【 神話使いの騒動記 】
◆InwGZIAUcs




103 :No.26 神話使いの騒動記1/5 ◇InwGZIAUcs:07/09/24 03:06:54 ID:SCEDXoXb
 とある日曜日。夕子は留守番を頼まれていた。
 さらに、一歳になったばかりの弟、健太の世話も頼まれているので、その責任は重大だ。
 怖い顔で「誰が来てもドアを開けてはいけない」と、念を押していた母の表情を思い出すだけで、夕子は誰が来ようと
ドアなど開ける気がしなかった。だから、突然鳴ったインターホンのチャイムに体が硬直してしまったのは、身の危険
よりも母の声が頭に響いたからだろう。真昼間、こんな安アパートの一室に用がある人といえば、新聞か宗教の勧誘だ。
(だから、こんなの無視すればいい。無視すればいいの)
 頭の中で呟くように繰り返す。すると、三回鳴った時点でチャイムは止んだ……が、その代わり、
ドサッという大量の雪が屋根からずり落ちるような音が、夕子の耳に届いた。
「え?」
 なんだか不安を募らせる音だった。今は夏。当然雪は無く、それでなければ人がその場で倒れた様な音……。
 夕子の行動は迅速だった。台所から椅子を玄関まで持ってくると、ひょいとその上に乗り、ドアの覗き穴まで
足りない高さをカバーする。小学四年生の中でも背が低い夕子にとって、ドアの覗き穴は目線より頭一個分高いのだ。
 穴のレンズから見える歪んだ外にいたのは、やはり倒れた人だった。角度的に男なのか女なのかは分からない。
(このまま放っておいて良いのだろうか? でもこのまま死んでしまったらどうしよう? お母さんに怒られる?)
 まだ幼い夕子の頭の中で色々な葛藤が渦を巻いた。それに比例するように目もクルクル回って――
(ってーもういいです! 死んだ人が家の前にいたらきっともっと怒られます!)
 ガチャ……と、ゆっくり開けられたドアの先にいたのは、黒い人だった。
 正確には少し違う。この蒸し暑さの中、黒い細めのコートの様な服を身に纏い、同様に黒い毛皮のような
円柱型の帽子を被った青年だった。やたらと爽やかな黒髪が印象的で、普段なら知的な好青年といった
イメージを抱かれるだろう。しかし彼は今、横に倒れたまま口をパクパク動かして、死んだ魚よろしく夕子を見上げていた。
「きゃっ!」
 慌てて玄関を閉じた夕子……だが、このままにするわけにもいかず、もう一度そうっとドアを開けてみる。
 そこにはやはり先ほどと変わらない姿をした青年が横たわっていた。よく見るとその手には小包が収まっている。
 すると彼は、低く唸る野犬のような腹の虫の鳴き声と共に、のっそりと起き上がった。
「えと、昨日隣に引っ越してきました、神継(かみつぐ)です……よろしくお願いします。あ、これ引越しのご挨拶です」
 手に持っていた小包を名残惜しむように夕子へと手渡す。小包はどうやら和菓子のようで、
そんなに高級な感じではなかったが、神継の視線は未だ夕子の手に収まったそれに集中しているようだった。
(こ、怖いけど、お腹……減ってるのかな?)
「あ、ありがとうございます。あ、あの……よかったら食べていきますか?」
「えっ――い、いいいのですか?」

104 :No.26 神話使いの騒動記2/5 ◇InwGZIAUcs:07/09/24 03:07:11 ID:SCEDXoXb
 もしかしたら数分後にでも餓死しそうな神継を、夕子はなんとなく放っておけなかった。

