【 まあ、別にいいか 】
◆h97CRfGlsw




71 :No.19 まあ、別にいいか 1/5 ◇h97CRfGlsw:07/10/21 23:06:22 ID:FPtq2/hz
 私がボロアパートの管理人なんていう、前時代的かつ退廃的な仕事を親から引き継いで、とうとう二年が経過しようとしていた。正確には、早隠居したがっていた親の仕事を押し付けられたのだが。
 総勢十人まで収容できる、我がアパート「クリスタル山田」。2LDKのこじんまりとした部屋が、ほとんどないに等しい厚さの壁に仕切られて、敷地範囲ギリギリの大きさのアパートに敷き詰められている。要すればまあ、へっぽこのボロアパートなのである。
 山田とはまあ、私ら親子の苗字なわけだ。でもクリスタルってなんだろうね。どうせその場のノリで適当に両親が決めたのだろうが、正直どうかと思わざるを得ない。せめて「オリハルコン山田」とかにして欲しかった。
 そんなことを日がな一日中考えて、いるわけでもないが、今日も今日とて私は自室兼管理人室に引きこもり、机に突っ伏してだらだらしながら、女一人で暇を持て余しているのだった。ああ暇だ、ああ暇だなあ、暇ままま。
 ぐでー、っとダイニングテーブルを抱き込んだまま、こちこちと時を刻む時計に耳を傾ける。ふと見上げれば、短針は既に十二超過していた。
 昼ご飯の時間である。私は溜め息混じりに椅子から立ち上がり、やっぱ別にそんなお腹すいてないしいいかあと考え直して座りなおすのだった。
 客観的に見れば、私は完全に堕落した、わかりやすい言葉でいうところのNEET同然のダメ人間だった。とは言ったものの、私としては暇を持て余してはいるこの生活を、結構気に入っているのだった。外に出て労働をするのは、私にとって耐えがたい苦痛だ。
 こんな郊外にある場末のボロアパートで、一人女の花盛りを浪費する私の最終学歴は高校中退。理由は、自宅から学校が物凄く遠かったからだ。
 毎朝一時間もかけて電車に揺られる生活に嫌気がさし、悶々としていたところ、朝玄関を一歩出たところで犬の糞を踏みつけてしまったというきっかけを元に学校をやめた。きっかけなんてそんなもんである。そんなモンなのだ。
 ぐでんとした体から力を更に力を抜き、そのままずるずると椅子から滑り落ちて私は机の下に仰向けに寝転んだ。うっすら埃の堆積する床を最後に掃除したのは、果たしていつのことだっただろうか。
 そしていつも通り、まあ、別にいいかと思考を放棄するので、更に層は厚くなるのであった。千円均一で買ったジャージが雑巾代わりにきれいにしてくれることだろう。
 思うに、私はおそらく、というか確実に社会生活というものに根本的に向いていないのだ。いや、そもそも人間に向いていないと思う。その仮説は、私の学歴や現状を鑑みれば一目瞭然自明の理。全力で人間失格である。
 ぐったらぐったら寝転んで、お腹がすけば食事をとり、暇なら適当にテレビゲームや昼寝なんかをしたりして、暇を持て余し日々をただ無為に浪費するのが、私は好きなのだ。というか、そういう生き方しか出来ないし、わからないのだ。
 おそらく両親は早々に私の気質を見抜き、アパートの管理人という人間の姿かたちをしてさえいれば最低限何とかできる仕事を譲ってくれたのだろう。真面目な管理人さんには申し訳なく思わないでもないが、時々の事務処理さえしていれば、私でも案外何とかなるものだ。
 この仕事をあてがわれて、なんだか馬鹿にされているような感じでいい気がしないが、高校を辞めてから五年ほど寄生虫をやっていた身としては、ぐうの音もでないのが現状だ。
 くふあ、と誰もいないのをいいことに大欠伸をかます。ぼりぼりとジャージの上からお尻をかき、思い切り背中を逸らして伸びをする。ぐぅ、とお腹が空腹を訴えていたが、めんどくさいが私を床に押し付けていた。どうせおなかは減るのだから、一食抜いたってかまわんのだ。
