【 わんこを飼いたい 】
◆p0g6M/mPCo




76 :No.20 わんこを飼いたい 1/5 ◇p0g6M/mPCo:07/10/21 23:10:28 ID:FPtq2/hz
 雨がしとしとと降っていたある日のこと。
 下校のときにいつも通る、人気のない閑散とした公園。メッキが所々剥がれているやや古いすべり台
が見える。しかしいつもと違う所は、その下には小さなダンボールがぽつんと存在していることだった。
 中身を覗きこむと、毛布と一枚の手紙、そして一匹の子犬が中に入っていた。
 子犬は、その無垢な瞳で由希を見詰める。
 ――かわいい。
 子供なら、いや犬嫌いでなければ誰しもがそう思うだろう。そして子供の思考判断はその後、飼いた
いという至極単純な結論に到ることが多い。
 それが普通だ。だが世の大人達はそんな甘い考えを簡単には許さない。
 大抵は飼うことを許さない――あるいは、子に何かの枷をつけることもある。例えば、飼育や躾などは
子供に任せるという約束。しかしこの約束は一ヶ月と経てば破棄される可能性は高いのだ。最終的に
は連帯責任で育てていくというはめになる。
 親達にとってやっかいなのは、犬猫をペットにすれば長い年月をかけて育てていくという事実である。
ペットというのは、飼おうとする意思を持った者達にとっては気分の良いもので、飼いたいと思わない者
達にとっては面倒なものだ。
 勿論、かわいそうだとは思うのだろう。しかし親にとって飼育を許可することは、子の甘えを助長させる
ことでもあった。
 大人は感情だけで右往左往することはあまり無い。何故なら、彼らには行動するのに何かしらの理由
がいるからであり、物事に道理が通ってなければそれを認めたくない人達だからである。
 降りしきる雨の中、由希は意を決する。
 自分は無責任な人間じゃない。誠心誠意をもってお願いすれば、両親も飼うことを許してくれるだろう
と。
 だってこのままじゃ――この子がかわいそうだ。
 由希は持っている傘を子犬にかざすと、その場を後にした。

「ダメ、絶対にダメ」
 反論の余地も与えぬほど、お母さんはダメの一点張りを繰り返した。
「おねがい、本当にこれが一生のお願いだから!」
 由希は両手を合わせ、頭を下げて思いっきり懇願した。

77 :No.20 わんこを飼いたい 2/5 ◇p0g6M/mPCo:07/10/21 23:10:57 ID:FPtq2/hz
 小学生の代表的な口説き文句、一生のお願い。子供達の間ならともかく、これで親を説得させた子は
世の中に何人いるのだろうか。勿論お母さんは聞く耳など持たず、そのまま食器を片付るためキッチン
へと向かっていった。
 由希は深くため息を吐いた。
「お母さん、動物嫌いなのかなぁ……」
 いやテレビなどの動物番組を観てたときは、よく「可愛い」とか口ずさんでいたはずだ。
 だったら動物自体が嫌いなんじゃなく、飼うことが嫌なのだろう。
 それでも由希はあきらめなかった。夕食後、由希はリビングで寛いでいるお母さんの前に、例の子犬
とともに入っていた手紙を差し出した。
「これ、子犬と一緒に入ってたんだ。いくら何でもあそこに捨てられたままじゃかわいそうだよ」
 お母さんは「またか」とでも言いたそうに苦虫を噛み潰したかのような形相をしてたが、手紙を見ると
少しだけ悲しそうな顔をし、こう呟いた。
「何が『天国からの贈りものです』だ。動物の命は……もっと大切に扱いなさいよ」
「子犬、明日家に持ってきて……いいかな?」
 それでもお母さんは頑なに拒否をする。
「どうして! 放っておいたらあの子、そのまま拾われなかったら保健所に連れて行かれて、死んじゃう
かもしれないんだよっ」
「だったら由希の友達に話して、誰か貰い受けてくれる子を探したらいいじゃない。それでも駄目だった
ら、お母さんが近所の人に相談してみるから」
 確かに――それは正論だ。そして由希が抱いていた懸念でもあった。
「でもね……ううん、やっぱ何でもない」
 言えなかった、というより言葉が見つからなかった。
 この時、由希は自覚していた。本当は子犬のためではなく、自分が飼いたいという自己満足のためで
あったと。
 心が揺らぐ。お母さんに手間をかけさせず、時間に余裕があるかぎり自分が世話をすると心に決めて
いるのだが、嘘偽りなくこなせるのかと言うと不安になる。
 言うだけなら誰にでも出来る。問題はその後、言った通りきちんと育てられるのか。
 由希は煩悶した後、子犬のことを気にかけていた。

