【 フンツローゼの教会 】
◆ooTBJNYhqk




6 :No.2 フンツローゼの教会1/5 ◇ooTBJNYhqk:07/09/15 15:13:32 ID:ZoGqxEL0
 かつて町の出入り口であったことを示す半壊した門の前で、エリクは呆然と立ち尽くしていた。
 白い月が、廃墟となった町を冷たく刺している。ここは最早、エリクの知っている故郷ではなかっ
た。
 一呼吸、エリクは覚悟を決め、廃墟を進んでいく。
「リーザ!」
 ただ一心に幼馴染である少女の名前を叫びながら、進んでいく。
 小さいながらも賑わいを見せていた、かつての商店街は、見る影もない。
「リーザ」
 所々光を反射させながら清らかに流れていた小川は濁り、教会へ続く橋は崩れ落ちている。
「……リーザ」
 かつて町の中心であった教会に辿り着いた。フンツローゼの花畑に囲まれていた教会。屋根は落ち、
今はただ、何かしらの建物が占有していたことを示すように、瓦解した壁が囲ってあるだけだった。
リーザが愛でた花畑は消失し、黒が広がっていた。
 エリクは胸元のペンダントを弱々しく握り締めた。この町を出るときに、リーザからお守りに、と
渡されたものだった。

 ――その時。教会の陰から人影が現れた。白い肌、白いワンピースが月明りを反射し、ぼうっと光
を放っているように見える。二年前と変わらない少女が、そこにいた。
「リーザ!」
 エリクは、月光に包まれる少女の元へ駆けていった。
「良かった……。ずっと心配していたんだ。本当にごめん、なかなか帰ってこれなくて」
「いいのよ。“英雄さん”は忙しいもんね」
 リーザが悪戯っ子のように微笑む。
「“英雄”なんて。俺は俺のままだよ。何も変わってない」
「ごめん。ちょっといじわる言いたくなっただけ」
 リーザが、エリクの目を見つめながらささやく。
「おかえりなさい、エリク。少し……逞しくなったかな」
「ただいま。リーザは全然変わらないね」
 エリクは、私だって少しは成長してるわよ、と言いたげにリーザが拗ねる様を、ほっと見つめる。


7 :No.2 フンツローゼの教会2/5 ◇ooTBJNYhqk:07/09/15 15:14:23 ID:ZoGqxEL0
 改めて町を見渡す。
「他のみんなはどうなった?」
 リーザが月を見上げた。少しの空白があった。
「みんな、死んじゃった。あっという間の出来事で、逃げることも出来なかった」
 エリクはリーザを抱き寄せた。二年前よりも、少し小さくなったような気がする。
「ごめん。俺、何も出来なくて」
「ううん、エリクはすごいよ。この国を救ったじゃない。噂はここまで届いてるよ」
 リーザが、エリクの胸にうずめていた頭を離し、笑顔を向ける。
「ねえ、昔みたいにここで話そう。もうフンツローゼの花畑はないけれど。そうね、あの日から今日までのこと、聞かせて」

   ◇

 静謐に佇む教会の周囲を、フンツローゼが白く染め上げている。小鳥のさえずりや、風が織り成す
枝葉のリズムの中で、エリクとリーザが並んで座っている。二人とも十五歳を迎えていた。幼い頃に
両親を亡くし町長の家で育ったエリクと、町長の娘であるリーザは自然と恋仲になり、毎日のように
この花畑で語り合っていた。
「もう、決めたんだね」
 リーザが目を伏せた。
「うん。国王陛下直々の召集令状だしね。それに――」
 エリクが空を見上げる。太陽が突き刺さる。
「俺に何ができるかなんて分からないけど、守りたいんだ。この国を」

 十年ほど前のことになる。ある呪術士の集団が王国に牙を剥いた。国王による呪術士の迫害に反発
してのことだった。彼らは少数ながら、呪術によって各地を襲撃し、国内は荒れ果てていった。指導
者はいつからか“魔王”と呼ばれ、恐れられるようになった。王国軍は、神出鬼没な“魔王軍”に翻
弄され、主要な都市や城下を辛うじて守り抜くことしか出来ない。そこで国王は王国軍及び国内から
勇のものを集め、精鋭からなる魔王討伐隊を結成し、直接“魔王”を討つことを策した。
 エリクは、亡き父が勇敢な王国軍兵士であったこと、また数ヶ月前に城下で行われた剣技大会で優
秀な成績を修めたことから、討伐隊参加の召集令状を受け取っていた。


8 :No.2 フンツローゼの教会3/5 ◇ooTBJNYhqk:07/09/15 15:14:57 ID:ZoGqxEL0
 リーザは何も言わなかった。ただ、気をつけて、と肌身離さず身につけていたペンダントを渡して
くれた。

 “魔王”の居城への道は険しかった。呪術によって造り出された異形の怪物。呪術士による呪いの
言葉。当初五十名から成っていた討伐隊は、道半ばにしてその半数を失っていた。
 そんな折、エリクの元に、故郷の町が属する地方が呪術士に襲撃された、という報せが届いた。エ
リクは、すぐにでも故郷に戻りたかった。ただリーザの笑顔だけが胸を締めつける。ふと、首から下
げたペンダントに気づき、握り締める。頭を責めていた焦燥が霧散する。――とにかく、呪術士を、“魔王”
を倒す。それがリーザを守ることにもなると信じて。リーザの無事を祈り、エリクは前を向いた。