「志保ちゃん、ただいま。ちゃんとお昼ご飯食べた?」
「……うあー」
 狭苦しい自室の、ダイニングテーブルをはさんだキッチンのちょうど対面に、来客用の小窓が設置されている。アパートのちょうど玄関辺りに面しているその窓から、時々こうして声をかけられる。住人に私は声をかけないので、向こうから挨拶をしてくる人もいる。
「パート先でお惣菜の廃棄を貰ってきたんだけど、志保ちゃん食べる?」
「あー……アジフライある? アジフライ食べたい。あとマヨネーズ」
「そう言うと思って、ちゃんと貰ってきてあるよ」
 顔を上げるのが面倒だったので声で誰かを判断するに、一階の端に住む田中のおばさんである。パートに出ているので、時々こうして惣菜を恵んでくれる。別に飢えているわけでもないのだが、どうも食事無精だと思われているようだ。その通りである。

72 :No.19 まあ、別にいいか 2/5 ◇h97CRfGlsw:07/10/21 23:07:01 ID:FPtq2/hz
 おばさんはビニール袋をがさがさとまさぐり、私の目当てのものを取り出すと小窓の上に置いてくれた。ちゃんと食べなきゃダメよ、と言い残しておばさんは去っていった。ごろりと寝返りを打ち、椅子の足に頭をぶつけたりしながら、小窓の上に視界をあわせる。
 小窓が遠い。今の私の気力では、到底届かない場所にあるのである。だらりと腕を伸ばして「わ、私はもうダメだ……」とぼそりと呟いて悦に入ったりしていると、大学生の佐藤君がちょうど小窓に現われて、思い切り目があってしまった。
「た、ただいまです、志保さん。あれです、僕、何も見てないので……」
 一礼して、そそくさと佐藤君も部屋に戻っていった。だらけているところを住人に見つかって苦笑されてしまうことは日常茶飯事だったが、これからはもう少し気をつけようとは別に思わず、私はふぅと脱力して再び床に根を張った。なんだか眠くなってきた。
 目を閉じるのもめんどくさいなー、と思いつつをうとうとしていると、かた、と小窓の辺りから小さな物音がした。また誰か帰ってきたのかと思い、顔を向けるのも面倒だったので無視することにした。小窓から差す陽光が気持ちいい。
「……ふごっ」
 間。鼻にかかった鼻笑い、というちょっと複雑な挨拶が、小窓を抜けて入ってきた。私はひょいと顔を上げ、溜め息を漏らす。重い体を持ち上げて小窓のところへ向う。そこにはでっぷりとした猫が鎮座していた。どうやら、私のアジフライを狙ってやってきたようだ。
「なんだお前は。貴様にやるものはない」
「……ごっ」
「これは私のなのだ」
「な゛ぁ」
 名前も知らないこの猫は、なんとも可愛げのない猫であった。ずんぐりした体を小窓の枠に載せるその姿は、まさに要塞のような重厚感に溢れていた。厚い脂肪で、愛らしい肉球が付属している両前脚が隠れてしまっている。
 おそらく飼い猫で、黙っていても餌が出てくる環境で育ったのだろう。猫特有の猫なで声すら放棄した、ただ食欲だけを追求したダメ猫である。
 この姿を見て、こいつのようにはなるまいと私は目を細めた。実際のところ私もさして変わりないような気もするが、まあそれはそれだ。こちらに向けられた猫の目が、すっと細まった。なんだその目は。
 アジフライの載った発泡スチロールのパックをさっと掠め取る。週一の楽しみを取られてたまるものか。パックの脇には、しっかりとマヨネーズが盛られていた。これがまた美味いのである。
 私がアジフライを取り上げると、デブ猫は、あ゛という人間のような鳴き声を出し、私を追いかけて窓枠から私の部屋に飛び降り、着地に失敗して前のめりにこけた。
 ふっ、と嘲笑してやると、猫は恨めしそうに顔を歪めていた。ざまあみろなんて思っていると、出しっぱなしにしていたPS3に足を取られて私もずでんとこけた。ごっ、と嘲笑が飛ぶ。くそう……。