78 :No.20 わんこを飼いたい 3/5 ◇p0g6M/mPCo:07/10/21 23:11:22 ID:FPtq2/hz
 次の日の朝。天候は昨日と同じ雨だった。由希は軽く朝食を済ませ、早めに登校する。
 公園に立ち寄ると、すべり台の下には例のダンボールが点在していた。昨日置いた傘は無くっている
ので、多分どこかに吹き飛ばされたのだろう。中を覗くと風が吹いていなかったおかげか、幸いにも
子犬自身は濡れていなかった。
 子犬はダンボールから顔を出すと、無邪気に尻尾を勢いよく左右に振らせた。
 ――やっぱり、かわいい。
 眼前の小さな白いものを見ると、それが心底愛しくなってしまう。
 由希は子犬を抱え上げ、それをきゅっと抱きしめた。
「よしよし……おなか空いたでしょ? 今、ごはんあげるからね」
 ミルクの入った哺乳瓶をハンドバックから取り出し、それを子犬の小さな口へゆっくりと差し込む。
 口をパクパクと動かせ元気よくミルクを飲む姿に、由希の顔には自然と笑みが浮かび上がる。
 同時にもう一度心を決めた。
「やっぱりお母さんを説得しよう」
 どうしてもこの無垢な生き物を自らの手で育てたい。その気持ちが一心に強まった。もう迷いはない。
 子犬をそっとダンボールの中に戻すと、気持ちを切り替えて一目散、学校へと向かっていく。
 頭上は未だに曇天ではあるが、由希の心の中は既に青々と晴れ上がっていた。
 ――お母さん、話聞いてくれるかな。

「お母さん!」
 雨にさらされびしょ濡れになった由希が、家の玄関先で佇んでいた。
 その喚声にお母さんが慌てて駆けつける。娘の傍らに――白い子犬が抱えられて。
「このままぐったりとして全然起き上がらないの! はやくしないと、この子死んじゃうよ……!」
 由希は憔悴しきっており――雨に濡れて涙は判別できなかったが――泣いている。
 焦っている娘をよそに、お母さんは冷静に対応した。
「その子をこっちに渡しなさい」
 ゆっくりと取り上げて様態を見ると、お母さんは自身の耳を子犬の首辺りにあてがう。
「咳をしているわね……肺炎の可能性もあるから、今から動物病院に連れて行くわ」
 子犬をタオルで拭いた後、ダンボールに毛布を敷き詰め、中にそっと入れる。
 由希は、ふいに自分が泣き止んでいることに気付く。
「子犬、助かるかな……?」

79 :No.20 わんこを飼いたい 4/5 ◇p0g6M/mPCo:07/10/21 23:12:06 ID:FPtq2/hz
「うん、大丈夫よ。だから由希はちゃんと体を拭いて、家でお留守番してなさい」
 その言葉を信じて素直にうなずいた。やはり大人、お母さんは凄い人だ。普段は垣間見ることが出来
ず評価を甘く見ていたが、こんな状況だろうと事をうまく運んでいる。
 自分なんかより、お母さんのほうがずっと子犬のことを理解しているのだ。
 由希はぼうっと立ったまま見送ると、どこからか、得もしれない安心感に包まれた。
「……がんばってね」
 自分で言っておきながら、誰に何に対して『頑張って』なのかは判らない。
 だけど、とりあえず心の中でそう祈っておいた。

