【 どうなんだろう 】
◆8wDKWlnnnI




48 :NO.13 どうなんだろう 1/3 ◇8wDKWlnnnI:07/10/21 18:37:28 ID:ZQYbBC5L
 朝から読んでいた小説を片手にトイレのドアを開けると、洗面台の鏡に寝癖に無精髭の男が写る。
 寝間着のままで灰色のトレーナーには何本も皺が走っていた。こんなの親がいたらすぐにでも着替させられそうだ。
 まあいいや、休みの日にまできちっとスーツを着るバカもいないだろうし、だったらなんだって一緒々々と思いながらすばやく手を洗いリビングに戻る。
 部屋の中だというのにもう少し肌寒い。もうすっかり秋になった。
 そんな日本ならではの季節の移り代わりに少し感傷に耽っていると、なんだか短歌でも出きる気がした。
 朝びえの、ねぐせみだれて読書の秋の、日に日に影に寄せゆく……谷……亮子うわああダメだ何も出てこないいぃぃー!
 こりゃあどうやら僕には短歌の神様は微笑んでくれないみたいだ。
 それに読書の秋なんてそのまま乗せてる時点でもう大分アウトだぜ、最後亮子出ちゃったうひゃひゃ……一人でなにしてんだろ。
 ふむ、しかし秋だ。だからイコール読書なのだよってそんな簡単な話でもないだろうけどいい季節になりましたねえ、ええホントにねぇ。あら奥さんそれいい
トレーナーじゃないまあこれユニクロなのよあらそうなのいい感じにヨレヨレ……って勢いで始めた一人芝居はよそう。
 ただ本を読むだけと言うならいつでも可能だ。それこそ一年間を通して好きな時間にお気に入りの場所。ただ季節的に秋が小説にあっているのは確かだ。
 例えば暖かい春の公園でベンチに座りながらだったら恋愛小説がいいし、夏の日差しに肌をチリチリと焼かれながらなら冒険物やハードボイルド、冬にコタツ
のなかで推理小説。
 なかでも秋はどっしりとした厚みのある重厚な古典が読みたくなる。
 読書と季節の関係性を真摯に考察する、そんな粋狂な論文を書く人はいないもんかな、まああんま広がらいかな。
 そんな下らないことを考えつつ、特大サイズのダチョウの卵であってもなんなくスルッと出てきそうなデカめの欠伸をかまして、またリビングの絨毯にうつ伏
せに寝っ転がる。
 クッションをあごの下に敷いて先程まで読んでいた単行本の続きに目を落とした。ああ世は平和なり。
 休日の朝っぱらから好きなだけゴロゴロする、この行為は人間の数少ない楽しみの一つであり、まったく金のかからない最上級の嗜好品でもあるのだ。
 だけど親に見つかると速攻で怒られる所は酒や煙草とまるで変わんないだよな、まあもしかしたら内の親だけかもしれないが。
 最近は忙しいので、普段からまるでリスの様に古本屋で少しずつ買い貯めておき、休みの日を利用してここぞとばかりに一気に読み倒している。
 そうして小説に入っていると、いきなり飼い猫のミケが背中の上に乗ってきた。ミケは僕が寝っ転がってると鳴き声すら上げないで静かに忍び寄ってくる。
 あの肉球のプニっとした感触が来るまで本当の本当にわからない。最初の頃は何度か声を上げてしまった。
 ウチのミケには愛敬とか可愛げといった物がまるでない。人間の事を単なる暖ったかい寝床ぐらいにしかみてないんじゃないって思った事もある。
 例えばミケが上に乗っている状態の時にちょっとでも動いたりすると、『何動いてんだ落ち着かねーんだよ』って表情になるんだ、いやいや本当に。
 しょうがないからこっちはその体制でじっとしてるしかなくなる。そうすると足場を確認する様にぐにぐにと押して確かめ、満足そうにどかりと座りこむ。
 もしここに漫画の吹き出しつけるなら『うぃー、いい湯かげんじゃ』って感じになるんだろうか。
 そうして背中の上を完全に占領したミケはいつもの様に寝てしまった。
 こうなると完全に打つ手なし、三十分ぐらい経ってミケがこの人間式寝床暖房に飽きてまたフラフラと何処かへ行くまではそのまま動けない。
 ただ今日は側に単行本の山もあるので何の問題も無い。ミケも僕も好きなだけゴロゴロ寝てりゃあ良い。