 散乱したアジフライの一枚をくわえて、デブ猫は部屋の隅へとのたのた退散していった。そして先程まで私が寝転んでいた陽光の差す場所へ行くと、ふー、と息をついてアジフライの衣を器用にはぎ始めた。人間臭い奴だ。中に誰か入ってるんじゃなかろうか。
「すいませーん」
 転がったままぼんやり猫を眺めていると、小窓から女の声が響いた。知らない声だ。アパート住人でないアンノウンというのは、えてして面倒を運んでくる存在なので、死んだふりでやり過ごそうとしたところで小窓の向こうの女と目が会ってしまった。不覚。
「あ、管理人さんですか? あの、ここに大きな猫、きませんでした? えっと……こう、まんまるの体をしてる、あ、ちょうどそのお魚食べてる猫さんみたいな感じの……っていうこその子です。こら、何勝手に人様のうちに上がりこんでるの!」
 いきなり現われた女に一人ででべらべら喋り散らされて、私はぐったりとしてしまった。人の話を聞くのは苦手だ。デブ猫はデブ猫で何処吹く風のマイペースを保ち、飼い主を敢然と無視してはぐはぐと衣なしアジフライに舌鼓を打っていた。
「すいません、すいません」
 ぺこぺこと謝りつつ、何を思ったか女は小窓から身を乗り出して部屋に入ってこようとしていた。この飼い主にしてこの猫かと私は思ったが、止めるのも面倒なので床に寝そべったまま寛大にも侵入を許した。結構狭いはずの窓から、どで、と女が入ってくる。
「こらミーちゃん、人のものを勝手に食べたらダメっていつも口をすっぱくして言ってるでしょ! 人のお家にまで上がりこんで! なんでわかんないの、もう!」
 わかる猫がいたら連れてきて欲しい。それでも、どうやら怒られているということはわかるのか、ミーちゃんというデブ猫はふてぶてしくぷいと飼い主から顔を背けていた。なんとも憎たらしい顔つきである。やれやれなんて言い出しそうである。

73 :No.19 まあ、別にいいか 3/5 ◇h97CRfGlsw:07/10/21 23:07:33 ID:FPtq2/hz
「……おい」
「ん? あ、ああ、すいません、結局私も勝手に上がりこんじゃってますね。こらミーちゃん、あなたのせいよ」
「それはべつにいい。それより、なにしにきた。猫探しにきたの」
「あ、それもあるんですが、えっと……。私、最近このあたりに越してくる予定で、部屋を探そうと思ってちょっと町を回ってたんです。そうしたら、ミーちゃんがふいといなくなっちゃって。ここ……アパートですよね?」
「違う」
「嘘はダメですよー。外に「アパート・クリスタル山田」って書いてありましたもの。でも、なんでクリスタルなんですか? 私としては、オリハルコンとか、もっと格好いい名前のほうがいいと思いました。ヒヒイロカネです。素敵です」
「……入居を希望してるのか?」
 前述した私の希望にぴたりと一致した発言をしたので、私はちょっと気分がよくなった。適当言って帰ってもらうつもりだったが、部屋も余っていることだし、面倒だが話をしてやらんこともない。食後のデブ猫を引っ張り寄せ、ぶよぶよのお腹を枕にしながらそう思った。
 寝転んだまま、女をじいっと見つめる。年齢はおそらく私とそう変わらないであろう、二十歳前後といったところだ。
 栗色の長い髪を腰の辺りまで伸ばし、その軽い色合いに似合う可愛らしい顔の造詣をしている。品定めされているようで落ち着かないのか、目が泳ぎ、顔が赤らんでいる。まあ、あまり悪い奴でもなさそうだ。着飾っているし、金払いもいいだろう。
「ここって、すっごく家賃が安いですよね。できればここに住みたいなあ、と思ってたんです。でも、なんであんなに安いんですか? 月に一万円なんて、格安じゃないですか! 学生の味方ですね!」
「……別に金はいらん。滞納される方が面倒だ」
「そ、そうなんですか」
 うむ、と相槌を打つ。だんだん会話が面倒になってきた。それよりも、下敷きにしている猫の気持ちよさに意識を奪われていた。ぐにぐにと頭を擦りつけると、鬱陶しそうにふーと溜め息をつかれる。枕にはない、猫特有の高い体温を感じる。凄く気持ちいい。
