【 魔法を使えない男の弟子 】
◆bsoaZfzTPo




86 :No.20 魔法を使えない男の弟子 1/4 ◇bsoaZfzTPo:07/09/16 23:46:11 ID:HX80xRwl
 山歩きに慣れている人間にとっては常識だが、土地の狩人しか踏み入らないような街道
から外れた森の中にも、道は存在する。傾斜の角度、土の固さ、石や植物の配置によっ
て、歩きやすい足場がある。森に生きる獣たちが何度もそこを通ることで足場は踏み固めら
れ、獣道が出来上がるのだ。
 その獣道を辿り、あるいは故意に外れて横道にそれてはまた戻り、森の中を歩く男がい
た。男は背中に負える大きさに荷をまとめ、両手を自由にしている。狩人の類でないことは、
その荷に弓や罠といった猟具が含まれていないことから明らかだ。
 男は比較的平らな場所で一度立ち止まり、歩いてきた道を振り返った。背に負ったものと
は比べ物にならない大きな荷物が、にへら、と笑って、声をかけてきた。、
「師匠、師匠ー。魔法教えてくださいよー」
 男はため息をついた。やはり、森へ入る前になんとしても帰らせるべきだった。
「いいか坊主、何度も言うけどな。俺は弟子をとった覚えはないし、それに第一、魔法使いで
もない」
「僕も何度も言いますけど、名前はグイズです。ボウズじゃありません」
 男に追いついた少年は、胸をそらして男の顔を見上げてきた。それに、と言葉を続ける。
「それに、村に来た化け物を追っ払ってくれたじゃないですか。剣も弓も使わずに、松明一本
で。本当は偉大な魔法使いなんでしょう?」
 男は化け物ではなくてミドリジタオオトカゲだ、と訂正した。村長をはじめとする大人連中に
何度説明しても分かってもらえなかったことを、この少年に説明することの愚は理解してい
たが、勝手に魔法使いにされてはたまらない。救い主扱いは、村の中だけで十分だ。
「ミドリジタオオトカゲは雑食だ。主に自分よりも小さい動物や虫を食料としているが、果実
や根菜も食べる。まれに人里へ紛れ込んでしまったものが畑を荒らすが、下手に手を出せ
ば噛み付かれる。ちょうど村の裏手に奴が嫌うピレステ草が花を咲かせてたから、大量に摘
みとって、松明で燃やしながら風下に追いやった。それだけだ」
 わかったか、と男は少年をみる。少年は男の説明を熱心に聞き、何度か頷いた。
「つまり、まじないですね。さすがです」
 村長たちとまったく同じ台詞に、男は頭を掻き毟って叫び声をあげたくなったが、なんとか
低く唸るだけにとどめた。やはり説明した自分が馬鹿だったのだ。
 男は多少乱暴に足を踏み出した。とっとと用事を済ませて村へ帰ろう。
「それで、どこまで行くんですか? 結構奥まで来ましたけど」

87 :No.20 魔法を使えない男の弟子 2/4 ◇bsoaZfzTPo:07/09/16 23:46:32 ID:HX80xRwl
「このまま森を抜けて次の街まで行くんだよ。お前はそこで人買いに売り飛ばす」
 少しは怖がれ、と男は嘘をついたが、グイズはきょとんとした顔で首をかしげた。
「街まで行くんですか? でも師匠、村長さんの家に結構荷物を置いてきてますよ?」
 忘れ物ですか、と不思議そうな顔をされる。無駄に目ざとい奴だと男は嘆息した。
「嘘だよ。水辺に行きたいんだ。北の山から出てる川が、この森の中を通ってるだろう。山に
しか生息しない野草が、川に流されて下流の方でも根付いてたりするんだ。もしここら辺に
も生えているようなら、生息分布の項目を修正しなければならない」
 グイズは得心したような顔で頷いた。
「なるほど、だから獣道を辿ってるんですね」
 動物だって人間と同じだ、生きていくには食料と水がいる。獣道を進めば、必ずその森の
水場へ行き当たることになる。
「で、それはどんな薬草なんですか?」
「薬草じゃない」
「え、毒草なんですか?」
 グイズが嫌そうな顔をした。
「だからなんでその二択なんだ」
「だって、まじないに使うんでしょう?」
 この少年は人の話を聞いていなかったのか、それとも自分に理解できない言葉は全部魔
法の言葉なのだろうか。たぶん後者だ、と男は頭を振った。
 男はしばらく黙々と歩を進めた。時折後ろを振り返って、グイズがちゃんとついてきている
かを確かめる。勝手についてきたとはいえ、子どもを森の中に置き去りにしてしまっては寝
覚めが悪い。
 そして目が合う度に、グイズは魔法を教えてくださいよ、と繰り返すのだ。何度黙殺してや
っても、グイズの目から力が失われることはない。
 何度目かの休憩。グイズは変わらず、胸を張って男を見上げてきた。男はその顔に疲労
の色がほとんど見られないことに気づいた。
「疲れないのか?」
「親父が生きてた頃に何度か一緒に森に入りましたし、その後は村の畑仕事を手伝ってい
ましたから」
 グイズはこともなげに答えた。

