚も直接の物理的刺激がなければ成し得ないというだろうが、それでは幻覚は? 夢
は?
 人間同士ですら異なるのに、人間と他の動物の認識してる世界が同じだという保証はどこにもない。とにかく、現に私たち動物
は認識しているのだ。

83 :No.21 ある夜、感情論 3/4 ◇Op1e.m5muw:07/10/21 23:15:03 ID:FPtq2/hz
 そして人間のいう死というのは、ある写真ないしフィルムから別のものへの移動である。写真で死んだらひとつ上のフィルムへ
移り、またそこでも死んだら次へ移る。そういう風にどんどん移っていって、最終的には一番上のフィルムで死んだあと、また物
質世界で生を受ける。言うなれば輪廻転生であり、その点においてジョンはブッダを高く評価したのだろう。もっともこの考えは
ブッダ以前からあったという話もあるが、まぁそれはどうでもいい。
 この移動の際、私たちは当事者としての経験こそ失うものの、そこで得た客観的な知識はそのまま次の世界に持ち越していく。
私もどうやら層を一巡してここ現実世界に戻ってきたようで、その知識のおかげで世界のありようを知っている。それに対して人
間は、移動に際し不幸なことに客観的な知識すらリセットされてしまうようだ。

「たまさん、あなたは何をそうイラついているのだ? あなたはいつも、あなた達の種族らしい気高さと自尊心でもって、人々を
突き放したところから冷静に見ていたではないか」
 言われてみれば、私は今まで人間がどんな生き物だろうとそれに喜んだり憤ったりはしなかった。
 それではなぜ今苛立っているのか、その訳を私は考えるまでもわかっていた。
 それに考えを馳せようとした瞬間。タイミングが良いのか悪いのか、その理由が私に襲い掛かる気配に背筋がぞわりとして、慌
てて立ち上がる。
「いい月だったよ、それじゃあ」
「たまさん? どうしたんだい、急に」
「そろそろ寝るよ」
 それだけ言い捨て、私はジョンに違和感を与えない最大限のスピードでその場から離れる。
 十数秒の後に先ほど居た場所から家を挟んで反対側にたどり着き、その場にへたり込んだ。
 胃から熱いものがこみ上げてきて、咳き込みながら下を向く。
 出てきたものは、まっかだった。
 今月に入って何度目だろう――こみ上げた物は出尽くしたのだろう、胸元が落ち着いてきたので私はごろんと横たわる。
 今年に入ってから身体の調子は落ちる一方で、今年いっぱい持つのかどうか怪しいとは思っていたが、果たしてその予感通り。
残すところあと二ヵ月ほどという所で終わりをすぐ傍に感じるようになった。
 明確に自分の死を意識するようになると、周りの様々なものをその観点から見てしまう。

84 :No.21 ある夜、感情論 4/4 ◇Op1e.m5muw:07/10/21 23:15:25 ID:FPtq2/hz
 私がここ江原家に来る以前のペットで――正確に言うと、彼が死んだ寂しさを紛らわすために私が新しいペットとして飼育され
る事になった――私がここに来た最初の頃から色々と世話を焼いてくれたジョン。
 彼の名前が最後に江原家の会話に出てきたのは何年前のことか――――
 純粋に彼のことを思ってか、それともそれに自分の姿を重ねたのか。
 以前から一般論の知識としては理解していたというのに、何故だか急に江原家の人間が憎らしく思えるようになったのだ。

 あぁ、どうもよくない。
 もう今夜は寝てしまおう。
 そうして明日には、どこか独りになれる場所を探しておこう。
 せっかくの新たな世界への門出なのだから、今夜みたいに余計なことを考えずに済むような、景色のいいところがいいな。
 ジョンは家族に看取られたと言っていたが、やはり私にはそれは好くない。
 猫はみんな、こんな事を考えて独りで死ぬのかな。
 次の世界では死んだ者同士、そこらへんの話に花を咲かせるのも悪くないかもしれない。
 ――とにかく、今夜はこれでオヤスミだ。



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