【 竹尺物語 】
◆ba/RH2FpPo




26 :No.06 竹尺物語 1/3 ◇ba/RH2FpPo :07/10/07 01:38:20 ID:QMbbAFZp
 今は昔、竹取の女といふものありけり。
 女は自ら望んで竹を取っていたのではない。同年代の悪しき少年少女達の命を受け、来る日も来る日も竹を取らされていたのだ。バ
ンブ――東洋の某国の資産家がある日唐突に竹を買い占めたのをきっかけに、世界中で十数年にわたり起こった竹市場の好景気――が
崩壊してからというもの、すっかり時代にそっぽを向かれてしまった竹という資材。女の暮らす街では、そんな時代遅れの資材を持ち
歩いているだけで、後ろ指を差された。女がまだ少女と呼ばれるに相応しかった十三、四の頃、彼女にそんな竹をわざわざ取らせると
いう「遊び」は人気を博していた。世帯ごと村八分というわけではなかった。彼女の両親も、八人の兄弟姉妹も、十人十色の好ましい
人間性で周囲に愛されていた。なぜか顰蹙ばかりを買い集めたのは、女ただ一人。……悪しき少年少女は竹が欲しかったのではない。
毎日数本の竹と共に街中を闊歩し他人から嘲笑を受ける彼女の、屈辱に歪む表情のみを求めていた。

 ああ、そんな日々もあった。女は港にてひとりごつ。時間で言えば、ほんの三日前までの日常。けれどもすべては海の向こうに置い
てきた。テトラポットに背中を預け、やわらかな浜風を浴びているとまどろみさえ覚えた。前の街ではビル風さえも自分を責めている
ように思われた。潮の匂いもただただ鼻を差すだけだった。心地良い。このまま海と一緒になりたい。未成年の自分が誰の助力もなく
見知らぬ街で生きていけると思うほど、女は無知ではなかった。海と反対側には華やかな街が広がっていたが、そこへ踏み出す勇気は
湧かない。
 それでも腹は減る。巾着から携帯通信機を取り出し日付を確認した。故郷の街を離れてからとうに三日が過ぎている。気づけばコン
クリートの上で仰向けになっていた。この澄み切った空のごとくに空腹だ。視界が青い、
白い、黒くなる。

「目覚めたか。君、名前は?」
知らない部屋で、知らない男がそう問うていた。女は答えない。そう遠くないうちに海の藻屑となる身、警戒心はなかった。しかし今
まで十中八九虐げるためにしか呼ばれなかった名も、いい加減捨ててしまいたいのだ。
「俺は部長」
女が返事をしないのも意に介さず、男は名乗る。よく聞けばそれも名とは呼べないが、とにかく男は部長であるらしい。
「歳は?」
「十七」
「歳は教えてくれるのか。うん、そうか十七か」
自分の歳を知ったことのどこに、顔をほころばせる要素があるのだろう? 女はいぶかしんだが、部長はすでに通信機で何者かと連絡
を取っていた。
「十七なら簡単だ。学生だからね、寮に入れば良い」
女は自分に身寄りがなく行く当てもないこと以外ほとんど何も話していない。対して部長のほうは毒にならないことと薬になることを

27 :No.06 竹尺物語 2/3 ◇ba/RH2FpPo :07/10/07 01:39:11 ID:QMbbAFZp
話し続けた。部長が出してくれた赤い飲み物は、存外優しい味がした。

 女は街の学園に通った。部長は一つ年上らしい。そして名の通り、「竹尺部」という部活の部長を務めていた。女も編入してすぐに入
部を勧められた。初めは学園に馴染みやすいようにとの部長の配慮と認識していたのだが、どうもそれだけではないらしい。ある日部
長は言った。
「君、竹を取るのが得意だろ? 海で君を拾ったとき、良い竹を背負っていた」
竹。その言葉に、捨てた街での記憶が蘇る。女はあからさまに顔を曇らせた。部長は普段と違い、女のそんな様子にも気づかない。ひた
すら熱っぽい口調で続ける。
「最後の大会には何としても優れた竹が欲しい。極上の竹尺で競技に臨む。そのために君の力が必要なんだ。……なあ、俺は君を助けた
ろう?」
そこまで言って、彼は自己嫌悪に唇を噛み締めた。女の両の瞳は光を帯びている。彼女は溢れる水分を止めようともしない。
「ごめん、」
「分かりました。入部します」
自分を必要とする人がいる。女は生まれて初めての嬉し涙を流していた。

