【 夕暮れの謝罪 】
◆uOb/5ipL..




50 :No.13 夕暮れの謝罪 1/4 ◇uOb/5ipL.. :07/09/24 02:15:56 ID:SCEDXoXb
 此間知り合いから手紙を貰ったので返事を書こうと便箋を探していたら、懐かしい手紙を見つけ
た。少し色褪せたその手紙の差出人は俺の従妹でまきちゃん。俺より七つ下で、俺の事をたーくん
と呼んでは懐いていた。肩甲骨まで伸ばした黒髪に意志の強い瞳。小学生なのに子供扱いされるこ
とを極端に嫌い、何かにつけては「わたし、子供じゃないの」を連呼していたのが印象に残っている。
 まきちゃんは背伸びをしたがる子供より更に背伸びをしたがり、いつも俺と対等になろうとして
いた。自分より七年多く生きている人間に戦いを挑むその姿は、子供ではなく勇ましい子犬に見え
たものだ。無理しちゃって可愛いなぁ、というのが正直な感想。けどそんな事を口にすればまきち
ゃんの機嫌は一気に最悪になり、その損ねた機嫌を戻すには多大な労力を要するので、黙っている
のが懸命な判断である。
 まきちゃんは手紙が好きで、よく俺に手紙を送ってくれていた。家は割りと近所だったが「形に
残るから」というマセた意見で、俺に何十通もの手紙を送ってきていた。
 小学生が好みそうな可愛らしい便箋が多かったのが印象的で、けど文字はしっかりとしていて、
だけど内容は他愛もない事ばかり。そんな手紙に俺も返事を書いていたのだが、「今度たーくんに
手紙を書く時は、大切な事を書く時にします。だから、これで手紙はひとまず終わりにします」と
いう内容の手紙を貰ってから、本当に手紙は来なくなった。
 まあ、子供は移り気だから飽きたのかと思ったのだが、形に残った日々は捨てるのを躊躇われ、
こうして自分の手元に大切に残っている。
 それにまきちゃんはちゃんと電話で連絡をくれていたし、顔を合わせる機会も多かったから、彼
女の元気あふれる笑顔は何度も目にしていた。
「たーくん、わたしが何かお願いしたら聞いてくれる?」
 いつだったか、まきちゃんがそんな事を訊いてきた。子供扱いすると怒るからなるべく大人扱い
してきた俺だが、ひょっとして不満があったのかな、と思う。
「何か欲しい物でもあるの?」
 言ってから「この訊き方が子供扱いだ」と反省する。案の定、まきちゃんは顔を顰めて睨んでく
る。慌てて「聞くよ、なんでも聞く」と言ってから「但し、一回きりだぞ」と付け足す。この方が
まきちゃんも納得するだろう。勿論一回きりのつもりなんてない。可愛い従妹は甘やかしたいのだ。
 まきちゃんは「……解った」と頷いてから、
「たーくんにお願いするときは、しんちょうに考えるね」
 と真面目くさった顔で言った。

51 :No.13 夕暮れの謝罪 2/4 ◇uOb/5ipL.. :07/09/24 02:20:25 ID:SCEDXoXb
 まきちゃんに久し振りに会ったのは、冬の気配がしていた十月の終わり。昔二人でよく遊んでい
た公園に来て欲しい、とまきちゃんから電話で呼び出されたのだ。
 公園といっても児童公園で、小さなブランコに滑り台しかない退屈な空間。けど、この小さな空
間で飽きる事無く遊んでいた過去が存在するわけで、やはりまきちゃんの存在は大きいんだと実感
する。
 時刻は午後六時半。何故か夕暮れのように染まった空と近所から漂ってくる夕飯の匂いが混ざり
合い、心が寂しくなりかけた頃、まきちゃんがやって来た。久し振りに見たその顔はどことなく元
気がなく、疲れているように見える。いつも元気にあふれていた彼女だけに、何があったのかと心
配になる。
「たーくん……」
 俺の前まで来て、まきちゃんは寂しそうな声で呟く。どうした? と訊く前にまきちゃんが口を
割る。
「ねえたーくん、わたしと一緒に来てほしい所があるの。今から一緒にいってくれない?」
 痛みを伴うような声でまきちゃんが言葉を紡ぐ。身体でも悪いのか、と本気で心配になるが、ど
うやら身体が悪いわけではないようだ。ただ、覚悟を決めているのだろう。その覚悟がどんなもの
なのか、俺には解らないが。
「何処? あんまり遠い所だと叔母さん達も心配するよ。もう時間も遅いし、出来れば日を改めた
方がいいんじゃないかな?」
「たーくん、なら私が一緒にいこうって言ったら、いってくれる?」
 余りにも真剣に訊いてくるので、軽く気圧されてしまう。まきちゃんとの付き合いは長いが、こ
んな顔は今迄一度も見た事がない。子供がする顔とは思えない、鬼気迫る顔。
 赤い空と混じり合うその顔が、下手な事は口に出来ないと理解させる。
 勿論まきちゃんの言う事を受け入れるのも簡単だし、拒否する事も簡単だ。だからこそ難しい。
「まきちゃん、今から其処に一緒に行ってほしいの? 明日とかじゃ駄目なのかな?」
「……なら、明日ね」
 泣きそうな顔で呟くと、まきちゃんは俺に背を向ける。その背中は声を掛ける事すら躊躇われ、
結局、俺は無言でその小さな背中を見送った。

