【 テロ・ブンガク・(アン)リミテッド 】
◆2LnoVeLzqY




71 :No.16 テロ・ブンガク・(アン)リミテッド 1/5 ◇2LnoVeLzqY:07/09/30 22:04:36 ID:JUYf/ZEI
「ときに佐久間よ」先輩は言った。「どうして連中は、地球ばかり狙ってやって来ると思うかね?」
「……知りませんよそんなの。っていうか連中って誰ですか」
 僕がそう答えると、足を組んで椅子に座ったまま、先輩は悲しげに首を振った。
「わかってないな佐久間よ。連中といったら、ひとつしかない……」
 けれど先輩は続きを話さずにコーヒーを一口飲んだ。説明は放置である。連中って誰だろうか。
 僕はとても質問したい。しかし僕にその権限はない。コーヒーを飲んでいる最中の先輩への、一般人からの質問は法律で禁じられているのだ。例外はキリストと釈迦とオーディンだけらしい。どちらも先輩談。
 ふむ、どうやら連中とはいわゆるマクガフィンなのかもしれない――宮沢賢治のクラムボンとか、村上春樹のやみくろ的なアレだ――と僕が覚悟し始めたとき、先輩がコーヒーを飲み終えた。
「アレだよ、アレ」
 コーヒーを優雅に置いた先輩は、僕の背後の壁をさっと優雅に指差した。
 僕は拍子抜けしつつ、先輩に倣ってできるかぎり優雅に振り向く。
 そこには何故か、特撮モノのDVDがずらりと並んでいた。何たらレンジャーとかほにゃららマンとかペケペケライダーの類だ。SFアニメも若干混じっている。オアシスの如く置いてある萌えアニメからは目を背ける。
「あぁ悪役のことですか……。で、質問って何でしたっけ?」
 優雅さぶち壊しの記憶力不足である。
「連中がジ・アースばかり狙う理由だよ」
「そうでした。理由ですね……そりゃ、地球は適度に文明も発達しているし、資源もそこそこ豊富だからじゃないですか?」
 すると先輩は、ち、ち、ち、と言いながら人差し指を振った。女の子がやれば心を打ち抜かれること間違いなしであろうポーズだが、二十五歳にもなった先輩(♂)がこれをやっても、こっちの心が打ち砕かれるだけだった。
「答えは『そこに地球があるから』だ」
「思いっきりジョージ・マロリーのエベレストについての名言のパクりじゃないですか。しかも説得力皆無だし。ジャイアンとジャイ子が実は異母兄妹でしたって言われた方がずっと説得力ありますよ」
「落ち着け冗談だ。君が冗談でなくジャイ子を妹にしたいのはわかったから」
 先輩の想像力は冗談抜きに宇宙である。
「冗談は終りにして本当の答えだが。……たとえば、木星人が北極星を侵略したとして、君はそれに興味が沸くかな?」
「木星はガスの塊なので生命体は存在不可ですがとりあえず興味は沸きませんね。地球を襲ってくれた方がずっと楽しいです」
 先輩はまだ人差し指をちっちちっち振っていた。いい加減腹立つ。
「だろう? つまりはそういうことだ。第三者にとっては侵略行為なんてどうでもいいんだよ。おまけに侵略者から見りゃ、侵略はただの正当な行動だ、つまり」
 先輩は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。結論が近い。僕に出されたコーヒーはすっかり冷めていた。ちなみに僕のコーヒーはインスタントで、先輩のは豆である。
「……侵略を侵略と見なせるのは、侵略されている側だけなのだよ。地球を襲えばそれは我々にとって侵略、子供にとってのショーになる。だから連中は須らく、大人の都合のために地球を襲う」
 極めてまともな結論だった。議論がここまで至るのにやたら時間がかかったが、たぶんヒッチコックと宮沢賢治と村上春樹のせいだろう。プラス、ジョージ・マロリー。
 結論を出し切った先輩は、何故か続けて口を開く。
「……だからあのショッピングモールは、大人の都合のために我が店を襲う」
 結論、飛躍。

72 :No.16 テロ・ブンガク・(アン)リミテッド 2/5 ◇2LnoVeLzqY:07/09/30 22:04:55 ID:JUYf/ZEI
 そして先輩は何故か指をぱちんと鳴らした。
 ……しかしながら、さっきの先輩の結論はあながち意味不明な飛躍でもなかったりする。
 目下、巨大ショッピングモールがこの近所に建設中なのだ。もし完成なれば間違いなく先輩の本屋は、そのスペースゴジラの如き破壊力によって叩き潰されるだろう。

