【 破線の向こう側 】
◆p0g6M/mPCo




62 :No.16 破線の向こう側 1/5 ◇p0g6M/mPCo:07/09/24 02:29:07 ID:SCEDXoXb
 ゴンッ――。
 脳内で生々しい残響を轟かせていたのは、金属バットで父を殴った音だった。
 その嫌な音が消えない中、身の周りの状況を確認する。
 必死に自転車のペダルをこぎ続ける僕。無酸素運動とまではいかないが、それに近い状態であり
ながら、不思議と息が切れることはなかった。
 これは、逃走本能によるアドレナリンが放出しているからだろうか? 確か漫画で観たことがある。
 辺りは闇に包まれていて何も見えなく――いや、見ようとしなかった。
 その為か自分の肩に何かがぶつかった。自転車がよろけて倒れそうになったが、なんとか持ち
直した。振り向くと、おじいさんが土手に倒れこんでいた。
 ――あああ、また僕は人を。

 いやもう何人殺してもどうでもいい。所詮相手は赤の他人だ。
 僕は、親を殺してしまったのだ。それに比べれば他愛のないことなんだ。

 風の音が辺りの音響をかき消し、暗闇の中にある僅かな街灯が視界をぼんやりとさせる。
 自転車で走り抜ける風圧が世界をさえぎっているのだ。誰にも介入することの出来ない、今、
自分しか存在しない舞台に立っている。そんな錯覚が、僕の心に変な高揚感をもたらした。
 悪くない。このノリにノッた中で街中を突き抜けてやる――そう思っていた時だった。
 目の前で、交互に点滅する赤色の光が地面をなめていた。
 ――動悸が激しくなる。このまま暗い檻の中に閉じ込められるのは真っ平ごめんだ。
 引き返さないと。
 早く、はやく逃げなければ。


「いいか? これは質問じゃあなくて、尋問というやつなんだ。お前には答える義務があるんだよ」
 薄暗い取調室。静止した風景。そこにはカビと煙草の臭いが充満していた。
 僕は刑事の質問、もとい尋問に対し、同じ答えを繰り返している。
 補導されてから、三日は経っているか。
「確かに僕が父を金属バットで殴りました。でも理由はわかりません」

63 :No.16 破線の向こう側 2/5 ◇p0g6M/mPCo:07/09/24 02:30:22 ID:SCEDXoXb
「わからねェじゃねえよ! てめえ、動機無しで人が殺せるってのでもいうのか。そんなもんでハイ
そうですか、と聞き流せたら警察なんざいらねぇよっ」
 そう言って刑事は罵声を浴びせてきた。そのえらが張って角張った顔は、大嫌いな体育教師の顔を
思い浮かばせる。そしてあいつと同じ怒鳴ればなんとかなるという、極端な考えの持ち主でもあるよう
だ。こいつは一方的にしか物事を見ることができない、ただの馬鹿だ。
 そう判断した。理由? 動機? そんな大それた考えなどはない。
「昨夜午後七時二十一分頃、自宅の玄関先で父親と口論になり、お前は金属バットを持ち出して父親
の後頭部を殴打した。その後金銭を窃取し自転車で逃走、同日午後十一時三十六分に補導された。
ここまでは事実だ」
 こくりと頷く。
「後は動機だ。なに、細かいことなんぞ必要ねぇ。いやこんなものは尋問する必要なんかねえな。
お前が吐いちまえばことが済むんだよ。要は、カッとなって親父を殴ったんだろ?」
「違います」
 僕は断固として否定した。何故嘘でも、肯定ができないのか。そうすれば早く楽になれるのに。
 いや、真実を述べたほうが絶対にいい――心のすみでそう思っていたのかもしれない。
「これは緻密な計画的犯罪だとでもいうのか?」
「違います。でもカッとなったとか、そんな理由で殴ってはいません」
「じゃあお前の殴った理由ってのはなんだよ」
「だから……わかりません」
 瞬間、角顔の刑事はテーブルをおもいっきり殴りつけ、僕に睨みをきかせた。
 卓上の灰皿がカラン、とむなしく音を響かせる。
「おいこの野郎。てめえは頭がイカレてるか、警察を舐めてんのか? それともなんだ。無意識のうちに
体が勝手に殴ったってんでもいうのか」
「ああ……そうかも、しれませんね」
「このクソガキっ!」
 そう言うと突如、角顔刑事が僕の胸ぐらをつかみあげ、その不細工な顔を近づけた。
 一体なんだっていうんだ――これじゃあヤクザの脅しと変わらないじゃないか。
 こいつはただ公安職という武器を掲げ、それで弱いものを殴りつけるいじめっ子と同じだ。そんな奴に
警察という職務がつとまるのか? 教師も親も、どいつもこいつも大人なんてものは腐ってる。
 いやそれを言うなら、子供――僕自身も腐ってるか。ハハハ、何だかおかしいや。