 部屋の中は程々に片付いており、また、程々に生活感が漂っていた。
 テレビに赤ちゃんベッド、仏壇にテーブルや食器棚。など、目に付く家具が所狭しと押し込まれている。
 慣れてしまえば、この狭さもどうってことはないのだろう。それよりも、小学生とベッドで寝ている赤ちゃんに
留守番をさせているこの家庭環境のほうが問題だよなあと神継は思う。
「夕子さん、ごちそうさまでした」
 夕子は「……いえ」と、はにかんだ様な笑みを浮かべる。神継は落ち着きを取り戻していた。
 それもその筈。なんと神継は持ってきた和菓子の他に、夕子の家のカップラーメンを三つもご馳走になっていたのだ。
 夕子が尋ねた所によると、何でも彼は近所挨拶の和菓子を買った帰り道、財布ごと鍵を落として家にも入れず困っていたらしい。
「このご恩、必ず返させていただきます」
 ならばそろそろ出て行って頂けたらなあと夕子は思う。母がパートから帰ってくるのは夕方過ぎになるだろうけど、
何かの偶然が重なって今帰ってきてしまったら、この状況を説明する自信がないし怒られることは間違いない。
 そんな事を夕子が考えていると、神継が突然訳の分からないことを言い出した。
「その為に聞きたいのですが……君は神話を信じますか?」
 確かに着ている服も聖職者のような格好だし、そんなことを言って公園で突然話しかけられても違和感はないが……
この一連の生き倒れ騒動は、新手の勧誘手口かと夕子は焦る。そして困った。
(どうしよう……私家の中にいれちゃった! 怒られちゃう!)
 オロオロとしだす夕子に、神継が苦い笑みを浮かべたその時、今までずっと静かだった弟の健太が突然泣き出した。
 眉をひそめたくなる程甲高い泣き声に、驚いた夕子が慌てて健太を抱きあげる。
「おむつ……でもない。ご飯かな?」
 人肌に暖めてある哺乳瓶を取り出して、健太の口元に当ててやるものの、飲もうとする気配は無い。
「あれ? あれ? 何が駄目なの? 健君?」
 泣きそうに顔を歪めた夕子が必死に健太をあやしてやるが、一向に泣き止まなかった。
「んーもし良かったら僕があやしてみようか?」
「え?」
「神話使いの名の下に詠う――魔落としの音よ、表裏の無い形よ、子を見守りたまえ――振り鼓」
 振り鼓。いわゆるでんでん太鼓をいつの間にか手にした神継は、手首を回し軽快な音を響かせる。
「知ってますか? でんでん太鼓は本来、魔払いに使われているものなのです。赤ちゃんは良くない気に敏感ですので、
反応してしまうことがあるのですよ。多分、不安な気持ちになった夕子さんの気に当てられたんですよ」

105 :No.26 神話使いの騒動記3/5 ◇InwGZIAUcs:07/09/24 03:07:36 ID:SCEDXoXb
 すると、あれだけ精一杯泣いていた健太の声はだんだんと小さくなり、ついには笑い声に変わってしまっていた。
 何はともあれ、手の中できゃっきゃと笑う健太に夕子は胸を撫で下ろす。
(でも……あのでんでん太鼓はどこからだしたんだろう?)
 そんな疑問が沸いた時既に、神継の手から太鼓が消えていた。
「……神継さんは手品師ですか?」
「手品師? ふふ、僕は神話使いなんです。世界中に伝わる神話や伝説の物を思い通りに使うことが出来るのです」
 夕子はこの時、やっぱりこの人は危ない人なんだなあと思った。