 “魔王”と対面したのは、エリクただ一人だった。すでに討伐隊は壊滅し、呪術士もまた、残り一
人となっていた。
「お前が、“魔王”……」
 目の前に、粗末なローブを身にまとった老人がいた。同じく粗末な木造の椅子に腰掛けている。
「“魔王”か。安っぽいが、うまい言葉だな。まさに悪そのものを表している。気に食わない相手を
“魔王”と命名するだけで、自分は正義だと知らしめることができるからな。まあ、確かに私はそう
呼ばれてもしょうがないがね」
 老人はしわがれた声で不敵に笑っている。エリクは緊張を保ち続ける。
「そう怖い顔をするな。もう、終わりなのだから。私には君を倒す力など残されていない」
 老人はどこか陶然とした表情で続ける。
「迫害され、ただ朽ちていく運命にあった我らの復讐劇は、今、幕を下ろす。君はこれから“英雄”
となるだろう。そして英雄譚の中で、我らは永遠に生き続けることができる。それで、十分だ」
 エリクの刃に、老人は抵抗しなかった。
 椅子に全体重をあずけた“魔王”の、安らかな表情を見つめる。これで終わったはずだ。
 それなのに――。どこか釈然としない気持ちになる。エリクはペンダントを握り締めた。これだけ
は、いつも正しいのだと知っている。

 一人凱旋したエリクを熱狂が迎えた。民衆が、城下が、王国が、英雄に震えた。国王は、国を救い
歴史に名を残すことになるだろう英雄に、爵位と王女との婚約を用意した。だが、エリクは故郷の
こと――リーザのことしか頭になかった。簡単な報告を行い、すぐに故郷の町へ旅立ったのだ。


9 :No.2 フンツローゼの教会4/5 ◇ooTBJNYhqk:07/09/15 15:15:18 ID:ZoGqxEL0
   ◇

 白い月が、並んで座る二人をぼんやりとなでる。
「――戻ってきたら、町はこんなことになってしまっていた。でも、リーザは生きていてくれた」
 リーザの笑顔が月灯にくすんでいる。
「そっか、エリクもいずれ、王様かあ」
 エリクには、爵位も王女との婚約もどうでもいいことだった。まして王になることなど考えてもい
ない。
 そう告げようとした時、リーザがすくと立ち上がり、エリクに背を向けて月を見上げた。
「もう、お別れだね」
 月を隠し黒い影となったリーザの背中を見上げる。エリクにはリーザの言葉の意味が分からない。
「何を言ってるんだ? 全部、終わったんだ。これからは二人で暮らそう。いつかまた、ここにフン
ツローゼの花畑を――」
 リーザがくるりとエリクに向かい、言葉を遮る。
「エリクこそ、何を言ってるの。終わってなんかないわ。これからなのよ。この町のように滅ぼされ
た場所はたくさんある。みんな疲れきっている。今、みんなに必要なのはあなたのような英雄よ。あ
なたはいずれ王となり、国を導いていくの。そうして本当の平和をもたらすのよ」
 リーザの表情が和らぐ。エリクには見慣れた、懐かしい笑顔だ。
「今のあなたにしか理解することができないの。“悲劇”をもたらしたものは一体なんだったのか。
だから、あなたが、希望が必要なの」
 エリクはやにわに立ち上がり、リーザの肩を掴もうと手を伸ばした。

 ――エリクの手が、リーザの身体を通りすぎ、中空をむなしく掴んだ。

「言ったでしょう、“みんな”死んじゃったって」
 リーザの微笑。心臓の鼓動がエリクの全身へ広がっていく。脳が理解を拒否する。

「ごめんなさい」
 動きを止めたエリクに、リーザが小さく呟いた。


10 :No.2 フンツローゼの教会5/5 ◇ooTBJNYhqk:07/09/15 15:15:40 ID:ZoGqxEL0
「偉そうなこと言ってるくせに、私、ただあなたに会いたくて。だから本当はダメなのに、ずっとこ
こであなたが来るのを――」
 リーザの目から感情が溢れ出し、頬を伝う。
「本当はあなたに行って欲しくなかった。ずっと、そばにいて欲しかった」
 月影に滲むリーザの瞳に見つめられ、エリクは現実に引き戻された。
「でも、もう大丈夫。最後に、あなたに会えたから。だから――」
 エリクはリーザの頬を指でぬぐおうとしたが、それは叶わなかった。だから、抱きしめた。いや、
包み込んだといった方が正しい。感触はない。
「俺は、国を守りたかったんじゃない、みんなを守りたかったんじゃない。ただリーザを守りたかっ
たんだ。本当は、俺……」
 リーザを包み込んでいる腕に力を込める。ここに居るのに、触れられないことがもどかしい。
「守りたいものを守れなかった俺は、英雄なんかじゃない」
 リーザが背中に手を回すのを感じる。いや、感触はないのだ。それでも、温かい。
「そんなことない。あなたは英雄よ。たくさんの人を、国を救った。そして、これから未来を築いて、
守っていくの。……それに、私のこともずっと守ってくれていた」
 リーザの顔はいつの間にか、微笑みに変わっていた。
 エリクは、なんとか笑顔を返そうとしたが、不可能だった。とめどない涙を流しながら、ただひた
すらリーザの笑顔を見つめるしかなかった。溢れる涙に、リーザがぼやけていく。


 白い月が、一人佇むエリクを優しく包み込む。
 いつの間にか、エリクの周囲にはフンツローゼが白く咲き誇り、枝葉が夜風を奏でていた。
 リーザの最後の願い――リーザが教えてくれたこと。英雄として、やるべきこと。それを教え
るために、ずっと待っていてくれたんだ。
 エリクは、首から下げたペンダントを強く握り締めた。   了



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