 地方のボロ駅から伸びたボロ商店街のボロ本屋を、先輩は死んだ父親から引き継いだ。
 彼の遍歴を詳しく説明する時間も必要性もないけれど、先輩はそれなりにこの店――二階がこの自宅で一階が本屋だ――に愛着があるらしい。
 それは先輩の、さっきまでの言葉からもわかることだ。
「って、何で窓のところに鳩が止まってるんですか」
 いつの間にか開けた窓の枠に鳩がいた。
「簡単なことだよワトソン君……俺が呼んだからだ」
 さっきの指パッチンはそのためらしい。簡単なことだよって……。世界中のシャーロキアンに殴られそうな名台詞の使い方である。
「何のために鳩なんか?」
 突っ込みどころが違う気がするけれど、気にしない。
「こいつは鳩の群れのボスでな」先輩は言った。確かにこの鳩、目元が凛々しい気がする。
「だから、こいつに伝えれば鳩の群れ全体に伝わる。今からこう命令するんだ……『あのショッピングモールの工事現場を、血の海ならぬ糞の海にしてやれ』。報酬は一羽につきパンくず一個」
「報酬安いなー。……っていうか鳩頷いてるし」
 そうして彼(あるいは彼女)は灰色の空へとテロ実行のために飛び立っていった。鳩たちの将来が心配になってくる光景である。
 今更だが、先輩はどうやって鳩のボスを見つけ出したんだろうか。
 ……そう訊こうとしたら先輩は狙ったように二杯目のコーヒーを飲んでいて、キリストでも釈迦でもオーディンでもない僕は質問できなかった。法律は厳しい。
 やることがなくなった僕はとりあえず後ろを向いてみた。何たらレンジャーとかペケペケライダーは今日も画面の中で、地球の平和のためにがんばっている。
「彼ら鳩たちは共闘仲間なのだよ」背後から先輩の声が飛んできた。エスパーか。
「あのショッピングモールは建設前に、あそこにあった21.0975ヘクタールの森林を伐採したのだ。敷地のためにな。鳩たちはかつてのユダヤ人の如く住む場所を追われた」
「……それは知らなかったです」
 人間なんて身勝手なもんだ。もっとも、僕にそう言う権利があるのかはわからない。
 鳥たちのことなんてまるで知らなかった僕も同罪なのかもしれないからだ。
 先輩は優雅に立ち上がり、階段を降りながら僕に優雅に言った。
「ついて来い、ジャイ子の兄よ」
 そして僕は、未だに自分の苗字が二回しか登場してないことに気がついた。

 今日は一階の本屋を閉めていたらしい。まぁ、店主兼唯一の店員である先輩が二階にいたのだから当然だ。

73 :No.16 テロ・ブンガク・(アン)リミテッド 3/5 ◇2LnoVeLzqY:07/09/30 22:05:29 ID:JUYf/ZEI
 けれどもし開店していても、自縛霊と借金取りと鳩以外の客が来たかは怪しい。
「ちなみに借金は無いぞ」やっぱりエスパーだった。「自縛霊は稀に来るがね」嫌過ぎる。
 天井まで届こうかという棚が狭苦しく並んだ間を歩く。先輩は本の背表紙を大事そうに撫でていく。
「……見たまえこの『涼宮ハルヒの憂鬱』、幻の初版金帯だ。ちなみに新品」
「それって売れてないんじゃないですか! 大丈夫なんですかこの店?」
「大丈夫だ、売れなくても俺が読むから」
 駄目だこれは。
「駄目なのはご近所さんも同様さ。ただでさえギリギリの経営なんだ。ショッピングモールなんか建ってみろ。五万回ぶんぐらい潰される。武藤遊戯君並みのオーバーキル、とうにこっちのライフは0だ」
「……反対運動とか無かったんですか?」先輩のエスパーは無視して訊く。
「無いな」先輩はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を手に取り、開きながら答える。もちろん野崎孝の訳だ。
「さっき言っただろう。誰が反対するんだ? 住民たちにとってはショッピングモールの方が五万倍嬉しいのさ。二百年前に死んだベンサムとかいう大馬鹿のジョンブルがこう言っている。『最大多数の最大幸福』」
 僕は、複雑な気持ちだった。ショッピングモールは僕にとっても確かに嬉しい。
 けれど先輩の様子を見ていると、素直に喜ぶわけにはいかない気がする。それどころか、ショッピングモールの建設が横暴にすら思えるのだった。
「じゃあ今のままじゃ、ショッピングモールは順当に建って、この店は順当に潰れるってことじゃないですか」
「そうだな」
 先輩は『ライ麦畑』のページを捲りながら何の気なしにそう言った。
「流れには逆らえん。いつの間にか世界は、我々小市民の手の届かないところで動くようになったのだよ。これの主人公のホールデン少年が精神病院にブチ込まれたのは、世界に対して彼があまりに無力すぎたからだ。さて」
 何故かサングラスをかけると、先輩は言った。
「敵情視察としゃれ込もうか」
 そうして僕たちは灰色の空の下へと繰り出した。

