【 ついの剣 】
◆DppZDahiPc




66 :No.20 ついの剣 1/4 ◇DppZDahiPc:07/09/09 23:04:57 ID:3+RL0H4f
 二ヶ月ぶりに都を潤した雨は二日余りも降り続いたが、それももう止んだ。
 閉じていた窓を開け風を部屋へ迎え入れる。夏の暖気を吹き飛ばす涼しい風は、暑さと
共に部屋に満ちていた陰気も掃ってくれるようだった。
 彼は窓を開いたそのままの体勢で空を仰ぎ見た。
 空には、まだ雨を降らしたりないというように雲が睨みを効かせている。
 ――あの下はまだ雨なのだろうか? 河が氾濫しなければいいが……
 ふと気を抜けばそんなことを考えている自分に気付いて、彼ショウ・クルセイダーは思
わず苦笑していた。
 鎧甲冑を脱ぎ、務めから解放される数少ない寝所での時間。それも今は就いている役職
からも一時身を引いている身であり、そうした心配は一旦他の者たちに預けているという
のに考えてしまう。
 洪水がもし起こったとして救助活動を行う際、最も速く動けるのは彼が団長を務める騎
士団だ。
 先年、百年来の因縁を持っていた隣国との戦の際に幾つもの騎士団が壊滅し。内、精強
を誇っていた騎士団が倒れてしまったせいで都の防備が薄くなり、それを補填するために
各地方騎士団から人を集め首都の防備を強めたのだが。今度は地方の防備が薄くなってし
まっている。
 戦をすることだけが騎士の務めではない。民を守ることこそ騎士の務め、そのため自ら
を鍛えているのだ。
 だからこそ。洪水で民が死ぬというのなら、死なぬよう働くのもまた騎士の務め。
 緊急時の対応は臨時団長に教えてあるし、長年副官として隣にいたのだから、分からな
いということもないだろうが。しかし、戦で喪われた部下たちの代わりに入ってきた士官
学校卒の新米はまだまだ他の者たちと比べると動きが鈍い。
 それが原因でどうこうということもないだろうが、被害の規模によっては、休暇中の身
だが自ら騎士団を率いねば――とそこまで考えて、彼は思考をとめた。
 民や部下やらのことを考えているようで、まるで洪水が起こって欲しいかのようだ。
 彼が自嘲気味に笑っていると、帳の向こうからとろけた声が投げられた。
「……あら? どうしました」
 かけられた声に、彼は自嘲ではない穏かな笑みを浮かべ。
「すまない。起こしてしまったな」

67 :No.20 ついの剣 2/4 ◇DppZDahiPc:07/09/09 23:05:16 ID:3+RL0H4f
 窓を閉めようとしたが、ベッドにいるショウの妻イリアに「いえ」と言われた。
「いい月ですね」
 その言葉で月が出ていることに初めて気がついた。
 暗雲の切れ間、まるでそこだけすっぽりと切り抜かれたように月が見えていた。
「ああそうだな」
 肯定するとイリアはくすりと笑った。
「……本当にそう思っています?」
「思っているさ」そう答えて瞬き数回の間で彼は言葉を変えた。「すまん、嘘をついた。
実をいえば月が出ていたことすら気づいていなかった」
「そうですか」イリアはさして語調を変えず答えた。
 ショウは空に浮かぶ月をみて、空を見ておきながら皓皓と輝く月を見ずに遠い雲ばかり
見ていた自らの余裕のなさに嫌気が差した。
 後はもう、全てをその時に賭けるしかない――そう覚悟したはず。
 しかし、こうしてその時が間近に迫ると、どうしようもなく覚悟は揺らいでしまっていた。
 洪水で民に被害が出ないか、その考えも真実民のことを考えたものではなかった。洪水
でも起きて、自らが動かねばならない事態にならないか自ら下劣と評せる逃避に過ぎない。
 明日に迫ったあの男との、十数年来に持ち越してきた因縁の決着。闘いから逃げようと
する気弱な心。ショウは背中に視線を感じ、それから逃げるように口を開いていた。
「いい月だ。空が澄んでいるのだろう、明日は晴れるな」
「本当ですか」
「なんだ? まだ雨が降って欲しいのか」
「まさか」イリアはくすりと笑う。「この二日溜まった洗濯ができるなあと」
「なるほどな」
 ショウは言いながらも、自分の言葉が上っ面だけのもので、イリアの言葉を一つとして
聞いていなかった。
 頭の中には、そうと意識してしまったせいで具体的にあの男の貌が浮かんでいた。
 若い頃に一度剣を交えて以来、数え切れない戦場で味方として共に戦ってきたその姿は
妻の笑顔以上にショウの網膜に焼き付いている。
 幾重かさねたと知れぬ因縁と信頼。
 共に剣の腕を研鑽してきた。互いの剣を模倣し、参考にし、より高みへと登るため練磨

