【 駆け落ちたマリオとルイージ 】
◆D8MoDpzBRE




57 :No.13 駆け落ちたマリオとルイージ 1/4 ◇D8MoDpzBRE:07/09/16 22:47:19 ID:HX80xRwl
 まだファミコンだった頃の話だ。
 初代スーパーマリオというゲームを覚えている、または知っていると言う人は多いだろう。主人公のマリオを
操ってヒロインであるピーチ姫を助け出すという、単純なアクションゲームだ。誰もが英雄譚の片棒を担ぐこと
が出来ると言うこのゲームは、大ブームとなって当時の日本社会を席捲していた。
 その例に漏れず、当時小学二年生だった僕も、やはりそのゲームの虜になっていた。一人でプレイしている
と、母親が必ずと言っていいほど勉強しろなどと横槍を入れてくるので、級友を連れ立ってプレイすることが多
かった。
 しかしながら、あまり連れてくる友達が多いと彼らにも順番を回さなければならなくなり、自分のプレイ時間の
取り分が減る、などという悩みが発生した。今思えばどうでもいいような悩みなのだが、当時の僕には到底看
過できる問題ではなく、特に上手い奴がコントローラーを独占しようものなら場の空気が険悪になることすら
あった。色々考えた挙げ句、最終的に一つの回答を見るに至った。
 近所の幼なじみだったエーコを連れてきて、ひたすら僕の相手をさせることにしたのだ。神がかった、ある意
味悪魔じみた計画だったが、その効果はテキメンであった。
 主人公マリオを操作するのは僕。ならばエーコはピーチ姫か、というわけではなく、僕はエーコにもう一人の
主人公であるルイージの役を割り振った。このルイージという男、二人プレイモードでなければ出番がなく、し
かも僕がマリオの操作を誤って彼を死亡させるまでルイージには順番が回ってこない。日陰者としか言いよう
のない存在であった。
 つまるところ、僕はほとんどプレイし放題だったのに対して、操作が下手ですぐにルイージを殺してしまうエー
コは大半の時間を無為に過ごさねばならなかった。エーコが一面でまごついている間にも僕が最終ステージを
クリアしてしまう、なんてのはザラだった。まあその甲斐あってか、クラスでスーパーマリオと言えば僕、と言うく
らいの腕前になっていた。
「ねえ、マー君。私にもマリオ教えてよ」
 この言葉がきっかけだったように思う。
 この頃にもなるとノーミスでクリア(つまり一度もマリオを殺さずにピーチ姫を救出するということ)は当たり前
という感じになっていて、それほど自分のプレイ番に執着することもなくなっていた。ゲームそのものにも飽き
始めていたし、エーコに対してささやかながらも後ろめたさがあったのかも知れない。
「仕方ねえなあ」
 なんて言いつつも、その日を境に僕はエーコにあれこれ茶々を入れることにささやかな快感を抱くようになっ
たのである。それは優越感と世話焼き根性と恋心が入り交じった実に複雑な感情であったように思える。しか
しながら、ある種奇妙なまでに昂揚した僕の熱心さを前にしても、エーコがマリオを操る腕前は中々上達の目

58 :No.13 駆け落ちたマリオとルイージ 2/4 ◇D8MoDpzBRE:07/09/16 22:47:49 ID:HX80xRwl
を見なかった。

 エーコとの別れは、突然訪れた。季節は秋だったように思う。
「私、明日遠くにお引っ越しするの」
 彼女の口からその事実を聞いたときには、僕は既にそのことを知っていた。ただ、実際に当事者から発せら
れた言葉となると重みがいささか違うようで、グッと胃もたれのような痛切な寂寞が突き上げてくるのを抑えら
れなかった。
「お前がいなくなると、俺がマリオできなくなる」
「だってマー君は、もう自分じゃマリオやらないじゃん」
「いいのかよ、まだ下手なクセに」
「しょうがないよ……」
 しまいにはエーコが泣き出してしまう。彼女の涙が惜別の慕情から来るものなのか、僕の追及に対して抱い
た不満・恐怖心の表れなのかは分からない。ただ当時の僕には、泣いている女の子を器用になだめすかすな
どと言う技術の持ち合わせはなかった。それ故、この当座をしのぐために僕が導き出した方法論は、あまりに
突飛だったように思う。
「じゃあ、二人で逃げるぞ」
 僕はエーコの手を引っ張って、薄暮の街中に飛び出した。大人の案内なしにこの時間帯の繁華街を歩くこと
など、あり得ないことだった。
 巨大な彗星が放つ断末魔のように、薄オレンジがかった光の帯を空に残して、太陽が彼方に沈んでいく。次
第に藍色のシートが天球を覆い尽くし、更に奥へと広がる宇宙の星々の姿を淡く透見させる。そんな夕暮れ
の中を、身長一メートル前後しかない僕らは一生懸命に走った。
 繁華街を抜けて小学校の正門をやり過ごし、雑木林の入り口に着いた頃には、辺りは見渡す限りの闇に覆
われていた。
「怖いからもうやめようよ」
 エーコの言葉は鼻声でかすれかすれにしか聞き取れなかった。
「この先に秘密基地があるんだ。女に教えてやるのは初めてなんだぜ」
 僕は乱暴ともとれる手つきでエーコを引き寄せ、恐る恐る雑木林の中に足を踏み入れた。
 林の中は完全な闇だった。足がすくんで中々一歩を踏み出そうとしないエーコを抱えながら、背後から微か
に照らす街灯だけを頼りに歩いた。秘密基地までは、そんなに離れてはいないはずだった。
 時折、足下から木の枝を踏んだ感触と共に、いやに明瞭なパキッという効果音が響き、そのたびにエーコを

