【 ウィンズケープの恋人 】
◆QIrxf/4SJM




107 :No.27 ウィンズケープの恋人 1/4 ◇QIrxf/4SJM:07/09/10 18:10:43 ID:xzkPKiDp
 華やかな夏の気配は少しずつ遠ざかり、穏やかな秋の風が草木を揺らしはじめていた。長かった日は少しずつ短くなって、碧々としていた景色の中には、所々に紅が差している。晩春には桃色に色鮮やかだったさんざしも、そろそろ実を付け始める頃合だ。
 動物たちは遊び惚けた夏の日々を思い出し、訪れる秋にむかって腕まくりをした。たくさん食べて、溜め込んで、冬を優雅に越えてやろう――そんな意気込みが、森の中から迸ってくる。
 もちろん、少年や少女たちも例外ではない。日が短くなった分だけ、濃密で愉快な時間を過ごす義務があるのである。
 ウィンズケープの郊外、幸多き離れ家と呼ばれる丘の上で、二人の子どもが遊んでいる。立ち並ぶさんざしを背にして跳ね回りながら、少女はスカートの裾を持ち、薄もも色のガウンを見せ付けるようにしてはためかせた。真っ白なふとももが顕になる。
「ねえ、いいでしょう」と少女は言った。「誕生日だからってこしらえてくれたのよ」
 少年はスカートの奥にひそむ、かぼちゃのような純白のドロワーズを見た。
「とってもふわふわだね」少年は顔を赤らめた。「真っ白でとてもきれい」
「まあ! なんてところを見ているの? 失礼しちゃうわ!」少女は頬を上気させて、少年を睨みつけた。
 少年はばつが悪そうに頭をかいて、一歩退いた。「ガウンもすごく可愛いよ」
「まあ!」少女はさらに頬を赤らめた。「そうよ。わかる人には、わかるのよね」
「だから、スカートのめくってみてもいいかなあ」少年は手を伸ばした。
「だめよ!」少女がそれを弾く。「いやらしいわ!」
「違うよ。スカートの裏側を見てみたいだけなんだ」
「嘘ばっかり。それに、破れたりしたら大変だわ」
「ぼくはそんなことしないよ。そんなの好きじゃない」
「信じないわ。日曜の音楽会はこのガウンで出るんだから、用心しなくちゃいけないの」
「ふうん」少年は音楽会にまるで興味が無かった。
「そこで、『麗しの君』を見つけるの」と少女は言った。「運命によって固く結ばれた、出会うべき相手のことよ。わたしはその方と愛を育んで、細雪の降る晩に、手を取り合って駆け落ちをするのよ」
「ひどい妄想だね」
「あら、あなたには恋する乙女の気持ちがわからなくって? 美しい女のばら色の唇は、恋にたぎる炎の色なのよ。わたしの唇はそれほどまでに燃えているかしら。みずみずしく潤んだ瞳は、恋人という一点だけを見つめて、その遠さに涙をこぼすでしょうね」
 少女は少年に対して憐れみの目を向けた。「それがわからないなんて、とても不幸なことだわ。パパやママのこともわかっていないのね。子どもっぽくていやになっちゃう」
「子どもっぽいだって? きみがどうしようもなくおしゃまなだけじゃないか」
「あら、だったらあなたも音楽会に出てみればいいのよ。紳士のように振舞えなくて、恥をかくのが落ちだわ」
「そんなことないよ。ぼくだって、『麗しの君』くらいすぐに見つけるよ」
「そう? どっちが先に素敵な『麗しの君』をみつけられるかってことね!」
 口論が一通り終わると、二人はさんざしの木の下に座って雑草を摘んだ。少女はガウンが汚れないように、少年の上着を下敷きにしている。
 なんだかんだ言っても、仲のいい二人なのである。
「音楽会にはね、ママの大切な蝶のブローチを貸してもらえることになってるのよ」
「つけてもつけなくても、そんなに変わらないよ」
「あら、どうかしらね。わたしがあんまり可愛いからって、のぼせて変なこと言ったりしないでよ?」