 ……眠い。あまりの心地よさに、すうっ、と意識が遠のいていく。女がぺらぺらと何か喋っているが、睡魔には勝てようもない。だんだんまぶたを持ち上げるのが億劫になっていき、もう寝てしまえと目を瞑る。この枕なら、ぐっすりと出来そうだ。
「あ、あの、管理人さん? 聞いてます? すいません、寝ちゃダメですよ。おーい!」
「……ん」
 陽光が暖かい。秋口の肌寒い空気の中で暖められ、私はとうとう転寝以外の選択肢を奪われてしまった。前世は植物か何かだったのかもしれないと、そんなありきたりな思考にも及ばないまま、私はそのまま意識を失った――
 ――ごす。鈍い音がして、私はぱっと目を開けた。どうやら私の頭から発された音らしく、というかミーがのたのたと私から離れていくところをみるに頭が床に落ちたらしい。デブ猫め。せっかく快適な昼寝が出来そうだったのにと、私は嘆息した。
「起きました? ていうか、お話してるのにいきなり眠りだす人、私はじめて見ました。ミーちゃんもご飯の途中にいきなり寝ちゃったりしますけど、管理人さんは人間なんですから、ダメですよ。それに私に失礼です」
「……ん?」
「ぜ、全然話聞いてませんね。まあ、ミーちゃんで慣れてるからいいですけど……。それより、契約とかしたいんですけれど、管理人さん」
 机の上に散らかしてある契約書の一枚を手に取ると、女は私に見せびらかすように胸の前に突き出した。それでも私は動き出そうとしないので業を煮やしたのか、結局腕を掴まれ無理矢理立たされてしまった。急に頭から血が下がって、ふらふらと立ち眩む。
「……か、管理人さん、美人ですね……。寝てるときは髪に隠れてわかんなかったですけど、凄くきれい……。背も高いですし、出来るOL、って感じです!」
「眠い」
「う、うーん……。もうちょっとやる気出しません? 一応私、客なんですし……」
 ふわあ、と一応手で口を抑えながら欠伸をする。椅子に座り、そういえばお腹すいたななどと考えつつ、座れと対面の席を女に勧める。女はちょこんと座り込み、デブ猫を机の上に載せた。
 容姿を誉められてちょっと嬉しかったりもするのだが、最近は風呂にも入っていないので髪はぼさぼさだし、本心から言ったのかは怪しいものだ。元々風呂嫌いなのだ。まあ、別にどうでもいいが。

74 :No.19 まあ、別にいいか 4/5 ◇h97CRfGlsw:07/10/21 23:08:09 ID:FPtq2/hz
「契約書埋めろ」
「書けばいいんですか? なんか保証人とか、まだちゃんと決めてないんですけど……」
「とりあえず名前と現住所だけあればいい」
 釈然としない様子だったが、ペンをすらすらと走らせ始めた。面倒な手続きは後々両親の方に行かせてやってもらえばいい。自分に降りかかる面倒は全て他人に押し付ける。それが私のポリシーなのである。どうやら佐藤と言うらしい女が、書き込みを終えた。
「いつから入るの」
「えっと……明日からでも引越しの準備をはじめますので、なるべく早くしたいです。それで、あの……」 
「ん」
「ペットって……やっぱり、ダメですか?」
 デブ猫がぶふっ、と息をもらした。私は答えず、机の端にある詳細書を手渡した。佐藤はそれを受け取ると上から下へと目を這わせ、その途中で表情を曇らせた。まあ、狭苦しいアパートでペットを飼おうなどと思う方が間違いなのだ。
 佐藤が紙を片手に唸っている。今まではペットダメと言われたら、やっぱりいいですと突っぱねてきたのだろうが、安い家賃と愛猫が天秤の上で釣り合いかけているのだろう。この葛藤はしばらく続くなと判断した私は、ぱったりと机に突っ伏した。
「うー、どうしよ。えっと……んー、ん? なんか……臭いませんか? なんだろ、いい匂い……っぽい? でも、なんか、ん?」
「私だろう。風呂入ってないし」
