【 夢で当たった宝くじ 】
◆Op1e.m5muw




76 :No.21 夢で当たった宝くじ 1/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/14 23:32:08 ID:be9X9miL
 大金の詰まったスーツケースを拾ったらどうするか?
 誰しもが一度は妄想し、時には友達とああだこうだ盛り上がるテーマである。しかしそれは、あくまで実際には起こり得ない
夢物語として、「もしも宝くじに当たったら」と同じ系譜で語られる性質のものだ。

 当然ノブキも、まさか現に身に降りかかる問題として頭を悩ませることになるとは、これっぽっちも思ってもみなかった。
「どうしよう……」
 ことの重大さに、思わず言葉が漏れる。
 目の前に口を広げて置かれている灰色のブリーフケース、その中には幅1cm程度の厚さでまとめられた紙幣の束がぎっしり
と詰まっている。いかんともし難い強烈な魔力によって、ノブキの視線は数秒おきに鞄の中に吸い寄せられ、その度に動悸がはやく
なり頭の中が白くなる。
 そのせいでさっきから少しも考えが進展しなくて、は頭を掻き毟った。
 よくよく考えると、とりあえず家まで持って帰ってきてしまったのは失敗ではなかったか……?

 朝というには少し遅いが昼とまではいかない時刻、ノブキは一人暮らしのアパートから大学へと通う道で鞄を拾った。
 灰色いポリエステル製のブリーフケースは学生が使うようなものではない、きっと社会人の物だろう。この辺りで働く人間と
いったら大学関係者ぐらいしかいないが、もし手帳など連絡先がわかるものが入っていたら電話でもしてやろう。そう思いノブキ
がチャックの口を半分ほど開けて中を覗き込むと、中にはおよそ一般人の理解の範疇を超えるものが入っていた。
 それ自体は日常的に使用するありきたりな物だが、その量が尋常ではない。
 鞄のなかにぎっしり詰まっていたのは紙幣、真ん中に描かれた肖像画からわが国で流通している紙幣の中で一番高価なものだ
ろう、それの束であった。
 反射的にファスナーを閉め、周囲を見回す。片側二車線の車道を車が絶え間なく行き来しているほか、歩道にはノブキと同じよう
な学生が数人いるだけ。そのうちの誰もノブキや、ノブキが胸に抱いた鞄に視線を向けてはいなかった。
 ノブキはほっと胸を撫で下ろした。これは衆目に晒していいようなものではない。
 さてどうしたものか、ノブキは考える。
 連絡先を探そうにも鞄をこの場で開けることはできない。開けないにしても中身の価値の重さから人目が気になってしょうが
なく、とてもまともに判断できそうにないので、ノブキはとりあえず家に持ってかえってから考えることにしたのだった。

77 :No.21 夢で当たった宝くじ 2/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/14 23:33:04 ID:be9X9miL
 しかし、「冷静に考えるために持って帰る」という判断自体が冷静さを欠いたものだとは、家に帰ってみてようやく気づい
た。
 自分が落とし主だったらまず間違いなく警察に通報するだろう。額が額なだけに、警察も届け出られるのを悠長に待つはずが
ない。捜査の中で、「自分が鞄を持ち去っていった」なんて証言が出たりしたら――。
 ノブキは思わずドアを、次いで窓のほうを見る。
 もちろんドアには鍵だけでなくチェーンがかかり、窓もカーテンが閉まっていて外を見ることはできない。先程自分でそうし
たのだから。

 だが――ノブキの中に別の考えがよぎる。
 果たして、普通の人間がわざわざ札束を鞄につめて運ぶだろうか。
 今の時代、大きなお金の移動は基本的に銀行口座の振込みや小切手で済まされている。そのほうが便利で、なおかつずっと安
全だからだ。
 にもかかわらずそれらを利用しない場合、そこには何かしらの理由が存在するはずである。
 たとえば――ノブキは、昨夜テレビで見た映画のワンシーンを思い浮かべた。
「約束のブツは?」
「これだ。それより、カネのほうはちゃんと用意したんだろうな?」
 その映画での悪役の所業を思い出し、思わず身震いする。
 そう、銀行などの手段を用いない理由といえば、それが表社会に存在してはいけない質のお金だからだ。
 その本来なら闇の世界の人々の手にあるべき大金が、偶然にも自分の部屋の机の上にある。
 とすれば、彼らはどういう行動に出るか。

 とにかく一刻も早く警察に連絡すべきだ、とノブキが携帯電話を手に取ったところで、
「どうもはじめまして」
 自室に声が響いた。
 慌てて前後左右を見渡すが、部屋に帰ってきて以来中の様子に変わったところはなく、当然人影なんてない。
 幻聴かとも思ったが、感覚が否定する。あれほどはっきり聞こえたのだ。
 往来の話し声か、しかしそれにしては音量が大きすぎる。ドアか、それとも窓の外か――ノブキが確認のため立ち上がった瞬間、
もういちど声がした。

