【 兄として 】
◆IPIieSiFsA




19 :No,6 兄として 1/4 ◇IPIieSiFsA:07/10/20 20:38:11 ID:zm4hpgUl
 ああ、トラックが迫ってくる。
 これは間違いなく死ぬな。
 まあ、いいか。真哉が死なないなら、それでいいや。
 さようなら、元気でな――。


 新築一戸建て、庭付きの家にオレが引っ越してきたのは、十年前のこと。
 それから八年後、真哉が生まれた。
 初めて真哉が家に来た時の事は今でも覚えている。
 母親の腕に抱かれて、気持ち良さそうに眠っている彼はとても小さくて、可愛いと思うのと同時に、どこか羨ましく思ったものだ。
 そしてその時に言われた言葉、これはオレのその後の全てとなったと言ってもいい。
「総一郎。これから貴方は、真哉のお兄ちゃんになるのよ。この子の事、守ってあげてね?」
 そう。オレはこの瞬間から、真哉を守る存在、彼の兄になったのだ。

 真哉がまだ動けないうちは、何も心配することはなかった。
 彼に出来るのはまだ泣く事と笑う事だけ。泣き声が聞こえればすぐに駆けつけて母親を呼んだし、真哉の笑顔は心を暖かくしてくれた。
 しばらくすると、彼は寝返りをうつようになった。たまに上手く転がることが出来ないで、やっぱり泣いた。
 寝返りが綺麗に出来るようになると、うつ伏せでいる時間が多くなった。そして、それと同時に真哉はついに、動き出したのだ。
 はじめはゆっくりと、ずりずりと這っているだけだった。まだ上手く足が使えないのだろう、腕だけで進んでいるようだった。
オレは、彼の周りを回ってあげたり、彼の進む先で待っていたりしてあげた。真哉も、こちらに合わせて動いたりしていた。
 そんなある日、家に新しい家族が増えた。父親が子猫を連れ帰ってきたのだ。
 なんでも、会社の同僚から譲ってもらったらしい。
 まだハイハイしか出来ない真哉と子猫とは、偶然にも目線が同じで、お互いに未知の存在にキョトンとしているようだった。
オレとしては、子猫がいきなり真哉に噛み付いたり、引っかいたりしないかと、冷や冷やしていたのだが。

20 :No,6 兄として 2/4 ◇IPIieSiFsA:07/10/20 20:38:30 ID:zm4hpgUl
 心配そうにファーストコンタクトを見守るオレに、父親が話しかけてきた。
「総一郎。悪いけど、この子猫の面倒も頼むな」
 こうして、オレの弟が一匹増えた。大丈夫。オレは兄として、一人と一匹を必ず守ると誓った。

 子猫の名前はタマになった。小鉄にするかどうかで争われていたのだが、最終的には母親の権力というものでか、タマにおさまった。まあ、こんな子猫に小鉄という名前も似合わないだろう。
 そしてその日から、オレの忙しさは倍以上になった。
 真哉のハイハイは日に日に速度を上げていき、縦横無尽に家の中を移動するようになった。
さらにタマの方は、縦横だけでなく上にまで動くのだから、一人と一匹の動きを見張るだけでも精一杯。
少し気を抜けば、どちらも危険に飛び込んでいく。
 真哉は段差があるのも構わず突き進んで行き、落ちるすんでのところで服を引っ張り、なんとか事無きを得た。
 タマの方は、考え無しにタンスの上に飛び上り、降りられなくなって鳴いているのを、苦労して助けてやった。
 ある時、真哉がテーブルの下に潜って満足気に笑っていた。
最近は起き上がって座ることも覚えていたので、「真哉。そこで座ったら頭を打つぞ」
そう言ったが、それが伝わるはずもなく。真哉はテーブルの裏に頭をぶつけ、大声で泣いた。
さすがに母親が駆けつけて、真哉をあやした。あそこまで大泣きすると、オレではどうにも手に負えない。
 ある時、タマが泣いていた。リビングの真ん中で座り込んだまま。近づいてみたが、やはり泣くだけ。
しばらく経って、やっと気づいた。お昼ご飯がまだだった。しばらくして、母親がネコ缶を出したことでようやく泣き止んだ。
 一事が万事この調子である。もっとも、真哉の笑顔やタマの声を聞けばそれだけで癒されるのだが。
 そんな風にオレを休ませてくれない一人と一匹だが、お互い同士は仲良くやっているようだ。
 ついにしゃべるようになった真哉は、タマに向かって「たー、たー」と言っているし、タマの方はそれに「ニャー」と答えている。その様子は、まるで会話をしているようだった。
 もしかすると、兄弟のように思っているのかもしれない。いや、どちらもオレの弟だから、兄弟で間違いはないのだが。
 そしてその日も、そんないつもと変わらない日になるはずだった。

