【 妖帖 】
◆p0g6M/mPCo




62 :No.19 妖帖 1/4 ◇p0g6M/mPCo:07/09/09 20:51:55 ID:UyhYJmUU
 宵が廻り、者共の影法師が消えゆく頃でした。
 仰ぎ見れば歪んだようで、上ってみれば平坦のような。陽炎の如きひどく曖昧な坂道を上って
行きますと、見えてくるのは閑静な雑木林。
 そこに在るのは月の光を浴びた二つの大きな影。
 一つは、柄に面妖な装飾を施している刀を帯刀している男。
 一つは、背に九本の尾、艶やかな肌に紫紺の唐衣をまとった女がいまして。
 きらきらと輝く朧月は、彼らに厭というほどその白光を浴びさせております。
「もう逃げられはせん。いよいよもってここで朽ち果てろ、玉藻御前よ」
 開口一番のこの男、名を葛木清行といいまして、陰陽師の末裔でございます。葛木氏は今日
ではあまりに有名な、陰陽道を司る安陪(土御門)氏の分家と云われております。
「愚かなりはおぬしのことじゃな、清行。ぬしは何故わらわを狙うのじゃ?」
 玉藻御前と呼ばれたこの女、顔はますます渋面で。しかし容貌は花も恥らうほどの美しさを
身にまとって。
 妖しくも美しい――その正体は悪事を働く、化狐でございました。
 口碑に残る悪行数々。玉藻御前は遥か昔、古代中国王朝、夏と殷を滅亡の道へと誘わせた
傾国悪女とも云われております。
 彼女は限りない暴虐を尽くした果てに、この日の本にたどり着きました。
 そして藻女(みずくめ)と名乗り、後に玉藻前と改名いたします。
「悪鬼は斬り捨てる。ただそれだけのことだ」
 清行は柄に手を取り、抜刀試み。
 玉藻前は生白い細腕に、短刀握りしめ。
「ふふふ、わらわを斬る? 正気か? ぬしには……出来ぬ」
「どうかな。たとえ貴様が……」
 刹那、清行の刀柄が一閃放ち。
 燕の如き速さで刃が弧を描き、女狐の体を跳ね飛ばし――損ねました。
 玉藻前は背後へ廻り、怨敵の首筋に小刀突き刺し。
 清行はそれを瞬時に切り返しまして。
 
 ――どうやらこの二人には浅からぬ因縁、奇縁があるようでございます。

63 :No.19 妖帖 2/4 ◇p0g6M/mPCo:07/09/09 20:52:32 ID:UyhYJmUU
 時をさかのぼりまして数年前。
 得も知れぬ悪人悪鬼どもが、跳梁跋扈する御世でございました。
 多くの人々が苦しみ、骸は野に朽ちて。
 その原因が――。
「私めで……ございますね」
 山奥の朽ちた伽藍堂。そこにうら若き二人の男女が居りまして。
「だからこうして匿っておるのだろう? 心配は無用じゃ。今はゆっくり休まれるがいい」
 澄んだ瞳で男を見つめる少女、藻女。世の男を魅するにはこの上ない器量を持っております。
 故に、人々は彼女を一目見ようと近づこうとしました。しかし藻女が放つ瘴気によって
病に臥され、多くが死んでいきまして。これに危惧した陰陽寮は、彼女の討伐を命じました。
 それに煩悶した藻女は、眼の付かぬよう世俗から離れ隠遁するようになります。
 何者にも会さず、孤独に生きて。そんな最中――浮浪の陰陽師が現れまして。
「清行さまは平気なのですね。私めの瘴気が」
「そんなことはない。我とて呪術でお主の瘴気を絶つことは出来ぬ。和らいでいるだけで……」
 言葉を失う清行。その心は、一体何を想っているのでしょうか。
「私めは討たれるべき妖狐です。清行さまはそれを討つべき陰陽師。……それでも」
 少女は男を見据え、その頬には薄紅引かれ。
「……お慕いしております」
 あやかしと知りつつも危害を加えることはございません。逢うべくして逢い、一目見ただけで
この儚げな少女に懸想を抱いた。清行にとっては、たったそれだけの理由にございます。
 一方藻女の方は――その心は計り知れませぬ。

