62 :No.15 敗者たちの時代 1/5 ◇f/06tiJjM6:07/10/08 00:10:37 ID:GHgD87hW
「敗者たちの時代」
君は中学生の君を覚えているだろうか。何をするにも未熟で我慢を知らなくて、それでも真剣だったあの
時代を。将来の夢はと聞かれてもつまらない答えしか出来なくなった僕らの中であいつだけは違っていた。
「オリンピックに出て金メダルを取りたいです!」
先生はそれを聞くと嬉しそうに、おう、よく言った、と誉めるのだった。
上手く説明できなかったけれど恥ずかしいやつに見えた。なんだ格好つけやがって。それなのに、桜が舞い
散るグラウンドを爆走するオリンピックのやつを見たとき、僕は口をぽかんと開けて突っ立つしかなかった。
「こんにちは。入部希望者ですか?」
虚を突かれて僕はびっくりするくらい馬鹿正直に答えていた。
「はい。」
じゃあこっちです、その女子は僕の手をとって先生のところへ連れていった。
先生は、体操服に着替えてメニューはこの白石に聞け、とだけいってあっけなく僕の入部が決まった。
練習はきつかった。最初の1週間はゲーゲー吐いた。それでも誉められるのが嬉しくて、頑張って練習
して、また吐いた。走るのは遅かったが、それでもチームの1人であることが誇らしくて、
「ウチはエリート集団だからな。」と吹いた。
それを聞いたキャプテンの内山先輩は怒った。
「お前、調子に乗るのもいい加減にしろよ。なにがエリートだよ。誰がエリートなんだよ!」
僕は自分の馬鹿さ加減が悔しくて泣いた。そしていい歳をして泣いている自分に泣いた。元気出せよ山田。
オリンピックが落ち込んでいる僕を励ますのだった。
63 :No.15 敗者たちの時代 2/5 ◇f/06tiJjM6:07/10/08 00:11:48 ID:GHgD87hW
夏休みをがむしゃらに走っていると、あっというまに新学期が始まった。キンモクセイがぷんと香る。
駅伝の地区予選会の為に土日は試走を繰り返す日々だった。僕はアンカーを任されていた。このコースを走る
のかと思うと胸がドキドキする。駅伝で一番心が躍る瞬間を知っているだろうか。それは誰もいないコース
に襷を掛けたチームメイトが姿を現す時だと僕は信じている。初めてその瞬間に立ったとき僕は
「内山さん!」と連呼していた。いつも練習でみんなを笑わせているキャプテンが変な顔をしてこっちに向
かって走ってくる。先輩、鼻水垂れてますよ。僕は鼻水のついた襷を掛けて走り、5位になった。
県大会も僕はアンカーだった。3年生はこの大会で引退するつもりのようだ。もう11月だ。僕は一区を走
るオリンピックを見ながらウォームアップをしていた。地区大会では一番に中継所に帰ってきたオリンピックは
先頭集団から遅れている。速いとはいってもまだ2年生だ。他の学校の3年生は僕が想像していたよりも
ずっと速いのだ。僕は前と同じように、けれども今度は随分後ろの順位でゴールした。
大会が終わってから僕はずっと変だった。ちょっとしたことがやたらと気に障り、いつだったかあんまり
腹が立つので家の壁をぶん殴ったら指の骨が折れた。雪が降ったある日、教室で陸上部の女子がストーブを囲
んでいた。今日練習ダルいよね、と誰かが言った。僕は着替えを終えて練習メニューに目を通していた。
「そんなにダルいなら来んなよ。来なくていいよ。」
僕はどうかしていたんだと思う。只のおしゃべりにそこまで攻撃的になる自分が情けなかった。沈黙した教
室を後にして僕は全力疾走する。そうすればなにもかも忘れられると思ったんだ。
僕は以前にも増してがむしゃらに練習した。オリンピックのやつにもムキになって競争をしかけた。負ける
と本当に悔しくてまた練習した。
「山田ってさ、努力家だよね。最近すごいじゃん。偉いよね。」
まったく僕ときたら。白石洋子が話しかけてくれたのに、気がついたら口が勝手に動いていた。
「努力なんて言葉、大っ嫌いなんだよ。一番嫌いな言葉だ。努力の何が偉いんだよ。」
オリンピックのやつが好きだとこっそり教えてくれた白石洋子の顔を、僕ははっきりと覚えている。
64 :No.15 敗者たちの時代 3/5 ◇f/06tiJjM6:07/10/08 00:12:35 ID:GHgD87hW
3年生になって、春の地区大会で僕は優勝した。シーズンイン直後に全国大会標準記録にコンマ3秒
に迫ったということで先生も驚いていた。オリンピックは4位でチームのエースはこのときから僕になった。
気分が良かった。県大会で僕が優勝候補だとどこかで聞くたびに笑いをこらえていたんだ。自分ではま
ぐれだと思っていたし、また同じように走れるとは思わなかった。
県大会の男子3000mの決勝は、今まで味わったことのない異様な緊張感のなかで準備した。先生が
栄養ドリンクを指し入れしてくれて、それを2本飲んでスタートラインに立つ。スタンドのみんなが小さく映
っている。ピストルの音と同時に僕は飛びだして先頭を引っ張った。
