【 旅人は今日も行く 】
◆InwGZIAUcs




30 :No.09 旅人は今日も行く 1/5 ◇InwGZIAUcs:07/10/14 03:11:50 ID:k5GFLHmN
 北の海が赤く照らされ、乱反射する水面が美しい宵の口。波打ち際の寂れた街道を一人歩く男がいた。
 一見して優男と伺える彼は、大荷物を背負っているにも関らずしっかりと背筋が伸びており、若者らしい力強さが伺えた。
 また、疲れたからといって楽な体制をしない事こそ、長距離を歩く秘訣だと彼、マルセスは知っているのだ。
「ここまで来るとだいぶ涼しいなあ」
 夏季であっても冷たい風の吹くこの北の大地は避暑地として馴染まれることもあるのだが、残念なことに夏は一年で
最も短く、多くの人々が、好んでこの地に居座りはしない。そんな短い夏の間を狙って彼はこの北の地に足を向けたのだ。
「お、あれかな?」
 視界の先には一軒の建物が小さく見えていた。色濃くなる空の下、ポッと明かりが灯っている。
 彼は、北の岬に一風変わった喫茶店があると小耳に挟んでいたのだ。


 目の前にしたその店はなんともこざっぱりとした印象で、白い塗料で塗られた木張りの壁と赤い屋根は、
どちらかと言えば南方の暖かい地域の住居と言われた方がしっくりとくるだろう。
 店先に木の棒で立てられた『ようこそミサキッサへ』と書かれた看板があり、またその上から『CLOSE』の札がかけられていた。
「む、やっぱ閉店時間はとっくに過ぎてるか……」
 彼がそのミサキッサを見上げると、二階の部屋の明かりは点いており、人の気配が伺えた。
 ここまで来て野宿はできれば避けたいところと踏んだマルセスは、その戸を叩く。
「ごめん下さーい」
 待つこと数秒、まるで階段を転げ落ちるような音がして……さらに少し後、一人の少女が顔を出した。
「い、いらっしゃいませー」
 腰をさすっているところを察するに、階段で転んだようだ。
「こんばんわ。俺はマルセスって言います、が……あの、大丈夫ですか?」
「あ、すみません! 大丈夫です! えと、今日の営業はもう終わっちゃったんですが……」
 すまなそうに顔をしかめるその少女は、長く伸びた水色の髪が印象的だった。
「いえ、ここに変わった喫茶店があると聞いてやってきたのですが、こうして日が暮れてしまって……
一晩だけでも泊めて貰おうと思ったんだけど、女の子の家に泊めて貰うわけにはいかないなあ」
 苦い笑みを浮かべて彼は荷物を担ぎ直した。
「あ、いいですよ! 客室はありませんが、雑魚寝でよければ場所はありますから」
「でも――」
 彼が言い終える前に、少女の肩から一匹の白いイタチが姿を現した。

31 :No.09 旅人は今日も行く 2/5 ◇InwGZIAUcs:07/10/14 03:12:12 ID:k5GFLHmN
「大丈夫だよ兄ちゃん。ウルルには指一本さわらせねーから」
 鼻息荒く、そのイタチは言い放つ。
「こら! 初対面の方に失礼でしょう?」
 ウルルと呼ばれた少女がイタチを小突くと、彼はそっぽを向いて短い足で腕組をしてみせた。
 突然イタチが現れたのでマルセスも驚いたが、何のことはなく、すぐに理解する。
「あ、君は魔女なんだ? そしてこの子は使い魔さんかな?」
「……そうなんです。驚かせてしまってごめんなさい。えと、とにかく中にどうぞ」
「んーじゃあ心強いナイトもいるようだし、お邪魔させてもらおうかな」
 マルセスはイタチにウィンクを送った。
「おいらはイッチ。ウルルの使い魔件、ナイト様でぃ……覚えておきな」
 冷たい自己紹介と共に、目をギラつかせるイッチをウルルが小突づく。
 イッチさはさも面白くないといった風に、「フン!」と短く息を吐き捨てた。


