【 夜長宴 】
◆Cj7Rj1d.D6




81 :No.22 夜長宴 1/5 ◇Cj7Rj1d.D6:07/10/14 23:38:15 ID:be9X9miL
 障子がカタンと鳴った―― 刹那(せつな)、部屋の蝋燭の灯火が炎炎と燃え上がる。
 ふと、由吉(ゆきち)は部屋の隅―― 蝋燭の灯りも届かぬ影となっている場所に、誰かが座しているのを見た。そこから、若い男の声がする。「夜分遅くに無断に部
屋へ上がったことをお許しください」
「何奴だ」
「越後の藩主様からのお言伝(ことづて)を承りて参上つかまつりました、弥平(やへい)と申す者でございます」
 来たか―― 由吉の眉が微かに揺れた。が、それはそれだけのこと。この男は何一つとして動揺も、そしてこの小談の果てで明かさ
れる言伝―― その由縁に対する後悔もなかった。
 だが―― 解せぬ。
「弥平、と言ったな。おぬし、どうやってこの荒家(あばらや)に入った。俺は先程からこの部屋で酒を飲んでいたが、お前が入ってき
たことなど全く気付きもしなかったぞ」
「…… 失礼致します」
 衣擦れの音も、腐りかけた床板の軋む音もなく、弥平は由吉の前へ滑るように現れた。「この身体の故にてございます」
「…… 成程な。それでは気付かぬわけだ」
 呆れ顔で嘆息する由吉の前―― そこに立つ男には、足が無かった。
「何故、藩主は化けて出た者なんぞに言伝を頼んだのだ? 」
 鈴虫がりんりんと秋の風情を告げる夜。兎が跳ねる月の下―― 此岸彼岸の両名の、奇妙な会合が幕を開けていた。
丑三つに死んだものと話すなど、なんとも乙なことだ。由吉は愉快でたまらなかった。これが、幻覚であったとしても、まやかしであ
ったとしても、由吉にとってはどうでもよいことだった。それは―― ここ数年の逃亡生活が持たらした、渇きのためだろう。
「私は、城を出る時はしっかり二足を携えておりましたが、道中、山賊に会い、殺されてしまったのです」
 そう言って弥平は由吉に注がれた酒を一口飲んだ。「化けて出ても酒は飲めるのだな」
「ええ、私も今気付きました」
 そう言うなり、二人は声に出して笑った。「それで、弥平、お前はどうなったんだ」
「死んでから数刻の後に、私は自分の死体の傍らに、気付けば立っていました」
「お前はそれからまた、此処まで歩んで来たのか」
「楽でございましたよ。飯もいりませんし、足も無いから疲れない」
「まったく律義な男だ」
「それだけが生前の取り柄でしてね」
 二人の男は、また大きく笑ったのだった。

