【 モスキート 】
◆hEKS2sQz9.




100 :No.31 モスキート 1/3 ◇hEKS2sQz9.:07/09/10 00:10:53 ID:2lBaudG1
 フライと聞けば、君たちは何を想像する?
アジフライ、フライドポテト、エビフリャー。どれもおいしいね。僕も一口食べたことがある。
パサパサ、ガリガリ。とても食べにくかった記憶がある。でも、あの濃い塩味は忘れないなあ。
あるいはフライという単語から大空を連想したり。
青空はとても美しい。その中に浮かぶ数々の雲は分裂し、結合し、また別れる。
そんな出会いと別れを永遠に続けることのできる雲が、僕は羨ましい。
なぜって、僕は寿命が短いフライ(ハエ)だからね。なんだ、ハエか、って印象かな。
まあ、所詮はハエなんだよね。でも、そんな僕を大事にしてくれた人がいたんだ。
 元来、僕らはあんまり人間が得意じゃない。だって人は僕らを邪見にするだろう?
でも、やっぱり寂しがり屋。だから、できれば体温の感じる人間や動物の上で、すりすりしたい。
しかしなぜか僕らのイメージは相当悪い。ハエは汚い、臭いものに近寄るものだと思われてる。
だから、ハエに集られる人は、自分が汚い、臭いものだと思われるのが嫌で、ハエを追い払う。
そりゃあ確かに理解はできるけど…。これは永遠の悩みだな、僕の一生の時間じゃ解決できない…
 バンッ!
僕は人間の手の平から繰り出された一撃で死んだらしい。まず背中が痛い。羽がやられた、飛べなくなった。
いや、死んでいない?意識はある。いや、でも次の一撃を避けるだけの体力と俊敏さが今の僕にはない。
どちらにしても結果は一緒か。悩みを持った途端に一生が終わる、所詮はハエだから、そんなもの。
そして僕は何者かに挟まれ、空中を彷徨った。挙句、突起物が横方向に列なる危険地帯へと落とされた。
幸い、床は硬くもしかしクッション性があったので痛みは感じなかった。
 突然、目の前が真っ暗になった。何がなんだか理解できずにいると、ハエ五匹ほどの隙間から光が差し込んできた。
見ると、ギョロリとした2つの目がこちらを覗いている。怖くてたまらない。拷問でも始めるつもりだろうか?
差し込む光を頼りに周りを見ると、どうもまずい。突起物が、ハエを串刺しにするのに丁度いい位置にある。
背後には、先にいくほど狭くなる穴の開いた、突起物とピッタリ合体するであろう物体もある。
恐らくは、ハエを串刺しにして、更に穴に突っ込んですり潰すつもりなのだろう。
いっそ、先の一撃で一生を終えていればどれだけ楽だったろうと後悔した。

101 :No.31 モスキート 2/3 ◇hEKS2sQz9.:07/09/10 00:11:09 ID:2lBaudG1
 また暗くなったと思うと、突然に箱が揺れ始めた。陳情の事態ではない、そもそも「揺れ」という表現に語弊がある。
これは「振る」という感じだ。つまり、これより僕に対する拷問が始まったわけだ。
一応突起物には当たるが、痛みもない。この程度の振り方では串刺しなど到底不可能である。
大きな衝撃と「只今」という声が聞こえ、辺りが静かになった。
只今、と言うからには上司からのお呼びがかかったのだろう。いよいよ僕の一生は幕を閉じることになる。
 辺りがうるさくなったと思うと、光がワアッと噴きこんできた。久方ぶりの光で、とても懐かしく眩しい。
「アンタほんとに?」「死んでるだろ条項」「きんもーっ☆」
「俺さ、ハエを飼うよ」
そう言って僕の体を摘んだ人間の顔を見て、気付いた。こ、こやつは僕を叩いた張本人ではないか…。
貴様のせいで僕がどれだけの痛みとどれだけの恐怖を味わいどれだけの…
「おまえかわいいな」
おまい物分りいいな。そうさ!ハエは害を及ぼさず!自然の摂理のままに!外見もクッキリおめめと曲線のボディがベンツを思わせるゥッ!
そして運ばれてくる突起物の箱。飼うというんだから、先に想像したようなことはされないとは思うが。
不安を残しつつ、また暗闇に包まれる。
 翌朝、僕は飼い主のポケットに入れられた。
「昨日はごめんな、最初は潰すつもりだったんだけど…生きてるおまえ見たらかわいそうに思えて」
人間の性質は昔からよく知っている。ハエ叩きに始まり、ハエ取り棒に電気ラケット、次から次に手段を変えてくる。
言葉もその手段の一つで、言い方で与える印象も変わる。
うむ、悪い気はしない。第一、昨日は新鮮な肉をご馳走になった。そして今日は羽根を使うこともなく、
ただポケットに入って飼い主からの手厚い待遇を受けるばかりである。
普段のハエの日常ではまず味わえない、望んでも手に入らない高級な生活。

102 :No.31 モスキート 3/3 ◇hEKS2sQz9.:07/09/10 00:11:25 ID:2lBaudG1
 この飼い主は寡黙だった。クラスに馴染むこともなく、ただ筆箱の中で僕を眺めるだけ。
ふむ、彼も僕らと同様、群れるのが好きじゃないのだろう。しかし体温を感じたい寂しがりや。
だから僕を飼い始めたわけだ。ここは僕が一肌脱いでやろう。気付いているぞ、さっきから、
近くを飛び回る、友人の姿に。友人は、更に数人の友人を引き連れて、飼い主にだけ見える範囲で暴れてやった。
「ウッ!?」
低い声を上げて立ち上がる飼い主。すると違うトーンの声がした。
「綿貫くん?やってくれるの?」
「えっ…」
飼い主は動揺を隠せない。普段口も聞かないから、いざというときもまともに口を聞けない。
「いや…」
飼い主の言葉を掻き消すように数人がはやしたてる。
「ヌッキーいこうぜ!やっちゃおうよ」
「そうだよヌッキー」
「う、うん…」
一つ返事で引き受けた飼い主。度胸は認めるが、ところで何を引き受けた?
 「あっ!くっついちゃった!」
学年合同で開かれる劇の主役に抜擢されてしまった飼い主は、練習に励む。
と言っても、飼い主は声を出さない。声を担当するのは、役に選ばれなかった他生徒全員である。
飼い主はただ身振り手振りの大袈裟な動作で、生徒たちの声に合わせて動く。
そのうち飼い主は、同じ舞台に立つ役者と軽い会話を交わすようになった。
人間の寿命は長い。それだけに体の作りもしっかりしている。その場の状況にすぐに順応できる。
寡黙がとりえの人間など要らない。僕らハエが言葉の使えないことにどれだけ不自由をしているか。
寡黙な人間ならばハエでもできる。言葉を使えるなら使ったほうがいい。
飼い主は生きた言葉を使った。会話をした。人間になれた。
 「あっ!くっついちゃった!」
その声と共に、金のガチョウを持った飼い主は、他の役者に抱きつかれる。
ズボンのポケットに入っていた僕は、すり潰されて一生を終えた。



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