「へー魔法で出来てるんだこのお店は」
「はい。なので冬の雪もへっちゃらなんです」
 このお店、ミサキッサを避けて雪は降り積もるという。マルセスは大いに納得がいったようだ。
 疑問が納得に変わる楽しさから、多く疑問を持つことが長旅を楽しむコツだと彼は知っている。
「あの、マルセスさんは、旅をなさっているんですか?」
「まあそんなところだね……これを埋めているのさ」
 年季の入った鞄から、マルセスは一枚の地図を取り出した。その地図には見事に丸に近い大陸が描かれていた。
「世界地図?」
「そう、世界地図」
 それは、国直属の魔法士が数人上空から描いた正確な地図で、いまや大陸全土の標準地図となっている。
「これはね――」
「おっと! 近いぜ兄ちゃん」
 いつの間にか二人の間に割り込んできたのは、自称ナイト様イタチのイッチだった。
「もう、イッチはちょっと敏感すぎ! ……それより、随分早かったけどコーヒー淹れられたの?」
「この通り!」
 器用にイッチは魔法でコップを宙に浮かせ、ウルルとマルセスの鼻先まで送ってやる。

32 :No.09 旅人は今日も行く 3/5 ◇InwGZIAUcs:07/10/14 03:12:35 ID:k5GFLHmN
 ウルルはそれを受け取りコーヒーを一口含むと、イッチに不満気な視線を送った。
「イッチ? また火の魔法で淹れたでしょ?」
「早いからいいじゃん」
「駄目! アルコールランプでじっくりっていつも言ってるでしょ?」
「ちぇ、兄ちゃんはこれで十分だよ」
 そっぽ向いたイッチに、マルセスは苦笑するしかない。
「いや、十分美味しいよ。それより、魔法で淹れるとどうして美味しくないんだい?」
「魔法で淹れると、火力が安定しないので、煮詰まっちゃうことがあるんです……ごめんなさい」
「おいらはそんなヘマしないってば!」
 ため息をついて、イッチに軽いでこピンを放ったウルルは、申し訳なさそうに再度「ごめんなさい」と頭を下げる。
 が、その時、マルセスは何故か目を輝かせていた。
「それだ!」
「はい?」「……ど、どうした兄ちゃん?」
 呆ける二人をよそに、マルセスは一人で盛り上がる。
「つまり、魔法は決して万能じゃないんだ! どれだけ正確な地図であっても、その土地全てを知ることはできない!」
「は、はあ」
「これを見てくれ!」
 鞄から取り出したは、地図が張り付いたノート数冊。ノートの中身は全て手書きのようで、
その場所の特色、名産、見所などが書き殴ってあった。
「俺は、そう信じて今日まで生きてきたんだ! 魔法にできないことをやってやろうと!」
 立ち上がり力いっぱい拳を握るマルセスに気圧されたウルルとイッチは、無意識に乾いた拍手を送っていた。
 が、それも数秒のこと。我に返ったマルセスは、恥ずかしそうに居住まいをただして、
「あ、ごめん。ちょっと熱くなってしまったよ」
 と、ぽりぽり頭を掻いてみせた。
「いえ」
 クスっとウルルは笑い、ノートを手に取る。
「それにしても凄い量ですね……これ、全て埋めるんですか?」
「うん。埋めて一冊にまとめる予定なんだ。まあ、実現するかどうかはわからないけど……」
 マルセスはまだ全国の半分ほどしか埋めていない。が、逆に言えば、半分は埋まっているのだ。
 夢と呼ぶには、案外近い位置までその目標に近づいている。

