【 まっすぐ 】
◆Op1e.m5muw




72 :No.17 まっすぐ 1/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/08 00:19:41 ID:GHgD87hW
 十一月も終わりに近づくと、朝晩はだいぶ冷え込む。
 暖房の効いた自室のベッドに仰向けに寝転んで、僕はぼんやりと天井の蛍光灯を見上げていた。
 手に握っていた携帯が規則的に振動して、メール受信を告げる。
 それが誰からでどんな内容か、僕にはわかっていた。ひとつ深呼吸をして、僕は左手を持ち上げ新着メールを開封した。
「今は秀明っていう彼氏がいるから、申し訳ないけど秀明以外のことそうゆう風に考えられない。でも、もし友人として相談したいこ
とがあったら、遠慮しないで言ってね?」
 普通なら絶望に手で顔を覆うところだろう。しかし、今の僕には希望と覚悟、沸き立つような闘志しかない。
 これでようやく、僕は一世一代の大勝負のスタートラインに立つことができたのだから。

          ********************

 僕と井出佐緒里がメールをするようになって八ヶ月。一学期の委員会が一緒になったことがきっかけだった。定期的にやりとりをす
るようになったのはひと月後、五月に早くも訪れた、僕の高校初失恋を彼女に優しく慰めてもらってからだ。
 優しいだけじゃなく真っ直ぐに向き合ってくれる彼女とのメールは楽しい。暇さえあれば送りたい、というのが僕の本心で、最初の
一週間は実際そうしていた。でも、僕とは違って彼女にはカレシがいた。毎日連絡を取り合っていたらカレシに申し訳ないし、あらぬ
誤解を受けて彼女に迷惑をかけないとも限らない。そう思った僕は自分の中にルールを作った。
 毎週月曜の夜10時からどちらかが眠るまで、これぐらいならカレシにも大目に見てもらえるだろう。
 そうして七月に入る頃には彼女もこのルールに気づいていて、お互い一週間にあったことをまとめて報告する習慣になっていた。も
ちろん一週間の出来事だけじゃなく、時には将来のことや彼女のカレシのこと、友達のことなど色々な悩みを相談しあった。大抵は
ちゃんとした答えなんて出せなかったけど、次の日の朝には少し前向きな気持ちになっていたのは僕だけじゃないはず。
 メールを繰り返せば繰り返すほど、彼女のことを知れば知るほど、どんどん僕は夢中になっていった。

 彼女は純粋だった。僕と真っ直ぐに向き合ってくれたのは、彼女にとって特別なことじゃない。彼女はすべてに対してそうなのだ。
すべての人、すべての言葉、すべての出来事を真正面から受け止める。その上で、どうするべきか自分だけじゃなく相手の視点から真
剣に考る。そして、その結論をそのまま言葉や行動にする。不器用なほどまっすぐなのだ。
 それに気づいた時、僕は自分がひどく捻じ曲がった人間に思えて恥ずかしかった。
 小学校からずっと変わり者と呼ばれてきた僕。自分の頭の中では当然のことをしているだけなのに何故そう呼ばれるのか、最初は理
解できなかった。でもそのうち人と違うことにも慣れてしまって、全て自分で考えて全て自分なりの答えを導き出してきた。そしたら
ますます人とズレていって、人と違うのが当たり前、誰かの気持ちなんて決して理解できないのだと思いながら生きてきた。
 そんな僕にとって、彼女の純粋さは自分に決定的に足りないものだった。だから彼女に憧れ、尊敬するようになった。

73 :No.17 まっすぐ 2/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/08 00:20:35 ID:GHgD87hW
 その事を彼女に言ったら、逆に僕の個性がうらやましいと言われた。私は人に影響されてばかりで、揺るぎない自分自身というもの
を持っていないから、と。
 よりよい方向を目指して真面目に考えながら生きる、という点で全く同じなのに、その考えるプロセスが正反対な僕と彼女。
 お互いの自分にはないものが眩しくて、だからこそ相手と話し合うことが楽しかった。

 一学期が終わる頃には、何かあるたびに僕は「これは月曜日に言おう」なんて考えるようになっていて、日曜の夜は明日が待ち遠し
くてしかたなかった。待ち遠しさのあまり、彼女にカレシがいなかったらなぁ、いや、自分が……なんて考えが頭をよぎることもあっ
て、そんな時はそれ以上考えないように思考を遮断した。
  今振り返ってみると、この頃からもう僕は彼女に惹かれていたのだろう。
 でも当時の僕は、この気持ちは親愛の情で、彼女のことは人間として好きなだけだと思っていた。いや、思おうとしていた。本当は
自分の気持ちに気づいていたけど、それを否定したかったのだろう。
 彼女がどれだけカレシの事を愛しているかは他の誰より理解していた。いまさら俺が好きになった所で、どうしようもないのだ。
 そして、彼女とのメールは、カレシも含めたお互いの信頼関係の上に成り立っている。もしここで僕が「好きだ」なんて言い出した
ら、今まで積みあげてきたものは全て崩されてしまう。きっとメールもできなくなるに違いない。それだけは避けたかったから。
 