「おお、やってるやってる」
 ショッピングモールの敷地の端に立って、僕たちは遠くにある建設現場――ショッピングモールになりかけのもの――を眺めた。
 その空の上では何故か、鳥たちが群れを成して飛んでいる。どう考えてもあの鳩たちだった。
「本当にあの報酬でOKしたんですね……」
「時給数百円であの空の下で動き回ってる連中と同レベルだよ」
 鳩に同情すべきか作業員に同情すべきかわからなくなってきた。涙が出そうになったのは、たぶん工事現場から舞ってくる砂埃のせいだ。先輩のサングラスは計算済みだったらしい。
「けれど先輩、こんなことでは建設は止まりませんよ」
「知ってるさ」
 先輩は黒いサングラスの奥から灰色の空を見上げながら言う。その下ではきっと、先輩の命令が粛々と執行されつつあるのだろう。

74 :No.16 テロ・ブンガク・(アン)リミテッド 4/5 ◇2LnoVeLzqY:07/09/30 22:05:47 ID:JUYf/ZEI
「さっきも言ったろう。小市民が世界を変えれる時代はとっくに終わったんだよ。プラカード持って国会取り囲めばどうにかなると思ってる奴なんて、もう刑務所と映画の中にしかいない」
「……じゃあ、何でこんなことやってるんですか?」
 先輩は、しばらく答えなかった。その代わりずっとディランの『風に吹かれて』を口ずさんでいた。風が強かった。けれどこの風の中に、先輩は答えを見つけられたんだろうか。
 やがて役目を終えた鳩たちが姿を消し始めた頃、先輩がようやく口を開いた。
「商店街のパン屋に寄ってから帰ろう。あいつらに報酬を支払わなければ」

 パンを買ってから本屋に戻ると、先輩は屋上に上がって一羽づつにパンくずを手渡しした。屋上を鳩が飛び交う光景は、さながらジム・ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』のようだった。
 僕はその様子を、先輩から手渡された缶コーヒーを飲みながら眺めていた。先輩は意地でも豆を挽いたコーヒーを僕に飲ませたくないらしい。
 命令を遂行した鳩たちに報酬を配りながら、先輩はつぶやいていた。
「命令に従う者は正しい。流れに身を任せる者は正しい……」
 くるる、と鳩が鳴いた。それが先輩の言葉への同意なのか疑問なのか、それともただのひとり言なのかは僕にはわからない。真ん中であってくれれば良いなとは思う。
 そして先輩の足の下、一階には一万冊の本がある。そのくせ、それらの本をいくら読んだってショッピングモールの建設は止まらない。
 こんなとき、文学はすごく弱いな、と思う。一冊の本が南北戦争を引き起こしたのは遥か昔の話だ。確かに、今や世界は手の届かないところで動いているらしい。
 僕は家に帰って新聞を開く。
 中東の国では今日もテロが起こっていた。何かの教典につき動かされた人が、『インディペンデンス・デイ』のラストシーンさながらに、自分の身を犠牲にして“侵略者”を巻き込んだらしい。
 それでも、世界は考え方を変えない。海に小波を起こそうとしても、より大きな流れに消されてしまうかのように。
 大きなその流れはいずれ、その中東の小さな国をも覆い尽くしてしまうだろう。
 そして、新聞のどこにも鳩たちのことは書かれていなかった。