82 :No.22 夜長宴 2/5 ◇Cj7Rj1d.D6:07/10/14 23:39:08 ID:be9X9miL
 外ではすすきが生い茂りさらさらと秋風に揺られている。その草波を月が落とした雲の影がゆっくりと、流れていた。どこかで、狐
が一鳴き。秋の夜長は、深けていく……
 …… 気付けば、大分時がたっていた。外はしらみ始め、どこかで鶏が鳴く声が聞こえる。二人は終始会話を楽しみ、酒を飲み、笑
った。由吉は思う―― 最後にしては、素晴らしい時間だったと。酒も尽きてきた頃、由吉は弥平に尋ねた。
「弥平。二つ、お前に聞きたいことがなる」
「なんでございますか」
「あの世には、美味い酒はあるか? 」
「ありますとも。望んだだけ出てきますよ」
「それはいい。ではもう一つ。あの世で、再び俺と酒を飲んでくれるか」
「喜んで」
「…… お前が死んでくれていて良かった」
「全くです。私が死んでいなかったなら、こんな楽しい夜はおくれなかったでしょう」
「ははは。しかしおかしな話だ、生きている者よりも、死んだ者と話すほうが心が落ち着くとは」
 つい、本音が漏れるも、由吉は気にしない。一晩付き合ってわかったのだ。この男は愉快で、いいやつだと。
「それも、あなたが選ばれた道のりの故でしょう」
「まあな。しかし俺は謀反をしたことを後悔はしていない」
「何故に前藩主様をお殺めになられたのですか? 」
「なんだ、聞いていないのか」
「ええ。私は今の藩主様から仕えました身ですし、その事件は藩の恥ということで門外不出となっておりますので」
「そうか。では、話してやろう。前の藩主はな、俺の家族を―― 娘と、妻を俺の眼の前で殺したのだ」
「それは…… 事実で」
「ああ。この両の眼に今でも焼き付いて離れぬ。娘と妻が血しぶきを上げて倒れ、流れでた二人の鮮血が混じり合い、赤く、赤く地が染められていく光景がな」
「何故前藩主様は、あなたの―― ご側近で在られたあなたの妻子様をお殺めに」
「奴は俺の妻を好いていたんだよ。それでわざわざ家まであがりこんできたのだ。俺は調度二階で昼寝をしていた。あがりこんだはい
いが奴は妻に断られ、娘にはとやかく言われたらしい。まだ、五つになったばかりの娘だったが、俺に似て肝の座った子だった。母を
守ろうとしたのだろう。俺が騒ぎに気付き下に降りた時には、藩主は刀を家来に拭かせていた所だった。俺は奴に尋ねた―― 何があ
ったのですかとな。

83 :No.22 夜長宴 3/3 ◇Cj7Rj1d.D6:07/10/14 23:40:28 ID:be9X9miL
奴は言った―― お前の愚妻と糞がきを始末してやったぞ、感謝しろ―― とな。自分の血が一瞬で熱をおびてい
くのを感じた。気付けば刀の柄に手をかけており、藩主が連れていた家来を殺していた。藩主からことの顛末(てんまつ)を全て聞き終
わった後、俺は奴の喉元に、ゆっくり、深く、深く、刀を、突き刺し、終末し、そして始まったわけだ」
 弥平は居住まいを正し、真剣な顔つきで由吉の話を一言も漏らすまいとばかりに聞いていた。
「そのようなことが…… 」
「しけた話は辞めだ。さて、その言伝には俺に死ねと書いてあるのだろう」
「御察しの通りでございます」
「しかしな、お前、俺の首をどうやって持って行くのだ」
「あ」と、暫し弥平がほうけた顔をしたので、由吉は笑った。「ははは、律義でもこればりはどうにもならんな」
「いやぁ、さやようで」
「よい。俺もこの生活には飽いていた。今更死ぬのも怖くない。それに、あの世での楽しみもあるしな」
「妻子様も待ち侘びておりますでしょう」
「惚れるなよ」「もう、死ぬのは御免ですよ」二人はまた、楽しげに笑った。
「弥平、お前は変わった奴だな」「由吉様には負けます」
 由吉は刀を抜き自らの首に刃を当てた。「暫しの別れだ」「ええ、あの世で待っております」
「では―― 」
 
 ―― こうして、一夜の奇妙な会合は幕を閉じたのだった。今となってはすすきに囲まれた古びた家にはもはや誰もいなく、風がか
たかたと雨戸を鳴らすばかりである。その様子はひどく虚しく、寒々としたものだ。
 しかし、夜が深けた頃合―― その時分に家の中を伺うと笑い声が聞こえる。照らす灯りは蝋上に揺れる灯火。四人の声音。男が二
人、女が一人、幼子が一人。声の主は皆一様に楽しげである。外のすすきが風に揺れ、さらさらと音を奏でる。
一際大きな笑い声は二人の男。
「ははは、お前は本当に真面目な奴だな」
「いやはやもっともでございます」
 狐が一鳴き。夜は深ける、いついつまでも…… 。【了】



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