【 銃声は廃墟に響く 】
◆dT4VPNA4o6




103 :銃声は廃墟に響く(1/4) ◇dT4VPNA4o6:07/09/10 01:21:00 ID:/SOoJiHq
 一九四二年十一月、スターリングラードは最早人間のいるべき場所ではなかった。
 犬ですら逃げ出すような地獄の如き惨状で、それでも兵隊と言う種類の人間達はひたすらに戦い続けていた。
 ナチス総統ヒトラーはこの都市での戦闘の短期での終結を予測していたが、崩壊し瓦礫の山と化したスターリングラードはソ連軍の
引き伸ばし作戦も相まって一大消耗戦と成っていた。
 かくして建物、それどころか部屋一つを奪い合う凄まじい市街戦が展開されていた。

「そりゃ、有利なんだろうさ。ナチ公どもはここに釘付け、こっちは南方の軍勢が来れば包囲殲滅って寸法だろうからな」
 アンドレイがスコープを覗きながらぼやく。
「でもなあ、一日一つの黒パンじゃあ勝ってる気がしねえぜ」
 返す者はいない。独り言である。
「動いたか。んじゃあ、さようなら」
 それど同時に狙撃銃が火を噴く。計四発。それ以上は打たない、これでも本来なら打ちすぎだ。アンドレイはすばやくその場から離れる。
 彼はスナイパーである。一年前までは田舎で鹿狩りをしていた青年だったが、赤軍に入隊して後狙撃隊に入隊していた。
 ビルから出た彼に近づくものがいた。アンドレイはすぐさま銃を向けるが、相手の顔を見て銃口を下げた。
「いい狙撃だったな、アンドレイ」
 僚友のニキータだった。彼もまたスナイパーである。
「見てたのかよ、いい趣味とは言えねえな」
「俺のポジションから丸見えだったんでな、お前。俺がナチ公なら……」
「分かった分かった、んで。今日のスコアは?」
「三人と負傷一人、お前は?」
 とたんにアンドレイの顔が渋くなる。
「お・ま・え・は?」
「……二人と負傷二」
「じゃあ、ウォッカは今日も俺のものだな」
 ニキータは、相変わらずの渋い顔のアンドレイの肩を叩き拠点に二人は戻った。

 拠点に戻った二人に声をかけるものはいない、スナイパーは孤独である。比較的成績の良い二人も例外ではない。むしろ成績が良いからこそ
畏怖の対象となっていた。二人が元々いた部隊は既に壊滅しており、臨時に今の部隊にいる事が二人の孤立を一層助長していた。


104 :銃声は廃墟に響く(2/4) ◇dT4VPNA4o6:07/09/10 01:21:20 ID:/SOoJiHq
「それにしても、んぐんぐ、何時になったらナチ公は諦めるかねえ」
 黒パンを口に含みながらアンドレイが呟く。
「ナチは諦めんだろうな。ここまで来て撤退はヒゲの性格上あり得ん」
「性格上って、んなこと分かるのかよ?」
「今までの推移からの予測だ。まあ、もう直ぐ冬将軍閣下も来られるからな」
 ニキータがニヤリと笑ってみせる。
「おう、確かに冬将軍閣下は無敵だからな。ハッハッ!」
 そう言って、アンドレイは残りの黒パンを口に放り込んだ。食料は一日これだけである。もっとも敵に包囲された部隊のことを考えれば、
食料が有るだけでも贅沢だが。更に二人はウォッカを隠し持っていた、因みに廃工場から失敬した物である。
「じゃあ、いただくぜ」
 ニキータが欠けたコップを軽く掲げて一気に飲み干す。これを二人は一日のスコアで取り合っていたた。別に誰かに褒められるわけでもない
戦績の、ささやかな自分達に対する褒美だった。
 ブスッとしていたアンドレイが口を開く。
「さっきの続きだけどよ、ナチどもが片付いたら俺たち帰れるのかね」
「さぁてな、ナチが片付いたら今度は極東だろうがな」
「あーあ、帰りてえなあ」
「戦争が終わったところで、パンが食えるとはかぎ、おっと」
 政治将校のさり気無い視線にニキータは口をつぐんだ。
「ま、勝てばそれなりの生活は出来るさ。ここで頑張れば、もう最前線には出なくてもすむかもしれん」
「それまで生きてればな」
 その後も二人は他愛もない会話を続けた。配食の事、最近来た腕の立つスナイパーの事、そして故郷の事。やがて二人とも黙りこくって、
その内眠ってしまった。

 ある日二人は、政治将校に呼び出されて、直々に命令を受けた。
 内容はドイツ軍のある高級将校の暗殺だった。どの程度の重要人物であるかは教えられない、この辺にいるから殺して来い、と言う
いい加減なものだったが、片方が観測手をしろと指定してきたのでそれなりに重要である事は予想できた。