 数ヵ月後にショッピングモールは完成した。新聞にも大きく報道された。
 家族が行く、というので僕も一緒についていった。駐車場は馬鹿でかかった。空は快晴で、太陽を覆うものはどこにもない。鳩は、一羽も飛んでいなかった。
 中には、とにかくあらゆるジャンルの店が詰まっていた。僕は一旦家族と分かれ、長い長い通路をてくてくと歩く。
 CDショップの前を通り過ぎるとき、『風に吹かれて』が聞こえてきた。先輩とはあの日以来会っていない。鳩たちは、今どうしているだろうか。
 通路が突き当たった。そこには、大きな書店があった。
 僕の足は、自然にその中へ吸い込まれる。
 ……棚と棚の間が広い。そして、とにかく売り場が大きい。同じ本がいくつも積んであるし、新刊もきちんと入荷していた。うーん、先輩の店と比べるのは、ちょっと酷だ。
 そう思いながら僕は、棚の間を目的もなく歩いていて――
 店員姿の先輩を見つけた。
「……何やってるんですか」
「補充だ」先輩はカートの上に載った本を指しながら言う。

75 :No.16 テロ・ブンガク・(アン)リミテッド 5/5 ◇2LnoVeLzqY:07/09/30 22:06:41 ID:JUYf/ZEI
「いやそうじゃなくて。何でここで働いてるんですか」
「世界は社会不適合者とニートに厳しいのだよ。それより見ろ、ハルヒは金帯じゃないし『ライ麦畑』は村上春樹訳が出てる」
 いつの話だ。
「それより先輩、つかぬことをお聞きしますが、先輩の本屋の方は……」
 僕は、訊いていいか迷いながら、結局訊いた。今なら先輩はコーヒーを飲んでいないのだ。
 けれど先輩は、僕の予想に反してあっさり答えた。
「潰したよ」
 わかっていた答えだけれど、僕はしばらく立ち尽くしていた。
「神も仏もこの世にはいない。なら諦めは早い方がいいんだ。一階は俺専用の図書館にしたよ」
「でもあの本屋さんって、お父さんから継いだんじゃ……」
「親父の霊なら今頃、あの部屋の片隅でカーの『三つの棺』でも喜んで読んでるだろうさ。そのうち自縛霊たちにフェル博士ばりの密室講義をかますつもりだよ」
 そう言うと先輩は、カートから本を一冊取って棚に入れ始めた。『アンクル・トムの小屋』。百五十年前に南北戦争を引き起こして世界を変えた本。
「……先輩はそれで良かったんですか?」
 僕がそう言うと先輩は「主人公みたいなこと言うなよ」と笑った。「もう世界には主人公なんていない」とも言った。
「それに、良いも悪いもない。四方向のうち三方向に鍵がかかっていたらどこに行く? 答えは簡単。残った方向に行くか天国に行くかの二つしかないんだ。開かない鍵は絶対に開かない。どんな本を読んだって開けられん。
 何より……第三者になってしまえば、侵略は侵略にならない。俺は今の立場に満足しているよ」
 そう言うと、先輩はカートを押して棚の間を進み始めた。
 僕は同じ速度で先輩についていく。
「先輩、ひとつ訊いていいですか?」
「何だ?」
「あの時と同じ質問です。先輩は……何も変わらないとわかっていて、何のために鳩たちにあんなことを命令していたんですか?」
 そしてあの時と同じように、先輩はしばらく何も言わなかった。けれど今は、『風に吹かれて』はどこからも聞こえない。
 蛍光灯の眩しい真っ白な天井を見上げながら、先輩はぽつりと、僕の質問に答えた。
「中東で自爆テロをする奴にでも訊いてくれ。何でお前たちはテロなんかするんだ、ってな」
 そう言うと、先輩はまたカートを押し始めた。……僕はもう追わなかった。
 先輩が最後にぽつりと、「鳩なら屋上で飼ってるよ」と言っていたのが、唯一の救いのような気がしていた。
 世界は変えられなくても、人は侵略者から鳩を救えるらしい。
 今の時代、文学はずいぶん弱いなと思う。僕たちは平然と侵略される。まぁ、構わない。
 それでも僕は周囲を見渡して、また棚の間を歩き始める。
 何の本を読めば鳩を救えるようになるのかを、僕は知りたかったから。



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