33 :No.09 旅人は今日も行く 4/5 ◇InwGZIAUcs:07/10/14 03:12:54 ID:k5GFLHmN
 目標があればこそ、長旅は楽しむことができると彼は知っているのだ。
「後ろ指をさされながら故郷をあとにしたから、形に残したくて……できれば出版したいなあ」
 ウルルは、ページを捲った。イッチもその後ろでノートを拝見している。
「きっと出版できますよ! 面白いですもん……こんな本あったら、一冊は手元に置いておきたいと思います」
 彼女はノートを閉じ、「だから……」と続ける。
「頑張って下さい」
 笑顔とはこのような顔を言うんだろう。彼女は意識しているのかいないのかは分からないが、
それは人を惹きつける、とても魅力的な微笑みだった。
「ああ、もし出版することがあれば、ここに一冊送らせてもらうよ」
「はい、楽しみにしています」
 なんとなく照れたマルセスは、再び頭をぽりぽり掻いた。
 一方イッチは相変わらず拗ねた様子で、傍らに蹲ってふて寝し始めていた。
「そうだ、もし良かったら旅の話でも聞かせて下さい。私も大抵杖で空を飛んでるから、地域の特色なんかには疎くって」
 苦い笑みを浮かべるウルルにマルセスは快く応えた。
 一宿のお礼としては旅の体験談は定番だけど、それこそが旅の醍醐味だと彼は知っているのだ。
 マルセスが語る間もイッチはやはりふて寝を決め込んでいた。
 しかし、時折ピクッと動くその耳は彼の声の大きさに合わせられているようだった。


 翌日、マルセスはウルルが用意した朝食をありがたくいただく事にした。
 朝は喫茶店の仕込みで忙しいらしく、ウルルは厨房の中からでてこれないないようであったが、
しばらくしてイッチが彼の元にコーヒーを運んできた。
「ウルルに頼まれたんだ」
 それだけ言って、またウルルの元へと去ってしまう。
 しかしそのコーヒーは、昨日マルセスが飲んだそれよりも美味しかった。


「じゃあ、そろそろ行くよ」
 日が傾き始めた頃、マルセスは荷物をまとめウルルたちにそう告げた。
 滞在したくなるような場所はなるべく早く発つ癖をつけるのが、長旅を続けるのには必要だと彼は知っていた。

34 :No.09 旅人は今日も行く 5/5 ◇InwGZIAUcs:07/10/14 03:13:11 ID:k5GFLHmN
 ミサキッサを地図に埋める。という目的も果たせた彼の後ろ髪を引っ張るのは、今は目標を邪魔するものでしかないのだから。
「そうですか……もう少し旅の話を聞きたかったけど残念。ねーイッチ?」
 突然あらぬ話題を振られたイッチは、ウルルの肩からコケ落ちそうになる。
「な、おいらは別に関係ないだろ?」
 さすがは主人といったところで、使い魔のことなどなんでもお見通しのようだ。
 また、中々鋭くマルセスも察していたようで、
「子守唄になるくらいつまらない話かと不安だったけど、ごめんなイッチ、今度はゆっくり話を聞かせてあげるよ」
 なんて、顔を赤くして否定する可愛らしい使い魔をからかったりした。
「だーかーらーオイラは関係なーい!」
 地団駄を踏むイッチと笑いあうウルルとマルセス。
 そして、これを機と見たマルセスは頭を下げると、踵を返し手を上げさよならの合図を送った。
 笑顔で別れることが、旅の出会いを楽しくする心意気だと彼は知っているのだ。


 マルセスが発った夜、一枚地図を忘れていったのに気づいたウルルはどうしようか迷ったが、結局追いかけることは諦める
ことにした。幸いまだ何も書き込まれていない地図で、おそらく彼はこれ以外にも数枚ストックを持っていた筈である。
 地図を眺めながら、ウルルは何気なくイッチに話題を持ちかけた。
「ねーイッチ。本いつ本できるかなー? 楽しみだね」
 つまらなさそうに、イッチは毛づくろいしながらその声に応える。
「おいらは多分……本、できないと思うんだ」
「あら、なんで?」
「だってあの兄ちゃん、旅自体を楽しみすぎているんだ。きっと本をまとめる作業してる時間なんか、勿体無く感じちゃうんじゃないかな?」
 短い足を組んで語る一致に、ウルルは少し意地悪く笑った。
「ふふ、やっぱり熱心に聴いていたんだね。意地っ張りな使い魔件、ナイトさん?」
「……」
 今度こそ完全に墓穴を掘ったイッチは、涙目を隠すようにさっさと自分の寝床へと潜ってしまった。


 遠くの森で、盛大にくしゃみをしたマルセスは、寝袋を広げ早めに寝ることにした。
 健康管理こそ、長旅に一番大切な要素であると知っているから……。            《終わり》



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