「先頭はクガヤマニシチュウガクの山田くん。」
アナウンスがそう放送するたびに力が湧いてくる。僕はずっと独走しているつもりだったのだけれど実はそうで
はなかったらしい。僕をペースメーカーにしていた先頭集団がラスト一周で追いついてきた。必死に腕を振
ってスパートを掛けたけれども、みんな今スタートしたばかりのように軽々と追い抜いていく。僕は標準記録
にまた1秒届かず、関東大会と全国大会の両方の出場権を逃してしまった。
走り終わった後、みんなが励ましてくれたけれど、僕は全然悔しくなかったんだ。だってそうだろ。相手は
めちゃくちゃ速いやつらだったんだ。
駅伝の季節がやってきた。キンモクセイの匂いを嗅ぐとそう実感する。今回、僕はエース区間の一区を走
る。夏の大会が終わって引退したサッカー部や野球部を加えてチームはさらにパワーアップしていた。どこに
も負けないと思えるチームだ。地区予選大会で僕らのクガニシチュウは先頭を譲ることはなかった。唯一ア
クシデントがあったとすれば、アンカーの2年生タニシがメガネを掛けずにゴールしたことだ。走っている途
中で落としたのだという。走る前、メガネにつけていたホルダーは役に立たなかったらしい。割れたメガネを
かけてタニシは軽量化されて良かったですよ、とおどけて見せた。
そうして県大会、最後の冬、僕はもう推薦で高校は決まったも同然だった。大会1週間前、僕とオリンピッ
クは先生に呼びだされた。
65 :No.15 敗者たちの時代 4/5 ◇f/06tiJjM6:07/10/08 00:13:18 ID:GHgD87hW
「今から神奈川に行く。小学生の大会の補助員をやってもらう。」
訳が分らないまま車に乗せられ、一日中、競技場で召集用紙を配って歩いた。
補助員の仕事が終わってまた車に乗ると今度は「ラーメン食べにいく。」と言ってラーメン屋に入った。
「どうだった。」
先生がラーメンをすすりながら僕らに聞いた。
「小学生の大会は初めてだったのでいい経験でした。」と僕がいうと、「おまえは馬鹿か。」と怒られた。
「あの競技場は今年の関東大会の会場だ。あそこをお前らは走るんだぞ。よくイメージしとけ。」
山田は弁当ばっかり気にしてましたよ、とオリンピックが言って先生は苦笑いをしていた。
クガニシチュウは下馬評では関東大会出場候補というところだ。それでも僕らは誰ひとり優勝を信じて疑
わなかった。こんな最高のメンバーで負けるわけがない。根拠のない自信があった。
だが、その自信はスタートする前から大きく揺れた。二区のタニシが集合時間に来ない。慌てて電話を
掛けた。この野郎集合時間何時だと思ってる。タニシのお母さんが電話に出る。
「ああ、山田くん。御免なさい。ウチのコお腹が痛いってさっき救急車で運んだの。今日大会なのよね。」
タニシは盲腸だった。サブのサッカー部が急遽走ることになったのだけれど、まだ関東大会がある、僕ら
は掛け声を合せた。関東大会は上位5校、つまり5位までが出場権をえることができる。
一区で僕は予選会と同じようにスタートから飛ばした。時々後ろを振り向くが誰も追ってこない。広いト
ラックに入ると区間賞を取れる嬉しさで一杯になった。襷を持ってぶんぶん振りまわす。
二区はサッカー部だった。別にサッカー部だからサブというわけではない。突然の選手起用といい、不安
要素は多かったが予想をいいほうに裏切って好走した。差は少し縮まったが依然1位である。
三区はオリンピックだった。笑みを浮かべている。僕は勝てると思った。襷を受け取ったオリンピックは、
あっというまに姿が見えなくなった。優勝だ。行けーー!オリンピック!
次のランナーが緊張している。山田さん、優勝っすかね。ああ、そうだよ。おまえが抜かれなければな。
僕、緊張してますよ。普通に走れば大丈夫さ。僕らは笑いながら全国大会を描いていた。
しかし、先頭で帰ってきたのはオリンピックではなかった。1人行き、2人行き、オリンピックは17番位
で帰って来た。すまん。ごめん。泣きながらぐっしょり濡れた襷を後輩に繋ぐ。さっきまで目の前にあっ
た全国が手から離れていくのを感じた。オリンピックは走り終わった後ずっと泣き止まないでいた。
四区と五区、そしてアンカーの六区と僕らは追い上げた。5位以内なら関東大会出場権を得られる。
最後、競技場のトラックに入った時、僕らは6位だった。前との差、200mが僕らの最後の大会となること
を告げていた。それでも僕は声を限りに叫ぶ。嫌だ!まだ終わりたくない!嫌だ!
66 :No.15 敗者たちの時代 5/5 ◇f/06tiJjM6:07/10/08 00:14:11 ID:GHgD87hW
あんなに悔しかったのに、あんなにも一生懸命だったのに時間が経てば全てが笑えてくる。
いつだったろう。騒がしい教室で君は僕に言ったね。
「人に勝ちたいと思わないか。」
僕は答えなかった。僕には僕の先があって君には君の先があるはずだから。
応援してるぜ、とだけ僕は言った。
(完