【 「人間落第」 】
◆4TdOtPdtl6




58 :No.15 「人間落第」 1/4 ◇4TdOtPdtl6:07/09/24 02:27:40 ID:SCEDXoXb
 まだ残暑が厳しい季節。
 珍しく早起きした僕は、朝早く気温が上がる前に散歩に出かけた。
 薄暗い中、徐々に東の空が明るくなってきている。
 紺から青、黄色、オレンジと移る山際は、夜の帳の裾をちょっと持ち上げたみたいだった。
 だんだんと明るくなっていく町。
 いつもは遅刻ギリギリに自転車で駆け抜ける町を僕は、ゆっくりと歩く。
 こんなところに理髪店が、本屋が。
 毎日通っていた道のはずが、あまりにも知らないことだらけなのに驚いた。

 高校生の頃は、まず大学へ進み学びたいことを学び、望む企業に就職する、というのが目標だった。
 その第一歩。
 高校時代のビジョンでは、やりたいことをやって一生懸命学問に打ち込み、充実した生活を送っているはずだった。
「……ふぅ」
 ため息をつき、立ち止まる。
 目の前には灰色にそびえる大学の校門。
 受験に来たときは希望を象徴するかのように見えたその門は、今では陰鬱な自分の生活を象徴しているかのようだった。
 大学に合格し、この町に引っ越してきてすぐ、僕の生活は崩れ始めた。
 もともと意志の弱い自分は家族の目、教師の激励があって人並みの行動ができたのだと思う。
 引越した初日から夜更かしをし、コンビニ弁当を貪る生活を送っていた。
 部屋から出ずに漫画とゲーム、ネット三昧。
 そんな昼夜逆転の生活で授業に臨むのはどだい無理な話で。
 最初のうちは休まず出ていた講義も、だんだん休みがちになっていった。
 そんな歯抜けの出席で試験がどうにかなるわけも無く、僕の単位は手の中の乾いた砂のようにポロポロと落ちていった。
 前期の単位をほとんど落とした僕の行く先は決まってしまっていた。
 そう、落第。

59 :No.15 「人間落第」 2/4 ◇4TdOtPdtl6:07/09/24 02:28:14 ID:SCEDXoXb
 急に視界が紅く染まり、僕は目を瞑った。
 もう日の出らしい。
 暖かい日差しに照らされ、町は急に輝き始める。
 やわらかく包み込むような朝日は、どこかいつもにこやかな家族を思い出させた。
 でも。
 その明るさは僕にとっては眩しすぎる。
 その暖かさは僕にとっては暑すぎる。
 僕はその光から逃げるように路地に駆け込んだ。

 ズタズタな生活を送っていた僕も夏休みには実家に帰った。
 家族と顔をあわせるのは心苦しくて仕方なかったが、僕が帰るのを心待ちにしている家族の顔を思うと、帰らないわけには行かなかった。
 実家に帰ると家族がうれしそうな顔で「おかえり、むこうじゃどうしてた?」って聞いてくる。
 心底僕のことを案じてくれているその顔に向かって僕は、平気で「がんばってるよ」って答えていた。
 家族のあったかい励ましに僕も何も感じなかったわけじゃない。
 僕は大切に思われてるし期待もされてる、次こそはがんばらなきゃ、って。
 でも、そのやる気が続くのは実家にいるあいだ程度だった。
 それって結局、何も感じてなかったってことなのかな。

 子供の頃、家族はいつも僕を照らしてくれていた。
 新しいことを教えてくれ、いじめっ子から守ってくれ、そして僕の一番の居場所だった。
 でもそれは今思えば、僕はそんな家族をいつも逃げ場にし盾にしていたんだろう。
 見栄を張るために勉強し、背中を押されて渋々登校し、将来の目標も無く生きていた。
 そんな自分が、こんな異郷の地でひとり立ちするなんて、もとより無理だったのかもしれない。
「何だよ俺、人間失格じゃないか」

60 :No.15 「人間落第」 3/4 ◇4TdOtPdtl6:07/09/24 02:28:25 ID:SCEDXoXb
 と、そんなことを考えていると、突っ立っている僕の脇をランドセルを背負った子供が駆けていった。
 いつのまにかもう通学時間らしい。
 子供たちの顔は皆、明るく、はつらつとしていた。
 これから学校が、授業が始まるというのになんて楽しそうなのだろう。
 そんな彼らと、自分の小学生時代を比べてみる。
 あのくらいの頃の自分はもっと…………あれ?
 揺れるランドセルを見つめながら、改めて自分の小学校時代を思い出してみる。
 たしかに好きな授業ばかりじゃなかった。
 外で遊ぶのが強制されていた昼休みはいつも雨が降らないかと思ってた。
 でも、学校に行きたくないと本気で思った記憶は、無かった。
 理科が好きだった自分は、白衣に憧れ、実験のある日はわくわくしてた。
 読書が好きだった自分は、休み時間の合間に本を読むのが楽しみだった。
 何より、勉強していろんなことが分かり楽しいと思ったのは他でもない、自分だった。
 あれ、結構楽しんでたじゃないか、俺。
 なんだか少し気分が楽になる。

 と、いきなり後ろからぶつかられた。
 よろめいて振り向くと、セーラー服姿の女の子がしりもちをついていた。
 あわてて手を差し出すと、その子はすみません、と言いながら立ち上がり、また駆け出していった。
 彼女は大通りで待っていた女子の集団に謝り、再び走り出した。
 遠くで中学校のチャイム――多分予鈴だろう――が聞こえる。
 彼女たちは間に合うだろうか。
 あれ? この状況、どこかで…………
 …………そうだ、あれは僕も中学生のとき。
 友達と一緒にいつもバカやってたっけ。
 あまり口数の多いほうではない僕だったけどみんなといるだけで楽しかった。
 毎日待ち合わせをしてみんなで登校した。
 将来の夢の話で、研究職になるって言うとみんなにぴったりだなってからかわれた。
 休み時間に無駄話に花を咲かせ、昼休みには校舎中を走り回って遊んだ。
 あの頃の僕、意外にアクティブだったんだな。

61 :No.15 「人間落第」 4/4 ◇4TdOtPdtl6:07/09/24 02:28:37 ID:SCEDXoXb
 そういえば、と続けて思い出す。
 高校時代だって、いつも化学実験の授業のときは率先してやってたっけ。
 部活動も、厳しくは無かったけど、科学部で三年間研究を続けてきた。
 一つ問題を解決するごとにうれしくなり、新しい実験を教わるたび胸が高鳴った。
 そんな研究を、就職しても続けていきたいと思っていた。

 なんだ、自分で思っていたほど今までの人生、灰色ばっかりじゃなかったんだな。
 しかも小学生の頃からずっと科学の研究者になりたいっていう立派な目標も持っていたんじゃないか。
 今だってそうだ。
 無為に日々を過ごしているけど、そんな仕事に就けたらどんなにいいかって、思ってる。
 とある歌のフレーズが思い出される。
「子供の頃の夢は色褪せない落書きで、思うまま書き滑らせて描く未来へと繋がる」
 そうだ。
 僕の夢はまだ色褪せてはいない。
 まだ描き続けられる。
 これから広がる未来へ繋げなければ。
 まだ遅くはない。
 まだ失格じゃない。
 そう、たった一年、足踏みしただけ。
「……よし!」
 気合一喝。

 人生に落第した青年は、もう二度と踏み外さないことを決意し、確かな一歩を踏み出す。
 頭上には、快晴の空が広がっていた。

 〜fin〜



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