「うええ? も、もしかして管理人さん……志保さん、結構だらけた人ですか? っていうか、だらけた人ですね。はじめて会ったときも寝てましたし」
「何を今更」
 佐藤が私の髪を弄って、うわーだのあちゃーだの言っている。別に何かしていたわけでもないのに、振り払う気力もない。伸ばし放題の私の髪は、クシを入れるのも躊躇う程にばさばさだ。一応接客業だが、まあ別にいいやと思考を放棄した末がこれだ。
「決めた。お風呂入りましょう! ね!」
 なにをどうしたらそう言う思考に至るんだ、と思ったが私もあまり人のことを言えない思考回路をしているか。佐藤はミーを小脇に抱えると、契約書を脇へ追いやって立ち上がった。やっぱり早々に帰ってもらえばよかったと、今更になって後悔した。
「勝手に決めるな」
「ダメです。せっかく美人さんなのに、これじゃあ宝の持ち腐れというか、致命傷です。女として死んじゃってます。デスってます。バイオハザード状態です。撃ち殺されたって文句言えません。これじゃあ無駄死にです」
「お風呂嫌だ」
「私がちゃんと洗ってあげますから、ね? ほら! 立って志保さん! 立つんだしーほー!」
 色々突っ込む部分が多すぎて、私は喋るのが面倒になってげんなりしてしまった。脱力しているところをむんずと腕を引っ張られ、椅子からずり落ちてずるずると死体のように運ばれる。佐藤の脇の中で苦しそうにしているミーと目が合った。逸らされた。
 佐藤はしばらく迷っていたが、とうとう風呂場へ入ってしまった。豪快にばっさばっさと服を脱ぎ散らし、逃げ出そうとする私とミーの足と尻尾を掴んで逃がさない。観念して寝転ぶ私のジャージを剥ぎ取り、よしと満足げに笑う。ミーが、ごふっと嘆息していた。
「いいですか、志保さん。私たちは女の子なんですから、きれいに着飾って花盛りを謳歌しなければダメです。これは法律で定められているんです。破ったらバチがあたります。わかりましたか志保さん。ミーもね」
「……お前メスだったのか」
「ん゛」
 ぶよぶよのお腹を突っついていると、下腹部のあたりに佐藤の両腕が滑り込んできて、私は抱えられるようにして浴場へと連れ込まれてしまった。ミーがこの隙にと逃げ出そうとしていたので、私と同じようにお腹を抱えて抱き上げてやった。な゛、と非難の声が飛ぶ。
 佐藤がシャワーの温度を確かめている。浴場の床にぺたりと座り込みながら、なんでこんなとこになっているのだろうかと考える。やっぱりアジフライをねだったのがそもそもの間違いなのだろうかと思い至ったところで、ばざっと頭からシャワーをかけられた。
「まあ任せてください。私、体を洗ってあげるの得意なんです。あーあー、志保さん貞子みたいになっちゃってますよ。ちゃんと洗わないから、もう。ほらミー、逃げないの」
 悲鳴をあげるデブ猫を眺めていると、私の視界は自身の髪で遮られてしまった。ここまできたら逃げようもないかと思い、だらんと壁に体を預る。佐藤が手をわきわきとさせながら近づいてくる。もうどうにでもしてくれと、私は投げやりに目を瞑った。

75 :No.19 まあ、別にいいか 5/5 ◇h97CRfGlsw:07/10/21 23:08:51 ID:FPtq2/hz
 ドライヤーのファンの音が部屋に響いている。風呂でひとしきり体をまさぐられ、タオルで水気を払い勝手に持ち出された服を着せられた私は今、椅子に座らされて後ろに取り付いた佐藤に髪を乾かしてもらっていた。
 地肌に触れるクシの感触がこそばゆい。うわー天使の輪ですよすごいですこれなにこれなどと、何故だか佐藤はご満悦だ。私の膝の上を、我が物で顔でミーが占領していた。ぶよぶよだ。
「久しぶりにいいものを見せていただきました。いやあ、やっぱり一緒にお風呂に入るっていいモンですねえへへへ。いやー、ホントにいいものでした。ありがとうございました」
「ん」
「……も、もうちょっとなにか、恥ずかしいとか気持ちよかったとかないんですか、志保さん……」
