【 破滅の呪文 】
◆PNmjHl6IaQ




21 :No.05 破滅の呪文 1/5 ◇PNmjHl6IaQ:07/09/16 05:22:50 ID:Ggk2YtAs
 十三年前――それは雪の降る夜。
この街はドラゴンに襲われた。
周囲を炎に覆われ、人々は熱さと恐怖に脅かされるも、逃れられない絶望が襲う。
誰もが最期を覚悟したとき、一人の男がドラゴンへ向かって駆け出した。
背が高く痩せこけていて、ひ弱そうな男だった。
静止の言葉も聞かず、男はブツブツと何かを呟きながら、無謀にもドラゴンの懐へ飛び込む。
人々が悲痛の叫びを上げたとき、突然目の前は光に包まれた。
地を唸らせるほどの轟音と身体中を突き刺す光に、人々は意識を失った。
そして、どれほどの時間が経ったのか、ようやく皆は目を覚まし、辺りを見回した。
そこにはドラゴンの姿も無く、男の姿も無い。
ただ、炎と地響きによって廃れた街並みが、無言で広がるだけだった。
――破滅の呪文。
十歳になると必ず教えられる、この街に伝わる禁忌の呪文。
これを唱えた者は、自らの滅びと共に、望んだものを消し去る事ができる。
かつて街が怪物に頻繁に襲われ、多くの犠牲者が出たことから、街の賢者達が編み出したのだという。
あのひ弱そうな男は自らの命を賭して、この街をドラゴンから救ってくれたのだ。
以後、男はこの街の英雄となった。
街にこの男の名を知らない者はいない。
――街の英雄、バルト。
この名は、きっと永遠に語り継がれていくだろう……。

22 :No.05 破滅の呪文 2/5 ◇PNmjHl6IaQ:07/09/16 05:23:16 ID:Ggk2YtAs
 私の父は英雄だった。
丁度私が生まれた年に、父は禁忌の呪文を唱えて街をドラゴンから守った。
……私と兄と母を遺して。
姿は写真でしか見たことないし、声を聞いたこともない。
当然どんな人だったかも知らないけど、私は父が大嫌いだった。
勉強でも運動でも、遊ぶときでさえ父の亡霊は纏わりついてくる。
「英雄の娘だから」「英雄の娘なのに」……一体何度聞かされたことか。
周囲はいつもその言葉で私と兄を苦しめる。
――父が英雄でなかったら……。
いつも、そう思っていた。
母は、父を誇りに思いなさい、と言う。
しかし、写真の中の父の姿は決して誇れるものではない。
ひょろ長のっぽ、痩せこけた頬、細い手足、小さなタレ目、頼りない笑顔……。
「英雄」とはかけ離れたその姿は、私達にはなんの慰めにもならない。
写真を見るに、兄のカイルは確実に父の姿を受け継いでいるようだ。
きっと兄のショックは大きいのだろう、とたまに哀れに思う。
「英雄」の一家と思えないほど、私達家族は地味で貧しかった。
これでも父の遥か先祖はかつて、この街に攻め入る反乱軍を
剣一本で捩じ伏せたと言われる、この街最初の英雄らしい、と昔に母から聞いた。
しかし私も兄も、恐らく父も、偉大な先祖からは何も受け継いでいない。
今の兄を見ればわかるが、私の父に身を賭して街を救うほどの勇気があったとは思えなかった。
きっと父は気が狂っていたのだ、そうでなければあんな事出来るはずがない。
ひ弱で、頼りなさそうな出で立ちで、街の「英雄」で、私達を省みなかった父……。
大嫌いだ。兄もそう思っているに違いない。
父が、あんな事しなければよかったのに。
そのせいで私達が嫌な思いをしているとも知らず、父は英雄と崇められ浮かれているのだろう。
大嫌い、大嫌いだ……。

23 :No.05 破滅の呪文 3/5 ◇PNmjHl6IaQ:07/09/16 05:23:41 ID:Ggk2YtAs
 月のない夜、街に突然悲鳴が響き渡った。
同時に地面が大きく揺れ、空には雷鳴が轟く。
「な、何……?」
「カイル、マカ、おいで」
頭を抱えて縮こまる兄と私の手を引いて、母は恐る恐る家から出た。
空は真っ黒に染まり、時折唸る稲妻だけが、街を覆う巨大な影を照らし出す。
鋭く尖った二本の角、大きく血走った眼は獲物を狙うような眼差しで街を見下ろした。
「鬼だ!!」
私は思わずその影を指差して叫ぶ。
見上げるように大きな鬼が、街を覗き込むようにして立っていたのだ。
人々は狂ったように逃げ惑い、私達も人の波に揉まれながら、街を出ようと駆け出す。
すると不意に、頭上に暗い影が落ちた。
上を見ると同時に背後で轟音と悲鳴が響き渡り、地響きで皆がその場に倒れ込む。
「いやぁぁぁ!!」
そう叫ぶ女性の声が、私達からどんどん遠ざかっていった。
振り返ると、たくさんの人々が鬼の巨大な手の中に囚われている。
どう藻掻いても足掻いても、その手から逃れることはできない。
手は鬼の耳まで裂けた口まで運ばれていく。
「おいで、マカ!!」
母は私の手を引いて再び人込みの中を駆け出した。
後ろから鬼が何かを咀嚼する音が聞こえたが、私は振り返ることができなかった。
 人の波に流されやがて、私達は街の出口へとたどり着いた。
……しかし、目の前に広がる光景は、皆を絶望の淵へ突き落とすものだった。
「……門が」
頑丈な鉄の扉は、鬼の起こした地響きと地割れで変形し、動かなくなっていたのだ。
周囲に怪物が多いため、この街は高い城壁に囲われている。
つまり、もう逃げ場はない……。
「そんな……」
兄が膝を落として呟いた。
私も何も言えず、ただ今の惨状を呆然と見つめることしか出来ない。