49 :NO.13 どうなんだろう 2/3 ◇8wDKWlnnnI:07/10/21 18:37:57 ID:ZQYbBC5L
 ああ休日万歳! 体は動かさず拳だけハンザップ!
 そうだ、ミケって名前を着けたのは三毛猫だからだったのを思い出した。
 そのあまりに安直な名前に、母はなんか驚いてた。そして父は鼻で笑った。
 でも名前なんてのは慣れればなんでも一緒で、意味なんていつの間にか薄れていくもんじゃないだろうか。
 それにそんなに悪い名前じゃないと思うんだけど、ミケって名前。
 それならこのミケはあのミケランジェロから採ったんだ、とか言えば良かったのか? まあ言ったが最後、今度は二人とも笑い出しそうだけど。
 しばらく考え事をやめて読んでいた小説に戻ろうとすると、その中に猫が出てきた。なかなか可愛らしく描かれている、多分この作者は猫好きだろう。
 小説家には猫好きがかなり多いみたいだ。何故だろう。そうか嫌いな人と言うのがあまりいないのかもしれない。そこら辺をやりだすと意味なく長くなりそう
で考えるのをやめた。
 さて猫好きの小説家となるとやはり最初に思い浮かぶのは文豪、夏目漱石だと思う。
 夏目漱石の処女作『我輩は猫である』は漱石の書いた小説のなかでもかなり異質の作品だ。
 漱石はこの小説で、当時それまで単なるペットとして捉えられていたはずの猫という動物を、人間以上に知性や教養溢れる魅力的なキャラに仕立てあげた。
 小説を読んでいる人々の心情に今現代で言うなら“萌え”、要は絶対的な不可抗力を作りだし、その結果当然の如く大勢の人々の心を鷲掴みにしたのだろう。
 ふむ、世田谷区にいる休日をむさぼる会社員の考えは我ながらあまりに適当だ。実に素晴らしく等身大である。
 じゃあもしミケならどんな感じのキャラになるんだろう。……一人称は我輩じゃないな、多分オレだ。
『へぇー、お前そうなんだ、まあオレは全然違うけどさ』
 どんな事に対しても何処までも斜めから見るひねくれ者。基本の表情はやれやれ。たまにチッとか舌打。
 これで人間なら煙草でも吸わせたいとこだが、ミケは猫なので怒られそうな所での必要ない爪研ぎ。
『オレにそのまたたびを臭がせるんじゃない、そいつは大変な事になるへれろ』
 そして猫にしか見えない風の不思議な生業や夜のにぎやかな乱血気騒ぎに明け暮れる日々。
 誰も知らない秘密の小道を抜け夜空に出来た透明の階段を登り、巨大な雲の中で雨の子供を煙に巻いてふざけて周る。
 そんな想像をしているといつの間にかかなりの時間が経っていた。もう充分寝たのか背中の上でミケがあくびをしながら起きあがった。
 背中から軽やかに降りると少しも興味ないと言った感じに見向きもせず、台所の前に置いてある餌の入った皿に一目散に向かう。
 ミケのそんな所にはいい加減もう慣れたので、今の僕はほとんど傷つかない。まあ正直にいうと昔は何度か本気で泣かされた。
 中断していた読書に戻ろうとしたが、ミケが食べようともせずに皿の前にただじっと座っているので床から起き上がった。
 これは皿の中に餌が入っていない時にする、ミケなりの最大限の催促だった。そう背中で語るのは何も人間だけの特権じゃない。
 早速台所まで行って下の戸棚に入ったキャットフードの袋を取り出す。スーパーの徳用ビックサイズを持ち上げるがその手応えがあまりに軽い。
 袋は空っぽだった。こちらの様子を見ていたミケと目が合う。
 おーけーわかった買ってこよう、そんな目で見なくても大丈夫、そんな風に一応僕も目で語ってみたがミケにはまるで伝わってない。まあそんなもんだろう。
 財布をポケットに突っ込みリビングを出て玄関を開ける。するとすぐに秋の冷たい風が吹き込んできた。

50 :NO.13 どうなんだろう 3/3 ◇8wDKWlnnnI:07/10/21 18:38:28 ID:ZQYbBC5L
 もうすぐそこに冬が近づいて来ている。大人になって季節の移り代わりが早くなったと感じるのは気のせいなんだろうか。
 上着でも持っていこうと思い後ろを向くと、玄関のマットの上にミケがちょこんと座っていた。
 おやミケって、……ええぇえーあのミケが! あのミケがー! ここはもう一回ぐらいやっとこう、あのミーケーがあぁぁあ! 
 ミケはそんな風に動転しまくっているこっちを見て、顔を横に少し傾け気味に見上げている。まさしく絶対的な不可抗力の発動。
 これがあれか、自分の子供がやるのを見たお父さんがあまりの感激に涙で前が見えなくなるとさえ言われてる、あの例のお見送りってヤツなんですか。
くうっ、まったくなんて威力なんだしかし。
 今までミケには何度か泣かされてきたが、そんな過去の総ての記憶さえ報われてしまう気がする。
 ありがとう、そんな最近使ってなかった言葉が自然と頭をよぎるのは、僕という人間が何処かに暖かみを忘れてきたからなのだろうか。
 ああミケ、すぐにでも行ってこよう。たかだか街まで一走りするだけだ、そのぐらいわけないさ。
 かの有名な劇作家の寺山修司もこう言ってた気がする『書を捨て町に出よう、猫餌を買いに』って。
 その前に少しだけ、ほんの少しだけミケの頭を撫でようとした。本当にそれだけ。そこまでで満足してれば良かったのだろう。
 ミケはその手を鮮やかにかわし、玄関から外に出ていく。一人玄関に残される会社員。
 行き場のなくなった手が平々と虚空を舞う。驚きの伴った変なしゃがみ方。その様はまるで歌舞伎のキメ。ああ日本の伝統芸能万歳。
 外には秋に混ざりこんだ冬の景色に飛込んでいく、元気なミケの姿が見えた。

終わり



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