【 呼ばれる 】
◆ZRkX.i5zow




14 :No.04 呼ばれる 1/4 ◇ZRkX.i5zow :07/10/13 17:26:51 ID:FHWXMZxT
『ウエキ』と呼ばれた少年がいた。
 本名はサトウユウタであった。
 いわゆる、あだ名である。しかしそれは親しみを込めたものではなかった。
 いわゆる、蔑称だった。よくあると言えば酷い、しかしチッポケな理由である。
 小さい頃からユウタはシャックリが止まらなかったのだ。そこから、誰がつけたか、誰がどんな思いで呼んでいるのかはさっぱり分からないが、
ユウタにとっては嬉しいことではなかった。
 それは病院にも行った。薬にも頼った。手術の話まで出た。しかしユウタはそのままにしておいたのである。手術なんて怖かった。シャックリが
止まる事で、一緒に心臓まで止まりそうな気がした。嫌なモノもその内慣れる、と自分に言い聞かせた。
 そして、ユウタは『ウエキ』と呼ばれた。慣れた筈である。三年くらい、飽きもせず言われ続ければ、慣れた筈であった。
 しかし三年の内、一回も言われていない事を、ついに今日、今さっき、たった今、『ウエキ』は言われた。
「お前の家族もシャックリ止まらねえの?」
 飯食ってるときとかさ、歯ァみがいてるときも、風呂入ってるときも、クソしてるときもさゲラゲラゲラ。
 知るかよ糞。ユウタは放課後を告げるチャイムと同時に教室を飛び出した。どうしようもない、何も言い返せない。ならお前らの
親も腐っているのだろう、と内心思うしか無かった。夕焼けの光がさす、公園のベンチで俯いて泣くしか無かった。
 それを片隅で見ていた女の子がいた。同じクラスのサキであった。クラスの中でも背が高いサキは見つからないように、制服のスカートを
抑えて身をかがめ、ユウタを後ろから見ていた。度が合わない眼鏡を持ち上げて、目を細める。ユウタはいつもシャックリを続けていたが、
サキには泣いているという事がはっきりと分かった。
 サキは恐る恐る声をかけようとした。が、その言葉を遮るようにユウタ先に言った。
「……なんだよ」
 予想外の反応にサキはたじろいだ。何を言おうとしたか、数秒前に考えたことが飛んでしまった。
「あ、の」
「僕なんか、構わない、ックでよ」
「だ、だいじょう……ぶ?」
 何を言おう。何を言えばいい? サキのそんな混乱に構わず、ユウタは続ける。
「帰ってよ」
「そんな訳じゃあ……あ、ハンカチ――」
 瞬間、ポケットから取り出したハンカチを、ユウタはサキの手ごとなぎ払った。
「泣いてなんか無いっ!」
 ユウタはいよいよ惨めになった気がした。まともにサキを見ていられず、またどうしようもなくなって、逃げるように走り出した。
 残されたサキは、地面に落ちて土のついたハンカチをしばらく眺めた。大きく息を吸って、それをようやく拾った。

15 :No.04 呼ばれる 2/4 ◇ZRkX.i5zow:07/10/13 17:27:28 ID:FHWXMZxT
 ◆
『ウエキ』は今日もからかわれいる。
 他の多数の生徒が興味なく、自分達のグループで騒いでる中、サキだけは横目で窺っていた。先生に言いつけてやろうか――そんな事も
思う。けれど、ユウタからすればどうなのだろう。余計酷くなったりしないだろうか。
 そんな不安で、チャイムは鳴った。眼鏡をちょいとなおす。今日も皆は机から教科書を出す。

 昼休み。変わらない。彼は俯いてパンをかじっている。
「サキーどうしたのボーっとして」
「ぅえ?」
 急に一緒のグループの友だちに話しかけられて、上ずった声。
「朝からなーんか元気ないし」
「べ、別に」
 もう一人の女子が頬杖をつきながら、さっきまでサキが見ていた方向に目をやった。
「あいつらの事なんじゃないの?」
「あー、酷いよね」
「……」
「でもさー、アイツ、ちっさい頃からシャックリ止まらないらしいけど」
「あ、そうなの? 初めてのクラスでなんかずっとシャックリしてるからなんかあるとは思ってたけど、へぇ、そうなんだ」
 それから頭を下げて声を潜め、言った。変わらない事だった。
「正直、変じゃない?」
「変じゃない!」
 サキは声を荒げて反射的に立ち上がった。数秒後に自分が何をしたか把握し、力なく愛想笑いしか出来なかった。弁当箱をそそくさと
ランチクロスに包み、カバンの中に無理やり押入れ、どこへ向かうでもなく教室から出て行った。
 自分もやはり他人と変わりないのだろうか。