「ありがと。風呂に入る手間が省けた」
「それは、うーん……ふふ。なんだか志保さん、ミーちゃんに似てます。凄くマイペースで、猫みたいです」
 失礼な、という意で鼻を鳴らすタイミングが、膝の上で丸くなっているデブ猫と被ってしまった。お互い顔を見合わせ、凄んでいると佐藤がくすくすと笑い出した。憮然として顔を逸らすタイミングも同じだった。狙ってんのかこの猫は。
 そんなやり取りを見ていた佐藤が、不意にクシの手を止めた。
「決めました。私、志保さんをペットにします!」
 決めるな。まぁたこの女は無茶なことを言い出した。可愛らしくガッツポーズなんかをしているが、もう少し自分の言葉を反芻して自分が何を言っているのか考え直して欲しい。心底面倒な奴だ。
「……いや、あのだな」
「志保さん、なんだか私が面倒を見てあげないといけないような気がするんです。なにせ、一人じゃお風呂も入れないんですからね! 私がちゃんときれいにしてあげますし、ご飯も用意してあげますからね! これで安心です! ね?」
 反論するのも面倒なの、というかあんまり力強く否定することが出来ないので、とりあえず嘆息を返しておいた。なんで私がほとんど初対面の女のペットにならニャーならんのだと、突飛なことを言い出した佐藤を見上げる。
「ペットは禁止だと言っただろう」
「でも、猫はダメでも人間は大丈夫ですよね? 志保さんは人間でしょう?」
「……どうだろ」
「え、ええ? そ、そこは自信持ちましょうよ……。とにかく、これで問題ないじゃないですか! モーマンタイです! ノープロブレムです! ね?」
 佐藤が私を椅子ごと回転させて正面を向かせ、両肩にぽんと手を置いてきた。ね、と言われてもこちらとしては対応に困るというか、もう帰ってくれというか、どう反応したらいいのかわからず、眉をひそめた呆れ顔を佐藤に向けるしかない。佐藤がミーに手をかける。
「ほら、ミーちゃんもそうしようって言ってます。ね、ミーちゃん? うん、ミーちゃんも妹が出来て嬉しいって言ってますよ」
 デブ猫がぶんっ、と鼻を鳴らした。というか私が妹なのかよ、と思ったところでmどっと疲れが溢れてきて、私は背もたれにがくりと体を預けた。すると佐藤が私の膝の上に腰掛け、間にはさまれたミーがうめいた。んふふー、と嬉しそうな佐藤の顔が近い。
「私、明日からここに済むことに決めました。私と、志保さんと、ミーちゃんの三人で暮らすんです! ふふ、私がちゃんと世話をしてあげますからね。首輪とか、ちゃんとつけてあげますからね。楽しみにしてて下さい。ね?」
 そう言うと、佐藤は私の体を一度きゅっと抱きしめ、ミーをそのままに離れていった。うあー、と脱力したまま顔を向けると、手提げ鞄を肩にかけていた。どうやらこのまま一度帰宅する気満々らしい。一方的にまくし立てられ、ぽかんとしていると、
「では、また明日、荷物と一緒に来ますね。ばいばいです、志保ちゃん、ミーちゃん」
 佐藤は手をふりふりとしてから、来たときと同じように小窓から這い出ていった。ちゃん付けされたということは、私の立ち位置は既にこのデブ猫と同じ階層となってしまったのだろうか。飼い主がいなくなったというのに全く動じない猫と、無言の空間を共有する。
 ふぅ、と溜め息を漏らす。明日から、あの面倒な女が無理矢理私の生活空間に侵入してくるのだろうか。私はずるずると椅子から床に滑り落ち、赤らんできた陽光の差す場所まで移動する。さなぎのように動かなくなったミーを枕に、再び横になる。


 そして私は、まあ、別にいいか、と思考を放棄し、改めてゆっくり昼寝に勤しむのだった。
                                                               了



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