108 :No.27 ウィンズケープの恋人 2/4 ◇QIrxf/4SJM:07/09/10 18:11:16 ID:xzkPKiDp
 少年は雑草を編んで冠を作った。少女の頭に乗せてやると、金髪と緑色が上手い具合に調和する。
「ほら、こっちの方が似合ってる」
「お姫さまみたい?」
「うん」
「もう!」少女は両手で頬を押さえて首を振った。「変なこと言わないで!」
 少年はにやりとして立ち上がった。
「嘘だよ!」と言って走り出したのである。
「ああ、待ちなさいよ!」少女はスカートを持ち上げて追いかけた。「嘘ってどういうこと?」
 少年は少女を引き離さないように確認しながら、さんざしの立ち並ぶ丘の上を駆け回った。
 急に立ち止まると、少年は振り返った。「なんてね!」
「え?」驚いて足をほつれさせた少女の体が、ゆっくりと傾く。
 少年が少女の体を受け止めた。
「危ないなあ、もう」
「急に止まるそっちが悪いんだから――」
 少女は真っ赤な顔を背けた。

「わたしが勝ったら、駆け落ちの手助けをしてもらうわ」と少女は言った。「細雪を降らせてちょうだい」
「じゃあ、ぼくが勝ったらお姉ちゃんにケーキ作ってもらうね」
「全然関係ないじゃない」
「そんなことないよ。きみの目の前で美味しそうに食べてやるんだ。欲しくてもあげないんだから、覚悟しといたほうがいいよ」
 少女はくすりと笑った。「おかしい。わたしが負けるわけないでしょ」
「そんなことないさ。お姉ちゃんはぼくのこと可愛いって言ってくれるもの」
「残念ね。可愛い男の子なんて相手にされないわ」
 少女は蝶のブローチを掲げた。日光を反射して、きらきらと紫色に光っている。
「すごくきれいでしょ?」少女は胸元にブローチを当てて、少年に突き出した。「ほら、とっても似合うの」
「うん、とっても可愛いね」少年は言った。
 少女は満足気にはにかんだ。「そうでしょ。わたしってきっと、想像の余地がないくらいに可愛いのよ」
「そこまではいかないよ」
「まあ! わかる人にはわかるんだから、見てなさいよ」
 少年は枝を拾って、杖にして少女のまわりを歩いた。より優雅に、紳士的な美を意識する。

109 :No.27 ウィンズケープの恋人 3/4 ◇QIrxf/4SJM:07/09/10 18:11:48 ID:xzkPKiDp
「お嬢さん、ぼくと踊りませんか」少年は喉を太くして言った。
「あら、おじさま、わたくしの胸元が気になって?」
「すばらしいブローチだよ」
「まあ、わかってくださって光栄ですわ」
「ふくらみが少し足りないみたいだけれどね」
「もう!」少女は叫んで、頬を膨らませた。「なんてことを言うのよ。台無しじゃない!」
「だって、本当のことじゃないか」
「そんなことを言うと、誰にも相手にされなくなるんだから!」
「なんだよ。ぼくは間違ったことなんか言ってないじゃないか」
「もう知らないわ!」
「ぼくだって!」少年は低く唸って、その場から走り去った。