 だから、ちょうどそんな時に別の女の子から告白されたのは都合がよかった。
 夏休みに行われた中学三年のクラスの同窓会。当時付き合っていた志乃から「もう一度やりなおせない?」と告白されたのだ。
 志乃を好きという訳じゃなかったが、これから好きになれるかもしれない。そうすれば、佐緒里に対する自分の気持ちを疑う必要は
なくなり、佐緒里とはやましい事なく友達としてメールし続けられる。自分に手の届く、最高の展開だ。だから、僕が志乃に返した返
事は当然OKだった。
 しかし、ことは僕の思いとは逆の方向に進んでいく。
 誤算だったのは、感情っていうのが理性的な判断や打算の言うことを全然聞いてくれないということだ。
 もちろん志乃のことを好きになれるようできるだけの努力はした。メールは気づいた時にすぐ返し、サッカー部の練習が終わってか
らヘトヘトの身体に鞭打って自転車で会いに行き、週二日の予備校の日には代わりに電話をして色々なことを話した。お互いの高校の
こと、同窓会で再会するまでにあったこと、お気に入りの歌手や最近好きなテレビ番組――。
 だけど、志乃の言葉を聞けば聞くほど、佐緒里だったらどう言うか考えてそれと比べて、あろうことか志乃を物足りないと感じてし
まう自分がいた。時には会話もうわの空で、「どうしたの?」と心配げに見上げる志乃の瞳を真っ直ぐに見ることができなかった。
 十一月半ば、志乃と付き合い始めて三ヶ月も過ぎた頃には、いいかげん僕は認めざるを得なくなった。
 僕が好きな女の子は井出佐緒里だということを。
 そうして、やらなければいけないことが二つできた。

74 :No.17 まっすぐ 3/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/08 00:21:26 ID:GHgD87hW
 それは両方とも裏切りで、できれば避けて通りたい決断。でも、自分の本当の気持ちを認めてしまった以上、僕があるべき僕である
ために避けて通ることの出来ないもの。

 十一月最後の月曜日。
 つまり、今日。
 僕は、それを行動に移した。

 部活が終わった後、志乃に会いに行った。いつもだったら志乃の部屋に上がってお喋りするのだが、今日は頼んで近くの公園まで一
緒に来てもらった。
 志乃の家から公園まで五分ほど、隣に並んで歩いている間僕たちは何も喋らなかった。僕は、これから彼女にすることの罪悪感と、
それを受け止める覚悟を揺らがせないために。志乃は……わざわざ人気のない公園にまで呼び出して僕がどんな話をしようとしている
のか、それに薄々気づいていたのかもしれない。
 八時前の公園は、僕たちが腰掛けるベンチと、ひとつぽつんと辺りを照らしている電灯以外何もなくて、もちろん誰もいなかった。
 覚悟がにぶらないうちにと、ベンチに並んで座ってすぐ、僕は何の前置きもなく本題をぶつけた。
 志乃には、佐緒里のことは時々メールする女友達程度にしか話していなかった。佐緒里と今までどんな関係にあったか、僕は佐緒里
をどう思っていたのか。僕の高校生活の中核ともいえる話を、志乃に話すのはこれが始めてだった。
 志乃と付き合ったきっかけ、僕の努力、そして今更気づいてしまった本当の気持ち。
 星も見えない黒い空に視線を漂わせながら、淡々と語った。
 話の向かう先がはっきりしてきたとき、不意に志乃の肩が揺れた。
 横目に見ると志乃がうつむいていて、その横顔には、涙の筋が電灯を反射して光っていた。
 胸が締めつけられて、痛い。それでも僕は話すのを止めなかった。
 話すべきことをすべて話しおわって、沈黙が訪れる。すすり泣く声だけが静かな公園に響く。
 どれだけ経ったのだろうか――ただ待つしかない僕にはとてつもなく長い時間に感じた――ひとつ息を吸って、志乃が口を開いた。
「ほんとはね、気づいてたんだよ? 誰か他に好きな人がいること。だから、きっとこうなるんじゃないかな、って思ってた。そうな
らないように祈ってたけど……やっぱり、しょうがないんだよね」
 無理に明るく作られた声色。
 どれだけ非難を浴びせかけられるかわからないが、その全てを歯を食いしばってでも受け止めよう。
そんな決意を固めていた僕には全く予想外な言葉だったけど、震えるその声は嗚咽を隠しきれていなくて、でも僕にはそんな彼女を慰
める資格などあるはずなくて、ただ見ていることしかできない。それがどんな言葉よりも痛かった。

75 :No.17 まっすぐ 4/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/08 00:22:05 ID:GHgD87hW
 結局、彼女の見え透いた空元気に僕はなんにも言えないまま、背中を押されて公園を去るしかなかった。
 帰り道、三ヶ月前の自分を心の底から罵った。志乃が飲み込んだであろう言葉の全てをぶつけるつもりで。
 でも、今回の決断には決して後悔しなかった。
 だから心に誓った。
 志乃を傷つけることはわかっていた。それでもこの道を選んだのだから。
 自分の全てを、この恋にぶつけよう。