52 :No.13 夕暮れの謝罪 3/4 ◇uOb/5ipL.. :07/09/24 02:20:38 ID:SCEDXoXb
 心臓が煩い。母親が留守電に残していった内容があまりにも衝撃的で、記憶が混乱している。も
う母親がなんて留守電に残したからすらあやふやになりかけているが、記憶に残っている母親の言
葉は本当なのだろうか?
 ――まきちゃんが交通事故に遭ったというのは。
 かなり危険な状態らしい。今までは落ち着いていたのだが、急に悪くなったという。まきちゃん
が入院している病院は知っている所だったので、戻ったばかりの家をすぐに出た。此処からなら走
って行った方が早いだろう。この時間はバスもないし、俺は免許も金もない。
 近道をするべく団地の中をどんどん突っ切って行く。兎に角走り通し、なんとか目的地の近くま
でやって来ると――――
「まきちゃん!」
 思わず叫ぶ。病院の駐車場付近にまきちゃんが居たから、急いで傍に駆け寄る。少なくなってい
た体力が驚きと興奮から更に減り、激しく肩で息をする。まきちゃんは、この寒い時間に大汗を掻
いている俺を疲れきった目で見上げていた。たーくん、と力無く俺を呼ぶ声。
「大丈夫なの!? 身体は? 早く病院に戻らないと!」
 必死に呼吸を整えてそう言うと、まきちゃんは力なく首を横に振った。なんで、と問い詰めよう
とした俺を制するように、しっかりと俺の目を見つめて。
「たーくん、一緒にいこう? 早くしないと駄目になっちゃうの」
 こんな時に何を言っているのか。早くしないと駄目なのはまきちゃんだ。冷静になれない俺は、
この現状を正確に把握出来ていなかった。
 ――この、不可解な現状を。
「わたし、子供でいい。わがままな子供でいい。だからたーくん。お願い、一緒にいって」
 子供扱いされる事を嫌うまきちゃんが、自分を子供と認めた上での発言。まきちゃんは必死にな
って俺に「一緒にいってほしい」と何度も何度も頼み込んでくる。
「兎に角、今は病院に戻ろう。そっちの方が大事だから」
 早くまきちゃんを病院に連れて行かないと、という焦りが強まり、ますます思考が狂いだす。も
う強引に手を引っ張って行くしかない、と覚悟を決めると。
 目の前のまきちゃんは涙を流しながら、唇を噛み締めながら死人のような顔で俺を見つめ。
「……たーくん」
 子供の……背伸びをしていた今までの顔とは違い、年相応の顔で俺を見た後。
 悲しみに濡れた声を残し、走って病院の中へ消えていった。

53 :No.13 夕暮れの謝罪 4/4 ◇uOb/5ipL.. :07/09/24 02:20:54 ID:SCEDXoXb
 別れを告げる時が来るのはいつも急で、後悔した時には何もかも手遅れになっている。
 まきちゃんの葬儀が終わり、外に出て疲れた顔で空を仰ぐと、綺麗な夕焼けが感情に沁みた。
 あの後まきちゃんの後を追うと、まきちゃんはベッドの上。もう目を覚ます事はなかった。
 人が死んでから三日で事が済むなんて早過ぎる。実感はないが、まきちゃんはもういないのだ。
 俺の手には一通の手紙。まきちゃんのお母さんが、昨日俺に渡してくれたものだ。
 手紙の内容はまきちゃんらしく、どこまでも子供っぽく、そして子供っぽくなかった。
 それは、最後まで彼女が彼女で在り続けた事を記した証。
「もし、わたしに何かお願いをされても、絶対に頷かないでください。わたしのわがままは聞かな
いでください。わたしは子供だから絶対に駄々をこねてしまいますが、心を鬼にしてください。き
っとわたしは泣くでしょう。それでも、絶対に頷かないでください。それがたーくんへのお願いです」
 手紙に記された日付は四日前。まきちゃんが俺の前にやって来て、一緒にいってほしいと言った
のは三日前。本当はちゃんと四日前に届く筈だったのだが、叔母さんが忙しくて忘れていたのだと
いう。そりゃあ自分の子供が事故に遭ったんだから手紙どころじゃないだろう。
 事故に遭い、意識を取り戻した僅かな間、この内容をうわ言のように弱々しく語ったという。
 看護婦さんが急いでメモ用紙に書き取ってくれたらしいが、この文字は叔母さんのもの。恐らく
まきちゃんが喋りたかったはずの言葉になおしてくれたのだろう。
 三日前に逢ったまきちゃんは何なのか。解らないが、アレは「彼女の本心」なんじゃないかと思
う。独りで死ぬのは嫌だから、寂しいから、怖いから、俺の所に来た。そして何度も頼みこんだ。
 ――わたしと一緒に逝ってほしい、と。
 一回きりのお願いと大切な事を書く手紙。まきちゃんはあまりにも大切な物を俺に残して逝った。
 最後に記された一文。その一文を眺め、少し微笑む。
 子供の彼女が残した想いはあまりにも重くて。涙が出そうなほど胸を埋め尽くす。
 遠くの夕暮れに滲むあの日の後悔が、想いの分だけ重いから。謝罪の言葉が――――


 ――たーくんごめんね。たーくんに何も残せなかったわたしは、やっぱり子供でした。

 了



BACK−バラバラ死体の子守唄◆DIeACV24H2  |  INDEXへ  |  NEXT−運のない日◆uu9bAAnQmw