【 いつか並ぶ日を夢見て 】
◆bsoaZfzTPo




85 :No.25 いつか並ぶ日を夢見て 1/3 ◇bsoaZfzTPo:07/09/09 23:27:49 ID:3+RL0H4f
 高崎が教室の戸を開くと、おっす、と元気の良い声に迎えられた。待っていた、と言わんば
かりの速さに、高崎はいつも少しだけ気後れしてしまう。
「うん、おはよう、光野くん」
 窓際の席でルーズリーフを広げる光野に挨拶をする。たったそれだけのために、高崎は毎
朝細心の注意を払っている。万が一にでも顔が赤くなったりしたら、そしてそれを気取られた
りしたなら、この秘密の時間を持ち続ける自信がないからだ。
 早く早くと急かすように隣の椅子を叩く光野に笑いかけて、高崎はまず自分の席へ鞄を置
いた。ついでに見上げた時計は七時五分あたりを指している。始業までは一時間以上ある
が、他の生徒が登校してくるまでと考えると、四十分ほどしかない。今日はどんな詩を読め
るのだろうか。
「昨日言われた通り、テンポに気をつけて書いてみた。よろしく頼む」
 高崎が光野の隣に座るより早く、机の上に一枚のルーズリーフが置かれた。高崎は一つ
頷き、それを手にとって書かれた文を読み始める。光野の詩はいつも短い。長くても十数
行。二十行に届いたものは数えるほどだ。
 縦に並んだ文字列を、ゆっくり目と指で追っていく。言葉通り、テンポに気をつかって書い
たのか、全体が七五調で書かれている。リズムが悪いと指摘したときに、例えばどうすれば
良いかと聞かれて、つい七五調を引き合いに出してしまったことを反省する。光野はいつ
も、高崎の指摘したことを素直に次の作品へ反映させる。最初の頃こそ光野の意欲に喜ん
だ高崎だったが、最近、それは本当に良いことなのだろうかと思い始めている。光野の素直
な感性を、ただ自分好みに変えていっているだけなのではないかと考えてしまうのだ。
 三回読み返して、高崎はルーズリーフを置いた。少し前屈みになっていたせいで、顔の前
に落ちてきていた髪を、耳の後ろへとかけ直す。
「ねえ、光野くんさ。やっぱり文芸部、入らない?」
 今までにも何度か聞いたことを、もう一度問いかけた。
「うーん、興味はあるけど、俺弓道部あるしな。掛け持ちは難しいって」
 光野の返答もまた、何度も聞いたことのあるものだった。高崎は悟られないように小さくた
め息をついた。光野はきっと、もっと伸びる。それを自分が邪魔している気がしてならないだ。
「それにさ、俺には高崎さんがいるし」
 光野の口から続けて発せられた言葉に、高崎は息が止まった。勝手に熱くなろうとする顔
に、必死で赤くなるなと言い聞かせる。