 夕焼けが町並みの地平に呑まれていく日暮れ時。
「餓死はまぬがれた……よかった」
 一日中探し回ったおかげで何とか財布を発見した神継は、引っ越したての部屋に戻ることが出来ていた。
 なんだか新しいこの部屋がとても懐かしく感じるのは、歩き回った疲労のせいだろう。
「餓死は免れた? 俺はまだ腹ペコだっつーの! 昼の魔気は食う前に振り鼓で落として払っちまうし!」
 それは神継の声ではなかった。唐突に、文字通り彼の頭の上から発せられたものだ。
「そう言うなよテドキス。赤ちゃんがお前を見て怖がったら本末転倒だ。それに大丈夫、もっと凄いのにありつけると思うから」
 神継は平然とその声に応え、テドキスと呼んだ帽子をぽんぽんと撫でてやる。
 すると、真っ黒だったその帽子の生地がパックリと裂け、爛々とした赤い目玉が二つ現れた。他の人が見れば、
目玉を埋め込んだ悪趣味にも程がある帽子だと思うかもしれない。ハロウィンの時にでも使えば違和感は無いかもしれないが。
「本当か?」
「ああ、夕子さんの部屋に充満していたあの気。赤ちゃんは何も、夕子さんの不安な気だけに当てられただけじゃない。
部屋全体に魔が住み着いているような……そんな空間だった」
 すると、家賃に比例して薄い壁、つまりは隣の部屋から、女の子の泣き声とそれとは違う女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「ほらね……さて、本当の恩返しに行こうかな?」
 赤目の帽子、テドキスがニヤッと笑った。

 その夜も、夕子の母は怒っていた。
 理由は本当に些細なことだ。自分を恐れるオドオドした夕子の態度が、仕草が、行動が、全てが彼女をイライラさせた。
 夫が死んでから半年……それでも優しかった彼女の姿はここ数日どこにもない。まるで人が変わったかのように……。
 そして今も激昂する母に夕子は泣きながら怯えていた。しかし、救い船のようにインターホンのチャイムが鳴ると、夕子は
少しほっとして、玄関に行った母の様子を伺う。誰かは分からないが、少しでも母の機嫌を良くして欲しいと彼女は願った。

106 :No.26 神話使いの騒動記4/5 ◇InwGZIAUcs:07/09/24 03:07:51 ID:SCEDXoXb
「どなた様ですか?」「夜分遅く失礼します」
 そこに立っていたのは神継だった。
 ややバツが悪そうに、ドアを半開きにして警戒している夕子の母。しかし、神継は何の躊躇も無く勝手に部屋へ乗り込んだ。
「ちょ、あなた! 警察呼びますよ!」
 その忠告も無視して神継は夕子の前までやってくる。目を腫らして、きょとんとしている少女がそこにいた。
「恩返し……しにきましたよ」
「あ……」
 微笑みながら夕子の頭をそっと撫で、神継は今まさに電話をかけようとしている夕子の母に、右手の平を向けた。
「神話使いの名の下に詠う――鬼神よりもたらされた鏡が映すは悪鬼の心。古より現在に参れ――照心鏡」
 歌うように紡がれた言葉に呼応して、神継の手が光りだす。
 前方の空間を小さな光の粒が走る。一瞬後、跳ね回る光の粒は絢爛な装飾の鏡を描きあげた。
 その鏡は白光を放ち、夕子の母を照す。すると彼女は手足どころか、その長い髪一本一本が
凍ってしまったように動かなくなる。言葉どおり、その鏡は彼女の時を止めてしまった。
「照心鏡は、秦の始皇帝が臣下の忠誠を試すために使ったというが、真実は違う。多くは、人に憑いた魔を具現化し、
それを払う為に使われていた神具だ」
 説明は神継独特の集中力やイメージ力を高める儀式のようなもので、その場に聞いている人がいようといまいと関係は無い。
「お母さん! お母さん! あの――!」
「夕子さん! 大丈夫です……落ち着いて、見ていて下さい。もうお母さんは自由です」
 不安に顔を歪める夕子の視線の先には、確かにぐったりと壁に寄りかかる母の姿があった。
 しかし、彼女からは黒い煙のよなものが湧き出し、その煙は鬼を象った。これが先ほど神継が説明した「人に憑いた
魔を鏡によって具現化させたもの」であったが、あまりに非現実的な光景に、夕子は声も出ない。
「神話使いの名の下に詠う――腕裂き首切る鬼殺し。古より現在に参れ――鬼切丸」
 照心鏡を、それこそ手品のように消滅させた神継。彼が次に手にしたのは、照心鏡の時と同様に光に描かれ現れた一振りの刀。
「羅生門で斬られた腕を取り返しに来た鬼。その首を一閃した一振り、それが鬼切丸……悪鬼を切るのにこれ以上の代物は無い」
 しかし夕子の母から完全に抜け出した黒い鬼は、神継の言葉を待たず彼の下へと身を滑らせた。
 靄のような見た目に反し、人外の質量を持つ鬼。一歩進むごとに地面が軋み凹んでしまう。そんな鬼の一撃を生身で食らう
事は無謀だろう。後ろには夕子もいる、避けることはできない。しかし神継はただ一歩足出し、右半身をずらした。それだけだった。
 横一閃。居合いのような一撃。鬼は無音の悲鳴を上げ形の無い煙となって消えていく……しかしその時、
「おっと、消えられちゃ困るんだぜ!」
 その場にいる誰でもない声が響いた。