 二人が出逢って半年が過ぎた、ある日のことでございます。
「少しばかり夜空を仰いでまいります」
 そっと立ち上がる藻女。その可憐な姿は相変わらずで、清行は妙な擁護心に駆られまして。
「女子一人で夜道を歩くことはままならぬ。私も行こう」
「なりませぬ。その……殿方には見られとうないでございます」
 藻女は顔を赤らめそっぽ向き。何を察したか清行、己の顔も紅潮しております。

64 :No.19 妖帖 3/4 ◇p0g6M/mPCo:07/09/09 20:53:07 ID:UyhYJmUU
 月日が経つにつれ、夜半になると徒行の数が増えてまいります。
 いよいよ不信に思った清行は後についてゆこうと悩みかねまして。
 ――絶対に見てはなりませぬ。
 その言葉が楔となっておりましたが、決心して後に付いてゆきました。
 鬱蒼たる森林。その奥に、金色の尾をまとった少女が一人。
 側らには――肉の落ちきっていない髑髏抱えて。
「うわあっ!」
 思わず腰砕け、悲鳴を上げる清行。
 振り向く藻女。その姿は口元に鮮血滴らせ、充血した双眸を陰陽師に向けて。
「清……行っ!」

    ※

「あの時現れさえしなければ、この様な結末など起こりえなかった。真にぬしは契りも守れぬ、
下賎な輩よのう」
 そして今、彼らは相対し互いに刃を交えて。
 何かよからぬことを企てている。清行は薄々感じていましたが、信じたくなかったのでしょう。
 ――あの純真な乙女が人肉を喰らうなどあり得ぬことだ。
 その心が、清行の心を押し殺していたのでございます。
「藻女の真実を見たことは、善か悪か私には判らぬ。見ぬことによって後も共に暮らせたか、
あるいは知らぬうちに化狐に己が喰われていたか。それならば幸せの内に死ねたのかも知れん。
だが……私は生きている。そして貴様が未だ人を喰らう化け物ならば、微塵の惑いもなく
斬り捨てることが、今の私には出来る」
「強情な男じゃ、ぬしを喰うなどあり得ぬ。だから誘ったのだろう? 酒池肉林を彩り、己の欲の
ままに生きることが出来る天下を共に獲ろうと」
「愚問……」
 化狐は瞳を血走らせ、奇怪な刀を持つ陰陽師を睨めつけ。
「やるせなきかな……真に愚かしい男じゃっ。わらわも、ぬしに恋慕の情を寄せたのは間違い
じゃったの!」

65 :No.19 妖帖 4/4 ◇p0g6M/mPCo:07/09/09 20:53:47 ID:UyhYJmUU
 玉藻前が構えようとした刹那、清行の刀が上空で一閃を放っておりました。
 それはもはや常人には観切ることは出来ぬ、神速の抜刀術。 
 眼前。白雪の様な玉藻前の頬に一筋の刀傷を付け。
 対する清行の左胸には――妖狐の鋭き右腕、突き刺さって。
 倒れこむ陰陽師に向かい、玉藻前は口元歪ませ呵呵大笑。
「くっふふふふ。くやしいか? くやしいのう……まさかこの様な形で大詰めを迎えるとはの。
どれ、ぬしの血肉でもすすってやるか。糧となり、わらわの中で永久に生きるがいい」
 化狐は口元の返り血をぺろりと一嘗め。その表情は妖しく艶かしく、そして何処か憂いを帯びた
ようで。
 清行に手をかけようとしたその時――玉藻前は突如血反吐を吐き出して。
 同じく倒れこむと、羅刹の如き表情で清行見据え。
「何を……したっ」
「少々、我が得意とする呪いを刀身に与えただけだ」
 美しき化狐の体は、みるみる内に砂金となり、崩れてゆきます。
「そんな、こんな呆気のない結末など……」
 亡びゆく玉藻前に、清行はただ一言。
「藻女よ。来世で……また逢いたいのう」
 そう云うと、彼の意識は遠のいてゆきました。
 その真意――討つべき怨敵でも愛すべき伴侶としても、どちらでも良かったのかも知れませぬ。

 玉藻前が殺生石となる巷説は、後の話とあいなります。

<幕>



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