 この時のために仕立ててもらったタキシードと、木を削って作った杖を持って、少年は家を出た。あたりはすでに薄暗く、空には大きな雲が出ている。
 丘を越えた麓に、少女の家がある。登りきったあたりで、ぽつぽつと雨が降り始めた。
「いやだなあ」少年は呟いて、足を速めた。
 少女の家が見えてくる。少年の住む家とは比べ物にならないほどの大きさである。大きな門を開けると、番犬がじゃれ付いてきた。雨が強くなってきたので、少年は番犬と一緒に玄関ポーチに立つ。ドアノッカーを叩いていると、使用人が出迎えてくれた。
 少年は雨を払って、紳士のように上品な動きで少女の部屋を目指した。リボンタイの乱れを直し、ドアに近づいてノックする。
「ぼくだけど、迎えに来たよ」少年は違和感を覚えた。少女の反応が無い。いつもなら、文句を言ってすぐに出てくるのに。
「おーい。迎えに来たんだけど」少年が再び呼びかけるも、返事は無い。首をかしげて、ドアノブに手をかけた。「入るよ」
 よく手入れされたドアは、軋むことなく静かに開いた。しくしくと泣く声がする。
 少年は部屋に飛び込んだ。「どうしたの?」
 鏡台の前に座って、少女が泣いている。
「ブローチが無いの」少女が途切れ途切れに言葉を発する。「せっかく、ママに借りたのに」
「どうして? さっきはしてたじゃないか」
「わからない。帰ってきたら無かったの。きっと、どこかで落としたんだわ」
「あれから外したのかい?」
「丘の上にある池で、自分の姿を見たわ。それからブローチを外して、天にかざして眺めていたの。とても綺麗なんですもの」
「なら、丘にあるんじゃないかな」
「無かったの。さっきも探しに行ったんだけど、無かったのよ」少女が咽て咳をした。
「ぼくがもう一度見てきてあげるよ」少年は言った。「まだ、音楽会までの時間はあるでしょ。ぼくが戻ってくるまでに、そのひどい顔をなおしておいてよ」

110 :No.27 ウィンズケープの恋人 4/4 ◇QIrxf/4SJM:07/09/10 18:12:15 ID:xzkPKiDp
 少女は涙を拭って頷いた。

 少年は外へ飛び出した。激しい雨が少年の体を打ち、ぬかるんだ地面は少年の体力を奪う。丘へと続く一本道は、ほんの目と鼻の先ほどであるはずなのに、永遠と続く坂道のように思われた。
 さんざしの並木が見える。大きな雨粒に打たれて、手招きをするように揺れ動いている。
「もうちょっとなんだ!」少年は杖を投げ捨てた。舌打ちをして、足に力を込める。
 少女の話していた池の前までやってくると、辺りを見回した。紫色に光るものは無い。さんざしの木にも、それらしきものは見当たらなかった。
「もしかして」少年ははっとして、大きく息を吸い込んで池の中に飛び込んだ。後悔は無い。
 池の水はとても冷たかった。水を吸い込んだタキシードは重たく、少年の体の自由を奪う。きんきんと頭痛がした。冷たさに強張る体に鞭打って泳いだ。
 目を開けると、紫色に光るものがある。少年は必死に手を伸ばした。こつん、と指先に触れるもの、それは間違いなく蝶のブローチだ。
 しっかりと握り締め、水面に顔を出す。力を振り絞って、池から脱出した。地面にしっかりと足をつけ、立ち上がった少年は、握った手の平を開いた。しっかりと、蝶のブローチが手元にある。
 安堵に溜め息を吐くと、少年はバランスを崩して転んだ。頬は燃えるように熱く、視界が少しぼやけている。冷え切った体は言うことを聞かない。泥まみれになりながら、丘の上を這って行った。
 動くたびに頭痛がしているような気がするが、朦朧としていてよくわからない。
 少女の屋敷の前に来て、門をつたって立ち上がることが出来た。ゆっくりと庭先を越えて、ドアノッカーを叩く。
 ドアが開いた瞬間、少年は倒れた。――少女の短い悲鳴が聞こえた。
「これ、」少年は力を振り絞って腕を動かした。「ブローチ」
 そのまま少年は意識を失った。

 少年が目を覚ましたのは、その日の夜中になってからだった。
「よかった、気が付いたのね」少女は涙を浮かべている。「ごめんなさい私のせいで。だから、元気になるまでずっとわたしが看病するの」
 少女は少年のベッドに入った。
「うつっちゃうよ」と少年は言った。
「いいの」少年はにっこりと微笑んだ。
「それより、音楽会に行かなくっちゃ。もうはじまっているよね」
「もう終わっているわ」
「きみは行かなかったの?」
 少女が頷くと、少年はくすりと笑った。「じゃあ、引き分けだね」
「いいえ、わたしの勝ちよ」
 少女は少年の頬に口付けをした。
「なんかくらくらするよ」と少年は言った。
 二人の顔は、のぼせ上がったように真っ赤だった。



BACK−女の闘い◆/z2FA0MXPs  |  INDEXへ  |  NEXT−ぷりん◆VXDElOORQI