【 夢現 】
◆WGnaka/o0o




53 :NO.15 夢現 1/5 ◇WGnaka/o0o:07/10/21 19:19:04 ID:ZQYbBC5L
 今日も残業で遅くなった仕事帰りの夜道は静かだった。
 夏もそろそろ終わりだと言うのに、夜になっても暑さはまだ抜けないでいる。
 僅かに闇を照らす煙草の灯火が、一週間前に亡くなった飼い猫の弔い火のようだ。
 元々捨て猫だったが、まるで我が子のように可愛がっていた。
 しかし、別れというものは突然にやってくるもので、病に侵されていることに気付かなかった。
 それまで寝食を共にするのが当たり前だったのに、次の日にはもうそこには居ない。
 心にポッカリと穴が空いたようで、未だに信じられずにいる。本当は――いや、やめておこう。
 感傷染みた思いを断ち切ろうと急ぎ足になった瞬間、何かにつまづいてしまった。
 あまりに唐突な出来事に、その場で盛大にヘッドスライディングをかます。
 一体なんの仕業だと怒りさえ覚えながら立ち上がる。
 砂だらけになったスーツの汚れを払い、振り返って見たものは薄暗くて良く判らなかった。
 使い捨てライターの火を明かりに近寄ってみると、赤い液体のようなものが飛び込んでくる。
 そして次に見えたものに、ボクは一瞬だけ心臓が跳ね上がった。
 亡くなったはずなのに、また会えた……そう思ったのだから。


 震える小さな体を抱きかかえながら、自室のアパートへと急いで戻った。
 どうやら足を怪我しているらしく、今も絶えず血が流れ続けている。
 カーペットを敷いた床にそっとその体を下ろし、部屋の片隅の戸棚に急ぐ。
 救急箱から包帯と消毒液を取り出し、細い足の患部に処置を施す。
 消毒液を吹きかけると、今にも大声で鳴き出しそうなほどに顔を歪めた。
 固まった血をティッシュで拭い、もう一度消毒をして包帯を何重にもしてきつめに巻く。
 とりあえず止血はこれで出来るだろう。見た限り、衰弱の気もあるようだ。
 あとはしばらく安静にしていれば、いずれ気が付くはず。
 聞こえてきた安らかな寝息に安堵したのか、思わず大きな欠伸がこぼれた。
 近場の置き時計を見やると、もうすでに午前零時を廻っている。
 エアコンをドライに切り替え、睡魔の襲うままにスーツ姿でベッドへと身を預けた。
 明日も残業だろうか。そんなことを考えながらボクは眠りに堕ちてゆく。

54 :NO.15 夢現 2/5 ◇WGnaka/o0o:07/10/21 19:19:43 ID:ZQYbBC5L
 カーテンの隙間からこぼれる陽光の眩しさで目覚めた。
 上半身を起こして目一杯に背伸びをする。軋む体は疲れの取れていない証拠だ。
 出社のために身支度をしようとして、ベッドから起き抜けたとき違和感を感じた。
 部屋の片隅に小さく座り、怯えたような眼差しをボクに向けているモノ。
 まあ、無理もない。気が付いたら知らないところに居るのだから。
「おはよう」と言って微笑んでみると、いくらか固い表情が弛んだ気がした。
 頭を撫でてやろうと手を伸ばすと、ビクッと小さな体がさらに縮こまってしまう。
 さすがに早々と懐いてくれるはずもないか。怪我の止血もされているようだし一安心した。
 朝食を摂るために台所へ向かい、乱雑に包装し直した袋から食パンを一切れ口に運ぶ。
 紙皿に残りの食パンを千切って移し、冷蔵庫からパック牛乳を取り出して別の容器に注いだ。
「ほら、朝食だぞ。あんまり食ってないんだろ?」
 未だに縮こまったままの体勢だった。その目の前に食パンと牛乳を置いてやる。
「悪いけどウチにはこんなのしかないけど。じゃあ、仕事行ってくるから」
 その言葉が判ったの判らないのか、ただボクを見詰め返すだけだった。
 ドアを開けた瞬間にその隙間から逃げるかと思ったが、どうやらまだここに居てくれるらしい。
 気分屋なのだろうか。なんだかそんなところまで、あの猫とソックリだった。
 今日も暑くなりそうな日差しを受けながら、ボクはアパートのボロ階段を降りる。
 きっとまた残業で帰宅が遅くなると思うと、溜め息しか出なかった。
 それでも、ただいまと言える相手がいるだけで嬉しい。例えそれがペットだとしても。
 ただそれだけなのに、不思議と前向きになれるような気がした。

