【 めたふぃくしょん? 】
◆NA574TSAGA




112 :No.28 めたふぃくしょん? 1/4 ◇NA574TSAGA:07/09/24 03:15:48 ID:SCEDXoXb
 「文章を紙に書く」という作業はいくつになっても億劫なもので、今年で四十になる私でさえ、未だに鉛筆を握ることに
は抵抗がある。ましてや何を好き好んで、貴重な休日を机に向かって過ごさなければならないのか。そして何故私がそ
れをやらされなければならないのか。それが憂鬱でたまらないのだ。
 ちなみに今執筆しているのは自作小説などでは決してない。娘の里香に押し付けられた読書感想文である。 
「おとーさーん、感想文出来たぁ?」
 娘の急かす声が聞こえる。「いや、もう少しだ」と返事をしてやる。これで同じやり取りを何度繰り返しただろうか。
 今日は八月の三十一日。里香の夏休みの最終日であると同時に、私にとっても八月最後の休日だった。
 ジー、ジー、と蝉の声が聞こえてくる。外は良い天気らしい。八月に入ってからというもの、私の休日と天気の相性は
実に良好だった。その法則は今日まで続いてくれていたらしい。おかげさまで書斎は直射日光と熱気に恵まれて、天然のサウナと化している。
 そんな最中、里香は暑さを物ともせず書斎へと飛び込んできて、私の背中へともたれかかった。当然のことながら暑苦しさを覚える。
「おとーさん。ねえ、どこまで書けたの? 見せて見せてー」
「うーん、まだ半分くらいだけど結構いいのが書けたんじゃないかな。ほら」
 そう言って渡した自信作だったが、里香は原稿用紙の束を見るなり一言。
「なにこれええええ! おとーさん、これいったい何枚書いたの?」
「えっ、えーと……四十枚くらいかな」
「ばっかじゃないの!? 原稿用紙五枚以内だって最初にあれほど言ったじゃない!」
「ええっ、そうだったっけ?」
「しかも難しい漢字ばかり使ってるし……。こんなの読めないよー」
「えええっ、どれどれ……。『凄惨・陰湿・陰鬱で魑魅魍魎渦巻く混沌とした場所と見られがちな“魔界”を、檸檬の酸味にも似た
独特の比喩表現により、一つの文学作品として華麗に昇華しきっている。』何だ、普通に読める漢字ばかりじゃないか、
っていたたたたた」
 手加減は無しだった。娘に頬をつねられる父親の姿など、私が子どもの頃には想像も出来なかった。いやはや、時代は進化するものである。
「小学四年生に読める漢字で書けってこと! それともっと小学生らしい文章にしてよね」
 そういうと里香は、今まで書いた感想文の山を丸めてゴミ箱へと投げ捨ててしまった。
「めんどくさいなあ……。てかそんなに言うならやっぱ自分で書けば――」
「おとーさんが悪いんだからね! 夏休み中、仕事が休みのたびに遊びに連れ出すんだもの。責任取ってもらわなきゃ困る!」
「はいはい、わかったわかった……」
 一応表向きは私が悪いということにしておく。しかし実際はどう考えても、暇な日にこつこつやって終わらせなかった
里香が悪い。そう面と向かって言いたいところだが、せっかく夏休み中に創り上げた親子間の絆をこんな所で切るわけに
はいかないだろう。そんなことを考えてしまう情けない父親だった。

113 :No.28 めたふぃくしょん? 2/4 ◇NA574TSAGA:07/09/24 03:16:09 ID:SCEDXoXb
 書斎を出て行ったかと思うと、里香は自分の部屋から別の本を持ち出してきた。
「はい、次はこの本で書いてみて。これならそんなに長くは書けないでしょ」
「えっ……これでか?」
 手渡された本は「ライトノベル」と呼ばれる子供向けの小説であった。表紙では制服を着た女の子が、こちらを向いてポーズをとっている。
「お父さんはこういう可愛らしい絵が入ったのよりも、もっと普通の小説の方がいいけどなあ……」
「それでいいの。小学生の感想文なんだから、そのくらいが普通だって」
「そういうものか? へえ……」
 表紙をめくってみるが、最初の数ページはカラフルな絵が載っているばかりだ。本当にこれが小説なのだろうかと疑問に思う。
「じゃあ私、工作の途中だから戻るね。しばらくしたらまた見に来るから」
 そういうと里香は天然サウナから一人、クーラーの効いたリビングへと戻っていった。私も出来ればそちらに移りたい
ところなのだが、悲しいかな、普段仕事でパソコンに向かっている環境でなければ筆が進まないのである。
 「やれやれ」と肩をすくめ、里香に渡されたライトノベルを渋々読み始めることにした。