88 :No.20 魔法を使えない男の弟子 3/4 ◇bsoaZfzTPo:07/09/16 23:46:55 ID:HX80xRwl
「母親は?」
「親父と一緒に流行病で」
 男が沈黙すると、グイズは笑って見せた。先ほどまでの緩んだ笑顔ではなく、人に見せる
ための笑いだ。
「そんなに大変でもありませんでしたよ。家はありましたし、村の人も良くしてくれました。一
番苦労したのは、料理の腕を上げることだったくらいですから」
 同情するな、ということだ。その気持ちは男にも良く分かる。男も親なしだった。両親の命
を持っていったのは病気ではなく、戦争だったが。
 男は再び無言で歩き出す。少し歩いて、後ろへ声を投げた。
「坊主」
「はい、なんですか師匠」
「俺としゃべった中で、意味のわからなかったことがあったら言ってみろ」
 男の後ろから、口の中でぶつぶつと言葉を呟いているのが聞こえてくる。会話を反芻して
いるのだろう。少しの間があって、回答があった。
「ピレステ草ってなんですか? あと、せいそくぶんぷのこうもくのしゅうせいって、どういう意
味ですか?」
 男は少しグイズを見直した。分からないものを単純に聞き流さず、言葉を覚えておく、そう
しなければ機会があった時に調べることができない。学ぶ姿勢の基礎の基礎だ。
「ピレステ草は春の終わり頃に白い花を咲かせる。本当は乾燥させて、あー、乾かしてから
使うんだが、とにかく花の部分を燃やすと虫除けになる。こいつはヘビやトカゲなんかの卵
で生まれる動物にも効くんだ。呪文も修行もいらない。燃やすだけで良い」
「鳥にも効きますか?」
 なるほど、確かに鳥も卵から生まれる動物だ。男は訂正する。
「鳥には効かない。効くのは卵から生まれる、毛の生えてない動物だな。で、そういう奴らを
みんなまとめて、は虫類と呼ぶんだ」
「は虫類。ヘビとか、トカゲとか、カエルですね」
「待った、カエルは違う。カエルは両生類だ。両生類ってのは――」
 グイズは飽きることなく男に問い続けた。男はその全てを分かりやすく噛み砕いて説明し
てやった。一度教えた言葉をわざと会話の中に混ぜてやっても、グイズはちゃんと理解して
いるようだった。飲み込みが早い。

89 :No.20 魔法を使えない男の弟子 4/4 ◇bsoaZfzTPo:07/09/16 23:47:17 ID:HX80xRwl
 そうやって歩くうち、二人は川まで辿りついた。
 男は一度問答を中断し、川辺を注意深く観察する。さまざまな草花の中に、目的のものを
見つけた。山で見られるものより背が高いが、特徴的な葉の形は変わらない。
「やっぱりあったな」
 男は笑い、初めて背に負った荷を降ろす。中から羊皮紙の束とペンとインクを取り出す。束
をばらばらとめくり、目的の部分に走り書きを残す。詳しい訂正は一度学舎に戻ってから、過
去の資料と照らし合わせながら行わねばならない。もっとも、次の帰郷は一年以上先の予
定だが。
 男は荷をまとめなおして、グイズに声をかけた。
「さて、俺の用事は済んだ。村に戻ったら、次の街に行く」
 冷水を浴びせられたように、グイズの体が固まった。男は構わずに言葉を続けた。
「もう分かってると思うが、俺は魔法使いじゃない。だから、お前に魔法を教えることはできな
い。もう師匠なんて呼ぶな」
 グイズから返事はない。
 男は村へ戻るために歩き出す。先ほどまで盛り上がっていた問答が嘘のように静かだ。
 半分ほどの道を戻ったところで、グイズが沈黙を破った。
「じゃあ、魔法使いじゃなかったら、なんなんですか」
 男は薄く笑った。村を救った魔法使いと比べると、なんともしみったれた肩書きだが、男は
自身の生き方に誇りを持っている。足を止めて、振り返る。
「俺はな、博物学者だ」
 グイズの顔は、予想していたような、恨めしい顔ではなかった。表情は往路と変わらず、力
に満ちている。そして、グイズはにへら、と笑った。
「じゃあ僕、博物学者の弟子になりますね。師匠」
 男は、ふんと鼻を鳴らして、また歩き始めた。
「勝手にしろ、グイズ」
「はい、勝手についていきます」
 歩く男の背中に、グイズから問いが投げられる。
「で、質問なんですけど、博物学者って何をする人ですか?」
 男は、大げさにため息をついた。当分、退屈しなくてすみそうだ。
      <了>



BACK−日本一の英雄◆nsR4m1AenU  |  INDEXへ  |  NEXT−敗者は勝者にジュースをおごる◆VXDElOORQI