「変だと思わないか?」
 指定された地点にむかう途中、ニキータが呟いた。


105 :銃声は廃墟に響く(3/4) ◇dT4VPNA4o6:07/09/10 01:21:51 ID:/SOoJiHq
「幾ら高級将校と言え、今更将校の一人や二人殺して何になる。ウロウロしてる工兵でも狙った方が……」
「ウダウダいっても仕方ねえだろ。やれってんならやるだけさ」
「まあ、確かに疑問を挟むほどでもないか」
 そんなやり取りを交わすうち、二人は目的の場所に着いた。瓦礫と川を挟んで向かいのビルに標的はいる事になっている。
「見えるか?」
 狙撃手のニキータが準備をしながら尋ねる。アンドレイは双眼鏡で睨んでいたが、
「見えねえなあ、まあ、ガセの可能性も十分あるからな」
「暫らく様子を見るか」
 だが都合十六時間粘ったが一向にそれらしき将校は見当たらなかった。それどころかドイツ兵の姿も見えない。
「帰る……か?」
「まあ、伺いを立てに帰るくらいは良いだろうな。ここでなくても敵はまだそこらじゅうにいる」
 ニキータがそう言ってそろりと立ち上がろうとした瞬間、乾いた音を立てて銃弾が着弾した。驚いて二人はその場に伏せた、
銃撃自体は珍しい事ではないここでは日常だ。問題は、
「何処からだ!」
 二人の声が重なる。それ程二人ともポジションに自信があった。ましてや敵のスナイパーに見つかってるなど欠片も考えていなかった。
「チッ、ドジッたな。相手が下手糞で助かったが、頭は抑えられてるな」
 アンドレイがぼやく内にビシッと音を立てて、更に着弾。だが、
「下手糞の上にル作法も知らんようだな」
 ニキータが呟きながらある方向を見やった。
「あっちか」
「ああ、……あぁ、動いたな。ただの下手糞じゃないようだ」
「どういうこった」
「多分あのビルだ、ここから大体三百メートル」
 ぎょっとした顔でアンドレイが思わず頭を上げるのをニキータが抑える。
「倒すぞ、これで諦めるとは思えん」
「よっしゃ、作戦は?」
「無い、二手に分かれよう。出来るな?」
「へっ、いつもの事だ。殺った方があのウォッカ独占でどうだ」 
「フン、後悔するなよ」

106 :銃声は廃墟に響く(4/4) ◇dT4VPNA4o6:07/09/10 01:22:29 ID:/SOoJiHq
そう言って二人は分かれた。無論細心の注意を払ってその場を離れたのだった。
 
 アンドレイはその後、スターリングラードの中でも比較的壊滅を逃れている地域に潜み、ドイツ兵に気を配りながら相手を探し続けた。
 風を読み、天候を気にしながら、これと思った狙撃ポイントを、見えない相手を追い続けた。その間ニキータと会う事は無かった。
 四日目、橋の袂でアンドレイは見つけた、倒れたニキータを。
「ニキータ! おい!」
 アンドレイが駆け寄る。近くに『奴』がいる事などこの時は考えもしなかった。
「バカ……何やってる、まだ居るぞ、あの野郎……」
「言ってる場合か! しっかりしろ、傷は」
「助からない、事なんか、俺が一番分かってる、足の動脈がぶち抜かれてるんだからな、」
「メディックのとこまで連れて行く! 生きてろよ!」
 そ言うアンドレイの手を弱弱しく握りニキータは、
「スマン、だめだ……、あぁ、ウォッカ、やる……」

 ニキータの死後、噂が流れた。曰く新顔のスナイパーがナチスの狙撃将校を四日間の追跡の末、橋の袂で仕留めた、と。
 あの日、拠点に帰ったアンドレイに政治将校がすぐさま寄ってきて。任務失敗は不問にするから他言無用と釘を刺された。 
 例の噂は妙な速さで全軍に広まった様だった。アンドレイはさり気無く、口の軽い将校に何処の橋か尋ねた。場所はニキータの死に場所だった。
 その日のうちにアンドレイは拠点を後にした。

 それから一ヶ月、スターリングラードは駆けつけたソ連軍増援に包囲されていた。相変わらず彼はドイツ兵を殺している。そして、ある
男を捜していた。
 噂の狙撃手である、当たりはつけた。それが本当にニキータの敵かどうかは証拠は無い。だがアンドレイは確信を持ってスコープを覗いていた。
 アンドレイは現在の乱戦を神に感謝しながら、引金を絞った。
 廃墟に銃声が響いた。   【終わり】



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