【 ジミー インザ・バスルーム 】
◆f/06tiJjM6




33 :NO.9 ジミー インザ・バスルーム 1/3 ◇f/06tiJjM6:07/10/21 18:25:29 ID:ZQYbBC5L
 師走に入って夜は急激に冷え込んだ。住んでいる安アパートの共用トイレの窓から吹き
こむ通りから漂ってくるドブ川のスメルに、俺はふげえと溜息をつきながら小便器に尿を
勢いよく注いでいた。
 湯気と共に壁面から玉のように散るそのしぶきが俺のサンダルを濡らしているが、便器か
ら離れれば今度は終わりの方に飛距離が足りずに床にこぼしてしまう。共用トイレである
以上、床にこぼすのはよろしくないなと判断してのことである。
 でもまあ、アパートの住民総てがモラリストではないわけで(例えそうであっても尿の汚
染力ときたら!)便器周りに黄土色にこびりついたものは日を重ねるごとに酷くなるので
あった。
「ああ、よろしくないねえ。」
 何がよろしくないのか自分でもよく分らないまま独り言ちた。いや、本当のところは分っ
ているので分りたくないままの方が正しいかね。
「もうすっかり冬だわ。」
 俺は仕上げに一発放屁し、全身をぶるぶる震わせて行為を終えた。
 トイレから出ると孤独が身に染み入る。自分はこのさき生きていけるのだろうかというど
うしようもない不安を飲み込んで一年。そろそろ限界だ。近頃は「死にたい」が口癖にな
ったり、首を吊るロープや樹の枝を妄想したりするのが癖になって困る。そんな勇気は毛
ほども無いが、それでも明日には思い切ってしまわないとはいえない。
 裸電球に掛かるクモの巣を見ながらアリとキリギリスの話を連想した。音楽ばかりにうつ
つをぬかした俺は正にキリギリスである。クモみてえにじーっと待ってりゃ何時かチャン
スが来るんだろうか。
 取り敢えず部屋に戻ってカップ麺を作って食べたがさっきから、隙間風がどうにも厳しい。
 布団を被りながら唯一の財産であるギターをいじくるが手がかじかんでコードをミスる。

「死にたいのうた。」
もっと寝かせろと 朝一番に飲み乾す 青酸カリ一瓶

眠気覚ましにゃ 丁度いい

34 :NO.9 ジミー インザ・バスルーム 2/3 ◇f/06tiJjM6:07/10/21 18:26:45 ID:ZQYbBC5L
 あまり遅くまでギターを弄っているとダンボールみたいな軟い壁越しに隣人がアンコー
ルをよこす。今日はもう風呂でも入って寝ようとユニットバスに膝下がつかる程度にお湯
を入れて丸くなる。
「あちち。」
 縮こまっていたフグリがお湯の中でゆっくりと動くのを観察していると不思議な気持ち
になってくる。「お前、面白い奴だな。」
 自分に言ったのかフグリに言ったのか俺自身よく分からない。多分、半々だろう。
体も温まり、ユニットバスに窮屈さを感じはじめたので体を洗うことにする。湯船からざ
ばりと体を起こしたとき、シャンプーボトルの陰に来客がいることに気がついた。
  そいつは随分とデカイ、立派な、ゴキブリだった。俺はぎょっとして起こした体をま
た湯船に沈めた。どうしようかねえ、殺すにしてもこちら素手ゴロである。意外にも先方
はどっしり構えているので俺もそれに倣っていい考えが浮かぶまで湯に沈んでいることに
する。
 どっか行ってくれないかと呆けること数分。肝の据わったゴキブリである。俺はリスペ
クトを以って革めて黒客と対峙した。俺の親指ほどのサイズ、グロテスクな手足、てらて
らと光るボディ、悠々と動かす触角は貫禄すら覚える。
けれども、そのノンビリとした佇まいはどうやら本来のものではないことにも俺は気がつ
いた。このクソ寒い風呂場で何を好んで居座る理由があるのだろう。おそらくこの黒客は
ここで立ち往生しているのだ。この大きさではもう歳なのかもしれない。
「おい。あんちゃん。寒いだろう。」
俺は湯船の湯を手で掬って、ゴキブリにかけていた。
ああ、寒いね。俺はもう駄目だよ。もう若くないしね。動かないんだ。ナニ言ってやがる
このヤロウ。しぶとさにかけちゃお前さんの右に出る奴はいねえだろう。人間が終わって
もあんたらは元気にやってるという話じゃないか。いやさね。みんなそう思っているだけ
さ。大抵は冬を越せずに死んじまう。それにしても寒いよここは。ああ寒い。そうか、勝
手なもんだなあ。ほれ、もっとお湯かぶりな。すぐ飯も食わせてやるからな。
 俺は風呂から上がって、缶詰の蓋で黒客くんを掬って菓子箱に入れた。それからスナッ
クの袋を開け、砕いて、菓子箱に入れながら、自分も食べる。旨いよ。お前も食えよ。

35 :NO.9 ジミー インザ・バスルーム 3/3 ◇f/06tiJjM6:07/10/21 18:27:26 ID:ZQYbBC5L
 だが、黒客くんは相変わらず触覚をぐるぐるやるだけで動かなかった。もうお腹いっぱ
いだというように、ただじっとしていた。もうそこまで終着駅が来ているのかもしれない。
すっかり諦めたような、死刑囚のような面持ちでいるのだった。
 俺は居た堪らなくなって、ギターを掴んだ。元気出せよ。ほら、俺が歌うたってやるよ。
分けてやれる元気なんて全くないんだが。小さなお客を相手に俺は十八番を全部出し切る。
不思議なことにその晩は、神経質な隣人も他のアパートの住民も誰ひとりとして苦情に来
なかった。
 
 翌日は昼過ぎになって目を覚ました。どうやらギターを抱えたまま眠ってしまったらし
い。ああ、そうだ、黒客くんだ。俺はしけったチップスを口に放り込んで、菓子箱を覗き
込んだ。
 どうなっているかは判っていた。あいまいな記憶の中で確かに黒客くんは動かなくなっ
ていったのだ。調子をとるようにくるりくるりと触覚を揺らし、最後は震えるだけになっ
た。菓子箱の中の黒客くんを、俺は改めてジミーと名付けて表の畑に埋める。昨日はあり
がとう、ジミー。俺はギターを片手にお別れの歌をうたった。
「さよならジミー。」
風呂場にようこそ お湯をあげよう
お腹がすいたら スナックを食べよう
生きるのに疲れたら 歌をうたおう

風呂場へようこそ お湯をあげよう
お前はジミー コックローチのジミー
寒さを忘れて タキシードを羽織ろう

俺たちはブラックビートルズ
ただ一緒に住んでいるだけの仲
俺たちはブラックビートルズ
それどもお別れを言おう
さよならジミー お湯をあげるよ



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