 それからの日常はとても楽しく、ポッカリと空いた心の隙間が埋まっていった。
 食事を作って食べたり、お風呂に入れて体を洗ってやったり、狭いベッドで一緒に寝たり。
 暇さえあれば、疲れて寝てしまうまで遊んでやったりもした。
 ホームセンターで色々買い揃えてみたりも。さすがに洋服はやりすぎかなと思ったが。
 鳴き喚いて逃げ出すことがないのは、ボクに懐いてくれている証なのだろうか。
 出勤しているときは大人しく留守番をし、帰ってくるとパタパタと駆け寄り飛び付いてくる。
 ただ不思議なことは、声を一度も聞いていないということだ。
 何かが原因でそうなのかと思ったが、幸せそうにベッドで丸くなる姿を見ると不安も消し飛ぶ。
 そんな日々があっという間に、一週間以上も過ぎて去って行った。

55 :NO.15 夢現 3/5 ◇WGnaka/o0o:07/10/21 19:20:22 ID:ZQYbBC5L
 ――ピンピンピンポーン! ピンポンピンポーン!
 朝っぱらから玄関のチャイムがけたたましく鳴り響く。
 全く、せっかくの日曜だってのに、惰眠の妨げをするのはどこのどいつだか。
 ノロノロとした足取りで玄関まで辿り着き、鍵を解除した瞬間に勢い良くドアが開いた。
 外からスーツ姿の男が四人、一斉に狭い玄関口へと雪崩れ込んで来る。
「警察だ! 未成年者の拉致監禁で現行犯逮捕する。被害者を確保しろ!」
「了解!」
 上着の内ポケットから何か取り出し、目の前で掲げ見せられたのは警察手帳だった。
 寝ぼけた頭でさっきの言葉を反復した。けいさつ……警察? らち、拉致監禁!?
「言っている意味が判らなかったか? これは犯罪なんだよ。保護者から捜索願も出ている」
「ま、待って下さい。ペットを飼うことが犯罪なんですか?」
 驚くボクを全く意に介さないように、刑事は眉間に皺を寄せて表情を険しくさせた。
「お前……頭おかしいんじゃないのか。人間をペットだなんてよ」
 刑事が指差した先は、ボクの後方へと向けられていた。ゆっくりと、その場で振り返る。
 部屋の片隅で捕まえられたボクの愛しいペットは……見間違うことなく少女の姿だった。
 ボクが買ってあげた水色の柄物Tシャツに、ボクの履き古したぶかぶかなジーンズを着ている。
 頭が混乱しそうだった。確かにさっきまで猫の姿だったはずなのに。
「え? あ……あっ、ボ、ボクは……」
「詳しい話は署で聞かせてもらう。おい誰か、下の待機組に家宅捜索の準備にかかれと伝えろ」
 若いスーツの男がボクの脇を通り抜け、急いで階段を駆け降りて行く。
 そして、目の前の刑事によって、ボクの両手首に冷たい手錠の輪が繋がれた。
 逃げられないよう、手錠の鎖部分と腰に麻紐を巻かれ、飼い犬の手綱のようにして引導される。
 拘束するというのは本来こういうことなのに、ボクは一度たりともこんなことをしたことない。
 いつだって自由を与えていたはずだ。それなのに、それなのにボクは――。
「……ありがとう!」
 最後に聞こえたそれは、猫や犬の鳴き声でも無い、ちゃんとした人としての言葉だった。
 本当は薄々気付いていた。あの子はボクのペットなんかじゃない、と……。
 それにしても、なぜ『ありがとう』なのか。その言葉を聞くのも、随分と久しぶりだった。
「ほら、行くぞっ」
 手錠の掛けられた両腕を刑事に引っ張られる。

56 :NO.15 夢現 4/5 ◇WGnaka/o0o:07/10/21 19:20:57 ID:ZQYbBC5L
 今度は飼う側から、あのブタ箱で飼われる側になるのか。
「刑事さん、犯した罪を償えば……あの子は幸せになれるでしょうか?」
 あの子には悪いことしてしまったと、今更に思っても遅いのだろう。これも自業自得だ。
「ん、さあな……。でも、そう思い願うことがいつか実を結ぶことだってあるもんさ」
 そう言いながら警官は帽子を空いた片手で深く被り直し、少しだけ俯いて微笑んで見せた。
 それを聞いてなんだかボクは、ほんのチョットだけ安心した。