 それから二時間ほど経過した頃、里香が再び様子を見にやって来た。
「どう? ちゃんと書けそう?」少々不安げに尋ねてくるが、心配は無用だった。
「うん、たぶん大丈夫かな。これから書き始めるところだ」
 本を閉じ、袋から原稿用紙を取り出す。今度は勘違いしないように出すのは五枚だけにしておいた。そしてふと気になったことを、里香に聞いてみる。
「ところで……この小説って続きはあるのかい?」
「えっ、うん。今は九巻まで出てて、今度十巻が出る予定」
「そうか。感想文が終わったら、続きを貸してくれないかな」
 自分ではごく普通の発言のつもりだったのだが、どういうわけだろう。私を見つめる里香の視線が、急に冷ややかに
なったような感じを受けた。窓から吹き込む風の流れまでもが、少々変化したように思われる。
「いいけどさ……ちなみにおとーさん、この小説のどんなところが気に入ったの?」
「ん? ……長門さんって子が、可愛いところ」
「却下ッ!」
 そう言って里香は私から本を取り上げてしまった。
「おいおい、まだ書き始めていない――」
「ダメッ! 別ので書いて! 今のお父さんにコレで書かせたら、絶対変な方向に書いちゃいそうだからっ」
 里香はどういうわけか怒っているようだった。
 これが今話題の「つんでれ」とかいうやつだろうか――。そんなことを考えつつ、私は未だ空白の原稿用紙を眺め溜息をつくのであった。

114 :No.28 めたふぃくしょん? 3/4 ◇NA574TSAGA:07/09/24 03:18:02 ID:SCEDXoXb
 三冊目は図書館で借りたという、ごく普通の児童書だった。こういう素朴な作品であればあるほど、小学生らしい感想
を書きにくくなるということは、里香には多分理解しがたいだろう。純粋な子どもの視点に立って物語を読むことが、年を
追うごとに難しくなるのだ。何となくではあるが、そんな気がする。
 時間は既に夕刻に差し掛かりつつあった。さっきまであれほど暑かった室内も、だいぶ涼しくなってきた。里香も
先ほどからこの部屋に移って工作を作り始めている。作文は苦手だと言うが、工作は好きなようだった。
「里香、どんなものを作っているんだい?」
 声をかけるとあからさまに迷惑そうな顔でこちらを振り向いた。
「ビーズのアクセサリー。集中してるから話しかけないで」
 そして再び作業に没頭し始める。普段落ち着きのない里香にしては、かなり真剣な様子だった。だから私も真剣にな
ることにして、本のページをめくり始めた。
 三十分ほどかけて読み終わると、窓から入る風はすっかり夏の空気を失っていた。「ジー、ジー」といセミの鳴き声は
「カナ、カナ」へと変わり、外はだんだんと夕日に染まりつつある。こんな都会のど真ん中のいったいどこで、セミは鳴い
ているのだろうかと、ちょっと疑問に思った。
 家の中は静かだな――そう思って振り向くと、里香は床に伏せたまま眠ってしまっていた。声をかけようとするが止め
ておく。そして鉛筆を手にとり、もうひと踏ん張りだと気合を入れなおした。
 ――そういえば子どもの頃に私も、里香と同じようなことをやっていたかもしれない。
 もっともあの頃は読書感想文ではなくて、朝顔の観察日記だったけれども。……そうだ、今日と同じように夏休みの最
終日。観察日記を一からでっち上げて、祖父にセミの標本の仕上げを手伝ってもらって、ホコリを被ってた勉強道具を
引っ張り出してランドセルに詰めて、縁側でスイカを食べて、そして次の日に備えて早々と布団に入り、
 そして楽しかった夏休みが、終わりを告げる――。