86 :No.25 いつか並ぶ日を夢見て 2/3 ◇bsoaZfzTPo:07/09/09 23:28:04 ID:3+RL0H4f
「私、文芸部でも、そんなに上手い方じゃ……ないんだけど」
「そんなこと無いって、夏休み前に出してた部誌にのってた奴も、すげえ怖かったもん。一番
はやっぱ去年の文化祭で書いてたゾンビの話だけどさ」
 手放しで自分の作品を褒める光野に、高崎はありがとう、と曖昧な笑いを返した。ホラーを
書くのは好きだが、表現がどうしてもありきたりだと自覚している。他の部員たちにも良く同
じことを指摘される。光野の自由な言葉選びのセンスや着眼点に、はっとさせられることの
多い高崎は、褒められたことの嬉しさよりも先に、自分の欠点を思い出してしまう。
「あ、そうだ。どうだった? さっきも言ったけど、テンポとか」
 話題が戻ったことにほっとしながら、高崎はルーズリーフに目を落とした。読むというよりも
紙面全体を視界に入れながら、文章を見る。もともとは自分の作品を推敲するときの癖だっ
たが、最近では光野の作品を添削するときに使う方が多い。何しろ、週末を除けばほとんど
毎朝恒例の行事だ。
「うん。気をつけただけあって、とってもテンポ良く読めた。最初から最後まで、七五調が崩
れているところもないし、朗読とかにも向いてる、すごく素敵な詩だと思う」
 一度言葉を切る。最初に良かったところ、次に直した方が良いところを言う高崎の感想ス
タイルにすっかり慣れたのか、光野は真剣な顔で次の言葉を待っている。
 高崎は詩の後半にある一文に指を乗せた。
「この、名も無き草に、のところだけど、七五調にこだわり過ぎた感じがする」
 光野の口から、低くうめき声が漏れた。
「光野くんだったら、もっと、他の言葉も思いついてたんじゃないかな、と思うんだけど」
「はーあ、やっぱすげえな、高崎さん。書いてるところ見てたみたいだわ」
「消した跡が、残ってるから」
 ルーズリーフには何カ所か消しゴムを使ったと思われる場所があったが、高崎の指さして
いる部分は特に何度も書き直したのか、他と比べても明らかに黒ずんでいる。
「どうしても七文字になんなくてさ。妥協したんだけど、まずかったかな」
「光野くんの伝えたいことは、ちゃんと書かないと、駄目だよ。テンポよりも、ずっと大事」
「そうか、そうだよなあ」
 高崎は他にも何カ所か気になった部分を指摘して、口に出して、耳で聞いて気持ちいいリ
ズムは七五調以外にもあるよ、と感想を締めくくった。

87 :No.25 いつか並ぶ日を夢見て 3/3 ◇bsoaZfzTPo:07/09/09 23:28:19 ID:3+RL0H4f
「例えば、どんなの?」
 問われ、高崎は返答に詰まった。例を挙げて返すと、光野はまた、自分の書きたいことを
抑えてしまうかもしれないと思ったのだ。
 光野の表現を、光野自身で探して欲しい。そう考えた高崎は、文芸部へはいったばかりの
頃に先輩から言われた言葉を思い出した。
「実際に声に出して、読んでみると良いと思う。耳で聞いて気持ちいいリズムを、自分で考え
てみて欲しいな」
「うえっ、恥ずかしいなそれ。でも分かった。やってみる」
 光野がいつもありがとうな、と笑った。高崎は正面からその笑顔を見てしまわないように、
視線をそらした。丁度そこで、戸が開く音が教室に響いた。秘密の四十分は、もう過ぎてし
まっていた。
 高崎はルーズリーフの文字が読めないように内向きへ一度折り、膝の上に置いて隠した。
光野が詩を書いているということは、今のところ二人だけの秘密だ。
「弓道部って、もう部長が交代したんだよね」
 当たり障りのない会話を光野に振る。
「おう、夏休み中の合宿でつつがなく。うちは全国行くほど上手い人もいないし、三年は毎年
夏で引退だな」
 いつも通り他愛のない話をして、椅子の持ち主が現れたところで、高崎は席を立った。

 放課後、一番乗りで部室に着いた高崎は、自分のロッカーを開けて、中からバインダーを
取りだした。鞄の中にしまってあった光野のルーズリーフを、綺麗に伸ばして、バインダーに
綴じる。随分と厚くなってきた紙の束を見ると、自然と笑みが浮かぶ。
 来年の今頃まで、光野との関係が続いていたら、改めて聞こう。文芸部に入らないか、と。
 文化祭で発行する部誌の締め切りは夏休みが明けたらすぐだが、なんの問題も無い。む
しろ、作品を絞り込むために頭を悩ませなければいけないだろう。
 ぱん、とバインダーを閉じて、ロッカーの中に戻す。代わりに自分のノートを取りだして、ロ
ッカーを閉める。一番新しいページを開いて、高崎は机に向かった。
 今日は、いつも以上に筆が進みそうだ。
         <了>



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