107 :No.26 神話使いの騒動記5/5 ◇InwGZIAUcs:07/09/24 03:08:04 ID:SCEDXoXb
 声のした方へと夕子は目を向ける。すると、そろそろ夢だろうと思い始めてもおかしくないモノがそこにはあった。
 黒い帽子に開かれた二つ赤い瞳。そして同じく開かれた赤い口。
「ぼ、帽子が……」
「こいつはテドキス。怖くはないよ? 人を食べたりはしないから。その代わり、人に憑いた魔をこいつは食べるんだよ」
 テドキスは大きく口を広げた。すると、まるで掃除機に吸い込まれるように黒の煙が帽子の中へと納まっていく。
「げっふ……。こいつぁ中々ヘビーな憑き魔だったなあ……んじゃ俺は寝る」
 元通りになった帽子に、神継は「お休み」と告げた。同時に、すべての現象は最初から無かったかのように消え、
部屋は静寂に包まれる。呆然と立ち尽くす夕子。相変わらずぐったりとした母親。始終静かだった健太。
 夕子は恐る恐る母親に近づいた。
「……お母さん?」
 近くで見れば、地面には小さなシミが出来ている。
 すると、夕子が声を上げる間もなく、母親は彼女に抱きついた。
「ごめん……なさい。ごめん、ね? お母さんどうかしてた……なんで夕子にそんな辛く……ごめんね?」
 その言葉に夕子の目からも涙が溢れてくる。
 さっきとは違う……熱く切ない涙だった。

「昨日は何でいつの間にか帰っていたんですか?」
 次の日の朝、夕子が学校へ行く前に神継の部屋を訪れた第一声がそれだった。
「いやあ、僕空気読まずに説明とかしちゃいそうだったから、口が勝手に喋りだす前に帰ったんだよ……」
「あの後お母さんに事情を説明したら、お礼がしたいって言ってました」
「いらないよ。言ったじゃないですか。恩返しだって……」
「そんなことを言わずに……今晩、ご一緒にご飯などいかがですか?」
 その声の主は夕子ではなかった。夕子の後ろに現れた彼女の母のものである。それはもう昨日見たイメージと全く違っていた。
神継自信、「こんなに柔和そうでも、魔に憑かれるとあんなに変わってしまうのか……」と、改めて再認識させられていた。
「ほら、どうせまた餓死してしまいますよ? 説明好きな神話のお兄さん?」
「……三ついいですか? 一つ目、現代社会で溜めやすいストレスは、魔を誘う蜜のようなものなので気をつけて下さい。
二つ目、赤ちゃんについてです。三歳児神話って知ってますか? 三つ目、その事を今晩、ご飯の時に説明したいと
思いますが……君は神話を信じますか?」
 太陽にも負けない勢いで微笑みながら、「はい!」と答える夕子。神継は観念した様ように両手を上げた。
 彼の頭上でも、自分のご飯にはありつけそうにない今晩の光景に、テドキスは観念し溜息をついていた。       【終】



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