【 春零番 】
◆CoNgr1T30M




11 :No.03 春零番 1/5 ◇CoNgr1T30M:07/09/29 23:19:22 ID:MJv9fHNx
気温が上がり始め、寒々しかった草木は芽ぶき、花が笑顔を取り戻す季節。
春。春の到来、それは私にとってどうしようもない侵略。私はすっかり弱りきって公園のベンチに背中を預ける。
しかも、人間たちによる資源の無駄遣い、有害な気体の排出。それらによる環境問題は年々地球を暖め私の力を弱めた。
あぁ、この季節がやってくる。私が中なら削られていく感覚。当然、痛覚は正常に働き私を苦しめる。
町を歩く人間たちは皆新しい季節の到来に笑顔を作る。
私はそれが憎くてたまらなかった。

桜が、咲くまで。
そう自分に言い聞かせ足を引きずるようにまた歩き出す。
目指すはこの町で最も大きい桜の木。

12 :No.03 春零番 2/5 ◇CoNgr1T30M:07/09/29 23:19:40 ID:MJv9fHNx
一本桜の下にはすでに人間がいた。まだ咲いてもいない桜に何の興味があるのか……私は桜より少し離れた場所に備え付けられたベンチから、その不思議な人間を眺めていた。
「桜、咲きませんかねぇ」
不意に人間が大声でそんなことを言う。桜の方を向いているがここに人は彼と私以外にいない。
呼び掛けならば私に向けられたものだろう。
「春になったら咲くんじゃありませんか?」
そう返す。その頃には私はいないだろう。四季にも彼の頭の中にも。
「まぁ、そうなんですがね……早く咲いてほしいじゃありませんか、桜」
早く咲いてほしい……が、早く消えてほしいと私に言ってるように聞こえる。少しむっとしたが事情を知らない人間に何か言ったところで何も変わらない。無駄、と判断し男の言葉には何も返さない。
「早く逢いたいんですよ。ここはね、戦争の時に死んだ婆さんを埋めた場所なんです。その時は小さな桜だったんですが今じゃこんなに大きくなって……私はこの桜を婆さんだと思っています。はは……若い者にはつまらない話ですよね」
「いえ……」
私には外見から人間の年齢を判断出来ない。口振りからこの人間は老人のようだった。
「そういえばあんたはこんなところで何をしているんだい」
「私も待っているんです。桜を」
あぁ、この人間は私に似ている。

13 :No.03 春零番 3/5 ◇CoNgr1T30M:07/09/29 23:19:58 ID:MJv9fHNx
いつだったか人間だった頃。
桜の木で語らった詩。
桜の木で交わした接吻。
そして些細な事故。
私は死に、気が付くと冬の使者になっていた。
冬の使者とは秋の終わり冬の始まりに人間の姿を借りて具現化される。そして冬の終わり春の始まりに消滅するまでその季節を見守る存在。
それ以来、私は春に侵略されながらも彼との思い出である桜を待った。
けれど何年か過ぎて行くうちやはり春を憎むようになってしまう。当たり前といえば当たり前、自分を侵略する者をにこにこと快く受け入れられないだろう。
でも、桜を見ようとすることは毎年欠かさなかった。自分が具現化された町で一番大きい桜を目指す……けれどまだ一度だって見たことなかった。
春の到来と共に消える身。当然、桜なんて見ることはできない。

「貴方は毎年来ているの?」
人間に問う。
「もちろん」
という答え。意味のない問いだったようだ。
私は苦しいのを忘れ、よく晴れた空を見上げる。清々しい青、ずっと憎んできた春が作った空。もうずっと春の始まりを楽しいと思ったことはなかった。

14 :No.03 春零番 4/5 ◇CoNgr1T30M:07/09/29 23:20:16 ID:MJv9fHNx
けれどまだ春ではない。私に春を楽しむことは永遠に出来ない。
もうすぐ春がやって来るということが、冬の使者としての体を通じて感じ取れる。
崩壊寸前、何かしらのきっかけで崩れる。
……やっぱり春の使者に侵略されるのは怖い。それは仕方がないこと。私を好きだった春に侵略させる。神様はなんて悪趣味なんだろう。
私の眼に写る桜はまだ花をつけていない。今回も駄目だった。
地球温暖化で力が弱まるのはいただけないが、桜の咲く時期が早まる。
そんな淡い期待をしていた。
ただ私の力、すなわち冬という季節の時間が減るだけ。
将来的にその時間がなくなれば私は本当に消滅する。
私と春は完全に離別されている。

息が荒い。時間がゆっくりゆっくりと流れる。
間もなく春の使者がやって来るにも関わらず、時間は止まったかのようだ。
何という焦らし方、春の使者もうずうずしているだろうに。やはり神様は悪趣味だ。
呼吸が出来ない、目は潤んで前がぼやけて見える。
「……あっ」
蕾が花へと移り変わったように見える。
その瞬間、私はすうっと透明になり消滅した。
願わくば次の機会こそ桜が見れますように。

15 :No.03 春零番 5/5 ◇CoNgr1T30M:07/09/29 23:20:37 ID:MJv9fHNx
数年後、見覚えのある町。
一番大きな桜のある場所まで、彼女は足を引きずるように目指していた。
そこには先客がいた。
「久し振り、ですね」
彼はこちらに一度だけ目をやってまた桜を見る。
「会ったことありましたっけ?」
私は消滅すると関わってきた人間から自分の記憶は消されるはず。覚えているわけがない。
「そんな気がするだけです」
老人はただ桜を見ていた。
「桜、咲きませんかねぇ」
「春になったら」
数年前と同じ会話。
ふと、桜の木を見ると幹の影に蕾ではなく明らかに花がついていた。
「最近、長年一緒にいた愛犬が死にましてね……」
老人の足元には灰が付着したかごが転がっていた。
その桜の木は次々と花をつけあっという間に満開になった。
彼女は満開になるとほぼ同時に消えていた。
強い春の風が吹く、それは春の訪れの合図。



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