 先生の連絡も終わって、放課後。今日は掃除当番だった。彼はすぐに教室に背を向けていた。

16 :No.04 呼ばれる 3/4 ◇ZRkX.i5zow:07/10/13 17:27:53 ID:FHWXMZxT

 そりゃあ、止まるに越したことはないし、止まったら、からかわれなくなるだろう。けれど、息を止めても水を飲んでも驚かされても
止まらないものは止まらない。止まらないからからかわれる。これは仕方が無い事なのだろうか。
 授業中も、昼食の時も、休み時間も。
 ……どうでもいいや、とユウタは思う。
 だからこうして後ろからの声も無視していられる。下足室から裏門への道。だれも聞いていない。僕も聞いちゃいない。放っておけば
いいさ、こんなもの。
 背後のデブが言った。
「なあーウエキー、お前のシャックリ止めてやろうか」
「あ、俺知ってる、脅かせばいいんじゃん」
「ほら!」
 後ろから、背負ったカバンごと突き飛ばされた。よろめいて前のめりになる。ふと見えた影も自分と同じくよろめいていた。
シャックリは止まらない。
「あれ、止まらねーじゃん。はは、母さんじゃないと無理か?」
「なー、でも、それじゃあ皆で殴りあわなきゃならないんじゃない?」
 足が止まった。……これも無視をすればいいのだろうか。分からない、分からないけれど……。思い出す。
 ――お前の家族も? 僕のこと、あれは僕のことだ。関係なくなんて……。
 いけない気がした。
 気がつけばユウタは振り向き、飛び掛っていた。
「このやろう! ふざ、ック、んんなよ!」
 飛びながら殴った。相手は驚いて転んだ。勢いでユウタも頭から転がった。すぐに返そうと立ち上がろうとする。昨日の言葉が胸に食い込む。
あの言葉。死ねばいいのに。背中が急に重くなる。頭に思い衝撃が走る。くそうくそう。てめえら全員ぶっ殺してやる。死ね死ね。体が動かない
腹がいたいすねを打った髪がひっぱられた後ろから悲鳴が聞こえた。悲鳴? 地面に擦り付けられた頭を回した。誰?
「や、めなさいよ! この! この!」
 野郎の頭越しに見えたのは、竹箒を振り回すサキであった。髪を振り回して、チリトリで殴り、箒で突いて。ユウタの手にもう一本の箒が放られた。
 ユウタは受け取ったそれを呆然と眺めていたが、やがてギュッと握り締めて、
「うわああ! この! この!」
 殴った。二人で殴って殴って殴った。
 初めての抗議だ。ユウタの、ユウタに対する抗議でもあった。一心不乱に振り回した。

17 :No.04 呼ばれる 4/4 ◇ZRkX.i5zow:07/10/13 17:28:17 ID:FHWXMZxT
 ◆
「なんであんなこと、ック、したの」
「三対一なんて、卑怯、だから」
 サキはユウタが買ってやったジュースをチビリと飲んで言った。
「職員室、あそこから遠いし」
「そのせいで僕らが怒られたじゃないか、あいつらは逃げたのに」
「それは明日のお楽しみ」
 さも嬉しそうに、ユウタに笑うサキ。目を丸くして、それからユウタは顔を逸らし、
「お前まで、なんか言、ゥェック、われるんじゃないの?」
「そしたらまた二人でやっつければじゃん」
「……」
 言葉に詰まる。
「なんで、ッキェ、あんな事……」
「職員室が、遠かったから……」
 サキは思う。決意にも似た思い。眼鏡をそっと外す。
「……ねえ、知ってる? アタシなら本当にシャックリ、止められるよ」
「え?」
 二の次の言葉が出なかった。
 もう一度サキの顔を見た時、サキとの距離はゼロだった。眼鏡を外した顔は初めて見た気がする。買ってやったオレンジジュースの味がした。
 シャックリが止まった。
 何分と思えた時間は実際は数秒で、顔が離れたと同時にパッと眼鏡をかけた。下を向いて、今度はサキが訊いた。
「……二人でやっつけるのは、嫌?」
 ユウタから嗚咽が漏れる。とめどなく涙が溢れた。みっともないと思ってるのに、肩を震わせ、またシャックリが出てしまい、なんとか
「うん」と返事が出来るだけだった。

 いつもとは違う、心からのシャックリであった。



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