64 :No.16 破線の向こう側 3/5 ◇p0g6M/mPCo:07/09/24 02:30:45 ID:SCEDXoXb
「何がおかしいんだ! お前の日常生活なんざ、一から十まで把握してんだぞ? 薬物検査に異変は
ねえ。だが犯行前の精神状態は近隣の住民、学校の教師、てめえのおふくろさんにも確認済みだ。
面白えじゃねえかよ、オイ。学校では普段は大人しいが、お前さん家ではその鬱憤を親父さんに
晴らしていたらしいじゃねえか」
 お父さんの前では天狗になっていたのに、なんでこいつの前では出来ないのか。
 そんな自分が段々と嫌になってくる。それでも僕はうつむいており、顔はまだにやけていた。
「それに猟奇的なTVゲームを好んでいたらしいな。え? 最近のガキってのはそれで現実とゲームの
見境か判らなくなんだよな。今の時代そんなものをガキがやるから、犯罪が増加するんだよなぁ」
 ああ、なるほど――こいつは僕にとって対極の人間なんだな。何を話してもかみ合うことは無い。
 例えこの男がいい人間でも、お互いに理解しあえることなど一つも出来はしないんだ。
 あまりのおかしさに、僕は思わず愚痴を吐き出してしまった。
「馬鹿じゃねぇの……んなわけあるかよ」
「んだとっ!」

「おい、崎山君。いいかげんにしろ」

 僕はその言葉の発した方に振り向く。出入り口にはいつの間にか、銀縁眼鏡をかけたスーツ姿の
男が佇んでいた。角顔刑事、崎山は一瞬猫を見た鼠のように萎縮したが、すぐ男に向かって深く
お辞儀をした。
「はっ……申し訳ございません。しかし松田さん、お言葉ですがこの少年は私に対して、あまりにも
反抗的な態度とっておりました。ならばこちらから強気に出るというのが常套で……」
 松田と呼ばれた刑事はテーブルの上にケースファイルを置き、懐から煙草を取り出した。
「尋問するなら相手を把握し、もっと穏便にやるべきだね。君の尋問相手は毎回気の効くやつじゃあ
ないぞ。怒鳴り散すなんて犬でも出来ることだ」
 崎山はさっきとは裏腹に謙遜の態度をとっている。
「それになんだあの尋問は。的を得たことならともかく、途中から完全に私情を挟んだ罵詈雑言じゃ
ないか。あれでは尋問ではなく拷問に近いぞ。なあ崎山君、これで何度目の忠告か覚えているか?
君のその疎かな態度が万年巡査部長止まりにしていると、いい加減に気付くことだな」 
 この刑事が登場したお陰か、僕の心は少し和んだ気がする。しかし正面にいる角顔、こんな馬鹿でも
巡査部長まで行けたっていうのが驚きだ。今は完全に恐縮しており、いい気味だと思った。