68 :No.20 ついの剣 3/4 ◇DppZDahiPc:07/09/09 23:05:31 ID:3+RL0H4f
してきた。まるで全ての敵を討ち払ったのち、相対すると考えていたかのように。
 法の守護者ショウへ与えられた白の称号。
 対なすようにあの男――クルツ・セイバーに与えられた黒の称号。
 それは国のために剣を振るうショウと、騎士団から抜けてしまったクルツの対比。
 白と黒。どちらが正しいということもなく、どちらが悪ということもない。
 より多くの人を救うため、しがらみに縛られることを覚悟で騎士団に残ったショウ。
 騎士団が動かないような小さな戦乱を収めるため、騎士を辞めるという汚名を被るのを
受け入れたクルツ。
 それは求めるものの違いに過ぎない。
 ショウはより多くを助けるため騎士団に残っただけだし。クルツは騎士であるというこ
との束縛を嫌った結果に過ぎない。
 その選択のどちらが正しいということはない。
 ただ自らのしたいようにしただけだ。
 そう、明日に迫ったクルツとの決闘もまた、そうしたいからすることにしただけに過ぎ
ない。戦は終わり、復興のため人が汗を流す時、決着を着けるのに残された機会はもうこ
れで最後かもしれない。だから決着を着けることにした――どちらの剣が、より優れてい
るか、を。
 これ以上待てばショウは、戦乱の英雄として否応なく国の中央部へ深く食い込んでしま
う。これから先十年は、各地に残る火種を潰す為転戦すると決めたクルツには、ショウの
身辺が今と同じだけ落ち着くのを待つ時間はない。
 なにより、二人の剣は今が最も脂が乗っていた。
 今この時戦わずにおく理由はなかった――剣士として。
「……そう、か」
 ショウは誰にともなく呟くと、闇の中浮かび今にも雲に隠されてしまいそうな月から顔
を背け、振り返ってイリアを見た
 十五の時には既に戦場に立っていた、それ以来剣を執り続けてきた。
 自分はただの騎士でしかない、そういう風に戦い続けた。
 それ以外のことなど、あまり深く考えることはしてこなかった。
 騎士として戦い、騎士として民を助ける――それだけで充分だった。そう思っていた。
「初めてだ」イリアを見ていると、言葉は恐ろしく自然に出ていた。「戦うのが、怖い」

69 :No.20 ついの剣 4/4 ◇DppZDahiPc:07/09/09 23:05:47 ID:3+RL0H4f
 クルツと戦えば、まず間違いなくショウかクルツのどちらかは帰らない者となる――そ
うなる覚悟を決めたはずだった。
 剣によってこの身を支え、剣によって道を切り拓きた。だから剣によって果てることへ
躊躇いはなかった。そう考えていた。
 ――だが。独りで戦い抜いてきたクルツに比べ。前線に立つのは部下に任せるようにな
り、机仕事も増えてきたショウとでは、どうしても差が生まれる――いや、そんな言い訳
をせずとも、ただ一言で済む、負けるのが怖かった。
 自らの人生を振り返れば、剣だけしかないように思っていたが。こうして決戦を目前に
控え、自らの人生を振り返ってみれば、そうではないことがよく解かった。
 生死を共にした仲間たち。騎士だというだけで全面の信頼を向けてくれる民草。歩んで
きた景色、光景、思い出されるものは億千万。
 それらを失うのが怖かった。なにより、イリアと会えなくなるかと思うと、クルツとの
戦いが酷く恐ろしいもののように思えた。
 ショウは救いを求めるようにイリアを見ると、その顔には穏かな笑みが浮かんでいた。
「私と同じ――というと、怒られるかもしれませんが。私も怖いです」
 イリアはそう言うと目を閉じ、胸に手をあて。
「あなたが戦いに出る度怖いんです。あなたが怪我してやしないか、敵に捕まってやしな
いか……殺されてしまってやしないか。そう考えると身が切り裂かれるようです」
「……強いな君は、俺ならその重圧に押し潰されてしまっていただろうな」
 ショウがそう言うとイリアは小さく首を振った。
「私がどれだけ恐れても、あなたはきちんと帰ってきてくださいましたから。だから耐え
ることが出来ました。あなたがいなくなってしまうかもしれない恐怖に。だから、今回も
大丈夫です」
 イリアの言葉にショウは虚を突かれたような顔をし、苦笑した。
「それはすまなかった、ふがいない亭主で。だから、今度も君の恐怖に頼らせてもらおう」
「どうぞ」イリアは穏かに答えた。
 ショウは再び窓から空を見上げた、そこには月が浮かんでいた。今度は直ぐに見つけ出
すことができた。月は暗闇の中、力強く輝いている。ショウはふっと笑った。
「戦う前から戦いを怖がるとは、俺も歳をとったな」
 だからこそ勝てる、ショウはそう思った。



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