【 共和国演義 】
◆rmqyubQICI




47 :No.11 共和国演義 1/5 ◇rmqyubQICI:07/09/16 22:42:26 ID:HX80xRwl
 新月の晩、ある砦の一室。
「――と、まぁ、こんなところですかな」
 白い髭をたくわえた老人が、長い長い戦況報告をその一言で締めた。満足げな表情の彼
に対し、向かいで退屈そうに聞いていた若い男が頬杖を解いて確認する。
「つまりこちらの戦力は予定通りローマ市の包囲を完了。占領は時間の問題、と」
「まぁ、大雑把に言えばそうですな」
 顎から伸びる白い髭をさすりながら、老人が答えた。
「なら次からは大雑把に言ってくれ。ところで、こちらには何の憂いもないのだろうな」
「憂い、と言われますと?」
 髭を撫でていた老人の手が止まった。若い男は傍らの、十字を縦に引き延ばしたような
形の大剣に手を伸ばしながら答える。
「先々代のキュージ王、つまり私の祖父も、ローマを包囲するところまでは成功した。し
かし、ただひとりの天才のためにすべて覆されてしまったのではなかったか」
「なるほど、今のローマにかような者はおらぬのか、と」
 そう言って二、三度うなずくと、老人は手許の書物を開き、ぱらぱらとめくり始めた。
しばらくそうしたあと、書物を閉じて答える。
「私の記録にあるかぎり、今のローマに我が軍の優位を覆すほどの英傑はおりませんな。
我らの勝利は確実かと」
「ふん、そうか」
 若い男、キュージ王レリウスは、剣を鞘から抜いて口元を歪めた。
「取るに足らん相手、というわけだな」
 それを聞いた老人は、思わず困り顔になって彼をたしなめる。
「レリウス様、油断はなりませんぞ。たかが小さな兎を狩るのにも、獅子は全力をもって
挑むものです」
「あぁ、分かっている。戦に臨んで油断など、私がすると思うか」
 レリウスは自信に満ちた声で返した。老人はまだ困ったような表情をしていたが、ひと
つ溜め息をつき、諦めたようにゆるゆると立ち上がる。
「……まぁ、よしとしましょう。それではこれから戦略会議ですので。王は明日の戦に備
えて早く眠られるのがよろしい」
 最後にそう言って、彼は王の寝室を出て行った。

48 :No.11 共和国演義 2/5 ◇rmqyubQICI:07/09/16 22:42:51 ID:HX80xRwl
 扉が閉まるのを見届け、レリウスは軽く溜め息をつく。そして椅子の背にもたれかかり、
大きく伸びをした。明日のことを考えればもう床につくべき時間ではあったが、戦に備え
て剣の手入れをしておかねばならない。彼が愛用の道具を取りに行こうと立ち上がった、
まさにそのとき、部屋の隅からかすかに乾いた音がした。
 恐らく、その反応は完全に反射的なものだったのだろう。鼠の動くようなそれを聞いた
瞬間、レリウスは音がした方に向かって大剣を振り上げていた。弧を描き空を裂いてゆく
そのきっさきに何かが触れて、派手な金属音を響かせる。数瞬のあと床に落ちたそれは、
投擲用のナイフだった。
「貴様、出てこい!」
 レリウスは剣を引き戻して両手で構え、ナイフの飛んできた方に向かって叫ぶ。
 ランプひとつしか灯りのない部屋の隅、本棚の向こうにできた濃い影の中から、地味な
灰色のローブを体に巻きつけた若者がすっと現れた。
「まったく、よくこの部屋までこれたものだな。元老院の依頼でも受けてきたか?」
 レリウスが吐き捨てるように言う。その眼光は鋭く、まるで鳥を射落とすよう。しかし
それに向き合う男は怯みすらせず、むしろ嘲るように微笑んで答えた。
「ふむ、天下のキュージ王が読みを違えるとは。レリウス殿ともあろう方が、この時間に
睡魔で惚けていらっしゃるのか」
「安い挑発だな。これだからローマの貧乏人は困る」
 血の気の多いキュージの王は、しかし、この程度で心を乱されるほど青くない。
「そんなことはいい。今私が知りたいのは、貴様がどこの依頼をうけてこんな真似をして
いるのかということだ」
「口を開くたびに依頼、依頼と。王は金のことしか頭にないのだろうか」
 演技がかった仕草で盛大に溜め息をつき、男は腰から刃の広いナイフを取り出す。
「私はガイウス・ムティウス。ローマの市民だ」
「市民? 市民だと?」
 ムティウスの名告をうけて、レリウスはあからさまな嘲笑を浮かべた。
「下手な嘘はつかぬことだな。寿命を縮めるぞ」
「ほう、誰の寿命が縮むというのか」
 そう答えながら、ムティウスは腰を落とし、右手にもったナイフを胸の前に構える。同
じくレリウスも腰を落とし、剣を体に引きつけ、剣先を相手の喉に向けて構えた。

