【 侵略者 】
◆YaXMiQltls




91 :No.21 侵略者 1/5 ◇YaXMiQltls:07/09/30 23:14:51 ID:JUYf/ZEI
 四月に坂崎龍が転校してきたのは事件だった。少なくとも俺にとっては確実に。それか
ら面食いの女子にとっても。龍が教室に入ってきたときに黄色い声があがった。十六年の
人生で転校生がやってくるという事態に遭遇したことは何度もあったけど、入ってきた瞬
間に歓声があがったのは初めての経験だった。けれどそれを奇妙な出来事とは思わせない
だけの顔立ちをしていたのだ、このクラスに二人目の「リュウ」は。
 そしてひと月もしないうちに龍の第一の侵略が始まる。龍は俺の名前を侵略する。この
クラスのオリジナルの「リュウ」である、この池内竜から「リュウ」の座を奪う。
 そもそも俺は「リュウ」として、クラスを侵略しえてはいなかった。この学校にはクラ
ス替えがないから三年間を同じメンバーで過ごすことになる。だから龍が転校してきたと
き=最初の一年がすぎた時点で俺がそれを成しえていなかったのは、ただの怠慢にすぎな
かったのかもしれない。しかしそれは今だから言えることであって、俺は名前の呼ばれ方
なんて気にしていなかったのが実際のところだ。名前の呼ばれ方を気にしていない俺は、
その時点でこれから起こる事態に何一つ気がつかない。
 今から思えば俺が「リュウ」の座を負われる兆候に最初に接したのは、よく遊ぶグルー
プの新藤公平が「池内」と俺を呼んだときだ。「池内」という公平の口から出た慣れない言
葉の響きの違和感に、
「あれ、お前俺のこと「竜」って呼んでいなかったっけ?」と俺はのん気に答える。
「だって坂崎も「リュウ」じゃん。「リュウ」が二人もいたら、ややこしいじゃん」
 なるほど。とのん気な俺はそのときは思う。しかし事態はそう単純ではなかった。ある
休み時間のこと、
「リュウ」
 と呼ぶ女子の声にそちらを見ると、俺が答えるより先に
「なんだよ」
 と返事が聞こえた。坂崎龍が声をかけた女子に近寄っていき二人は話し出す。俺はそれ
を教室の後ろから新藤たちと話しながら見ていた。話す内容までは聞こえないが、しばら
くして彼女が怒った表情をみせた。すかさず龍が彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、彼
女は笑顔になってその手を叩く。それから二人は自分たちの友人のところへ帰っていった。
「おい龍。お前転校して早々かよ」
 と龍の友人たちが騒ぎ立てる声が聞こえる。龍は「そんなんじゃねーよ」と言いながら

92 :No.21 侵略者 2/5 ◇YaXMiQltls:07/09/30 23:15:06 ID:JUYf/ZEI
もその顔は笑っている。そして俺はやっと気づく。
 ややこしさを解決するために俺が「池内」と呼ばれるのだったら、坂崎龍は「坂崎」と
呼ばれるべきなのだ。だが彼は「リュウ」と呼ばれている。このクラスに「リュウ」はも
う一人いて「ややこしい」はずなのに。もう一人の「リュウ」はこのクラスのオリジナル
の「リュウ」であるはずなのに。
 たしかに女子はすべて俺を「池内くん」と呼んでいた。男子からは「池内」あるいは「竜」
と呼ばれていたが、俺が「リュウ」であることはみんな把握していると思っていた。しか
しそれは思い過ごしだったのだ。自分勝手な俺の自惚れにすぎなかったのだ。俺は「リュ
ウ」として親しい友人の他には認識されておらず、だから空白の「リュウ」の座を坂崎に
あっさりと奪われた。状況を鑑みれば、「奪われる」という表現は適切でないかもしれない。
だが俺の心はそのときはっきりと「奪われた」と感じたのだ。少なくとも新藤をはじめと
する俺の友人からは確実に。
 ややこしさの解消のために俺を「池内」と呼んだはずの新藤は、坂崎龍のことを「リュ
ウ」と呼ぶようになっていた。他の親しい友人たちも同様だ。けれどおそらく新藤たち自
身は、その変化に気づいていない。「友人をどう呼ぶか」なんて問題は、たとえば呼ばれた
側がそれを嫌がって「いじめ」とでも考えないかぎり、そもそも問題として浮上しないし、
呼んだ側は自分の発言などまったく意識的でない。セクハラと同じ構造だ。だからこの問
題にもまず「被害者」である俺が最初に気づく。いや逆だ。俺がそれを「被害」と感じる
ことで俺は「被害者」になる。そして俺は加害者が新藤たちではないことを知っている。
新藤たちは操られていただけで本当の加害者は坂崎龍だ。「リュウ」の座を俺から奪ったの
は坂崎龍だ。

「池内くん」と龍は僕を見るなり言った。
「知ってるの?」龍のおふくろさんが龍に聞く。
「同じクラス」龍は答える。
 俺はまず龍が俺の存在を知っていたことに驚く。俺はほとんど龍と話したことはない。
俺がこの一学期、意図的に関わらないようにしていたからだ。小学校ならそうはいかない
だろうが、高校だったらクラス行動があるわけでもなく班があるわけでもなく案外簡単な
ことだった。だから次に俺はこうして龍が俺の前に現れたことに驚く。そして龍の第二の

