【 無駄な線引き、差し伸べられる手 】
◆RfDa59yty2




61 :No.14 無駄な線引き、差し伸べられる手 1/5 ◇RfDa59yty2:07/09/30 21:52:06 ID:JUYf/ZEI
「まーさきっ」
 俺の背中に掛かる声に振り向けば、そこには、いつものように。
「……久美」
 馬鹿みたいににこにこと微笑んで、こちらを見詰めている久美の姿があった。
 白い息を吐いて、少し頬を赤く染めて、ぐるぐるマフラーを巻いて、そのくせ短い制服のスカートからは惜しげも
なく細く白い脚が覗いている。
「なあにそのめんどくさそうな顔」
「別に……」
 小走りで近くまで来て、久美は俺の隣に並んだ。
 久美は俺の歩幅についていこうと足を忙しなく動かしている。それに目をやり、俺は本当に少しだけ歩くスピード
を落としてやった。
 そうした後に、いつもいつも思う。「なんで俺がこんなこと」って。
 俺の左隣に立つ久美は、肩くらいまでの身長しかなくてちっさくて。
 相変わらず、にこにこにこにこ、楽しそうに笑っている。
 小さい背とか顔とか頭とか手とか、目まぐるしく変わる表情とか高いくせに耳に心地いい声、とか。こうして見て
いると久美の全てが俺と真逆のような気さえする。
「? どうかした?」
 久美は俺を見上げてきょとりと首を傾げた。
 ずっと見ていたのに気付いたのだろう、不思議そうに俺を見上げる真ん丸い瞳には俺の顔が映っている。
「別に」
 久美の真っ直ぐな視線に耐え切れなくなり、俺はまた前を向く。納得してなさそうな声を漏らして、久美も前を向
いたのが横目に見えた。それに安心してまた久美を眺めようとすると久美の顔がくるりとこちらを向いて、俺は急い
で視線を前に戻した。
「正樹またそんな顔して。せっかく綺麗な顔してるんだからもっとこう、ねえ? 笑ってみるとか、しないの?」
「そんな顔って、いつも言ってるだろ。これで普段通りだ」
「眉間に皺、口はきっつく結んで?」
 俺の眉間の皺に手を伸ばして呆れたようにそう言う久美。でもそのすぐ後に軽やかな笑い声を小さな唇から漏らす。
 耳に届くそれが、不快じゃなくて、それが一層不可思議だった。

62 :No.14 無駄な線引き、差し伸べられる手 2/5 ◇RfDa59yty2:07/09/30 21:52:32 ID:JUYf/ZEI
 俺と久美は今年の四月に同じクラスになって、出席番号の関係で偶然席が隣だった。
 最初の接点はそんなものだ。
 俺は無愛想で人を寄せ付けない気質、そして凶悪な見た目のせいで何かと名が知れていたらしく、一方久美はその
明るく奔放な性格と学年でもトップクラスといわれる容姿のせいで有名だった。
 そんな良い意味で有名な彼女と、まったくもって悪評だけが蔓延る俺。
 交わる部分なんて一つもなかったのに、久美はいとも簡単に垣根を越えて俺へと接触してきた。
『ねえねえ佐々木君』
 初めて声を掛けられたのは、週直の仕事で朝早く学校に来て二人きりだった時。
『なんでいつも、そんなつまらなそうな顔してるの?』
 ひどく純粋な瞳で、久美はそう言った。
 馬鹿にしてるでもからかってるでも嘲ってるでもなく、ただただ不思議そうなその問いに、俺は答えを出せないで
いた。そんな俺を眺め、ふっと笑った久美の顔はとても印象的で、未だにそれをよく憶えている。
 そしてその次の日から俺にちょっかいを出してくるようになった久美。
 鬱陶しいとあしらう、無駄に恐がられている凶悪面の男に、その後ろを楽しげにちょこちょこと付いて回る、女子
男子関係なく学年一の人気を誇る女の姿は傍目には異様に映ったことは間違いないだろう。
 最初は暇潰しでもしていてすぐに飽きるだろうと思って適当に放っておいたが、中々しつこい彼女に俺は痺れを切
らして尋ねた。「何がしたいんだ」と。
 久美はその質問に首を傾げ、暫く黙り込んでから微笑んで、「解らないけど、興味があるじゃだめ?」なんて、訳
の解らない答えを俺に返した。
 その後に、もうひとつ、俺の笑った顔が見てみたいんだと悪戯っぽく久美は笑っていた。
 五月六月七月……。過ぎてく日々の中でいつの間にか久美の存在は隣にあって当たり前のものになっていて、いつ
の間にか佐々木君は正樹になっていて、俺も名前を呼ぶようになっていて。笑うことだって見せるようになった。
 初めて俺が久美と名前で呼んだ時の久美は、珍しく少し恥ずかしそうに「なんか嬉しい」と笑っていた。
 久美に色々なことを言っている奴が大勢いることに気付いたのもちょうどその頃だったと思う。あんな凶悪面の何
を考えてるか解らない男の傍になんでいるんだとか、遊んでいるだけだろうとか。
 その通りだと思い、またなんでだと尋ねた俺だったが久美はいつも通りの笑顔で、なんで私が周りの言うこと聞い
て自分の好きなことしないようにしなきゃいけないのと尋ね返してきた。
 結局その時も俺は上手い答えを返せず、久美に笑われただけだった。
 久美が不思議で理解出来ないのは、今も変わらない。
 そうして色々なことが変わっていったのは俺だけ、久美は最初から何も変わっちゃいない。