49 :No.11 共和国演義 3/5 ◇rmqyubQICI:07/09/16 22:43:19 ID:HX80xRwl
「無論、貴様の寿命だ!」
 その叫びと同時に、床を踏み鳴らす音が部屋に響く。
 先に動いたのは、レリウスだった。その十字剣の大きさからは考えられないほど速くム
ティウスに肉薄し、突進の勢いを乗せた突きを見舞う。
 王の相手が一兵卒であれば、ここで終わっていたに違いない。しかし、王の寝室まで侵
入しただけあって、ムティウスもただ者ではなかった。自分の首に向かってまっすぐ迫る
その刃にも怯むことなく、構えたナイフの腹に大剣を滑らせ、その軌道をずらす。そして
相手の勢いを利用してその胸を貫こうと、そのままナイフを突き出した。レリウスは咄嗟
に剣を回転させ、つばの部分でナイフを弾く。
 レリウスは飛び退いて距離をとることすらせず、そのまま次の一手を仕掛けた。今度は
相手の首ではなく、的の大きい胴に向けて大剣を突き出す。しかし、これは完全に読まれ
ていた。ムティウスは横に飛んでそれを避け、左手に隠し持っていた投げナイフをレリウ
スめがけて飛ばす。ナイフは王の左腕をかすめて壁に突き刺さった。
 エトルリア産の高価な衣服が血で染まるが、レリウスはその傷にも一切構わず、さらに
三度目の攻勢をかけた。左下から右上に斬り上げるため、体を捻って大剣を思いきり後ろ
に引く。ムティウスの目にはその大きすぎる動作が隙ありと映ったのだろう。彼は床を蹴
りつけ、獣のような速さでレリウスに迫る。
 次の瞬間、彼は信じられないものを見た。ついさっきレリウスの後方へ引かれたはずの
剣が、既に自分の眼下に迫っていたのだ。恐ろしい速さで大剣がふるわれたのだと理解し
たときには、すでに遅かった。咄嗟に守りに回したナイフは容易く弾かれ、彼の右腕が肩
から切断されて宙を舞う。
 その衝撃から一瞬遅れて、ムティウスの神経に激痛が走った。それでも彼はどうにか悲
鳴を堪え、右肩を左手で抑えつける。もちろんそれで血が止まるわけでもない。切断面か
ら、赤い液体が溢れ出した。
「さぁ、終わりだ」
 レリウスは軽く剣を払い、慈悲の欠片も感じさせない声で質す。
「負けを認め、大人しく貴様の後ろについている連中のことを話してもらおうか」
 それでも、ムティウスは引かなかった。苦痛の中でもどうにか笑みを浮かべ、堂々と言
い放つ。