 日曜日の今日、みんなで大きな公園に行く事になった。もちろん、真哉もタマも一緒だ。
 真哉は後部座席に着けられたチャイルドシートに座っている。その隣には母親が座った。
 タマは助手席でオレと一緒に丸まっている。

21 :No,6 兄として 3/4 ◇IPIieSiFsA:07/10/20 20:38:51 ID:zm4hpgUl
 思えば、全員で車で出かけるのは初めてだった。真哉は何度か乗っているはずだが、タマは初めての経験だ。そのせいだろう、車が動き出すと、突然騒ぎ出した。とはいっても狭い車の中、何処へ逃げることも出来ず――
そもそも、オレが動かないように抑えてもいたのだが――抗議の声を上げるだけだった。
 苦難にあえいでいたからか、車が目的地に着いた時には、ホッとした様子だった。
 しかし、先に真哉を降ろすため、オレたちは後回し。
 真哉を抱いて母親が降りた。二歳の誕生日を迎え、最近では立って歩くようにもなった真哉は、
抱っこされているのを嫌がり、母親は地面に立たせた。無論、手を繋いで。
 続いて、助手席のドアが開けられ――タマが飛び出した。オレはそれを慌てて追いかけた。
車の行き交う道路がすぐそばにある。危ない。
 すぐにタマを捕まえて、三人の所へ戻った。
 父親は、車の後ろを空けて、なにやら取り出そうとしていた。
 母親は、後部座席のカバンを取ろうとしていた。
 真哉は、一人でフラフラとしていた。
 危ない。そう思った。こんな道路のそばで、真哉の手を離すなんて。
 オレは真哉のそばへ駆け寄ろうとして、そして、いつまでも背を持たれているタマが暴れた。
 オレは鼻を引っかかれ、思わずタマを放してしまった。解き放たれたタマは、公園の方へと走って行った。
 道路の方へ行かなければ、取り敢えずは大丈夫だ。そう思ったのも束の間、すぐに真哉の事を思い出した。
 しかし、既に遅かった。
 フラフラと歩く真哉は、すでに歩道から車道へと出ていた。
 オレは吠えた。
「真哉!!」
 母親と父親が気づいて悲鳴を上げた。
 オレは全速力で真哉の元へと駆けた。
「きゃああああああっ!!」
 母親の叫び声が聞こえた。
 トラックが、真哉に迫っていた。
 自分に起こっている事を理解していない真哉を一旦、追い越して、全身全霊で体当たりをした。
 体重の軽い真哉は、オレなんかの体当たりでも派手に飛んだ。車道から、歩道へと。
 ああ、強くぶつかりすぎたかな。真哉が、ケガしてなければいいけど。そんな事を考える余裕があった。
 そして――。

22 :No,6 兄として 4/4 ◇IPIieSiFsA:07/10/20 20:39:14 ID:zm4hpgUl

 ああ、トラックが迫ってくる。
 これは間違いなく死ぬな。
 まあ、いいか。真哉が死なないなら、それでいいや。
 さようなら、元気でな――。
 タマ。オレの代わりに、真哉の事を守ってやってくれよ。
 母親は、泣きながら真哉を抱き占めている。
 父親は、引きつった顔でこっちを見ている。
 真哉は、不思議と泣きもせずに、こちらを見ている。
 オレは安心させるために『大丈夫、心配するな』と思いを込めて、最後に「ワン!」と短く吠えた。
 そして、襲ってくる衝撃に対して、静かに目を閉じた。


 ペット専用の葬儀場に、両親と幼い息子の三人家族がいた。
 いま行われている葬儀の家族である。
「ほら、真哉。総一郎に最後のお別れをして」
 母親が、息子の肩を抱いて手を合わさせる。
「そーちろー、どちたの?」
「総一郎はね。遠く遠くに行っちゃったんだよ」
「とーくとーく?」
「うん。遠く遠く。真哉が大きくなって、おじいちゃんになって、そしたらまた会えるんだよ」
「うん。またあう」
「うん。そうだね……」
 母親は、涙を流しながら我が子を抱きしめる。
「……総一郎。お前は本当に俺たちの言った通り、真哉を守ってくれたんだな。本当にありがとう。お前は確かに、真哉のお兄ちゃんだったよ」
 父親も静かに手を合わせる。
 その足元で、猫が悲しげに「ニャー……」と泣いた。



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