63 :No.14 無駄な線引き、差し伸べられる手 3/5 ◇RfDa59yty2:07/09/30 21:53:06 ID:JUYf/ZEI


 時々思い出したように俺は訊いてしまう。今も、変わらず思う。どうしてこの誰からも好かれるような女が、周り
からの批判を受けてですら俺の傍にいるんだと。
「だから……なんで俺の傍にいるんだよ」
 もう常套句のような質問になっている気がしなくもない。
「やだ?」
「そうじゃなくて」
 自分がよく解らない。嫌ではない、それははっきり言える。
「色々まだ言われてるんだろ」
「? ああ、なんであんな凶悪男と一緒にいるんだとか?」
 くすくすと久美は笑って俺を見上げる。
 なんの躊躇いもなく向かってくるこの視線が、俺は苦手だった。全てを見透かされているような錯覚に陥りそうに
なる。
「飽きもしないで何回も同じこと訊くのね。何回でも答えてあげる。私は私のしたいようにするだけ」
 したいように、と久美は言う。だから、なんで俺なんかの傍にいたいんだ。
 言葉に詰まった俺にちらりと僅かに目をやって、久美は唇を弓張り形に笑ませる。
「何がそんなに不思議なの?」
 大きな目を細めて、少し楽しげに。真っ直ぐ前を見て久美はそう言った。
「……お前と俺は全然違う」
「何が?」
 何が、なんて久美も解っているだろう。他者からの評判、学校内での立ち位置、性格、いっそのこと全てと言った
っていい。
「性別? 身長体重? 髪の長さ? 声の低さ? 手の大きさ? ……挙げればキリがないけど、どれ?」
「……そうじゃ、なくて」
 また言葉選びに戸惑っていると、久美は呆れたように溜息を吐いた。白い息が空気中に消えていくのを見送るだけ
しか俺には出来ない。
「あのね正樹。人は他人と違うの。私とおんなじ人間も正樹とおんなじ人間も何処探してもいないの」
 それがたとえクローンだとしても、と久美は続ける。

64 :No.14 無駄な線引き、差し伸べられる手 4/5 ◇RfDa59yty2:07/09/30 21:53:29 ID:JUYf/ZEI
「クローン……でも?」
「そう。正樹と同じ人間なんて何処を探せばいいの? 正樹と同じ遺伝子、見た目ってだけならクローンでいいけど。
でも、それでもまったく違わない同じ経験をして、人生を歩んでそうしてまったく同じ性格になんてなれないのよ。
どんなに細かくても、違いは生まれる。クローンだってそれは正樹じゃない」
 歩みを止めて、久美は言う。俺も思わず足を止めて、久美と向き合った。
「全部同じじゃなきゃ傍にいれないなら、世界中の人間ひとりぼっちになっちゃうでしょ?」
 視線が絡むと久美は軽く首を傾げてそう言った。
 柔らかな表情はいつだって優しくて、俺は、これに弱かった。まるで母親に諭されるガキにでもなった気分だ。
「性別が違っても寄り添えるわ。言語が違ってもやっていけたりするものよ。思想が違ったって認め合ってる人達だ
っている」
 そこで言葉を切って久美はまた歩き出した。それを追って歩き始める俺はきっとなんとも情けない姿をしているの
だろう。
「それで? 他に質問は?」
 くるりと首だけ振り返り言う久美の顔は、なんでも答えてやるという気配満々で、俺が言える言葉なんて何一つな
かった。
 項垂れた俺の耳には久美の笑い声が届く。顔を上げれば、参ったかとでも言いたげな笑顔を向けられた。



 俺が引いたどんな境界線でも、久美は軽々と越えてくる。
 いや、境界線を越える、という表現ですらきっと久美には合ってない。
 俺に見えるその線は久美にとっては見えない、ないものなのだろう。
 それの線はきっと、元々あったものではなくて俺が勝手に引いたもの。俺が消そうと思えば消える、けれどそう簡
単には消せないだろう線。
 誰にも消せないはずのそれを、お構いなしにないものにしてしまうこの隣を歩く小さな体。それを不快に思わない、
戸惑いながらも許容してしまう俺。それどころか最近はその存在がないと落ち着かなくて。いつの間にか大きな存在
になっていた。
 自分でその意味に気付かないほど、鈍感ではないつもりだ。

65 :No.14 無駄な線引き、差し伸べられる手 5/5 ◇RfDa59yty2:07/09/30 21:54:27 ID:JUYf/ZEI
 見下ろす視線に気付き、俺を見上げてまた久美はにっこりと笑う。
 片手で顔を覆い、俺はひとつ、深い溜息を吐いた。
「……ちびっこ」
「違うって! 私標準だしうちのクラスの中でもどっちかで分ければ大きい方だもん」
 俺の悔し紛れの言葉に久美はそう反論して少し背伸び。そして「正樹がおっきいの」と唇を尖らせる。
 そしてそのすぐ後にはまた機嫌良さそうに戻る。どれだけ見ていて飽きないだろう。
 向けられる笑顔、どんな言葉も真っ直ぐに返してくれるその態度、深いところにだって伸ばされる、細いくせにど
こか頼りがいのあるその手。
 線を引いてもそれを無き物にして、閉じこもっても追い返そうとしてもするりと入ってきてしまう。そしてそれを
もう俺は拒めない。
 無理な話だろう?
 あって当たり前の、なきゃ生きていけるわけもない空気をどう拒めっていうんだ。
 ああ本当に、なんて厄介な侵略者。



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