  【 第81回週末品評会お題「ペット」/ 夢現 】

 このブタ箱で飼われ始めてから、もう三回ほど春の季節が巡って行った。
 ジメジメとした梅雨が明け、今はすっかり初夏の日差しが眩しく。
 お勤めと称される毎日の農作業にも、だいぶ慣れたしまった自分が少し憎らしい。
 そんな自嘲めいた思いと共に、鍬で畑を耕す作業をこなしていると、不意に肩を叩かれた。
「おい、3512番。面会者が来ているぞ」
「誰ですか?」
「俺に聞かれても知らん。身内の者じゃないのか? とりあえずあそこに居るから行って来い」
 言われるままに視界を巡らせると、固く閉まった鉄柵の出入り口の外側に誰かが立っている。
 ゆっくりと近付くいて行けば、どこかで見たことのある顔だった。
 水色のTシャツに男物のジーンズを来た――少しだけ大人びた表情になった、あの少女が。
「お久しぶりです。あの、私……どうしてもちゃんとお礼が言いたくて」
 鉄柵を挟んだ会釈のあとにそう言い、少し哀しげな表情を浮かべていた。
 今更どういう顔をして良いのか判らず、ボクは視線を地面に落として俯く。
「あの日、助けてもらっていなかったら……きっと私はあのままどうすることも出来なかったから」
 それから少女は少しずつ語り出し、ボクは黙ってその言葉たちを聞いていた。
 十数分にも続いた話は、要約するとこういうものだ。
 少女は受け続けていた父親の虐待に耐えられず家出し、何日も彷徨いながら街を渡り歩いていた。
 そして、夜道を歩いてるときに変質者に襲われ、刃物で足に切傷を負いながらもなんとか逃げ切る。
 出血のせいと満足に食べていられなかったせいで、この街の道端で行き倒れていたそうだ。
 そこでボクが拾い――いや、助けて手当てをした。
 逃げ出さなかったのは助けてくれたこともあり、出て行ってもまた路頭に迷うと思ったそうだ。

57 :NO.15 夢現 5/5 ◇WGnaka/o0o:07/10/21 19:21:34 ID:ZQYbBC5L
 何も言わずにボクの言うことを聞いていたのも、追い出されるのが怖かったからなのだと知る。
 今でこそ治ったが、喋れなかったのは虐待からの一時的なショックからだったという。
 そして、ボクが警察に連れて行かれてから少女は父親と戦い、母親と共に家を出たそうだ。
 今日ここに来たのは、遅れたお礼とボクが加害者では無いことを訴えるためだそうだと言う。
 少しでも刑が軽くなるように、最善を尽くしてくれるとも言ってくれた。
 とりあえずボクは、少女が心に傷を負ってしまっていないことに安堵する。
 話してみて判ったが、本当は凄く明るい良い子なのだろうと感じた。
「……あの、ところで以前なにかペットを飼っていませんでしたか?」
「ん? ああ、我が子のようにとっても可愛がっていた猫がいたが……それが?」
「やっぱり。動物好きの人って優しいんですよね。初対面のときも純粋な目をしていましたし」
 優しい? このボクが? そんなことあるはずない。
「そんなことない。あんなことして、すまないと思ってる……本当に」
「いえ、もう気にしてません。逆に良い思い出とも思ってますから」
 悪戯をして見つかってしまったような微笑みに、やはりどことなくまだ幼さが垣間見える。
「……そろそろ面会時間終了だ。今回は特例で見逃してやるが、次はちゃんと面会室でたのむぞ」
 少女の後方で待機していた監察官に言われ、少女は少し残念そうな表情に変わった。
「あ、はい、すいません。では、お元気で。またいつか来ます」
 少女は柔らかい笑顔で手を振る。ボクはその姿をじっと見詰めることしか出来なかった。
 やがてその姿も見えなくなり、その瞬間に今まで溜まっていた後悔の念が溢れかえる。
 錆びた付いた鉄柵を力強く掴み、倒れそうな体とこぼれる涙を支え堪えた。
 今なら判る。あのときのボクはどうかしていたのだと。
 ただボクは、温もりが欲しかっただけだった。亡くした猫の代わりが、欲しかっただけだった。
 ちょっとした間違いで犯してしまった罪を、精一杯出来る限り償おう。
 痛くなった胸を静めるため、深い溜め息と共に天を仰いだ。
 どこまでも広がる空は青く、流れる雲はとても優雅で、時折吹く風は優しかった。

 ――本当は彼女を助けたんじゃない。ボクが彼女に助けられたんだ。
 そう思うと、心に刺さった茨の棘が抜けたような、そんな気分だった。
 どこからかやって来た野良猫が、ボクの足元でか細い鳴き声をあげていた。
 その柔らかな体を抱え上げ、そっと抱き締める。なぜだか自然と、涙がこぼれていた。 −了



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