50 :No.11 共和国演義 4/5 ◇rmqyubQICI:07/09/16 22:43:41 ID:HX80xRwl
「後ろ、だと? あなたには私の後ろに何かが見えているのか」
「つまらん強がりを吐くな」
 レリウスは剣を片手で握り直し、きっさきをムティウスに向ける。
「貴様が吐こうが吐くまいが、こちらにしてみれば大した意味はないのだ。それでも貴様
が素直に話すというのなら、せいぜい人質として生かしてやろう」
 それを聞いて、ムティウスは嘲るように笑みを濃くした。
「先も言ったように、私はローマの市民だ。それ以外の何者でもない」
「ふざけるなと言っているだろう」
 レリウスの声に、段々と苛立ちが込められてゆく。
「貴様がわざわざ命をかけてここに来た理由、それを話せと言ってるのだ」
 レリウスのその言に、ムティウスはくくくと含み笑いを洩らした。
「なんと、王の下に集まる民は軟弱者ばかりのようだ。ローマの市民にしてみれば、国家
のため命をかけることほど名誉なことはないというのに」
 痛みで丸まっていた背を伸ばし、レリウスをまっすぐに見据え、ムティウスは宣言する。
「私はローマの市民、ガイウス・ムティウス。祖国の敵を殺そうとして果たせなかったが、
それは次にくる者が果たしてくれるだろう。それでも果たせなければまた次、さらに次の
者が、だ。
 我らローマの若者は、王よ、あなたに永く続く戦いを申し込む。我々がみな死に絶える
か、あなたの身が滅びるまで、決して終わることのない戦いだ。我が祖国の民は恐れを知
らない。如何に王といえど、覚悟なされるがよい」
 言い終えて、彼は一歩退いた。そのすぐ後ろには、夜空に向かって開いた大きな窓。
「卑怯者だけが傷つくのを厭い、臆病者だけが死を拒む。ならば、我が祖国の民のうち、
誰が死や痛みなどを恐れようか」
 詩歌を詠むようにそう言いながら、ムティウスはその身を窓の向こうの夜空に預ける。
「王よ。我が民はいずれ、あなたを滅ぼす」
 最後にそう呟いて、彼は窓の外へとみずからの体を投げ出した。

51 :No.11 共和国演義 5/5 ◇rmqyubQICI:07/09/16 22:44:03 ID:HX80xRwl

 どれほどの間、レリウスは放心していただろうか。さきほどの光景が何度も頭の中を巡っ
て、数分のようにも、数時間経ったようにも感じられた。
 レリウスは窓に歩み寄り、ぼんやりと下を眺める。松明をもった歩哨の兵たちが、やた
ら忙しく歩き回っているのが見えた。そしてその赤い灯りの下に、この窓から落ちていっ
た男が着ていたローブの、濃い灰色が。
 さきほどここから身を投げた男の言葉が、ふたたびレリウスの頭を巡る。彼が複雑な思
いに身を沈めていると、突然、廊下の方からけたたましい音がした。
「レリウス様、御無事で!?」
 その声を聞いて、レリウスはうんざりしたような表情で振り向いた。さきほど出て行っ
た老人が、数人の兵を連れ、息を切らせてそこに立っている。
「あぁ、無事だ。かすり傷がついた程度――」
 そこでいったん言葉を切り、レリウスは少し思案した。そしてまた、口を開く。
「――いや、毒を塗られていたやも知れんな。医者を呼んでこい。明日一日かけてゆっく
り療養するとしよう」
「はい、今すぐ……と、レリウス様、明日はローマとの戦ですぞ。いくら優勢とはいえ、
両国の雌雄を決する場に王が不在というのは……」
「いや、もういい。止めだ。ローマは諦める。相手が悪すぎた」
 意外すぎる王の一言に、老人も、兵士たちも、理解が遅れたのだろう。数秒ほど場が沈
黙する。そして老人の頓狂な声が、その静寂を破った。
「何ですと!? 我が軍は今、圧倒的に優勢なのですぞ!」
 しかしレリウスはそれに答えず、代わりに、こう返す。
「そんなことよりも、お前の記録、まだまだ書き込みが足りんようだな」
「……は、はぁ?」
「ローマの英傑の話だ。ひとつ、新しい名を加えておけ」
 わけが分からないという顔をする老人に、レリウスは窓の方を見ながら言った。
「ガイウス・ムティウス。ローマ救国の英雄、とな」






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