 ……なんだ、簡単なことじゃないか。
 子どもの視点に立つのが難しい、なんていうのは幻想にしか過ぎなかったわけだ。
 今や私は四十歳の「私」ではなく十歳の「僕」に回帰していた。見るもの聴くもの体験するもの全てが自由にあふれ
ているような、そんな感覚。原稿用紙の上を、鉛筆が走る。あの頃の感性が蘇ってくる。夏の空気も、セミの声も、
空の色も、風の心地よさも、全てがあの日のままだ。これは夢だろうか? いや、違う。夢なんかではない。先ほどの本
の内容が、十歳の僕の心に響いてくる。そして感情として処理され、文章としてアウトプットされる。これは夢だろうか?
 いや、違う。夢なんかではない。原稿用紙の上を、鉛筆が走る。あの頃の感性が蘇ってくる。夏の空気も、セミの声
も、空の色も、風の心地よさも、全てがあの日のままだ。これは夢だろうか? いや、違う。夢なんかでは――――

115 :No.28 めたふぃくしょん? 4/4 ◇NA574TSAGA:07/09/24 03:18:29 ID:SCEDXoXb
「……さん、おとーさん! 起きて。風邪引いちゃうよー」
 里香の呼ぶ声に、私はあわてて机から顔を上げた。何だか懐かしい夢を見ていた気がする……。「まさか夢!」と思い原稿用紙
を見直すが、無事五枚目の中ほどまで埋まっているようだった。どうやら完成させた安心感から眠ってしまったらしい。里香に
借りていた本と感想文を渡してやる。中身を何度も確認した後で、満足したらしく、腕にしがみついて喜びはじめた。
「ありがとー! お父さんはきっとやれる人だって信じてたよ」
「まったく、現金な奴だなあ」
 苦笑いを浮かべる私だったが、何となく嬉しい気持ちになった。しばらくそうしていると、里香が何かを差し出してきた。
「はい、これ。余ったビーズで作ったの。今日のごほうび」 色の綺麗な、ひも状のものを手渡される。
「……何だ、これ?」
「ミサンガ。手首にずっと巻いておいて、自然に切れたら願い事がかなうんだよ」
 私はさっそく右手に巻いてみた。里香が願い事もしてとせがむので、一つ願っておくことにした。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
「もー、違う! お坊さんじゃないんだからっ」
「冗談だよ、冗談」
 願いを終えて、「ありがとな」と里香に告げる。「どういたしまして」と里香が応える。何を願ったのかと聞かれるが、「さあな」と知らん振りをしておく。
「ほら、台所行ってお母さんの手伝いでもしてきなさい」
「ちぇー、教えてくれたっていいじゃない。けちぃ」

 『里香がずっと幸せに生きること――それだけが私の願いです。
 フィクションではない、現に存在するノンフィクションの幸せを、私は心から祈ります』

「む、それだと紐が切れるまで叶わないってのは遅すぎるか? ……まあいい、気にしないでおこう」
 そう呟きながら書斎を出ようとした、まさにその瞬間。電話のベルが室内に鳴り響いた。
 この時間にかかってくる電話といえば決まっている。私はしぶしぶ受話器を取り、仕事用の喋りへと切り替えをした。
「はいもしもし。……あ、講弾社さんですか、いつもお世話になって……えっ? 短編の締め切り……ええっ? ちょ、
ちょっと待ってくださいね、えーと、はい。……九月一日締め切り、はい確かに。はい……はい、すみません、なんとか
間に合わせます。はい……、はい……。どうもー……」
 受話器を置き、そのままの姿勢で数十秒硬直。「嘘だろぉ」と思わず口に出してしまう。娘の宿題に奮闘するあまり、
"本職"の方の締め切りをすっかり忘れてしまっていた。「おとーさーん、ご飯だよー」とリビングから呼ぶ声がする。
 ――今だけでもさっきの願い、取り替えてもいいですか? 必死にそう呼びかけるが、ミサンガは何の反応も示さなかった。 〈了〉



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