 あれから数時間。由希は、コーヒーカップから立ち昇る湯気を無心で見詰めている。
 子犬の安否が心配――という訳ではなく、実はただ眠たいだけであったからだ。
 理性は本能に勝てなかった、という事だろうか。そして玄関からドアノブの閉まる音が聞こえてきた。
「あら、大人しいわね。意外っちゃあ意外だけど」
「うん。絶対助かるって信じていたから。あの子は?」
 そう訊ねるとお母さんは微笑んで、ダンボールをゆっくりと開けた。
 中ですやすやと子犬が眠っている。それを見て由希は――。
「やっぱり雨に濡れたせいで発熱してたらしいわ。解熱剤を打ってもらったから後は安静して……ん?」
 どうしてか、由希の頬には自然と涙が頬を伝っていた。助かると信じていたのに、確信していたのに
泣いている。もしかしてこれはうれし泣きというものだろうか。だとしたら今まで体験したことがなかった
から、不思議で、妙な感覚だった。
 お母さんは何も言わず微笑むと由希と子犬の頭を撫でる。そしてそのまま夕食の支度をためにキッチ
ンへと向かっていった。
 
 次の日の朝。由希は開口一番、
「飼ってもいいよね?」
 と訊いた。
「ダメだっていったでしょ。それよりお友達には引き取ってもらえるか聞いたの?」
 そう言って、お母さんは以前のようにそっぽを向いたまま答える。意外だった。昨日の様子からは子供
の自分から見ても、もう我が家の住人として認めているのかと思ったのに。
「じょ、冗談だよね? だってお母さん、あれ程懸命に助けようとしたでしょう」

80 :No.20 わんこを飼いたい 5/5 ◇p0g6M/mPCo:07/10/21 23:12:45 ID:FPtq2/hz
「当たり前のことをしただけよ。元気になったら、この家からもバイバイしてもらうわ」
 そんな――。
 どうしようかと、由希が四苦八苦悩んでいる時だった。子犬が昨日のように元気良く尻尾を振り回して
こちらへと向かってきた。
「あ、おいでおいで」
 由希は舌先を打って招きよせるが、子犬はそれを無視して通り過ぎ、目標へと向かっていく。
 そしてその小さな手でお母さんの足元をかりかりと掻いた。
「……どうやらお母さんが好きらしいね、その子」
 好かれた当の本人は、急に困惑の表情を浮かべる。
「う……」
 お母さんは眼下の無垢な物体を見詰めた。子犬は目をきらきらと輝かせ、瞳と瞳の焦点を合わせる。
 ――嵌まったね。
 この得もいえぬ感動は言葉では表せまい。多分心中では由希と同じ、その胸にきゅーっと抱きしめた
いはずである。後は――押すだけだ!
「ここまで面倒見て、今さら手放すことなんて出来ないでしょ? ね、だから……一生のお願い!」
 そう言って由希は掌をすりすりと合わせた。お母さんは観念したというか、呆れ顔を見せている。
「仕方ないわね……飼えない場所に住んでいるってわけでもないし、まあいいか」
 その台詞を聞いて、由希の懸念というかカタルシスというか、そういうのが一気に解き放たれた。 
「やったぁ! 本当にいいんだよね?」
「やったぁじゃないよ。約束通り、あんたがちゃんと面倒をみなさいよ」
 契りは硬く交わしたのだ、放棄することなど出来まい。
 嬉しさの余り子犬を抱きしめ、白毛を頬に寄せる。相変わらず気持ちのいい感触だ。
「お前も今日からは家族の一員だよ。厳しくしつけてやるんだから、覚悟しなさいよ」
 そこでお母さんが手拍子を打ち、間に割り込んできた。
「お楽しみはここまで。さあ、早く学校へ行く支度をしなさい」
 
 家に出ると天は未だに曇っていた。でも、今の由希の気分は凄くいい感じだ。
 そうだ――帰ったら、あの子の名前を付けないと。

<了>



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