 さて、入部を宣言したものの、女はまるで竹尺部の活動を知らなかった。部員となって初めて竹尺競技というものを拝むことになる。
「誰か、俺の相手をしてくれ」
部長がそう言うと、部員達は一斉に一歩退く。恐れられているらしい。それが彼のずば抜けた強さゆえだということを女は後に知った。
さて、一人だけ皆とは違う方向に動いた者がいた。その男、部長の紹介によれば女と同い年である。
「またお前か。まあいい」
かくして女の見学を兼ねた竹尺競技は始まった。使用されるのは1mの竹尺。部長は剣道の竹刀のように、もう一方の男はビリヤード
のキューのように構えた。そして、……そして見えなくなった。かと思うと体育館の天井近くで火花が散る。女の目が慣れてくると
しかし、女は余計に自分の目を疑いたくなった。人間らしからぬ動き。重力の無視。そしてどこからか聞こえるロックンロール。青
いラインぎりぎりまでにじりよっていた女を、別の女がやんわりといなす。どうやらこの女は副部長にあたるらしい。
「竹尺競技はね。いわば総合芸術的トライアスロンなのよ」
副部長は女の耳元で、踊るようにそう言った。
 競技はやはり部長が勝利したが、もう一人の男もなかなかの実力者であるらしい。試合はこの競技では異例の長さの三十分にも及
んだ。目深に被ったベレー帽を外し、部長の相手をした男が女に近づいてきた。

28 :No.06 竹尺物語 3/3 ◇ba/RH2FpPo :07/10/07 01:39:40 ID:QMbbAFZp
「君が新入部員? 可愛いね」
いきなり何を言うかと思えば。塞がらなくなった女の口に、部長がおにぎりを放り込んだ。
「あいつはからしだ。相手にしちゃいけない」
米粒が器官に入りかけ咳き込んでいた女は、かろうじてそう聞き取った。
 部長曰く、女には竹取の才能があるらしい。彼女が目をつける竹はどれもこれも良質だというのだ。才能というよりは長年竹を取ら
されてきた経験のせいだ、と女は思う。けれども前の街のことは極力話すまいと決めていた。

 気がつけば、女は学級にも友人が出来ていた。放課後になれば部室へ走った。週末は嬉々として竹林に踏み入る。ある日部長は彼女
に頼んだ。「いつにも増して特別な竹が欲しい」と。最後の試合で、負ければ引退なのだそうだ。女は竹林の奥地へと足を進めた。歩
いたことのない道だ。よし、あの竹。目標を見定めた次の瞬間、彼女は穴に落ちた。落ちたところはどうやら洞窟の中らしかった。何
かの鉱物の採掘のため掘られた洞窟と穴だろうか。辺りに転がっていた石を積めば、簡単に戻れそうだった。女は岩壁に手をかけた。
と、穴から差し込む光に彼女は目を細めた。この感覚。あの街にいたころは、どこかへ逃げたくて仕方がなかった。この街に来て、誰
にも虐げられない生活を手に入れて。それだけで充分だと思ったのに、今度は誰かに必要とされたくて仕方がない。もっともっと、高
みへ。この穴を抜ければ、今度は高い空へと手を伸ばすのだ。あの日やっと辿り着いた港で、空に焦がれたように。

 部長は負けた。女の作った竹尺が真っ二つに割れ、競技が終了したのだ。
「というわけで、俺は引退する。今までありがとう」
部長は部室にて挨拶すると、急ぐでもなく去って行った。全ての部員に喝を入れている間、かつて壁に描いたという落書きを消してい
る間、女が彼と接触するための時間的猶予は充分にあった。それでも何を言うでもなく見送ってしまった部長の背中を、女は追ってい
た。西日の中、女に併走する影が一つ。からしもまた、部長を追っていた。部長は振り返りも走りもせず、歩く。
「俺は最後まで部長に勝てなかった」
女には視線をちらりとも向けず、からしが叫ぶ。部長は答えた。
「俺は今日で竹尺と別れを告げる。これからのたらしや、君――名前が無いと不便だな――には適うまい。お前等は俺を超えていけ」
今は遠く彼方にある部長の背中を、女は超えたいと思った。
「部長。私は自分に名前を付けようと思う」

竹取の女、はもういない。

(了)



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