【 「饅頭」 】
◆4TdOtPdtl6




58 :No.16 「饅頭」 1/3 ◇4TdOtPdtl6:07/10/14 22:41:04 ID:be9X9miL
 塵も積もれば山となる、饅頭も重なれば風呂敷からあふれる。
 そんなどうでもよいことを独りつぶやいてみる。
 今日売れ残った大量の饅頭は私の布団の上を占領している。
 お得意さんの宴会が中止になったせいで用意してあった和菓子は大量に余ってしまったのです。
 近所の子供たちに配ってまわったが、私特製の饅頭だけは不思議とだれも持っていかなかったのです。
 しようがないから酒のつまみに自分で食べ始めたのですが、間の悪いことに酒が切れてしまった。

 そのようなわけで、子の刻を過ぎたころ、私はぶらりと表に出たのです。
 懐に大量に饅頭を詰め、むしゃむしゃやりながら歩く私の姿はそりゃあ滑稽だったでしょう。
 しかし、こんな時間にはさすがに人もいず、ふらふらと千鳥足でも誰かにぶつかる気兼ねも要らない。
 そのままふらりふらりと歩き続けましたが、酒屋の門前ではたと立ち止まってしまったのです。
 考えてみれば至極当然のことで、このような夜更けに酒屋が開いているはずもなし。
 酔いとは本人には分からぬもの、とはいわれているとおりになってしまった訳です。
 自分の痴愚さに半ばあきれていると、急に辺りがぼんやりと明るくなったのです。
 驚いて空を仰ぐと暗い夜空にぽっかりうかぶお月様。
 ちょうど月を覆い隠していた群雲が移り、きれいな満月が顔を出したところだったのです。
 その光景の優美さ、といいましょうか。
 神々しさ、といいましょうか。
 ともかく、その満月のお月様と、その光を受けてほのかに光る辺りの様子が途方も無く私の胸をうったのです。
 私はそのまま――肴にしようにも酒はもうないのですが――もっと月を眺めていたくなり、
 近くにある展望公園へと行くことにしました。
 展望公園とは近くの丘の上にある見晴らしのいい草原のことで、丘の上ににあるからには坂を登らねばならない。
 長い坂を独り黙々と歩いていてはそのうち気が変わるかも知れぬ、
 などと考えながら坂のふもとまで来た私は、そこで独り佇んでいる女性を見て思わず歩みを止めたのです。


59 :No.16 「饅頭」 2/3 ◇4TdOtPdtl6:07/10/14 22:42:02 ID:be9X9miL
 そのとき私はなにか、不思議な感覚にとらわれていました。
 それがなぜか考えをめぐらすまでも無く、ああ、ついさっきの焼き直しじゃあないかと気がついたのです。
 デジャヴ、とでも言いましたか、先ほど空に浮かぶ月を眺めたのと同じような感じだったのです。
 なぜでしょうか。
 月ははるか空の向こう、女性はすぐ目の前であるにもかかわらず、両者は同じくらい遠い存在に思えたのです。
 彼女は別段変わった様子も無いのですが、
 私はなぜか、瞬きをする間に消えてしまいそうな儚さを見たのです。
 それが私の気のせいだと分かっていても、いてもたってもいられず、とうとう彼女に声をかけてみることにしました。
 ただ、酔いが回っていたせいか声のかけ方が分からず、あろうことか彼女の手をぐいと引っ張り、
「上の公園でいっしょに月を見よう」
 などと言い放ったのです。
 今思い出すと悲鳴の一つや二つ、上げられてもおかしくない状況だったのですが、
 彼女はあっけにとられたような顔をした後ちいさくはい、と返事をしてついて来てくれました。

 しかし、問題は口数の少ない私と押し黙った彼女との間で、なんら会話が執り行われていないことです。
 やっとのことでお名前は? という言葉をひねり出したときも、彼女は小さく
「こが……さつき……と、いいます」
 と答えただけで、またもとの静寂が二人に重くのしかかって来たのです。
 そのときふと、懐に詰めた饅頭の存在を思い出し、
 私はその一つを取り出すと、おそるおそる、といった様相で彼女に手渡しました。
「これ、特製のお饅頭。食べませんか?」
 正確にはどう言ったのかは今となっては皆目思い出せない。
 声が裏返っていたかどうかも、彼女がどんな顔をしてそれを受け取ったのかも、緊張の為頭から弾き飛ばされていました。
 ただ、それを受け取り、おそるおそる食べた彼女が
「変わった味だけど…おいしい」
 そういって笑ってくれたのです。
 それは先ほどの儚さなど微塵も感じさせない、暖かなお日様のような笑顔だったのです。

60 :No.16 「饅頭」 3/3 ◇4TdOtPdtl6:07/10/14 22:42:52 ID:be9X9miL
 彼女の笑顔には何か特別な力があったのでしょうか。
 それまで硬くなっていたのが嘘のように解け、自分でも驚くほどに円滑に言葉が出せるようになりました。
 聞くに、彼女は和歌詠みを志しているそうなので、一句呼んでもらうことにした。
 彼女は眉間にしわを寄せて考え込んでいましたが、ぽんと手を打って
「名月や、兎の餅つき、お月様」
 などと読み上げたのです。
 私が体をくの字にして大笑いすると、彼女は不思議そうな目でそんな私を見るのです。
 笑いが収まった私が、なかなかに詩的ですねぇと言うと彼女はそうでしょうと笑うのです。
 しかし、
「あなたのうたはなかなかに詩的ですが、お友達に聞いてもらって独りよがりにならないようにしなけりゃあいけません」
 というと、たちまち蝋燭を吹き消したかのように笑い顔を引っ込めてしまったのです。
 驚いて私が訳を尋ねると、友達なんていらないと、こういうのです。
 みんな自分を笑いものにして友達になんてなってくれない、だから友達なんていらないと言うのです。
 それを聞くと、私は懐から饅頭を取り出すと、手近な椅子にそれを置きました。
「これが君だ」
 残りの饅頭をすべて取り出し、その周りに並べます。
「周りに友達がいればこんなにもにぎやかになる」
 彼女は不思議そうな顔でそれを眺め、
「じゃあ、あなたは友達?」
 そうたずねるのです。
 私は少し逡巡すると、ああそうだと答えました。
 彼女はすこしはにかんだような顔で
「酔狂な人ですね」
 と答えた。



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