93 :No.21 侵略者 3/5 ◇YaXMiQltls:07/09/30 23:16:31 ID:JUYf/ZEI
侵略が始まろうとしていることに気づく。龍は亜里沙に目をやってにこっと笑う。
「かっこいい」
 と亜里沙が微かにつぶやくが、隣に座っている俺には聞こえている。
「同じ学校だとは知っていたけど同じクラスだったとはな」
 親父は関心している。これが確かな運命だとでも思っているのだろう。さっきまで不安
がっていたのに、堂々とした口調で龍に話し掛ける。
「はじめまして。江里子さんとお付き合いさせていただいている池内です」
「はじめまして。お名前は母から聞いていましたが、まさか池内くんのお父さんだとは思いませんでした」
 親父と龍が握手をする。
 きっかけはお前たちなんだ、と親父は俺と龍に言った。同じ職場で互いに独身で子ども
がいて、というだけなら今の時代近づくきっかけにもなりはしないくらい当たり前のこと
で、けれど同い年の息子がいて、同じ高校で、しかも同じ名前で、となれば二人を結びつ
けるには十分すぎるほどのきっかけになる。だから龍の母親が転勤してきてすぐに二人は
付き合い出すようになり、四ヶ月の交際を経て結婚。今日はお互いの家族の顔合わせだ。
 親父は「同じ名前」だと言ったが、「竜」と「龍」ではまったく違う名前だと俺は思う。
確かに「劉」とか「流」に比べれば、同じ対象を指し示しているのだからより「同じ名前」
には違いないのだが、字面があまりにも違いすぎる。字面が違うということは、受ける印
象が何より違う。正直「龍」の方が「竜」よりかっこいい。「竜」が「龍」に勝っているの
は書きやすさくらいで、字の形のバランスや品のよさ、あるいは字からイメージされるリ
ュウ=ドラゴンのレベルまで「龍」の方がかっこいいと思う。俺は向かいに座っている龍
を見て、それは正しいと思う。
「じゃあ、お父さんたちが結婚したら、お兄ちゃんたち、同姓同名になっちゃうね」
 とサラダを食べながら亜里沙が言う。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだから、龍君は龍君でいい?」
 龍はにっこりとしながらうなずく。その呼び名はその場で亜里沙だけでなく新しい家族
全員に採用される。親父や江里子さんも、俺の方が龍より誕生日が早いという理由で、俺
を「お兄ちゃん」とよぶことにした。適当にもほどがあると思うが、他の呼び分け方が思
いつかなかったのだから便宜上しかたない。

94 :No.21 侵略者 4/5 ◇YaXMiQltls:07/09/30 23:16:49 ID:JUYf/ZEI
 こうして俺は家族内でも「リュウ」の座を負われる。俺を「リュウ」と呼ぶ人は俺の周
りからはいなくなった。帰り際に龍が話し掛けてくるまでは。
「竜」と龍は言った。
「これからはさ、俺も「池内」になるんだから、「池内」ってのはおかしいし、同じクラス
のやつに「お兄ちゃん」ってのもおかしいし、竜って呼ぶよ」
「でもおまえもリュウじゃん」
「俺らが互いに呼び合うぶんには問題ないだろ?」
 俺を「竜」と呼ぶやつは、俺から「竜」を奪い取った「龍」一人だけになった。

 龍の俺に対する侵略は最終段階に入った。俺の名を奪った龍はついに俺の領土を侵略す
る。
 龍と江里子さんは、お盆休みに俺たちがもともと住んでいた3LDKのマンションに越し
てくることになった。3LDKの3は、これまでの親父の寝室が親父と江里子さんの寝室に
なり、亜里沙の部屋はそのままで、俺の部屋に龍が入ってくることになった。まあ当然の
区分だろう。だが単純に考えて、俺は俺の部屋を半分失うことになる。六畳の部屋の半分
を龍に奪われることになる。
 龍の荷物が俺の部屋に運び込まれてくる。ダンボールが五つ。洋服とか本とかマジック
で書いてある。
「あっフィギュアとかあんのな」
 龍は俺の部屋に入って真っ先に机の上に並べたフィギュアに興味を示す。
「これ知ってる。綾波レイだろ?」
「そうだよ」
 と答えたフィギュアは長門有希。当たり前だが名前が違うから別人だ。住んでる世界も
違う。登場するアニメが違うから。でも「違う」と答えて、そうしたいろいろを説明する
のはめんどくさいから、綾波レイでかまわない。俺は無言で龍を手伝う。亜里沙が入って
きて、龍の洋服のセンスを褒めて、ついでに俺のセンスをけなして、けれど俺は手を休め
ない。夕方までにはあらかた片付いて飯を食って細々としたものを片付けてテレビを見て
風呂に入って、いつもと違う家の雰囲気をああこういうものかと納得して、床につく。ベ
ッドの下には龍の布団がある。

95 :No.21 侵略者 5/5 ◇YaXMiQltls:07/09/30 23:17:13 ID:JUYf/ZEI
 今日から龍とこの部屋で一緒に寝るのだ、と俺は思う。だから何なのだ、と俺は思う。
龍が部屋に入ってきて、布団に入って、俺に聞く。
「竜もう寝た?」
「……まだ」
「あのさ、おまえ俺のこと嫌ってるよな?」
「はあ?」
 俺は思わず上半身を起こして龍を見る。俺は龍を嫌ってなんかいない。
「そんなことないよ。なんででそう思うの?」
「俺のこと避けてただろ、ずっと。学校で。俺は同じ名前のやつがいるってすぐ竜のこと
を覚えて友達になりたかったんだけど、おまえはずっと避けてた」
 確かに俺は龍を避けていた。でもそれは嫌っていたからじゃない。それは……それはな
んでなんだろう。俺は、何もいえない。
「竜」龍が俺を呼ぶ。
「ごめんな」龍が俺に謝る。
「龍」俺は龍を呼ぶ。





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