 家に帰ってそのまま自室へ。
 冷えた身体を温めるために暖房のスイッチを入れ、ベッドに仰向けに転がり、僕はもう一つのけじめに取りかかった。
 七ヶ月間ずっと続いてきた幸せな月曜日。
 それを自ら終わりにすると思うとさすがにメールを打つ指は重くなった。それでも志乃の涙が、帰り道の決意が僕を動かした。
 
 今まで七ヶ月間のメールは本当に楽しくて、佐緒里のことを人間として尊敬しているのは今も変わらない。
 でもメールを繰り返すうちに、だんだん別の感情も生まれてきて、それが愛情だと気づいてしまった以上、「友人」としていままで
のようにメールをすることはもうできない。
 「友人」として信頼されて、だからこそ今まで色々相談し合ってこれたのに、その信頼を裏切ってしまって申し訳ないと思ってい
る。それでも、その信頼に嘘を返すこと、自分のこの気持ちに嘘をつくことはできない。
 佐緒里がカレシを愛してるのは知っているし、今いきなりこんなことを言っても困らせるだけだとわかっている。それに自分にとっ
て今一番大切なものを賭けた勝負だから、納得いくように頑張りたい。
 だから、しばらく自分を磨いて、自分で自信を持って告白できるようになったら改まって告白する。それまで今までみたいにメール
する事はないけど、その時になったら僕の気持ちを正面から受け止めて、佐緒里らしくしっかり考えて納得のいく決断をしてほしい。

 自分のきもち、考えは頭のなかにはっきりあるのに、ちゃんと伝えられる自信がなくて何度も打っては消してを繰り返した。
 一時間ぐらいかけてようやく形になった頃には、暖房が効きすぎたのだろうか、携帯を握る手にじっとりと汗をかいていた。
 あとは送信ボタンを押すだけ。目を閉じて、深呼吸して、親指に力を加える。
 
 僕の意図は、彼女に伝わるだろうか。……いや、きっと伝わる。きっと彼女なら、僕に告白のチャンスを与えてくれるはずだ。

 目を開けると、液晶画面には「送信しました」の文字。
 なんだか力が抜けて、僕はぼんやりと天井の蛍光灯を見上げた

76 :No.17 まっすぐ 5/5 ◇Op1e.m5muw:07/10/08 00:22:47 ID:GHgD87hW
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 次の日からの僕の努力は、僕を知る全ての人に驚かれるほどだった。
 佐緒里に惚れられるために何をどうすればいいのか? そんなの、わかるわけない。 
 わからない以上、勉強、運動、そして人間的魅力……自分で改善できる全てで、佐緒里のカレシ、秋山秀明を上回るしかないのだ。
 朝は今までより30分早く起きる。朝食をしっかり食べて一日闘うエネルギーを蓄え、丁寧にワックスで髪を整えて少しでもかっこ
よくなるためだ。そして余裕をもって登校。心にゆとりがないと、精神が貧しくなってしまうらしい。
 今までほとんど真面目にやっていなかった学校の授業。ためになるものは全力で取り組み、挙手したり質問したりした。そうでない
授業の時間も無駄にはできない。他の授業や予備校の予復習、そして尊敬できる先生に薦められた参考書を解くのに使った。
 午後の授業も気合で乗り切り、放課後には部活のサッカーに精を出した。全員での練習はもちろん本気で取り組む。練習が終わって
から予備校が始まるまで、夕食の時間を差し引いても少し時間が余る。その時間は自主トレに費やした。
 そして予備校、全力運動の後の強烈な眠気を必死にこらえて、必死に内容を脳にねじ込んだ。予備校の授業は週二日しかないが、毎
日同じ時間に通って授業のない日は自習室にこもった。
 毎日毎日、その日持っているエネルギーを全て出し尽くして家に帰る。風呂に浸かったまま眠ってしまうことは日常茶飯事で、そう
でなくても入浴を終えてベッドに転がると、大抵は数分で意識を失った。多少元気な日には寝転がったままファッション雑誌を眺めて
お洒落の勉強をしたが、数ページと進まないうちに寝てしまうので一冊しっかりと読み終わるのに半月もかかった。

 そうして僕たちの高校一年が終わる終業式。

 学年末試験では、一年最初の試験から順位を150以上あげて402人中32位。クラスではトップだった。
 部活でも、試用ながら練習試合でスタメン起用されるようになった。
 先生にも友人にも「変わったな」と褒められ(ていると信じている)、女の子の視線も変わったと思う。

 それでもダメだった。
「私が今好きなのは秀明で、やっぱり他の誰と比べることもできない」
 放課後の教室にその言葉を置いて、彼女は去っていった。
 結局、比較対象になることすらできなかった。
 それでもやれることはすべてやった。全身全霊をかけて努力して、最高速でここまできた。
 だから、もっとああすればよかったとかこうすればとか、そういう後悔はこれっぽっちもない。
 ただちょっとだけ、僕が秋山秀明として生まれなかったことが悔しくて、目をこすった。          (了)    



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