65 :No.16 破線の向こう側 4/5 ◇p0g6M/mPCo:07/09/24 02:30:59 ID:SCEDXoXb
「い、いつから聞いていたのですか?」
「最初からさ。隣廊下に立っていれば、君の大声は嫌でも聞こえるからね」
 松田はそう言って、視線の矛先を僕に向けた。
「さて、君。前日にも話は聞いていただろうが、父御さんの様態は依然意識不明の重態らしい。
もし、仮にも亡くなられたら君は殺人罪になる。しかし今回の事件関して五年以上の服役は免れん」
 淡々とそう述べ、話を続ける。
「後は父御さんが助かることを祈るだけだ。そうだろう? 君の心情は……本当は殺したくなかったん
だろう」

 この刑事は――何を言ってるんだ。
「ち……違います。僕は自らの意思で父を殴りつけた。そうです、殺したかったんでしょう。
それでも何故殺したかったのか……理由は判らない」
「そうですよ。見ての通り、こいつは少々気が病んでいるんです。理由なき犯罪……思い出しましたが、
分裂病的な要素があったのですな。これは日常生活が催した精神錯乱による犯行でしょう。
後日詳しい精神鑑定を行うのが最良かと思われますが……」
 崎山が僕の話に付け込みながら、僕のこと否定した――本当に嫌味な奴だ。
 その時松田が座卓を叩いた。
「いい加減なことを言うんじゃないよ崎山君! 何ださっきから聞いていれば。分裂病だの最近の子供
はゲームによる現実感が無くなるだの、それじゃあ分裂病患者や猟奇ゲームプレイヤー、今の子供は
皆罪を犯すとでも言うのか! いいか、君が子供だった60年代の方が少年犯罪は多かったんだぞ。
それを承知の上で言ってるのだろうな? 勝手な言葉を作るなよ」
 その問い詰めに、崎山は完全に沈黙してしまった。

「この少年の犯行は実に単純明快で、きっかけは必ずあるんだ」
 契機なんて無い。それは僕自身がわかっている。でも松田は、何を知っているんだろうか。
「それは……一体なんですか?」
「強いて言えば、一時の高揚感だよ。君の動機や原因の正体はこれだ。激昂して殴打したわけでは
なく、計画的に行った訳でもない。それは自宅の玄関先、君の横に『金属バット』という舞台装置が
偶々存在して、特異な環境というものが出来上がってしまったんだ。そこで狂おしい一時の心の振幅
というのが成立し、偶々父御さんを殴ってしまった。それだけだ」

66 :No.16 破線の向こう側 5/5 ◇p0g6M/mPCo:07/09/24 02:31:12 ID:SCEDXoXb
 あの時お父さんの後姿を見て――ああ成程、そうか。

 僕は特別怒ってなどなく、お父さんのことなんてどうでもよかったのだ。
 でもその後姿が、なんだかひどく殴りたくなっていた。
「これは確かに異常だが、人間誰しも持ち合わせているものだ。現代の子供が生み出した新たな歪ん
だ感情というやつではない。しかし……君は罪を償わなければならない。それは事実だ」
 そうだ――この刑事の言ってることは正しい。心の内は他人は勿論、本人でさえ何が何やら
わからない、言語化できない気持ちというのが現れるのだ。
 今の僕にわかること。それは理由はどうあれ、人を殴ったからには償い悔い改めるしかない。
 大人や子供が腐っていたのではなく、どうみても僕自身が腐っていたのだ。
 静寂な空間に、携帯電話のバイブ音が鳴り響く。松田の携帯だった。
「私だ。……そうか、わかった。こちらから直接伝えておく」
 松田は僕を見て、初めてその強張った顔を解す。
「朗報、と言わせてもらおうか。父御さんの意識が戻り、様態は回復に向かっているようだ」
 その言葉を聴いたとき、よくわからないけど僕の目頭は熱くなっていた。
 そして――なんだか世界がぼやけているように観えた。

<了>



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