78 :No.21 夢で当たった宝くじ 3/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/14 23:34:13 ID:be9X9miL
「あぁ、座っていて結構ですよ。ここです、鞄からです」
 視線を鞄に戻す。どうやっても人間の入れるような大きさではない。とすれば無線マイクのもの……いや、こちらが立ち上
がったのを見て「座っていろ」と言ったのだからビデオカメラか何かか?
 ノブキは今まで中身にばかり注目してよくよく見ていなかった鞄本体をぐるりと見たが、レンズらしき物は見当たらなかった。
「はは、なかなか巧妙に隠してあるでしょう、灰谷信樹(ハイタニ ノブキ)さん?」
 今日一度も口に出されていないはずの自分の名を呼ばれ、ノブキは思わず声を失った。
「あ、大丈夫ですから落ち着いてください。あなたに危害を加える意思はありませんよ。私はここで観察しているだけ。この鞄
は私の所有物ですが、今は貴方の占有下にある。あなたの思うように行動してください。そうそう、見たところ貴方は大丈夫そ
うだが、中身を取り出して鞄だけポイって訳にはいきませんよ? GPSもついていて、お宅の場所はもう把握してますから」
「……意味わかんねぇ」
 思わず口に出たノブキの内心に、鞄が笑って返事をした。
「なに、難しいことじゃない。あなたの拾った鞄には三千万円ほど入っていて、それには目、耳、口がついている……肝心の体
はそこにありませんがね。そしてあなたは、その鞄をあなたの思うように扱ってください。警察に届けても構わない。私に返し
てくださるというのなら取りに伺います。もちろん盗んでしまっても構いません、その場合は持ち主である私ができる限りの手
段で取り返そうとしますが、もしかしたら逃げ切れるかもしれませんよ?」
 ノブキはますます混乱した。というより、理解できない。
 鞄の主の言っている言葉自体は認識できるのだが、それを紡ぎ合わせた今の状況というものが、訳の分からないものなのだ。
「ちょっと待てくれ。――俺の声も聞こえてるんだよな?」
「ええ」
「じゃあ質問だ。場所が分かってるのに、なんでさっさと取りに来ないんだ?」
「それじゃ面白くないじゃないですか。せっかく鞄に色々仕掛けてお金を入れ、わざわざ落し物にしたのに」
 話がどんどん理解しがたい方向に進んでいく。"わからない"事は人間に大きなストレスを与えるもので、そのストレスにノブキ
はだんだん苛立ちはじめた。
「一体何がしたいんだ? 新手の詐欺か? っていうか、お前誰だよ?」
「まぁまぁ落ち着いて下さい。私はただの道楽爺、ちょっとした遊び心で悪戯を仕掛けただけなのです。なにせこの年になると
楽しみが少なくてね、妻にも先立たれ暇を持て余していたのですよ。ですからそう大声を出さず、まずは座ってくださいな」
 そう言われてはじめて、ノブキは自分が立ちっぱなしであることに気づいた。

79 :No.21 夢で当たった宝くじ 4/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/14 23:35:06 ID:be9X9miL
 きっと鞄の主の言うとおり大声だったに違いない。隣近所に怪しまれたくはないし、とにかくまずは落ち着こう。
 わけのわからない相手に従うのは癪だが、ノブキはおとなしく座ることにした。
「で、確認するが。あんたはただの暇な爺さんで、悪戯でこの鞄を放置した。それを俺は拾って……ここからは俺の勝手にし
ろ、って言うんだな?」
「はい、その通りです。しかし私だってその三千万を溝に捨てたわけじゃないですから、あなたがもし盗もうとするならそれな
りの対処をさせていただきます。場合によっては、警察に連絡するかもしれませんね」
 だったら取りに来れば、とさっきと同じことを言いかけて、ようやくノブキは理解した。
「つまり、俺がどう悩んでどう行動するか見物したい、ってことか?」
「ご名答」
 カメラの向こうでにやにや笑っているに違いない、まったくむかつく爺だ。ノブキは心の中で毒づく。
 さて、どうするか。
 ノブキは鞄の主たる老人の話をすべて信用しているわけではないが、詐欺という疑いは捨てることにした。鞄に詰まった札束は、
利益目的の道具としてはリスクが大きすぎるからだ。プロの詐欺師ならもっと安全な方法をとるはずだろう。
 他の、自分には与り知らぬ目的がある可能性は否定できないが、そうだとしてもこっちとしてはどうしようもない。一応、
爺さんの言うとおりただの悪戯だと仮定しておこう。
 そう方針が決まればノブキが次に考えるのは、自分は一体どうしようかということだ。
 正直に言えば、金は喉から手が出るほど欲しい。別に今不自由しているという訳ではないが、この三千万があるとないとで
は今後の人生計画、たとえば大学院進学や専攻分野などが変わってくる。
 しかし、だからといって三千万全てを盗みきる自信がノブキにはなかった。仮にこの場は上手く逃げおおせたとしても、警察に
通報されて指名手配犯にでもなったらこれから日の目を見ることはできないだろう。さすがにそれはご免だ。
 では、不利益を被るリスクを負うことなく少しでも多くの現金を手に入れるには?
 そんな都合のいい策あるわけないか……いや、ある。
「おい爺さん、取引だ」
「おや、意外と早いですね。なんです?」
「この三千万のうち……そうだな、半分の千五百万、俺によこせ」
「取引と言うからには、ただではないんでしょう?」
「断った場合、この鞄を燃やして灰にする。そしてその後川に流して、この鞄があった痕跡をこの世から消し去る」
 そう、持ち主に納得の上で金を渡させれば、通報される心配はない。そして、持ち主に納得させるには――渡さない場合に、
それ以上の不利益をもたらせばいいのだ。

