【 品評会、侵略者題も「侵略者」 】
◆hOG3FfUkhE




83 :No.19 品評会、侵略者題も「侵略者」1/5 ◇hOG3FfUkhE:07/09/30 23:00:34 ID:JUYf/ZEI
 台所で、僕はスポンジに洗剤を搾り出す。嗅いでしまうとタイムスリップするのはラベンダーだったっけ?
と、洗剤のミントの香りを嗅いで思い起こす。僕は洗い物をしながら、学生時代の事を思い出していた…


 大学生当時、今から十年前くらいになるだろうか。僕は本当に平凡な学生だった。
人並みの学業成績をあげ、人並みに友人を作り、人並みに馬鹿なゴシップに話をあわせ、
目立たず、目立たなさ過ぎず…そしていつかは人並みに就職して平凡な人生をおくるのだと信じていたのだ。
 多少マイノリティだったのは、趣味が自作の詩を作る事だったくらいか。
その詩とて、ノートに書き記したら引き出しにつっこんで読み返すこともない。
とても人に見せる出来とは思わなかったし、見せようとも思わなかった。
他人に披露なんて恥ずかしくてとても出来ないと考えていたのだ。

 僕がその詩を始めて見せたのは、当時出来た彼女にだった。
彼女は特別美人というわけでも無かったが、きれいな髪を持った人で、人と明白に距離を置く雰囲気と、
図書館で本を一人読んでいる時の、前髪を指でわける知的なしぐさ、その空気に僕は惹かれたのだった。

 彼女は明白に僕の告白にOKをくれたわけでは無かったが、その時から一緒にお茶を飲んだり、
映画に行くような関係になり、僕と本や映画の趣味が合う事に僕は喜んだ。
そして、彼女が始めて僕の部屋を訪れた時、僕はそれなりの勇気を振り絞って彼女に自作の詩を
見せたのだ。

84 :No.19 品評会、侵略者題も「侵略者」 2/5 ◇hOG3FfUkhE:07/09/30 23:00:57 ID:JUYf/ZEI
 洗い終えた物を布巾で拭く。僕は冷えてしまった手に息を吹きかける。


 彼女は僕の詩を褒めてくれた。そして、僕の耳の傍で、小さな声で囁く(彼女はいつも囁くように会話をするのだ)
「とてもいいんだけど、ここをもうちょっと、ぼかしてみたら、多分もっと、良くなるよ」

 僕はそのとおりにしてみる。確かに表現が滑らかになったような気がした。野趣溢れるとろろ汁に
出汁を加えたような。彼女は、とても良くなったと囁き、僕も良くなったような気がして、
そして彼女が褒めてくれた事がとてもうれしくて。
なにかまた、彼女との距離が近くなったような気がしていた。

 彼女はそれからも僕の部屋に来ては、僕の詩を評価し、そしてアドバイスをくれるようになった。
僕は彼女に褒められるのがうれしくて、どんどん詩を書き、そしていつしか自分の詩に自信を持つように
なったのだ。

85 :No.19 品評会、侵略者題も「侵略者」 3/5 ◇hOG3FfUkhE:07/09/30 23:01:19 ID:JUYf/ZEI
 そして、僕はとある文学賞に詩を応募した。彼女が探して来てくれた文学賞で、そして僕はそこで
最優秀賞を取ったのだ。

 僕は審査員の激賞を受け、沢山の文芸誌に詩を掲載するようになった。僕は専業作家になり、
彼女は東京の文芸誌に編集者として就職した。僕の詩集は大ヒットして社会現象になり、僕は毎日職業として
詩作に励むようになった。

 互いに仕事を持つようになっても、彼女とは週末電話で、もしくはメールでアドバイスをくれる。
そして月に一度くらいは、互いに会って、食事して…

 蓄えも出来た僕は、彼女の住む東京に引っ越し、
そして当時あいまいに終わった告白をもう一度しよう。関係を進展させようと考えるようになった。

 引っ越しの準備に部屋を整理していた僕は、昔の詩作ノートを見つけた。
懐かしさの気持ちでノートを開いた僕は、昔の自分の詩を読んで愕然とした。
心に響くのだ。これは僕の子供だと思った。今僕が書いている物はなんだろうか?
読み返す。
確かに、読みやすい。気持ちいい響きで溢れている。でも、何も匂わないのだ。
これは僕の子供じゃないと思った。

86 :No.19 品評会、侵略者題も「侵略者」 4/5 ◇hOG3FfUkhE:07/09/30 23:01:38 ID:JUYf/ZEI
 僕は過去の作品を脳裏に浮かべ、新しく詩を作ってみた。
どうしても駄目だった。これは評価されるのかもしれない。でも、これは他人の為の物だ!
僕は自分の為の詩を書くことが出来なくなってしまっていた…

 僕は彼女に電話をかけた。しばらくは連絡を取るのはよそうと。
彼女はいつものように囁くような声で、
「そうね。一度距離を置いてみましょう」
と答えた。

 しかし、締め切りは僕の心にかかわらず、いつものように迫ってくる。僕は机に向かい、
散歩をし、映画を見て、深夜に部屋で転がりながら…どうしても書けなかった。
そして僕は呻くような気持ちで彼女にまた電話をかけ、アドバイスを求めたのだ。
彼女はいつものように、そして、ほんの少しだけ嬉しそうにアドバイスをくれた。

 僕は電話を切り、詩を完成させメールで編集に送ると、号泣した。

87 :No.19 品評会、侵略者題も「侵略者」 5/5 ◇hOG3FfUkhE:07/09/30 23:01:57 ID:JUYf/ZEI
 僕の魂はもう彼女に染められてしまった。彼女に僕の詩は完全に侵略されたのだ。
僕はもう、自分の詩を書けない。そして、商品としての詩すら彼女がいないと書けないのだ。
彼女と距離を置く事も、僕にはもう出来ないと思った。僕の弱い心は距離を置く事に
耐えられないのだ。

 そして、今日の午前に、ある決意を持って、僕は彼女の部屋を訪問したのだった。


 拭き終えた洗い物を横に移動させ、僕は冷えてしまった手に息を吹きかける。
そして、次に雑巾を手に取り、硬く絞る。朱に染まった水が、また排水溝に流れていく。



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