24 :No.05 破滅の呪文 4/5 ◇PNmjHl6IaQ:07/09/16 05:24:16 ID:Ggk2YtAs
人々は荒れ狂った。
城壁に頭を打ち付け叫び、誰ともなく人を傷つけ暴れ出す。
地獄を見ているようだった。
「……そうだ」
突然傍に蹲っていた老人が、私達に歩み寄ってきた。眼が、あの鬼のように血走っている。
老人は私の隣にいた兄の手を乱暴に引っ掴んだ。
兄は訳も分からず引き摺られ、混沌とした人込みの真ん中へと連れ去られる。
人込みの中央で、老人は兄に向かって凄まじい形相で怒鳴った。
「呪文を唱えろ!! あの鬼を消してくれ!!」
その言葉に周囲は突然静まり返り、皆が一斉に兄を見つめる。
絶望の淵にいる人間の瞳に兄はどう映っただろうか。
……そして波が押し寄せる。
「助けて!!」「鬼を倒してくれ!!」「死にたくない!!」「頼む、呪文を!!」
「お願い!!」「街を救ってくれ!!」「お前しかいないんだ!!」
「英雄の息子なんだろ!?」
その言葉に、兄は正気を取り戻したように老人の手を振り払った。
顔は蒼白で、恐怖に体は激しく震えている。
「い……、嫌だ、死にたくない」
精一杯の声を振り絞り、兄が答えた、次の瞬間。
人々の狂気が兄を襲った。
「なんだと!?」「ひどい!!」「お前の親父は英雄なんだろ!?」「英雄の息子なのに!!」
「弱虫!!」「愚か者!!」「人殺し!!」「英雄の血筋のくせに!!」
門前の広場が罵声に埋め尽くされる。
皆の顔は今や人間とは思えぬほど恐ろしくて、激しい殺気を放っていた。
その中央で、兄は眼を見開いて立ち尽くしている。
私の隣では、母が人々に掴み掛かりながら泣き叫んでいた。
「あの子はまだ子供なの!! カイルは……、カイルはやめてーっ!!」
しかし、母の懇願が皆には通じるはずはなく、叫びは罵声に掻き消されてしまった。
渦巻く狂気の中で、老人が兄に再び叫ぶ。
「破滅の呪文を、唱えろ!!」

25 :No.05 破滅の呪文 5/5 ◇PNmjHl6IaQ:07/09/16 05:24:54 ID:Ggk2YtAs
……その瞬間、私の知る穏やかで優しい兄は消えた。
兄は、狂ったように叫び出した。まるで狼の遠吠えのように。
眼を剥き出しにして、舌をだらりと垂らし、全身から汗が吹き出ている。
――私は全てを理解した。
兄の、鬼へと駆け出す後ろ姿を呆然と見つめる。
――そうか、父は兄のような人間だったのか。
走りながら狂ったように、兄は叫び出した。……破滅の呪文。
――英雄の子孫であるがために、人々に強要された肩書き。
――罵声の中で気は狂い、今の兄のように、父は逃げ場を失った。
無表情で兄を送り出す人々に、フツフツて沸き上がる苦い感情。
――お父さんは英雄なんかじゃなかった、違ったんだね。
――ごめん、勝手に決め付けて、酷い事言って。
――私は憎むべきものを間違えていたんだ。
目の前が光に包まれる。その衝撃は全てを覆い、私達は意識を失った。
 次に目を覚ましたとき、もう兄はいない、……また英雄が生まれている。
――大丈夫、大丈夫だ、兄さん。お父さんも、どうか私を見てて。
――立派に二人の代わりに役目を果たすから。
――英雄の伝説を、二人の苦しみを、この街を消し去ってあげる。
――英雄など、始めからいなかったんだと……。

 砂埃が舞う荒廃した街の中、ゆっくりと目を覚ました少女は、うわ言のように呟いた。
……それは禁忌の呪文――。



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