59 :No.13 駆け落ちたマリオとルイージ 3/4 ◇D8MoDpzBRE:07/09/16 22:48:34 ID:HX80xRwl
震え上がらせた。
 闇夜は、一向に姿を現さないけれども確かにそこにいる、コウモリの群れのように感じられた。羽ばたいて
渦巻いて、しまいには溶けて不吉な羽音だけをざわつかせるのだ。雑木林の木の葉が肌をかすめると、コウ
モリの鋭い羽の感触が連想された。
 心の中で、僕は懐中電灯を持ってこなかったことをしきりに後悔した。
「あったぞ!」
 ようやく、黒い視界の中から湿った段ボールの色調をおぼろげながら認めることが出来た。今になって、そ
の秘密基地は段ボールの床と天上だけを備えた、とても小屋とすら呼べないような代物だったように思い返さ
れる。それでも、その瞬間の興奮は今でも忘れることが出来ない。
 僕は、ことさら大声を張り上げながらエーコをそこへ導いた。
「どうだ、ここが俺たちの秘密基地だ」
 僕にしてみれば、その言葉を虚勢で言ったつもりはなかった。大人にも知られていない、自分たちだけの空
間をここに持っているという事実が、当時の僕たちには比類なき誇りであった。それゆえ、あまり芳しい反応を
示さなかったエーコに、少しやきもきしていたのは事実だ。
 エーコは無言で、段ボールの上に膝を抱えて座り込んだ。僕もそれに倣って冷たい感触のする段ボールに
腰を下ろし、エーコの肩に寄り添うように並んだ。こうすることが自然だと思った。
 雑木林をかき分けていた時には感じなかったが、身を潜めるように暗闇の中にいると、静寂という名の不気
味な影にすっぽり覆われてしまっているのに気付いた。しかし一方で、完全な静寂というわけでもなかった。
 虫の音が一定のリズムを刻むように鳴り続いていた。時折、思い出したように虫の音が中断され、ある間を
おいて再び鳴り出す。この繰り返し。虫の音が中断された時こそが本当の静寂となり、暗く寂しい真空容器に
取り残されたような、落ち着かない絶望感がやってくるのだった。
 僕たちの秘密基地は、孤独な宇宙空間へ放り出された漂流船のごとく、闇夜の持つ嗜虐性に弄ばれていた。
「帰りたい」
「何でだよ。せっかくここまで来たのに」
「来たいなんて言ってないじゃん。帰りたいよ……」
 最終的に、僕を途方に暮れさせたのはエーコの言葉だった。
 僕は、ヒロインを窮地から救い出すマリオのようにはなれなかった。むしろ、エーコを窮地に追いやってしまっ
たのは皮肉としか言いようがない。いくらマリオの操作に長けていようと、現実世界において一番難しいのは、
マリオがいる側の立場に降り立つことなのかも知れない。小学生の僕に、そんなことが分かるはずもなかった。
 どれ程待っただろう。覚えてはいない。短かったような気もするし、途方もなく長かったような気もする。そも

60 :No.13 駆け落ちたマリオとルイージ 4/4 ◇D8MoDpzBRE:07/09/16 22:49:07 ID:HX80xRwl
そも、子供の頃の一分と大人になってからの一分の時間感覚からしてまるで違うはずだから、当時を追想し
て時間に物差しの目盛りをあてがってやるなど、ナンセンスの極みとしか言いようがない。
 僕らを迎えに来たのは、懐中電灯の光に先導された両親だった。何のことはない、彼らには秘密基地の存
在など筒抜けだったのである。とんだ秘密もあったものだ。
 エーコの前で、僕はまず親父に殴られた。エーコの両親もいた。親父の暴力の嵐はエーコの両親になだめ
られるまで続き、僕はエーコと引き離された。もう終わりだと思った。ウチの両親がエーコの両親に頭を下げて
いる光景が、今でも目に焼き付いている。
 この日を最後に、二度と秘密基地に足を踏み入れることはなかった。

 その時の僕には全然分からなかったが、これは親父なりの優しさだったのだろう。親父にタコ殴りにされた
お陰で、僕はエーコの両親からとやかく非難されることはなかった。翌日、エーコの引っ越しに立ち会う際にも、
臨席することが許された。
 秋空に薄雲がたなびいて、白みがかった陽光が降り注いでいた。乾いた涼しさの中、エーコとの距離が無
性に遠く感じられた。
 ばつが悪くて、中々エーコを直視できなかった。自分だけが空虚な時間に置き去りにされたようで寂しく、か
といってエーコに助けを求めるわけにもいかなかった。
 最後の最後、エーコが車のドアを開けていざ乗り込もうとした時、僕はようやく視線を上に向けることが出来
た。この時の心境、後ろ髪を引かれる思いに伏せた顔を持ち上げられたのか、それとも既にエーコは立ち去っ
たのだろうと早合点して尚早なタイミングで面を上げてしまったのか、思い出すことは出来ない。
 だが確かに、僕を見つめるエーコの視線がそこにはあった。柔らかな微笑みをたたえて、だったと思う。美化
された想い出の映像に過ぎないのかも知れない。
 僕はこの時初めて、エーコにもう逢えなくなるという現実と突き合わされた感じがした。重い喪失感。胸元に
こみ上げる感情は上手く言語化されずに、喉元から鼻腔へと空しく抜けていった。
 車のドアが音を立てて閉まった。エンジン音、排気ガス。手を振って見送るという最低限の別れの儀式だけ
をこなして、僕はしばらく立ち尽くしていた。
 幼いマリオの企てた駆け落ちが、遠い遠い過去のように思われてならなかった。

[fin]



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