80 :No.21 夢で当たった宝くじ 5/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/14 23:36:05 ID:be9X9miL
 仮にこの老人が千五百万分の札束を渡す事を拒否した場合、三千万円の札束が灰に還ることになる。そうするとこれを直接
取り返すことはできない。後で、すなわち別の紙幣で同額分取り返すには、警察に通報した上で法的手段をとる必要があるの
だが、それには自分の三千万円をAに燃やされたことが立証できなければならないのだ。鞄ごと札束が灰になって流されてし
まえば、現実的にそれは不可能になるだろう。
「つまり、三千万の丸損をするより千五百万あなたに渡すことで妥協しろ、ということですか。ふふふ、考えましたね」
 ノブキは内心、勝利を確信して躍り上がっていた。
 結局なにがなんだか良く分からないままだったが、ちょっとした閃きのお陰で今まで見たこともないような大金を手に入れ
られるなんて。クイズ番組で優勝した夢を見て朝起きると、枕元に賞金が積まれていたようなものだ。
 だが、マイクを通して鞄から出てきた声は予想外のものだった。
「あなたは一つ誤算をしている。もし私が、燃やしてしまっても構わないといったら? 燃やせますか? 燃やせないでしょ
う。そうしてあなたはこう言う。『俺の取り分が一千万ならどうだ』ってね。それでも私は合意しない。」 
 成功を確信したこの作戦の失敗を悟り、ノブキは肩を落とした。しかしすぐに立ち直る。
 失敗に終わったとはいえ、単なるひらめきで惜しい所まで行ったのだ。まだ、何かあるはずだ――――

「さて、そろそろおしまいです」
 唐突に終わりを宣言する鞄の声と同時に、インターフォンが鳴る。ついで、
「信樹さーん、開けてくださーい」
 今までスピーカーを通して聞いてきたのと同じ声が、ドア越しに聞こえた。
 持ち主の爺さんが、宣言通りに終わらせに来たのだろう。なんでまた急に、もう少し時間をくれればいいのに。ノブキは歯噛みする。
 さて、ドアを開けるべきかそれとも――Aは考える。
 ここで開ければ、この夢のようなチャンスは終了してしまう。しかし、開けなければ。
「Aさん? ここでドアを開けて鞄を返してくれなければ、ちょっと法的に問題になっちゃいますよ?」
 わざわざスピーカーを通したのは、周りの住人に怪しげな台詞を聞かれないようせめてもの配慮だろう。
 この言葉に重い腰を持ち上げられ、ノブキは渋々ドアの鍵を開けた。外からドアが開かれる。
 そこにはボディーガードらしき屈強な男を左右に侍らせた、高級スーツに身を包んだ小柄な老人がニコニコ顔で立っていた。
 護衛のうちの片方は「失礼します」と有無を言わさずに上がりこみ、鞄を掴むと中身を確認しながら持ち去っていく。
 何も言わずにそれを見ているノブキに、老人は封筒を差し出して言った。
「本当はもっと続けたかったんですが、この後用事が入ってしまったのです。これはせめてものお礼、受け取ってください」
 封筒をノブキの手に握らせると、老人達はそそくさと去っていってしまった。
 なんだよ、結局爺さんの気まぐれに振り回されただけじゃねぇか――分厚い封筒を放り投げると、ノブキはバタンと乱暴にドアを閉めた。



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